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「何度もいうように、おれは専門的な知識は持たないから確としたことは断言できません。
でも、想像力の源泉というものは、自分と他人、彼と我の差を実感するところからはじまたのではないのですかね?
なぜ自分は、あの者のように豊かではないのか? 美しくはないのか? 力を持たないのか?
それに……満たされていないのか。
手話を教えられたあるチンパンジーは数百の語彙を使いこなせていたそうですが、仲間から離されて別の実験室に移されそうになったとき、なぜ自分だけがこんな目にあうのかと被害妄想に陥って酷く暴れたそうです。
飢えるとき、生命の危機にさらされるとき、あるいは将来的にそのような窮地に陥ると予想されるとき、簡単な推論を行えるだけの知性と想像力を持つ知性が発揮すべき想像は、決して明るいもではないでしょう。
なぜ自分がこのような不遇な目に遭うのかという不安と、そういう境遇にはない他者への呪詛。
想像力の根元ってのは、きっとそんな酷く暗い展望に由来するのに違いない」
「……そんなこと、嬉しそうな顔をしていうなよ……」
「え? 本当?
今、嬉しそうな顔をしてました? おれ」
「それよりも、アイさん。
現人類だけがその弊害から免れることが出来たのか、ってことは、まだ説明されていないと思うんだが」
「ああ、それね。
脳の機能の差、というよりも、もっと単純な、文化や思想の多様性がたまたまいい方向に作用して、たまたまそうした結果を産み続けてきただけなんだと思うんだが……。
そうして不安に襲われて、集団ヒステリーが起こったとき……そのヒステリーに巻き込まれずに済んだ個体が一定数、含まれていたんじゃないかな?
集団的な総意に懐疑的な態度を貫き、その集団から距離を置いた者たちが少数でもいれば、そいつらが新たなアダムとなりイブとなり……。
ノアの箱船とかソドムとかゴモラとか、堕落した社会の中で異分子として排除された小集団が、壊滅する母集団と袂を分かち別の場所で生き延びるというはなしは、聖書の中だけではなく世界各所に現存します」
「箱船を作ったノアは、どちらかというとひどく狂信的で、今でいうカルト宗教の教祖みたいに精神的な視野が偏狭なキャラクターだと思うが……いや、いいたいことは、わかる。
戦争や集団ヒステリーなどによる人災にせよ、山火事や地震などによる自然災害にせよ、別行動を取る者が多ければ多いほど、どこかの誰かが生き残る可能性は多くなる」
「おそらく。
猜疑心が強ければ、他のやつらが右に倣えで一方向に向かっているときでも、孤立してでもその趨勢から逸脱して、別の方向に走っていく個体が出てくるわけですし……。
そういう、思想の多様性とかいう要素は、検証してみましたか?
火を使うとか道具を使うとかいう以前に、そういう多様性こそ、本当の意味での知的な活動の可能性だと思いますけど……」
「……いや、そこまで細かい検証は、まだだな……。
なにぶん、多少緻密になったとはいえ、限定されたパラメータを持つだけのシミュレーションに過ぎないわけだし……。
そこまで細かい設定がなされているのかどうか……帰ったら、確認してみよう」
「もうひとつは……」
「まだあるのかい?」
「どちらかというと、こちらの方が本命ですが……そのシミュレーションの基礎データを作った人たちが、意識的にか無意識的にか知らないけど、あらかじめバイアスをかけたデータを仕込んでいた可能性。
例えば……そうですね。
現存している人類が一種類だから、他の人類のデータに破滅に至る因子をあえて組み込んでいたとか……」
これまでのはなしで判断する限り、件のプロジェクト内での美作さんの立場はシステム周りに関することであるらしい。シミュレーションに必要なデータやパラメータの作成や人事方面について疎くても別段不思議ではない。
「それでは……シミュレーションの意味がなくなる!」
「でも……そこも、もうしっかり調べています?」
「い……いや……それは……」
「すでに出ている結果にあわせて自分に都合がいい正解が出るように実験データを捏造する、なんてこと、実は以外と多いと思うんだけどな……。
ましてや、そちらは創造説とかの原因となる妙な信仰の本場だ。
思想的な理由で神の恩寵を受けていない種族は滅んでしかるべきだと思っている人とかなら、妙な細工をする動機もあるわけですし……。
一度、そういう基本的な部分から、再度洗い流してみた方がいいと思いますよ?」
「あ……ああ。
そうしてみる。
その……念のため、な」
美作さんは毒気の抜かれた顔をして、コップに残っていた芋焼酎を音を立てて、ぐびりっ、と煽った。
美作さん本人は、基本的な気質として象牙の塔の住人なわけで、だからこそ、他のプロジェクト参加者も無心に公正な態度を保持するはずである……という思いこみを持っているのだと思う。
……しかし、そんなペースで飲んで、大丈夫なんだろうか?
「だけど、アイさん」
「なんですか、美作さん」
「まだ……隠していること、あえていっていないことがあるだろう?」
「……わかりますか?」
「……なんとなく、な。
普段、無口なアイさんが多弁になるときは、おおかた、なにか隠したいことがあるときだ」
「……まいったなあ」
おれは、ため息をついた。
「 本当に、聞きたいですか?」
「聞きたいね。ここまで来たら」
おれは、コップに残っていた吟醸酒を一気に煽った。
「それでは……もう少し、酒の席でのたわごとを続けることにしましょう」
飲まなければ、やっていられない。
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