第3話『5時限目』

 俺の口から気のきいた言葉が出る前に、鶴ヶ谷の表情が再び笑顔が戻る前に、昼休みの終わりを告げるチャイムが無情にも鳴り響いた。その音を聴いて、鶴ヶ谷はすぐに立ち上がり次の授業の準備を始めてしまう。確か、次の授業は移動教室だ。俺も早く準備をして移動をしなければ授業に遅れてしまう。

 仕方がない、鶴ヶ谷は後回しだ。俺はそう諦めて、自分のロッカーから教科書類を取りだし次の授業の教室へ移動することにした。


 後回しにしたものは案外早くどうにかできそうだった。

 五時限目の授業は芸術選択だったのだが、幸運にも俺も鶴ヶ谷も音楽を選択していたのだ。しかも、この授業では俺と鶴ヶ谷の席が近い。というか鶴ヶ谷は俺の右隣にいる。

 さて、何を言おうか。きっと俺は鶴ヶ谷の機嫌を損ねた状態だろうから、なんとかして損ねてしまった機嫌を戻したいところだが……なんて、教師の話を半分も聴かずにあれこれ考えていると、右隣に起きた異変に気付いた。

 異変、というか、いつものことではあるのだけれど。

 授業開始から五分。鶴ヶ谷は早速俺の右隣で腕を枕にし、机に突っ伏して気持ち良さそうに眠り始めていた。

 いやいや、早すぎるだろう。何時もよりも五分以上は早いぞ。最速記録でも打ち立てるつもりか。なんて、俺は心の中で突っ込みをいれるが、夢の世界に旅立ちつつある鶴ヶ谷に届くわけもなく。案の定教師はそんな鶴ヶ谷に何も注意をしない。授業はそのまま進行していった。


 それから二十分。授業開始から二十五分。やっと授業時間も折り返しだ。そんな頃、音楽室は異様な光景に包まれていた。

 スピーカーから無機質に流れ続ける有名な合奏曲。バイオリンとピアノの掛け合いが見事だと言いたいところだが、生憎俺は音楽に興味がないのでこれが本当に見事なのかは分からない。否、観点がそこで良いのか分からない。それどころか、これがバイオリンの音で正しいのかすら分からない。

 そんな曲を子守唄に、実に気持ち良さそうに眠る俺以外の全員。それは音楽教師も例外ではなく、もしかして今日の授業は夢の中で行うものだったのだろうかとアホなことを考えてしまう。夢の中で集合とかどうやってするんだよ。素敵すぎるだろ、と一人で空しく突っ込みまでいれてしまう。

 確かに、昼飯直後の授業、特に音楽なんていうのは鬼門の時間だ。誰もが睡魔と戦うと言っても過言ではない。更に授業内容が音楽鑑賞とくれば、大半の人間がその戦いに破れてしまうだろう。しかし、だからといって、全員が睡魔との壮絶な戦いに屈してしまわなくても良いだろう。特に音楽教師。お前の場合は仕事だろう。しっかり働け。しかも、自分が用意したもので寝るってどういうことだよ。アホすぎるだろ。

 そんな中で、どういうわけか睡魔が全く勝負を仕掛けてくる気配のない俺は、全員が撃沈しているなか、一人アホみたいに体を起こし、アホみたいに背筋を伸ばし、アホみたいにただ一直線になかなか進まない時計の長針をにらみ続けていた。この状況には軽く理不尽というものを感じてしまう。

 カチリ、と長針が動いた。残りの時間は二十四分だ。まだまだ、先が長い。そしてやることがない。子守唄と化した音楽がまた最初からに戻ったらしく、聞き覚えのあるフレーズが俺の耳に飛び込んできた。一体、この曲は何時までリピートされ続けるのだろうか。いい加減他の曲に変えていただきたい。


「ふああああ、よく寝た……って、まだ授業半分も残ってるのか」

 仮にも授業中だというのに、鶴ヶ谷は割と大きめの声でそう言いながら、大きく伸びをして突然起き上がった。本当に突然だった。突然すぎて軽く驚いた。

 それから鶴ヶ谷はあくびで出た涙を拭うと、アホみたいに背筋を伸ばしている俺に気づいたらしく「あれ?」なんて言って首をかしげた。

「なんで君はこの中で一人だけクソ真面目に授業を受ける姿勢を見せているのかな?」

 そんなのは俺の方が訊きたい。どうして俺だけ眠気に襲われずにこうして背筋を伸ばして時計とにらめっこをしているんだ。

 なんて漏らしてみると、鶴ヶ谷は軽く笑ってから「そういえば君はいつも授業中居眠りをしてないよね」なんて言った。付け加えて、「どうしてそう、変なところで真面目なのかな?」とも言った。

 そんなことを言われても、俺は『眠くならないから』という答えを返すしか出来なかった。

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