君の素直

蜜缶(みかん)

前編

「稜、パン買ってきたよー」


買ってきたパンを見せるように手をブラブラさせながら、いつもの定位置の、教室の窓際の一番後ろの席へ向かう。

「あ?なんでメロンパンと焼きそばパンなんだよ。オレはカレーパンとピロシキとプリンが食べたいって言ったんだけど」

その席で野菜ジュースを飲みながら他の友人と待っていた稜は、不機嫌さを隠そうとせずにそう言った。


「だってカレーパン売り切れだって言われたからさー。メロンパンは、なんかよくわかんないけど、おばちゃんが新作だって言ってたからさー、つい…」

「つい、じゃねーよ。お前マジ使えねー」

そう言いながらも、稜は「ほらよ」とパンのお金をくれた。


端から見たら、オレは稜のパシリに見えているのかもしれない。

稜は活発でクラスの中心的な人物で、オレはどっちかっていうと暗めなタイプで稜以外に話す相手もいないから、余計にそう思われやすいと思う。

だけど本当は、小中高とクラスが同じの、いわゆる幼馴染というヤツだ。

稜はもともと口が悪いけどオレに対しては特に口が悪いし、やりたくないことはオレに任せる、ということが多々あって勘違いされがちだけど、決してオレと稜の仲は悪くはない。


…むしろオレは稜のことが、密かに好きなのだ。


稜がオレのことをどう思っているかは知らないが…もしかしたら稜もパシリみたいに思ってる部分もあるのかもしれないけど、稜は嫌いな相手を傍には置かないから、嫌われてはないと勝手に思ってる。

それに稜はいつも他の友達と、「女子のあの子可愛い」だの「あの子の胸が大きい」だの、そういう話をしてるから、オレとは違ってきっと普通に女子が好きなんだと思う。

…だから余計に、こんな風にそばに入れることが、オレにとっては大事だった。


「おい、葵。今日数学宿題出たから、帰りオレんち寄ってって勉強なー」

「うん、わかった」


稜は歴史や地理のようなひたすら覚える教科は得意だが、数学のような考える教科が苦手だから、いつもオレが宿題を解くのをただじーっと見て、オレの宿題が終わったらそのまま写している。

稜にとっては自分で考えることよりも、どういう過程でそうなったかを見たほうが勉強になるそうだ。


「…そーいえば、こないだの数学お前のせいで間違った。今度はミスんなよ」

「あの問2だよね。ごめん、ごめん」


稜がオレに対して口が悪いのも、やりたくないことをオレにやらせるのも、別に嫌だと感じたことはない。

オレになら言いやすくて頼りやすいと思っててくれてればいいなと、そんな風に思ってる。


…きっとこの恋は叶うことはないから。


稜はカッコいいからいつ彼女ができてもおかしくない。

だけどそれでも、幼馴染としてのこの場所だけはずっとオレのものであって欲しいと、そう思っていた。








「…え?引っ越し?」


「そうよ。急なんだけどね、お父さんが転勤になっちゃうのよ。今月末にはもう引っ越さなきゃいけないのよ」

母からのその宣告は、本当に急だった。

今まで転勤族でもなかったのに、いったい何で急に転勤なのか。


「え、急すぎない?オレどうなんの。高校とかさー」

「せっかく入ったからねー、あんただけこっち残すとかも考えたけど、あんた家事なんててんでダメだし、かといって通える距離じゃないし…2年以上1人暮らしさせるよりは、一緒に引っ越した方がいいと思うのよね」


(引っ越したら稜と一緒にいられなくなるじゃんか…)

今月末とか、あと3週間しかない。

その日から数日、引っ越しなんて嘘だろ?と信じきれないながらも、何とかしてこっちに残る方はないかと考えた。

学校に寮はないし、近くに親戚もいないし、1人で暮らすのはまず無理だし…。

オレと一緒に母さんが卒業までこっちに残れないかと相談もしたが、母さんは父さんと離れるという考えが無いので、即効却下された。


それでもどうしても諦め切れなくて、引っ越しなんてしたくなくて、ずっと悶々としていたが、

最初の宣告から何日も経ってから母さんに「いい加減諦めて引っ越しの準備なさい!」と怒鳴られて、ようやく現実を受け止めた。


(幼馴染としてでも、稜のそばにいれたらそれでよかったのに…)

オレのたった一つの願いさえも、叶わなくなってしまう。

オレの頭は絶望でいっぱいだった。






「…おい、何辛気臭い顔してんだよ、うぜーなー。そんな顔でいられたら楽しいもんも楽しくないんだけど」

稜がプレイしていた格ゲーの手を休めて、不機嫌な顔で振り向いた。

「……ごめん」

「今日はもうつまんねーから帰る」

深い溜息の後に、今までいたゲーセンを後にする稜の背中を目に焼き付けながら、その後を追う。

引っ越しのことは、もう足掻いてもどうにもならないと諦めた。

…だけど、稜のことはどうしても諦められなかった。


「…最近、お前変だぞ」

振り返らずに前を向きながら発せられたその言葉はその通り過ぎて、オレはもともと下げてた眉毛をさらに下げることしかできない。

「…ごめん」

「…ま、元から多少変だけどな」

「…はは」


あと数日しか一緒にいられない。

だから楽しく笑顔ですごしたいと思うのにどうしても悲しみの方が勝ってしまい、それが表情へ出てしまう。


"稜がオレになら言いやすくて頼りやすい"とか、めいっぱいプラス思考な考え方をしてみても、それでも

オレが引っ越すことを伝えたとして、稜が「遠くへ行っても友達だからな!」とか思ってくれるとは到底考えられなかった。

むしろ「あっそ」とか、いつもの感じで軽く言われそうだ。

普段だって学校とその帰りにつるむくらいで、休日はほとんど会わないし、メールとかもまずしないし。

引っ越したら音信不通になるのが目に見えている。


だからオレは稜に言えずにいた。

学校の先生にも親にも一応口止めして、オレの周りに漏らすことなく、引っ越しの日の前日を迎えた。

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