マシン・スレイヴ

フヅキ シオン

それは、終わりを迎える物語<世界>ーー

 殺されたくない、そう思う事は罪なのだろうか?


 朝の街並を、人目につかない様に駆け抜ける。

 それが、自分たち『妖(あやかし)』に課せられた使命だというのだろうか?     

 そんな絶望の思念に駆られながらも、必死に「生」へと齧り付こうとする。

 綺麗な街並を抜けるとようやく地下街への道が目に入る。直接的な「生」の象徴にホッと安堵する心を抑えながら辺りを再度確認し、階段を下りようとした瞬間だった。

「見つけたぞ? この世に蔓延るゴミが」

「ひっ!」

 自分の悲鳴じみたうわずった声と、がちゃり、と突きつけられる自分達を消すためだけに作られた武器の照準。

 止めて、と哀願する間もなく、世界は闇に沈んだ。


***


 朝から、王都「ハーティム」の地下街『ニブルヘイム』は噂話で忙しかった。

「三番街の奴も殺されたらしいぞ」

「なんてことだ、一晩で街一つ分の同胞が殺されたのか」

 頭を抱えて苦悩する大人達に、隅で身を寄せ合っていた子供達も怯えて体を縮めた。

「このままでは、本当に皆殺しにされてしまう……」

「逃げ出すことも出来ないなら、いっそ一矢報いてやるべきだ!」

 さわさわと物騒な事を呟き合う大人達に、キイ……と鉄製の錆びた扉が開く音がした。

 部屋に入って来たのは彼等が長と仰ぐ美しい青年だった。

 身に纏った着物が落ち着いた濃紺の色合いの物で、見るものに安心を与えるのは、着ている青年への信頼も含まれているからであろう。

 子供達も心底安堵した顔で、青年に駆け寄って我先にと抱きしめてもらおうとする。青年も微かな笑みを浮かべて、それぞれを腕に入れると大人達に冷たい目を向けた。

「子供の居る前でなんて話をしているんだ、怯えさせてどうする」

「申し訳ありません、春華様!」

 春華と呼ばれた青年に頭を下げる大人達に子供も倣ってか、深々と頭を下げる。

 大人達よりは若い外見の春華に頭を下げる奇妙さはこの場には無かった、それほどまでに春華への信頼は深い。

 すると、頭を下げられた側である春華が考え込む様に深くため息を吐いた。

 まるでその信頼を重荷にすら感じているかのように。

「そのようなことをする必要は無い、今では我ら『妖』はこの部屋に居るだけになってしまった、その中で長だと言っても何の解決にもなるまい」

 子供達に部屋に帰って居なさいと、頭を撫でる春華に、子供達は笑顔で薄暗い地下道を駆け出して行く。

 子供達の影すら地下の闇に飲まれてから、春華は切り出した。

「今朝の死亡が確認されたのは子供大人も合わせて二十人です」

 あまりの数に、一斉に大人達の間に動揺が広がった、ザワザワと話し合う男達に春華が悲しそうに目を伏せて呟く。

「死因は例の軍の武器のようです、残ったのは塵だけ……」

 自分達『妖』は死体を残せない、それは形ある存在ではないからだ。

 死ぬ時には、光の粒になって消えるのだと、彼等は多くの同胞の最期と共に見届けていた。

「春華様、こうなったら一矢でも報いてやりましょう! このまま死に行くだけならば、せめて!」

 悲痛な同胞の言葉に、皆も決心した様に頷きを交わす。しかし、それを聞いて春華は俯き辛そうに呟いた。

「それを計画した同士が今回の二十人です」

「……っ!」

 思わぬ言葉に、言葉すら無くして……その中で長とされる青年が毅然とした態度で顔を上げた。

「我々の『術』も『刃』も通らなかったそうです、彼等の遺言を私は伝えに来たのです」

 誰もが口を挟む事も、答える事も無かった。ただ、言葉を待つ沈黙だけが空間を満たし、春華はそれを肯定ととって口を開いた。

「『竜玉』を渡してはならない……どうやら彼等の狙いが我々の至宝<竜玉>であると言う情報のようです」

「……なんと!」

「『竜玉』を奪われれば我々は、まさしく滅びるしか無い!」

 戦慄する彼等に、春華は頷きそして重々しく告げる。その手には、蒼く光り輝く勾玉があった、それこそが一同の命綱である『竜玉』だ。

「『竜玉』を守り、逃げ通しましょう……勝機はその先にあると見て良さそうです」

 そうすれば交渉の道もあるかも知れない、そう提案する春華の言葉に全員が深く頷き合う。

 手段はそれしかないと、彼等は迫害され続けて痛い程に分かりきっていた。


 『ハーティム』は、『ファーブニル』という人の居住する空間の中で唯一の都市だ。

 ここは電脳プログラムが統治し人々は『ノルン』と呼ばれる機械が出す指令に従い生きている。

 機械に従えば間違いは無い。

 人々は、『ノルン』の元で生活している。


 そこまでをボーイソプラノの声で読み上げた少年は、星印のロゴの入ったコーヒーカップに口を付けた。

 手にはレシートのような白い紙が握られており、この世界に来る前に仕事の斡旋主である『月影葵』から預かったものだ。

 この世界の情報としてあらかじめ開示されている内容を読み上げた後に、少年は向かいに座る人物に不敵に笑いかけた。

「……って、事らしいぜ? 相棒」

 カップに入ったカフェオレを飲んで、ニコッと笑うその顔は誰がどう見ても美少女の顔であり、高い位置でポニーテールにされた髪はハニーブロンドでキラキラと美しい輝きを放っている。 

 エメラルドグリーンの瞳には美しい強い意思が光っていて、見る男全てを魅了するのだが、いかんせん男であるし彼自身生粋の女好きでもある。

 外見と違って内面は男らしい彼、名前をアリスというのだが、彼の師匠はアリスにフリルの服が似合うと言ってガンと譲らず今の服を着替えられない様に呪いをかけてしまったのだ。

 おかげで彼は大好きな女性に色目を使っても全く相手にしてもらえないという悲しい事態になってしまい、さらに彼の黒い服には純白のフリルがあしらわれているのに、女に間違われてナンパされると烈火の如く怒り出すのだから困った奴になり果てていた。

 その変わった少年に「相棒」と呼ばれたのは、向かいに座っていた黒髪の少年だった。

「そうか」

 白い肌に短く揃えられた黒髪、闇を映し込んだ様な瞳は黒縁の眼鏡の下に収められていた。

 呟く様にそれだけを言うと、彼はカチャっと中指で眼鏡を軽く押し上げた。

「あン? 反応薄いぜ? なんだ、五月祭の女王でもいたか?」

「……お前、ツェッペリン聞かない奴には分からないネタだぞ、それ」

「ハッハァ! お前が分かるからいいだろぉ、そんで、何か他に言うことは?」

「この世界の何が問題か、お前なりの見解を聞かせろ、アリス」

 そう言って、同じ様に星印のコーヒーカップに口を付けた少年にアリスは満足そうな笑みを向けた。

 少年の持つコーヒーカップは自身の髪色の様に黒い液体が満たされており、黒い鏡のように少年を映していた。

「オゥケイ,耳の穴かっぽじってよく聞けよ? 煉」

 待っていたとばかりにアリスは子供が宝物を自慢するような様子で得意げに咳払いする、その様子に、煉と呼ばれた少年はため息混じりで頷く、その時だった。

 店内にドカドカと騒々しい音が響いたのは。

 なのに、店内の人間が驚きの目も視線も出さないのは、定例化しているからに他ならないのだろう。一瞥したきり、普通に会話に戻って行く。

「<ドラグニール>だ、全員その場から動かずに検査を受ける様に!」

 雷のごとく荒々しく命令したのは白いコートを着た男達、その一団はテーブルに座っていた人々に何かしらの装置を構えて向かって行く。

 その様子に煉は不思議そうに瞬きをし、アリスは露骨に嫌そうな顔をした。

「あぁ? 検査だぁ? 俺たちは患者かよ」

「間者って意味なら、間違いではないな」

「……煉よぉ、随分と平然としているな、なんか策でもあるんだろ?」

「ない、やましくなければ堂々としていればいいだろう?」

「……いや、やましい事は無いけどな」

 言葉を濁すアリスに、白い制服の<ドラグニール>と名乗った兵士の二人組が席をふさぐように詰め寄った。

「腕を出して下さい」

 青年兵士の言葉に、煉が素直に黒いコートの袖をまくって細い腕を差し出すと、側に控えていたオレンジ色の髪をした少年兵士が腕輪みたいな物を取り出して、煉の腕にはめる。

 キュウ、と腕輪が煉の腕に吸い付くように装着されるとチカチカと黒い表面が明滅した。

「妖……ではないようですが、異物の反応がでていますね、失礼ですがご同行願えますか?」

 その言葉に、煉が「構わない」と立ち上がりかけた時だった。

「煉! そんな奴らの言いなりになるのかよ? 悪戯されちまっても知らねぇぞ?」

「安心しろ、お前ならともかく、俺は無い」

「お前って、ホント嫌な奴!」

 キッパリと言い切る煉にガックリと項垂れるアリス。

 それを見たオレンジの髪の兵士が困った様に二人を交互に見つめる、上司だったらしい、長い銀髪をひとまとめにした青年が仲裁するように間に割って入り、にっこりと笑った。

「安心しろよ、俺たちは国軍だ。それに、命令が無い限りはそういった行為もこの世界では禁じられているんだぞ?」

「へぇ、ソイツは安心だ」

 思わずアリスが肩を竦めて言うと、オレンジの髪の青年が銀髪の上司の方に視線を向ける。

「……カリス様、彼等は一体なんなのでしょう?」

「さてな? とりあえず俺たちは、命令をこなせば良いんだ」

 カラカラとカリスと呼ばれた銀髪の青年が笑い、二人を促す様に手をクッと上げる。煉がついて歩き出し、アリスも渋々と従う。

 追従して歩いているが、アリスは不満を隠そうともしない。

「ったく、俺はこういうの性に合わないんだよなぁ」

「ふうん、じゃあ合うのは?」

「当然、平和でティータイムを邪魔されない所だな」

「イギリスにいる上流貴族の変態にでも買われて来い」

「お前、一応国籍がイギリスの俺にいうか? つーか買われろって、直球すぎるだろ」

「お前がイギリス出身? 前から思っていたけど何かの間違いだろ、優雅さは外見だけじゃないか」

「一応って言っただろうが、厳密にはアイリッシュなんだよ! 第一それをお前が言うか? 煉こそあの平和ボケした日本の出身だなんて思えねぇぞ!」

 ぎゃんぎゃんと口喧嘩をしている二人に、カリスが微かに肩をすくめた、大方連行されると言うのに呑気な連中だと思っているらしい。

 上司のその姿を見て、オレンジの髪の青年が同意する様に不満そうに口を尖らせた。

「無駄口の多い奴らですね、カリス様」

「ま、良いんじゃね? 少なくとも骨の無い妖共よりは楽しめるさ」

「そうですね」

「マルクス、とりあえずお前は少女の身柄を、俺は少年の方の身柄を確保する」

 そう事務的な話をする二人に、聞いていたらしいアリスの方が顔を真っ赤にして怒り出す。

「俺は男だーっ!」

「「えぇえっ?!」」

 思わず、驚きの声をあげる二人の軍人に煉は微かに同情する様な目を向けていた。

 そして煉の方も少しだけ不満そうな声音で呟く。

「俺も、少年って年じゃないんだがな」

 煉の実年齢は既に三十歳をこえている。

 けれど、アリスの性別に驚く二人の兵士には小さな不満の呟きは届かないのだった。


***


 煉とアリスが連れて来られたのは、軍の上層部、つまり国家元首でもあるコンピューター『ノルン』の場所だった。

 白いライトが煌々と輝く無機質な空間に二人は通される。

 部屋はバームクーヘンの内側のような様相で、円形の部屋の真ん中に柱のような機械の塊がそびえ立っていた。その壁も機械の柱も色は曇りない白色。

 時々柱が、赤や黄色の色とりどりの小さなランプを名滅させている。

「うぇええ! 真っ白じゃねーか」

「何だ、お前白が嫌いか?」

「白は俺の中で絶望の色なんだよ」

「妙なジンクス持ってんだな」

「誰にだってジンクスはあるだろ? そういうお前の中ではどうだ?」

 その言葉を受けて、煉は天井を仰ぐ様な仕草をして、次いで呟きを落とす。

「俺は黒、だな」

「お前の髪と目の色じゃねーか、相変わらず自虐趣味な奴だぜ、ハッハー!」

 毎度の軽い無駄口を交わしていると、機械的な、ビーッという警告音の後に合成音声が流れ出した。

「貴方方ハ何者デスカ?」

「ハン! ご主人様に習わなかったのか? 名前を名乗る時は自分だろう?」

「貴方方ノ国デハソウダッタノデスカ? 私ハ『ノルン』コノ世界ノ管理ヲ行ッテイマス」

「あン? 機械が管理だって? 機械ってのは人間に従属するんだろ?」

「……大分違ウ国カラ来タヨウデスネ、何ノ為ニ?」

「あぁ? そんなもの、可愛い彼女でも居ないかと探しに来たってことだな、見て分からねぇ?」

「分カリマセン」

 機械らしくキッパリと言い切る『ノルン』にアリスはオーバーなリアクションで嘆いた。

「これだから、情緒を介さない奴は困るぜ」

 ワザとらしくアリスが肩を竦めていると、煉が呆れた様に自分の相棒アリスをみつめる。

 まるで喧嘩をふっかけるような……いや、現にふっかけているのだろうと容易に想像がつくからだ。

「とりあえず、我々は今の所、観光に来ています、気が済んだら帰りますよ」

「何日程滞在ナサル予定デスカ?」

 生真面目な問いに、アリスがニヤリと笑って答えた。

「ハン! 決まってんだろぉ? 気が済むまで、だ! 何か問題でもおありですかァ?」

 中指を立てるアリスに、煉はどうでもよさそうに柱状の機械に背を向けた。

「帰るぞ、コーヒーが冷める」

「yes! 折角可愛い子が入れてくれたコーヒーだったのになぁ」

 そう言ってアリスもならおうとして、ビーッと警告音が再び鳴った。

「話ハ、マダ終ッテイマセン、退出ハ認メマセン」

 その言葉と共に一斉に銃口が自分達へと向くのを、アリスも煉も呆れたように眺めた。

 入り口はロックがかかり、更に三重にシャッターが降りるのをみて、アリスが楽しそうに笑った。

 どう考えても逆境に近いこの状況をアリスは心底楽しんでいた。

「可愛い女の子に、行かないで、って頼まれるのは気分的に悪くないが……機械ってのは頂けないな」

「行かないでっていうか、逃がさないって感じだろ、これは」

「確かにな、どうする?」

 二人の言葉など当然機械の『ノルン』には通用しない、問答無用に事態は進行する。

「スキャン開始シマス!」

 その言葉と共に、赤い光線が二人に照射される、その刹那だった。

 目に見えない早さで銃を抜いたアリスが寸分の狂いも無く、二人に光を当てようと輝きかけたレンズを全て打ち抜いていたのは。

 右手にはコルトの『ガバメント』左手にはシグ『ザウエル』が握られている。

「ハッハー! 一丁上がり、ってな」

「貴方方ヲ敵ト認識シマス! 繰リ返ス! 敵ト認識……」

 ヒステリックに叫び出す機械の合成音。

 直後、合成音を出しているスピーカーが音も無く弾け飛ぶ、アリスが驚いて振り返れば、煉が銃の先の煙をフッと無感動に吹いている光景が目に入った。

 その手にあるシグ『ザウエル』の銃口にはアリスの所持している銃とは違い、サイレンサーが付いていた。

「お前、いつの間にそんなの付けたよ?」

「お前が葵に派手なのと静かなのどっちがいいと聞かれていた時だ」

「葵お姉様に!? お前、ずるいぞ!」

 仕事の斡旋主である女性の名にアリスが大げさに反応を返す、生粋の女好きなだけに女が関わる事態には人一倍過敏だ。

 煉は内心でアリスと同じ『ザウエル』を渡した、金の髪の美人がかすかに悼むような表情を浮かべていたのでいえなかったのだがなと、付け加えてから答える。

「だからな、お前が相棒を自分で選ぶ、とかヌかして辞退したんで勿体無いから引き取っただけだ」

 何の問題があるのかと開き直りを見せる煉に、この世の終わりとばかりに、アリスが地面に打ちひしがれた。

「お姉様のいけずーー!」

「何処でそんな言葉を覚えたんだ? さて、どうする?」

「どうって、この状況で聞くか?」

 交渉は決裂、このままでは脱出を考えなければ二人に未来はない。

 言わなくても察した煉は、事も無げに応じた。

「成る程、じゃあ、いいな」

 そう言って煉が黒いロングコートの内側から出したのはどう見ても手榴弾。

 ピンとコックを引き抜く煉にアリスが戦慄した。

 どうやら煉の先刻呟いていた『派手な物』は手榴弾のことだったとアリスは身をもって痛感したのだった。

 その日の夜は、轟音を立てる<ハーティム>本部があったとかなかったとか。


***


 世間は話題で持ち切りだった。


 ハーティム本部の炎上爆破。


 しかし、それはあくまで内心でのこと、管理されている人々は疑いを口に出来ない。

 できることといえば、不安げに爆破された、天を貫くほどにそびえ立つぽっかりと穴の空いた塔を見つめて通り過ぎるだけだ。

 その様を見つつ路地裏に潜みながら、アリスが窮屈そうに辺りを睨む。

「おい、煉……どう考えてもおかしくないか? こういうのはテロだなんだって大騒ぎになるはずだろ?」

「管理されているから、そうならないんだろう、お前が言いたかった世界の問題ってこの事じゃないのか?」

「そんなものオレが分かるわけないだろぉ?」

「ならばお前があの店で言いかけた問題ってのはなんだ?」

 すると、外に出ることを諦めたらしいアリスが、裏路地の壁に背を預けて深くため息を吐いた。

「この世界には二つの種族が居る、一つは人間、もう一つは『妖』って呼ばれる妖怪の種族らしい」

 そこまで言って言葉を切ると、煉は成る程と頷いてみせた。

 ちらり、と裏路地の奥に視線をやって、そして立ち上がる。

「さっきからチラチラと視線を感じるのが、それか」

 煉が事も無げにそういうとアリスもポリポリと頬の辺りを掻いた。

「そういうこった! けどな、そいつらは絶滅寸前って話だ」

「成る程な、人の手によって、か」

 そう言った瞬間に、彼等は慌てた様に駆け出してゆく。去り際にチラリとみえた姿は、ボロを着た小さな子供だった。

 アリスは興味なさそうに、追うか? と、聞いてきたが煉にもその気はなかった。

「これからどうする?」

「さてな? まあ、こんな状態じゃ宿も無理だろ」

 二人がそう言って仰いだ空は、来た時と変わらず曇天だった。


***


 とりあえず、あれだけ派手な事態を起こしたのだからしばらくは裏路地に潜んでいようと結論を出し、二人で夜露を凌げそうな軒下を捜していたとき、だった。

「煉、派手な鳴き声が聞こえるぜ? ハウリングにはちょいとキツいな」

「どっちからだ」

「近いぜぇ? 引くか、行くかどっちにする?」

「行こう」

 そう言って真っ直ぐに見据えてくる煉に、アリスはニイと口角をあげる。

「どうするつもりだ相棒? どっちかに加担するなら覚悟は決めておいた方が良いぜ?」

 すると、煉は感情のこもらない瞳でアリスを見据えきた。

 心中の答えを見透かす闇色だ。

「お前ならどうする?」

 アリスの中でも、曖昧ではあるが答えは決まっていた、ただ口に出す程の事でもない。

 何故ならば煉は自分の相棒であり、煉も自分と同じ答えを選択するであろうことを、理解しているからだ。

「決まってるだろぉ? きれいな女性の居る方、さ!」

 その言葉に、煉がこの世界に来て初めての笑みを浮かべた。アリスらしい、軽口だと考えているからだろう。

「お前らしいな」

 ただし、苦笑ではあったが。


***


 どうして計画が露呈したのだろう。

 春華は内心で何度となくその言葉を反芻していた。

 『竜玉』を持ち出し、似せたダミーを本部に置いておくという話が決まったのはつい先刻のことだ。

 そして、計画というよりもその場の判断に任せて全員で飛び出し、出入り口で囲まれた。

 まるで、この瞬間を待っていたかのようなタイミング。

 それともいつでも殺せると言う余裕から見逃して居たとでも言うのか?

「くそっ! そっちがその気ならやってやる!」

「いやぁあ! 怖いよ、怖いよぉ!」

 周囲では、相手への殺意と憎しみで人の姿を保てなくなっている『妖』もいる、子供に至っても恐怖から助けを求める咆哮を上げてしまっている子もいる。

 『竜玉』を差し出し、せめて子供達だけでも助けてはもらえないだろうか?

 そう交渉を持ちかけてみても、兵士達の反応は冷ややかだった。

 だったら、お前達を殺して奪えば面倒事などない、と。

 彼らの指揮官である、ノルンに問い合わせることすらしなかった。

 返される言葉にこれまでか、と思う気持ちと共に。ならば最後の一片まで子供を守ろうと心に決める。

 力を込めた右手をかざし子供達に結界を張ると、自らも妖怪への姿へと変じようとした時にそれは起こった。

「これは!」

 子供達ごと、いや、建物ごと何かの光の壁に包まれていたのだ。

「なんだ、これは!」

「術を行使してもびくともしねぇ!」

 すぐ隣の同胞が力を込めた拳で殴っても、ヒビ一つ刻まれない。

 絶望の空気が我々に漂う中で兵士達が嘲笑う。

「冥土の土産に教えてやるよ、ソイツはなその中に入った妖は全て塵へと化すって代物なんだとよ」

 保護術もきかないんだとご丁寧に告げられて、子供達は火がついたように泣き出した。

 痛々しい泣き声に、私は叫ぶしかなかった。

「そんな! 子供達だけでも、どうか……っ!」

「俺たちからもお願いする! どうか子供だけでもっ!」

 仲間が口々に私に倣って子供の存命を願い出る。

 子供達が何をしたと?

 生まれて間もない子供も居る、名前すらない子供も居る。彼等が一体人に何の害を成したと?

「ははは! こりゃいい、妖怪のくせに、いっちょまえに人の親子愛を真似ているのか?」

「滑稽だよなぁ!」

 しかし、それすら彼等には届かない。

 種族の違いなのだろうと感じる程に、彼等の態度は文字通り壁の向こう側にあった。

「済まない、皆……私が不甲斐ないばかりに」

「そんな! 春華様の所為ではありません!」

 彼等の中でも、分かっているはずだ『妖』になど生まれなければ。

 広がる絶望と共に心に滲みる闇の声。

 どうして『妖』になんて、生まれてしまったんだ?

 最早これでまで、と思った瞬間だった。


 ぱぁあああん!


 四方を囲って居た光の壁が、突然音を立てて割れたのだ。

 我々がなにをしても破ることの出来なかった戒めが、今は夢だったかのように空中に四散している。

「な、なんだと?」

 兵士達が慌てる中で、闇に溶けてしまいそうな黒いドレスを着た美しい少女が月明かりが照らす青白い通路に降臨した。

 幻想じみた光景だった、蒼く照らされる月明かりに闇を切り取ったかのような少女の存在。

 しかし、少女だと思っていた存在はすぐに大げさなリアクションで幻想的な空気を自ら破壊した。

「いやいや、俺は拘束プレイってのはあんまり好きじゃなくてな」

「誰も聞いてねーよ! それとも何だ? カワイコちゃんは夜のお相手を捜しに来たってのか?」

「生憎だったな、こう見えても俺は男なんでな、むしろ可愛い女の子は俺が欲しいっての!」

 とぼけた様に言葉を放つ少年は美しい顔立ちで、そして輝かしい自信にあふれた笑みを浮かべていた。

「で? アンタ達はなにをしていたんだ?」

「決まっている、我らはハーティム国属軍ドラグニール部隊だ人々を脅かす悪の種族である妖の殲滅任務だ!」

 そう言ってふんぞり返る軍人に自称少年はヤレヤレと肩を竦めてみせた。

 呆れたように緩く振られた顔に応じて、金糸の様なポニーテールがさわさわと揺れた。

「煉……どうするよ? あれだけ機械が支配している国で裁判もせずに、一族皆殺しらしいぜ?」

 少年が呼んだ瞬間に、まさしく闇の中から生まれるかの様にもう一人少年が現れた。

 漆黒の髪と目、黒いロングコートに映える白い顔が美しかった。

「アリス、知っていると思うが俺は道理に通らないことは嫌いだ」

「おう、よーく知ってるぜ?」

 そう言って、アリスと呼ばれた金髪の美しい少年は目にも留まらぬ早さで銃を抜き出し、そして撃ち抜く。

 壁の様に並んで我々を囲んでいた軍人が、肩から血を流してバタバタと倒れた。

 我々が何をしても傷つける事の出来なかった白い制服に今は赤い色が散っている。

 まるで、夢でもみているような気持ちだった。

「たまにはヒール(悪役)も悪かねぇよな?」

「お前の場合、単なる反骨精神だろ」

 そんな軽口を口にしながら、煉と呼ばれた黒髪の少年が自身の背後に迫る軍人を華麗な回し蹴りでしとめた。

 ゴトゴトと同胞が倒れ伏すのをみて、下っ端の兵士達があわてて逃げ出した。

「ヒ、ヒイイ! 化け物だ!!」

「おいコラ! 俺のどこが化け物だ! 人間だっつーの!」

 逃げて行く兵士達の背中にアリスが怒りの言葉をぶつけるが当然、返事のあろうはずもない。

 プンプン起こっているアリスに、煉がにべもなくいい放った。

「少なくとも、視認出来ない速さで銃を抜いて、オーチマチック銃でマシンガン連射に勝てる奴を俺は他に知らない……ってか、不可能」

「あれは魔法で時間を歪めてるからだっての、俺だって、回し蹴りでカマイタチ出せる人間なんか知らねーぞ」

「アレは不可抗力なんだよ、お前に銃持たせたら百発百中で当てるからな、その対抗策だ」

「あぁん、俺と特技対決しようってかァ? そいや毎日カロリーメイトで暮らしてる奴なんて、俺は他に知らねぇな」

「それ能力は関係ないだろ! 俺だって紅茶の銘柄を匂いと色と味だけで当てられる奴なんか他に知らないぞ!」

 ぎゃんぎゃんと下らないことを言い争っている二人をみていると、自然と命の危険はもうないのだと分かって。

 春華は久しぶりに、安堵のため息を零していたのだった。


***


 助けてくれた事を『妖』一同はとても感謝していた。

 アリスは女は居ないが子供は放っておけないしなと笑っていたし、煉に至っては話し合いをするという道理が通らなかったからだと無表情に告げる。

 好意を全面に押し出すこともなければ、嫌悪を出すこともない、不思議な人間達だと春華は思った。

 初めて嫌悪をしてこない人間の客人に、子供達は興味津々で大人達も驚きと嬉しさを隠せない。子供達は嬉しそうに二人を追いかけながら声をかける。

「ねぇねぇ、お兄ちゃんはどうしてあんなに強いの?」

「ソイツはな俺がイけてるからだ」

「子供に馬鹿なことを教えるんじゃない」

「あぁ?! 俺がいつ、馬鹿教えたってよ! お前はじゃあ、なんて言うんだよ」

「決まってる、俺たちは人間だがこの世界の人間じゃない、だから攻撃が通るんだってな」

「つまんねーなぁ、煉にはもっとユーモアが必要だぜ」

「知るか」

 二人の言葉のやり取りは険悪そうにみえて、実はとても仲が良いのだと分かる。

 現に、子供達は嬉しそうに二人のやり取りをみて笑っているし、大人達も笑いを堪えきれない。

 二人を中心にして皆が笑っていると、アリスの方がニッと笑った。

「やっと笑ったな、その方が良いぜ? そっちの方が良いことが起こるさ」

 確かに、何だか気持ちがとても軽くなったと思う。

 笑顔など最近、浮かべたこともなかった。

「貴方達にはなんとお礼をしたらいいのでしょう、本当に感謝の言葉もありません」

「止してくれよ、照れちまうじゃねーか」

 そう言うアリスが、照れた様子もなくいうものだから、また皆が笑う。

 けれど、と今度アリスは笑いを収めるように真面目な顔でこちらを見据えてきた。

「今回の事は一時凌ぎだ、根本の解決をしなきゃ、危機は終らないんじゃないか?」

「仰る通りです」

 しかし、何よりも、死の恐怖に直面し今は全員が心身ともに疲弊しきっていた。

 第二のアジトに逃げ込む事も危うい気がして判断に迷っていると、子供達が私の足下に縋り付いて言葉を紡いだ。

「春華様、僕達なら平気だから、早く逃げよう?」

「そうだね」

 そうだ、私は何を迷っている、この街のどこにいても私達は消されるだけだ。

 そして『竜玉』を持って一所に留まることも危険だとわかった、ならば手段は一つしかない。

「アリス殿、煉殿、お願いがあります」

「守ってくれって、か?」

「妖怪として生まれ生きた、我らは良いのです、それが運命ならば」

 その言葉に、アリスも煉も顔を嫌そうに顰める。

 しかし、それ以外にどうやって自分の心を納得させろと?

 生まれてからずっと、支配されることを前提に作られたのだから。

「しかし、この子達は自らの運命も知らなければ、まだ名のない子供もいるのです」

 乳飲み子を抱いた同胞を視線の片隅において話せば、アリスが微かに目を伏せた。

 煉に至っては、月光に晒された白い顔に微かに悼ましそうな色を浮かべている。

「その子達だけでも、守って頂けませんか?」

 勝手なことを頼んでいると自覚はある、しかし、子供を守らない大人が居るだろうか?

 そっと頭を下げると、きっぱりとした声で煉が告げた。

「断る」

「そうですか」

 やはり虫が良すぎたかと、微かに苦笑を浮かべていると、固い声で彼が続ける。

「勘違いするな、親が死んで子供はどう生きれば良いって言うんだ! 子供だけでもなんて無責任だ! アンタ達も子供も俺が出来うる限りで守ってやる! だからアンタ達はちゃんと大人の責任を果たしてみせろ!」

 饒舌なのはアリスの方だと思っていたのだが、彼はどうやら内に溜め込んで爆発させる性質らしい。

 真摯に強く射抜いた彼の言葉には、先までの絶望感を吹き飛ばすだけの力があった。

 吹き払われた絶望から生まれたのは、決意。

「お願いだから、子供を残して逝くなんて、選ばないでくれ」

「分かりました」

 何があっても生き残れと彼は言っているのだろう。

 それは我々が一番心の奥底で望んでいた言葉で、誰かにかけてほしい言葉だった。

「……感謝致します、煉殿」

 初めて言われた言葉だった。

「ハン! 流石だな、迫力あったぜ?」

 アリスが嬉しそうに笑う、その声に煉はフイッと顔を逸らした。

「からかうな」

 スタスタと一人歩き出して行く彼に子供達がニコニコと笑った。

「あのお兄ちゃん、顔真っ赤だったよ」

「ハッハァ、そうかいそうかい」

 ニヤニヤと笑うアリスに煉が怒鳴った。

「さっさとしろ、おいて行くぞ!」

「ハン、お前が守るんだろぉ? ちゃんと歩調をあわせてやれよ」

「お前はどうする気だ?」

「ハン! さっきの軍人に女がいるとは思えねーし、たまには子供のお守りも悪かねぇよなぁ?」

 そういって煉の頭をワシャワシャっと撫でるアリス。すると、煉が小さく不満そうに唇を尖らせた。

 自分まで子供扱いされたようで不満なのだろうとアリスは分かってニンマリと笑う。

 世界の月は半分で、そして青白く煌々と光っていた。


 子供の頃から戦いを余儀なくされていたアリスにとって道ばたで朝を迎えるのは、なにも初めてのことではない。

 「別の世界」では野宿もよくあることだった、身を潜めなければいけない生活が染み付いている。逆に満たされた寝床は居場所が特定され襲撃されるという不安すらある。

「んー俺って貧乏性」

 伸びをして、よく眠れたと目元を擦っていると、壁に背を預けた煉が目に入った。

「起きたか」

「グッモーニン、サー! 相変わらず早起きだな」

 アリスの言葉を受けて煉が壁から身を起こして歩き出した。

 俺は何か気に触ることを言っただろうか疑問に思ってアリスが微かに首を傾げていると、煉がチラリとこちらを振り返った。

「飯の時刻らしい、どうする?」

「そりゃもう、腹が減っては戦は出来ないぜ?」

 そう言って煉の後を追おうとすると、何故か背後を指さされた。

 煉の進行方向は、普通の人が行き交う繁華街への通路だった。つまり、煉は食事を一緒に摂る気がないと宣言しているも同然だった。

「あっちで春華達が食ってる、お前の分もあるらしい食ってこい」

「お前さんは?」

「もう済ませた」

 ぴしゃり、と放たれた言葉にアリスはムッとしかけるが、元々性格的にはソリは合わないのだと理解している。

 相変わらず、愛想の欠片もない奴だと思いながら、肩を竦めて怒りをやり過ごす。

「勝手にさせてもらうぜ?」

 こちらを見もせずにジャリッと煉のブーツの立てる音を聞きながらその背を見送って、アリスは春華たちの元へむかう。

 路地を抜けた所の、広いとはお世辞にも言えない資材置き場。そこで『妖』達が身を寄せ合って、穀物を分け合っていた。飲むものは暖めてはあるが、味も素っ気も無い白湯。

「ま、泥水よりは十二分にマシだよな」

 以前、泥水をすすったこともある。食い物の形をしているだけマシだと言い聞かせて、子供達が嬉しそうに俺に乾燥豆などを振る舞ってくれた。

 齧ってみると、成る程、塩分が微かにまぶされていて、バターピーナッツによく似ていた。

「ほーこいつは保存食にしちゃ上等だ」

「先代の知恵でしてね、我々『妖』が口に出来るものをいかに旨く食べるかは課題でしたから」

 ヒュウと口笛を吹いて喜ぶアリスに、春華が自分のことのように嬉しそうに語った。

 自分達の子供が少しでも美味しく食事がとれるように、保存食にすら愛情がこもっていた。

「いいねぇ! 自分の親兄弟に感謝ってのは悪かねぇな」

 そう呟いたアリスの脳裏に、今は亡き兄の笑顔がフッとよぎる。

 カリリと齧った豆が微かに苦い、そんな気がした。


***


 食事を終えて、しばらくすると煉が戻ってきた。

 「何処にシケ込んでいたんだ? 女は怖いぜ?」

 アリスがからかってやれば、煉にお前と一緒にするなとにべなく切り捨てられた。

 勿論、アリスは女が苦手な煉の質を分かった上で言っていたのだから真意は伝わっているだろう。

「煉殿、如何されたのですか? 疑う訳ではありませんが……」

 追っ手もかかっている状況だ、不審な動きで悟られたくないという春華の気持ちは分かる、アリスも言葉をかえて、からかいながら嗜めていたのだ、二人の言葉に煉は微かに目を伏せた。

「安心しろ、少々情報を探っていただけだ」

「そう、ですか」

 納得のいかない様子の春華に煉は構わず続ける。

「少なくとも、急いで発った方が良いことだけは確かだ……昨夜の部隊が逃げ帰ったことで、この辺り一帯を一斉捜索するらしい、どう見積もってもリミットは残り二時間だ」

 煉の言葉に春華がハッとして目を開き、そして一同を見渡す。

 追われていると自覚はあった。しかし、相手の行動は大胆で迅速だ、何故こうも、のうのうとしていたのだろうと春華は自身を呪った。

「しかし、我々が出て行けば、そのまま一網打尽にされます」

 見回せば四十人程は居る。軍でもないのにぞろぞろと歩けば不審がられるだろう。

 すると、煉がズタ袋に入っていたものを放った。

「だから、これを着てくれ」

 その服は確かに普通の人達が着ているような服だった。

 地に潜んでいたからだろう、春華達は一族の民族衣装ともいえる服装をしている、視覚的に一目で判別されるのを防ぐには一番最善でシンプルな作戦だった。

「変装とはベタだな」

「その着物は目立つ、覚えている限りは、人数分あるはずだ」

「だな、これだけあればいけるだろ」

 数着多めに買って来たのだろう、人数分以上は確かにあった。

 急いで皆に回すと怖ず怖ずと着替えながらも、それでも春華が悲しそうに呟く。

「しかし我々は、検査機にかけられればお終いです」

 すると、煉は口を開きかけるが、そこにアリスが言葉を差し挟む。

「なぁに、かけられなきゃオッケーなんだろ? そんな状況にならないほど俺らが引っ掻き回してやるさ」

「しかし!」

「あン? お前らを置いて逃げるなってか? 俺は求められんのは嫌いじゃねーがフリーって言葉が好きでね」

 この世界用にカスタマイズされた銃『ザウエル』と共に、アリスの唯一となってしまった「相棒」が変じたコルト『ガバメント』を引き抜いた。

「煉、お前にだけ、イカしてるトコはやれねぇな?」

 アリスのウィンクとその言葉に、煉がばつが悪そうに視線をそらした。

 煉は気の合わない相手だが、嫌いではないから……アリスは煉が取るだろう手は何となく察しがついていた。

 その言葉に煉が深いため息を零しながら、緩く首を振った。

「お前には、コイツ等を守って欲しかったんだがな」

「ハン! 生憎俺はエスコートするのは女だけと決めてる、お前が偽物の『竜玉』を持って見事、囮になってくれんだろぉ?」

 その言葉に煉が、微かに刮目し、そして隠していた手から春華が持っている『竜玉』そっくりのダミーを取り出した。

「よく、分かったな」

「お前の歩幅と帰って来るまでにかかった時間を考えれば、前のアジトからダミーを取りに戻ったって考えるほうが自然だろ?」

 むしろ、その可能性の方が高いとズバリと当てられて、煉がポリポリと頭を掻いた。

「お前が敵じゃなくて良かったと、いってやる」

「素直に褒めやがれ、全く」

 自然と、お互いに笑みが浮かぶ。

 気は合わないし、性格は正反対。けれど、お互いの生き方だけは嫌になるくらい似ていて、まぎれもなく友情じみた絆のある二人だった。

 その眩しい姿に春華が苦笑を浮かべ、そして深々と頭を下げた。

「どうか、ご武運を」

 二人が片手を上げて立ち去って行くのを見送り、一同をなるべく細かにわけて、街の出口で落ち合おうと決める。

 走り去って行く一族の姿を見ながら、春華はあの二人を思い起こさずにはいられなかった。

 自分にも、ああして心を頼れる相手が欲しかったな、と。

 そして、彼等が戻って来た際には、今のあの二人ほどではなくとも気持ちを傾けられる相手になれたら、と。

「無事で帰って来て下さい、アリス、煉」

 手を合わせる仕草に、自然と力がこもった。


***


 アリスと煉が囮になって暴れ回れば、案の定、国の軍は二人を親の仇のごとく、執拗に追っていた。

 街の住民にはコンピューターから外出禁止の命令でも出ているのか、人っ子一人いない。

 それが、アリスの癇に障る。

「命令命令、テメェのオツムじゃなんも考えないのかよ!」

「プログラム化された物は安定的だ、繰り返せば良い」

 バラまかれる銃弾をアリスが放つ銃弾で撃ち落とす。

 まさしく神業と言わんばかりの銃の腕を目の当たりにし驚く兵士達の動揺を受けて、アリスはニイと自信満々に微笑む。

「いいんだぜ? 素直に褒めても?」

 その直後に放たれる一斉射撃をひらりと躱しながら、顔を顰めた。

「ったく、お前みたいだ、素直じゃねーの」

「あんなに暴力的だった覚えはないぞ」

「確かにな、コッチは煮えたポットだがお前はキンキンのアイスクリームだ」

「素直にクールって言えばいい」

 するとアリスがにんまりと笑う。

「クールってのは、俺のためにある言葉だろぉ?」

 冷たいのクールと、かっこいいのクールをかけているとわかって煉は呆れたように肩を落とした。

「……クレイジーの間違いだろ」

「んだと! このブルーブラッド!」

「おまっ……それは女をあらわす言葉だ!」

 煉も物陰に隠れてやり過ごしているが、お互いが道の端と端に分断されてしまった。

 道を挟んで口喧嘩をしている煉とアリスに銃弾が止む。敵が来るのは間違いなく『竜玉』を持つ煉だ。『竜玉』を、ここぞとばかりに、ネックレス状に改良し目立つ様に動いていたからこそ敵の狙いも集中する。

 逡巡を微かに見せて、煉が微かに指で上を指し示した。

「あ?」

 アリスが自分の周りを見回して、鉄製の朽ちかけたハシゴがあることに気付く。そして煉は上を指し示した後に指は軍の部隊が居る方を示す。


 ——俺が時間を稼ぐから、上から急襲しろ、お前なら出来るだろ?


 黒い瞳が雄弁に物語る、視線だけで分かったアリスは素直に嘆いた。

「ハン! 全く、人使いの荒い」

 小さく呟いて、ハシゴに手をかけるが、一段ずつ上ることが面倒になってダンと地を蹴り、一息に建物の上へと登る。

 それを視認した煉がゆっくりと両手を上げて、道の真ん中に進み出た。

 道を封鎖する様に展開された銃撃部隊は、反撃を考えられてだろう敷き詰めるような盾の背に隠れて、銃を一列に並んで構えていた。

 煉が両手を広げたまま、口を開く。

「降参しよう、このまま『妖』の弱点とかいう『竜玉』を渡そう、その代わりにこちら側にいるアリスへ手を出さないでもらえるか?」

 こちら側と先程アリスが潜んでいた路地裏を示す、勿論そこには既にいないのだが兵士達は知る由もない。

 抑揚無く、固い声で告げる煉からは微かな覚悟にも似た様子がみて取れて、一時軍人が戸惑いをみせた。

「待っていろ、今から『ノルン』に問い合わせてみよう」

 昨日の『妖』への対応とは随分と違う。

 そのことに煉は内心で微かな怒りを募らせたが、そうしてふと思う。

 なぜ、こうも彼らは『妖』を敵視するのか、と。

 煉が考えている間にも『ノルン』に連絡を取っていたらしい部隊長らしき男に、フッと黒い影が被った。

 何が起きているのかと確かめようとした部隊長が上を向くもすでに遅い。

 ゴキャと景気のいい音がして男の顔面にアリスの足が突き立った。

「いっちょあがり、っと! さて、お前ら、お祈りは済ませたかァ?」

 司令塔だった男を潰してアリスが盾の後ろに隠れていた兵士へ銃口を向ける。

 その直後だった、男達が示し合わせたかのように、銃を地へと落としたのは。

 まるで降伏と言いたげな様に、呆気にとられるアリス。

「あン? お前ら、なんだよ、こっちはたった二人だぜ?」

 アリスの問いかけに、一人の軍人が答えた。

「指令が来なくなってしまった、次の指令があるまで我々は動けない」

「はぁああ? なんだそれ! 好きにすりゃいいじゃねーか!」

「お前こそ何を言っている、指令なしに動いて失敗したらどうするんだ?」

 言葉が通じているはずなのにまるで奴らは宇宙人だ。

 アリスはそう言いたげに、困惑して一人一人顔を眺め回す、常に自分の意思で動いてきたアリスには彼等の言葉が理解出来なかった。

「お前ら、初めてのことに失敗はつきものだろうが」

「失敗も『ノルン』が取り決めることだ」

 当然のように答える男達にアリスが、カッとなって銃の引き金に手をかける。

 それを止めたのは、相棒の煉だった。

「待てアリス!」

『止めるな煉! コイツ等をみていると吐き気がするんだよ! 失敗は人のせい? ふざけてるんじゃねぇ!』

 怒りで我を忘れているらしいアリスが英語でまくしたて、かかっていた指が勢いでトリガーを引く。

 ——ガウン!

 煉の耳元を暴発した銃弾が掠めた。

「っ! れ、煉っ、悪ぃ、大丈夫か!」

 アリスの方が我に返って青い顔で見つめた。

 もし当たっていたならば、アリスは煉を殺すところだった。

 しかし、死にかけたはずの煉はアリスを無感動で冷えた瞳で見つめ返して呟く。

「アリス、コイツらはお前が怒る価値があるほどの男達か?」

「煉?」

「人の指令を聞いて盲目的に信じる、人形と何ら変わりはない、人形の方が綺麗なだけまだマシだ」

 呟かれた言葉に、アリスはしばし考えた後に、銃をしまう。

 冷静に考えれば余計な銃弾消費もせず怪我もしないで小競り合いが終った、こちらとしては喜ぶべきことなのだ、色々と危うかったにしても。

「悪いな少し興奮しちまったクールが信条の俺らしくねえ」

「良いことだろう、俺にはない感情だ」

 再び自信満々に笑みを貼付けるアリスに、煉がポンポンと肩を叩いて評した。

 しばしの後、あの煉に褒められたと気付いて、再びアリスが顔を赤くするのはややあってからのことだった。


***


 とりあえず、この事態は全ての司令塔である『ノルン』をなんとかしなければ話は終らないのだということが分かった。

 念のために降伏した兵士から、なぜ『妖』を迫害するのか、街から出ていくというのだからそれでいいのではないか、と尋ねたが『ノルン』がそういった、の一点張りで話にならなかった。

 今や『ノルン』が唯一の司令塔であり、その機械から『妖』を迫害する理由を尋ね、その理由次第ではこの抗争も終わるかもしれないという希望にかけるしかなくなっていた。

「あのお人形ちゃん達はお母さんの命令で動いているようだからな、子供のオイタはお母さんに叱ってもらわないとな」

 アリスがそう言って、昨日爆破したばかりのビルを見上げる。頂上近くの壁には煉が手榴弾でぶちあけた穴がポカリと開いているのが確認できる。

 空は相変わらずの曇天、今にも泣き出しそうでまるで思い通りにいかない子供が駄々をこねる様相に見えた。

 この国は皆、子供だ。

「どうする?」

「ハン? あの穴に突っ込んでやろうぜ?」

 ニヤニヤと下品なことを言うアリスに煉はゲンコツを一つ見舞ってから、歩き出す。

「お前一人でやってろ、俺は玄関からいく」

「二人でってのも悪くないじゃねーか?」

 確かにアリスの脚力であれば、飛び登ることが出来るが煉はそうはいかない。取り合わずに歩き出した煉にアリスが肩をすくめて、ため息を零す。

「どーして、一緒に来てくれっていえないかねぇ?」

 零してから、煉を追うべくゆっくりと歩き出したのだった。

 例え煉の脚力で出来なくともアリスが抱えて行けば出来るのだ。

 大方、人に頼りたくないという、彼らしい心情だろうと察してそれ以上の言葉を押し戻す。

 何で付いて来ているんだ、と睨みと共に投げつけられる言葉に対する言い訳を考えながら、それでも、素直になれない煉を嫌えない自分にアリスが苦笑を浮かべるのだった。


***


 街を一斉に検査するとなれば人手が必要になる。

 案の定もぬけの空になっているビルを歩きながら、アリスがヒュウと口笛を吹いた。

「ヤレヤレ、ノックをしても返事がないんじゃしょうがないよな?」

「不法侵入の言い訳にしては陳腐だな」

 カツンカツンと二人の黒いブーツの立てる音がいやに音高く聞こえる。

 幾つかの部屋を通り過ぎ、以前連行され裁判紛いの糾弾をされた『ノルン』のある部屋へと辿り着いた。

「そういやぁ、お前が口塞いじまったんじゃないか、交渉も何もねぇな、ぶっ壊すか」

 扉の前に来た時に煉が手榴弾で焦がしていても修復されていないことに気付いてアリスが呟けば、煉は懐からゴソゴソとなにかを取り出した。

 煉の手にあったのはアリスが足蹴にして意識を沈めた男が最後に持っていた『ノルン』との通信機だ。

「なーるほどな、命令出来るんだったら会話も出来るって寸法か、お口の代わりにしちゃ随分ゴツいな」

「あぁ」

 笑い混じりのアリスの言葉にも煉は淡々と反応して、扉を開けた。つまらない奴と思うより先にその態度にアリスは違和感を感じる。

 それが「何」とはハッキリと分からないのが癪に障るが、今はそれどころではないと、アリスも『お口』だけで済まなかった場合を考えて銃を抜き放つ。

 真っ白な絶望の扉が開かれた。


***


『ノルン』は少し焦げついていたが、特に業務に支障はないようだった。

 初めて入った時と変わらぬままに自身の体をライトで明滅させながら、止まること無く動き続けていた。

『来たのですね、異世界者達』

 煉が持っている通信機から声が流れ出して、アリスは微かに頷く。

 以前、煉が塞いでしまったスピーカーより大分マシな、人間の声らしい音だった。

「あぁ、来たぜ、子供オイタをアンタの教育のせいだって正しにな」

 指でなく銃を突きつけていうアリスに、合成音声が答えた。

『何故、ここまであなた方は邪魔をするのです』

 すると煉は答えた。

「逆に問いたい、なぜあそこまで『妖』を目の敵にする? みたところ、彼らは、あなたたちに抵抗できないようだし、ここから出ていくとも言っている」

 無抵抗の子供まで無差別に、その光景を目の当たりにした煉の言葉は、どこか怒りすら秘めていた。

「俺には、一族……いや、種族を根絶やしにしているようにみえた」

 その言葉に『ノルン』はすぐさま肯定の返事を寄越した。

『その通りです、私は彼等を根絶やしにしたい、それこそ、この世に存在することすら許さない』

「おいおい、振られた女の仕返しにしちゃ随分ヒステリックじゃねーか?」

 呆れ返るアリスの言葉に、煉がポツリ、と呟く。

「『妖』がなにをした?」

 その問いに、国の主はやや時間を置いてから、答えた。

『貴方方は、国の人間全てにチップが埋め込められているのをご存知ですか?』

「はぁ?」

「いや、知らない」

 正直に答える二人に『ノルン』は滔々と語った。

『チップは『ノルン』から生きるための指令を受け取るアンテナです、むやみな諍いを避け人々が笑って暮らすには、人々の感情も管理する必要があったのです』

 機械が動きだし、モニターが二人の目の前に写し出される。

 画面に映し出されたのは多くの人々の生活情報とこれから行うべき活動の命令だった。

『しかし『妖』達はこのチップで管理することが出来ない、その結果、ある事件が起きたのです』

 引き金となった事件の記録もモニターに写し出される。それは、引き金でもあり全ての始まりでもあった。



 『妖』というのは人の愛情を受けて、人に愛され、人に尽くすために生まれた一族だった。

 人の心を集めて、その愛情を元に存在出来る、心の集合体。

 だが、それも昔の話、機械文明の進んだ世界で『妖』は、不確かで、なんの役にも立たないものだったのだ。

 しかし『妖』の中に数奇な運命を辿ることになる少女がいた。

 彼女の名は亜衣、その時は人々の目に視認することすら難しいか弱い存在だった。

 消えかけの彼女を心から愛した存在があった。

 『妖』を作った『神』の一人だった存在、名はクルス。

 彼は消えかける亜衣の側にずっと付き添っていた。

 人の身ではないクルスはいくら彼女を愛しても、彼女の命をつなぎ止めることは出来ない。亜衣はそれでも良かったのだ。

 愛されることの喜び、最後まで愛を感じながら消えることが出来る自分は幸せだと。

 他の『妖』は孤独のまま消えるしかないのに、自分だけはこんなに幸せでいいのかと。

 後、僅かな残りの時間を尊く感じていた亜衣を、消え行く愛しい人を惜しんだクルスは、禁を犯してしまった。

 『神』が生命を作る時に必要とする『竜玉』を持ち出し、『妖』達を人の愛を得なくても生きて行ける様に作り替えてしまった。人に愛されなくても、望む姿になれる様に、生きて行ける様に。

 しかし、それは大きな厄災を生むことになる。

 自分の望む姿になれる様になった『妖』達は、人々からこぞって寵愛を受けた。

 望まれるように姿を変え、人々を虜にする。やがて人々は『妖』が存在しなければ生きられなくなった。

 『妖』と共に朝を迎え。

 『妖』のために働き。

 『妖』と過ごす楽しい夜を長く楽しむ。

 人間同士で付き合う事はどうしても味気なく、諍いが絶えなかった。その点で『妖』は元々人の愛を受けないと生きて行けなかった習性が残っているのか、人間に従順で人の愛を受ける手腕を生まれながらに持ち得ていたのだ。

 人々は『妖』を大切にし、両者の共存が計れたかに思えたのだ。

 しかし、問題があった。肉体はあっても実態のない『妖』と人との間には子供が成せない、このことにより、人が次代を残すには『妖』から離れ人と結びつかなければならない。

 だが欲望に狂った人間達は自分達の宿命を捨て、享楽と美に狂っていった。このままで大変なことになると危機感を感じた一部の人間が手段を講じた。

 そこで作られたのは、人々の本能すら管理する『ノルン』だった。これで、人々と『妖』を管理して平常な世界を作って行こう。それ故に本能を縛るチップを埋め込み、人々は従うようになった。

 しかし『妖』だけは作りが違うのか、チップは効果を成さなかった。

 この事態を生んだ最大の原因である『妖』の管理は重要事項かつ最優先事項だった。何とかしなければと焦った人間達は『妖』達が持つ『竜玉』を奪い、これ以上姿を変えられないよう再び作り替えようと交渉を行った。

 しかし、それ故に死なねばならなかった『妖』達は恐怖を抱いた。

 お互いへの生への執着が、今の抗争を生んだのだ、過去の因縁が引き起こした今の事態を。



 映像と言葉が終ったとき、何とも言えない沈黙が辺りを包んでいた。

『これでも、未だ貴方方は『妖』の肩を持つのですか?』

 怒りを感じないであろう機械の淡々とした言葉にアリスはその後息を思いっきりと吸い込み……そして、答えた。

「ばっかじゃねぇの?」

『なにをいうのです』

 つかつかとアリスが『ノルン』に歩み寄り、そして機械の巨大な塔をバンバンと叩いた。

 その顔には呆れと怒りと、微かな哀れみが浮かんでいた。

「あーのーなー! 人間ってな、そこまで生への執着が弱い生き物かよ、アンタが作られた経緯から考えたら、製作者はそう思ってたみたいだな? だけどな、多分実際は違うぜ?」

 アリスはガリガリと頭を掻いた後に、バツが悪そうに呟く。

「それに少なくともアンタをこんな立派に作れるってことは、かなりの人間が総動員されただろうさ……そいつらは皆そんな危機感があって、きちんと子供も作ってたんだろうさ」

 その言葉に、『ノルン』は答えない、ただ黙って佇むだけだ。

「人間との諍い? 当たり前だろ、意思があるんだから、どんな奴だってぶつかる、それを話し合うために脳みそがついてるんだろ? そうせずに、ずるい連中はこういうのさ、たぶらかす『妖』が悪いってな」

 子供を作れない、それはむしろ欲望の良い捌け口として使われてきたのではないか?

 美しい『妖』を遊びで抱いて、奥さんも子供も持って、バレたら『妖』のせいにすればいい。子供を作り過ぎれば金もかかる、欲望だけが溜まる、それを美しい『妖』と過ごして晴らす。

 表沙汰になった問題に、人々が取り繕おうと、覆いかくした結果がこれだった。

 言葉を切ってアリスはそっと、『ノルン』を撫でた。

「なぁ、アンタも『妖』も上手く利用されているだけなんだよ、そして大変なことになれば、アンタや『妖』に罪をなすり付ける、事実いろんな人間が言ってたぜ、失敗はノルンのせいだってな」

 あんたは、人間を堕落させる機械でいいのか? というアリスの言葉に、今まで黙していた『ノルン』が答えた。

『では……どうすれば、良かったのでしょう』

 抑揚の無い合成の音声だった。

 それなのに、何故かアリスにも煉にも悲しむ様な響きが聞いて取れたのは、それこそ主観でしかないかも知れない。

「機械なんだろ? だったらそれらしく人間を支えてやればいい、支配なんてしないで良いんだ、自分で歩ませてやれよ、奴らには考える頭が付いているんだからな」

 自分の足で歩んで。自分の頭で考えて。自分で責任をとる。

 それが『生きる』ということではないか。

『そうですね、人間を、管理していると言いながら、私は、彼らを何一つ理解していなかったのかもしれません』

 事実、そう思える事例はいくつもあります、と答えた。

 それでも、そう指摘する人間が、いなかったのだろう。

『直ぐに人間を変えるのは無理ですが、せめて『妖』殲滅の中止と、各自判断を通達しましょう……他のことは追々考えて行きたいと思います、人と共に』

 そう言って、『ノルン』は言葉を切った。

 ブツン、と切れた言葉にアリスがホッとして笑う。

 そう、誰だって生きることに精一杯なのだ、そして『ノルン』の存在意義は人と歩むことなのだ。

 新たな優良な関係が生まれると、期待させてくれる言葉だった。

 煉が、期待を込めてそっと『ノルン』のそばに通信機を置き……巨大な白い機械を後にした。


***


 全軍に『妖』の殲滅命令の撤回がなされた。

 そして、同時に人々への支配の解放も宣言されていた。

 大革命とも言えるそれなのに、人々の間には混乱もなく至って平穏に流れている。

 そのことにアリスも煉も、違和感を感じていた。

「なあ、煉、春華とかはどこに潜んでいると思う?」

「落ち合う場所は聞いていなかったからな」

 そう答えて、煉は足を止めた。

「いや、違う……おかしい」

「は?」

 急に煉がブツブツと呟きだす。

 どうしたんだ、宇宙からの電波でもキャッチしたのか、とアリスが揶揄すると、煉は微かに震える声で答えた。

「カモフラージュの服を渡したんだ、街の中に紛れて潜んでいるはずだろう、これだけ大々的に解放がなされていれば……俺達がしたことは春華達に伝わっていてもおかしくない、ならばこの『ノルン』のある塔にきていても不思議じゃないと思わないか?」

「確かにな、実は俺もそれを考えていた」

 だが、通りには、人影ひとつない。

 どうしたものかと迷っていると、アリスの相棒の銃(ハーミット)がキシッと軋み音をたてた。

 今の姿は、コルトの『ガバメント』の姿をしているが実際には何にでも変化できる異世界の神だ。

 神は現在の持主に警告をもたらさんと銃のままで訴える。

「煉、俺はいやな予感だけは的中するんだ」

「奇遇だな、俺もだ」

 アリスが<ハーミット>を抜き放つと、カタカタと震えが伝わる。

「こっちだ」

「お前こそ電波だろう」

「ちげーよ、直感が働くんだよ、凡人とは違う」

 お互い軽口を口にするものの走り出す足が速い。お互いの不安を表すかのようだった。


 塔近くの公園で<ハーミット>の音が止んだ。

 アリスが煉を伴って足を踏み入れてる、そこでは衝撃的な光景が広がっていた。

「何してやがるっ!」

「なんだお前? ああ、先日の連中か、見て分からないのか?」

 白い軍隊の制服、以前に二人が拘束された<ドラグニール>の上官軍人カリスが楽しそうに笑った。

 足首辺りに丸まった白いズボンだけが血に赤く濡れている、その下の公園の大地も。

「殲滅撤回は出たけれども、でも、それと同時に俺たちは支配を離れたんだ、だから好きにやる」

「そんなに『妖』達が憎かったってのか?」

 アリスが、銃を突きつけて問えば、カリスはクスクス笑った。

「憎くもないよそんな面倒な感情抱いてない、ただ折角ある玩具で遊ばないのは勿体ないだろう?」

 そうしてカリスの視線が明後日の方へ向いた。

 アリスもつられて辺りを見回して、そして絶句した後に叫んだ。

「っ! テメエらそれでも軍人かよ!」

 公園のあちこちで『妖』達が乱暴されていた。

 確かにどんな姿にでもなれる『妖』は脅せば美しい女の姿に変身することも出来る。

 軍の人間は『妖』達に傷つけられることは無い、安全に欲望を遂げられるのだ。

「軍人のくせに? なんでだ、もう、僕らを押さえつける存在はないんだ」

 至って楽しそうなカリスに、アリスが銃の引き金にかけた指に力を込める……その前に煉が殴り掛かっていた。

 音高く殴られて、カリスは派手に吹っ飛び公園の石畳の上に転がった。

 衝動的に行動することはないと思っていた煉の突然の行動に驚くアリス。

 しかし、当人の煉はまるでカリスなど存在しなかったとばかりに目もくれず、血まみれになって地に伏していた『妖』に駆け寄った。

 それだけ、煉の怒りと悲しみは深かったということなのだろう、アリスは黙って煉と『妖』の側に寄り添う。

「しっかりしろ!」

「あぁ、煉……さん」

 答えたのは、あのとき、二人の周りを楽しそうに囲んでいた子供の声だった。

 無理矢理にも大人に変じたのだろう、声だけが変わらないあどけなさのままだ。

「……僕、ね……煉さんが、良かったな……こういうこと、されるの」

「馬鹿、そういうのは、好きな人とするものなんだ」

「馬鹿じゃない、よ……僕、れんさん、すき、だったよ、だから、そのそばで、しに、たかった」

 瞳が虚ろになり、伸ばした手が頼りなく彷徨う、その手を煉が必死に握った。

「……れんさんの手、あったかい、なぁ」

「いくらでも、あっためてやる……だから」

 まだ死ぬんじゃない、という煉の言葉を遮って、子供が呟く。

「せめて、ぼくのなまえ、おぼえてて、……若虎(わこ)って、いう、んだ」

 その言葉に煉の何かがプツンと切れたように感じられた。何か特別な名だったのかもしれないが、そこまではアリスにも分からない。

 ただ、あの表情の変わらない煉の顔が……泣きそうに歪んだ。

「……わ、こ……」

「れんさん、す……き……」

 そう最期に言葉を残して、若虎の体からフッと力が抜けた。

 あぁ、魂一つ分軽くなったんだと、アリスはそっと十字を胸の前で切った。

「兄さん、コイツを天国に導いてやってくれよ……どうか」

 亡き兄へ天国への道標を頼む、異なる世界とはいえ、天国が……魂が幸せな安住の地があると信じて呟く。

 その声は震えて、響く。

 ぽつぽつと、ただ一所に降り注ぐ雨音ともに。


***


 カリスが殴り飛ばされたことにより、部下達が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。やはり司令塔が潰されれば逃げ出すと言う根性はいまだ抜けないらしい。

 それでも、カリスを引きずって逃げて行ったことだけは、進歩といえなくないかも知れないが。

 だが『妖』達はそうはいかない、生き残ったのは春華だけ……あまりの惨状にアリスと煉は謝らずにはいられなかった。

「春華、ゴメンな、俺たちが……」

 もう少し、きちんと状況を正しく認識していればと悔やむアリスの言葉に、彼は首を振った。

「いいえ、あなた方は精一杯やって下さいました、これ以上の手段はなかったでしょう」

 例え、このまま街にいても死が待っていた『妖』はどの道滅びるしかないのだ、と。

「この街で、我らに誰が食料を売ってくれましょうか? 我らに誰が住まいを与えてくれるでしょうか? 外に出たとしても、人間たちが、また我々を脅威に感じて追っ手を差し向けてくるでしょう、我々は人をたぶらかす『悪』なのです」

 生きる場はきっと与えてくれない、『ノルン』はあくまで人間のための機械だ。

 そして、もし自分たちの境遇に抗議に向かえば……その場で殺されただろう、人々の安息の邪魔をする存在として。

「我らは、人に必要とされなくなったその時が、死する瞬間だったのですね」

「そんな!」

 アリスがいい募ろうとしたのをスッ伸びた手が制した。

 服をかき寄せながら、春華が深々と頭を下げた。

「アリス殿、煉殿……一族よりお礼申し上げます」

 戸惑うアリスと煉に春華が綺麗に微笑んだ。

「私は、人間が憎い」

「そうだろうな」

 ここまでされて、いいように人間に翻弄されて、そして人の手で死そうとしている。憎くないはずがないと二人は痛いほどに感じていた。

 二の句を告げないでいる二人をみて春華が微笑む。

「しかし、あなた方二人だけでも……私は愛して死ねるのですね」

「春華」

「お願いがあります、私の体中に今『竜玉』があります……その『竜玉』に願いをかけようと思うのです」

「お前だけでも生きろ……なんてのは、無理なのか?」

「えぇ、これは『けじめ』なんですよ……」

 それを、どうか見守って欲しいといわれて、煉は初めなんとかできないかと言い募ろうとしたが、アリスに逃げるなと肩を掴まれて、決意し頷かざるを得なかった。

 それを確認し、春華はそっと胸の辺りに手をやって、そして呟いた。

「どうか『妖』をこの世界から二度と生まれないように」

 二度と、悲しい存在が生まれませんように、と願いをかける春華の姿がやがて光の粒になって、空気に溶けて消えて行く。

 彼は、最後まで、人間を呪いはしなかった。

 それが、人を愛する『妖』として、最後の矜持だっただろう。

「はる、か……」

 消えゆく光の粒を煉が掻き集めるかのように手を伸べる、しかし光は指の間をスルリと抜けていく。

「愛しております、煉殿、アリス殿、もしこの身が力を得るならば、あなたがたの寵愛を受けられることを……」

 祈っております。

 その言葉はなく、ただ風だけが悼む様にさらさらと公園の木々を揺らしていた。


***


 何時まで、そうしていたのか。

 背後からかけられた言葉に、煉もアリスも我に返る。

「ご苦労だったな」

「葵お姉様ー!」

 パアッと顔を輝かせて金髪の絶世美女に抱きつくアリス。それを葵が軽くあしらいながら、煉に向き直る。

 黒いショートコートにレースの付いたキャミソール、ジーンズ生地のミニスカートから伸びる美しい生足のせいで色気の塊のような姿をしていた。

「さあ、帰るぞ。これ以上この場に留まる理由はないからな」

 そう彼女が告げると、煉は睨みつけながら、固い声で返事を返した。

「ああ、だが、その前に、アンタに聞きたいことがある」

「なんだ?」

「俺とアリスをここに送る時に、この世界を救えといった……こんなことをさせるために、春華達を看取るために俺達を送り込んだのか!」

 煉が葵の黒いショートコートの胸ぐらを掴んで怒鳴りつけると、葵はアッサリと首を振った。

「お前は勘違いをしているようだな、私の仕事は危機に瀕した世界を救うことで、それが出来るのは「神の玩具」だけだ、お前達には「神の玩具」の仕事を手伝って欲しいとは告げたが、世界を救えとは命じなかったはずだ」

 すると、今まで葵お姉様のいけず〜と泣いていたアリスが顔を上げて質問した。

「え? どう違うんですか? この世界を救えってことじゃないんですか?」

「ああ、実はこの世界は『末期世界』でな」

 葵が顔色一つ変えずに言ったことはとても残酷な言葉だった。

「『我々の神』は世界を管理しながら物語を紡いでいる……しかし、最早話を紡ぐに値しなくなった世界は『神』はその世界が滅ぼうがどうしようが関与しないという訳だ、それが『末期世界』だ」

 見捨てられた世界、それがここだったというのだ。

「しかし、そこの『竜玉』があるだろう、その回収だけはしなければならなかった……それは『神』の持ち物だからだ」

 葵の言葉に二人が春華が消えた場所を振り返れば、大地の上にコロンと転がっている光り輝く勾玉。

「……って、ことは」

「あぁ、共存が計れて取り戻せれば良し、とにかくその『竜玉』が必要としない状況になるまでお前達にこの世界に滞在してもらう予定だった」

 葵がヒョイと『竜玉』を持ち上げる、慈しむように掌で包み……そしてフワリと空へと放った。

 一筋の光になって消える勾玉を見送ってから、葵は悲しそうに笑う。

「手っ取り早いのは、『妖』を皆殺しにして取り戻すことだが、お前達は性格的に出来ないだろうし、私もやりたくなかった」

 そして、ヨシヨシとアリスと煉の頭を撫でる。

 頑張った子供を褒めるかのような優しい仕草に、二人は少しだけ困惑した。

「今の世代の『妖』達は、人からの、そして人に与える愛を知らないのだ」

「……だろうな」

 煉が答えて、そして俯いた。


 ——しかし、あなた方二人だけでも……私は愛して死ねるのですね


 煉の脳裏から、春華の最期の言葉が耳から離れなかった。

 それを見ながら、葵がパチンと指を鳴らせると世界の中空に穴があいた。その向こうには、この世界に似たビル群のある晴れやかな空が見えていた。

 煉の住む世界、日本の風景だった。

「せめて異世界の人間であっても、人を愛することを、教えてやりたいと思うのは私の偽善かも知れないがな」

 だから、お前達を送ったのだと言外にいわれて、アリスも煉も複雑そうに笑うしかなかった。

 自分たちにそれが出来ただろうか?

 それを答えてくれる彼らは絶えてしまった。

 中空に空いた穴に消えながら、煉はそっと愛を失った世界を振り返る。

 まるで泣き出したかのような雨が世界に降り注いでいて……それだけが餞になる気がしていた。

 

 

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マシン・スレイヴ フヅキ シオン @sion_humiduki

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