SFってなんなんだろう?

宮沢弘

第1話SFってなんなんだろう?

 SFってなんだろと、いつも思います。ですが、答えるのは、まぁ難しいです。


 ですが、私はSF、とくにハードSFを目指しているので、根っこのところを確認しておきたいと思います。


 アイザック・アシモフは、「アシモフの科学エッセイ 4 生命と非生命のあいだ」(ハヤカワ文庫NF, 昭和53年)にて、おおまかに次のようなことを言っています。また、ジョン・W・キャンベル IIも同様のようです。(脱線しますが、アイザック・アシモフという呼び方が定着していますが、実際にはイサク・アジモフとのことです。)


* 現実に存在しない背景を取り扱う

* 科学技術の進歩に対する人間の反応を論ずる文学ジャンル

* SFのあらゆるテーマの基礎はジュール・ヴェルヌと

 H. G. ウェルズによって築かれている

  * 個人的にはメアリー・シェリーも

* 考えうる未来社会についてまじめに考えるようなもの

* その時々の読者に多少の楽しみを提供する手段ではない

* SFの90%はクズである。何事も90%はクズである(スタージョンによる)

* SFは逃避文学だとしても、それは虚構の中への逃避でもなく、

 不可能の中への逃避でもなく、「まさにおこるかもしれない」

 世界への逃避であり、現実の中への逃避である

  (ファンタジー、社会風刺、SFはおおむねひとまとめに

  「逃避文学」とよばれます。)


  ****


 また、ジャック・ボドゥは「SF文学」(文庫クセジュ, 白水社, 2011年)にて、他の人の言葉を引いてこのように述べています。


* 時代の科学的、技術的な知識に基づき、未来についての

 エクストラポレーション(外挿)に挑む、そんな、進歩の概念と

 結びついた教育的文学(ヒューゴー・ガーンズバックの言を元に)

* 科学知識をエクストラポレートすることに留まらず、小説の

 筋立てにおける発想においても科学的な手続きを真似たり

 模倣したりする(ジョン・W・キャンベルの言を元に)

* 『思索小説』という語を用いて [略] 創られた環境下における

 登場人物の反応や世界認識が、発明品や人物、あるいはその両方

 について、なにかを明かす(ジュディス・メリル)

  * 『思索小説スペキュラティヴ・フィクション』は、

   ロバート・ハインラインによる造語

* 超越を認識することの象徴こそがSFの本質

 (アレクセイ&コーリイ・パンシン「丘の向こうの世界」)

* つねに根本的な違和感を、それが近未来の話であろうと

 いつまでも余韻が残る感動を、そして知的な、むしろ

 心地よいズレの感覚を供する(ボドゥによる)

* センス・オブ・ワンダー(昔の人曰く)

* どこかへのチケット [略] このジャンルは人々を未知の世界へと

 送り込む(ボドゥによる)


 まぁ、あまりこれだという定義は出来ていません。構造主義的に、「アレではない、コレではない」ということになるかと思いますが。



  ****


アジモフの方から、ひとまず重要と思えるものを取り出してみます。


* 現実に存在しない背景を取り扱う

* 科学技術の進歩に対する人間の反応を論ずる文学ジャンル

* 考えうる未来社会についてまじめに考えるようなもの

* SFは逃避文学だとしても、現実の中への逃避である


 私なりにまとめてみるとこうなるのかなと思います。


「ある科学技術が現実と想定される世の中や個人にどのような影響を与えるのかを考察する文学」


(これにはエッセイが書かれた時代背景も幾分影響しているように思います。)

 その上で、ジュール・ヴェルヌとH. G. ウェルズ、メアリー・シェリーが扱ったテーマが、おそらく(超)正統派なテーマなのでしょう。


  ****


 ジャック・ボドゥの方から重要と思えるものを抜き出してみましょう。


* 超越を認識することの象徴

* 知的な違和感・ズレを提供する

* (科学的)教育的文学

* ある科学技術により人物の世界認識を示す。

* 『思索小説』である。


これは、まとめるとこんなところかもしれません。


「科学技術にもとづいて状況や問題を読者に提供し、著者にとっても読者にとっても問題への思索を要求する」


 アジモフの記述よりももう一歩踏み込んでいるように思います。


  ****


 どちらにせよ大きな問題は、時代の科学技術にせよ、虚構の科学技術にせよ、ガジェットではないと言えると思います。いくら科学っぽいガジェット(ブラックホールなども含めて)や用語があったとしても、それはSFであると読まれるいかなる条件にもならないわけです。これは昔の一時代においてSFと称されていたものへの反省から来ているのでしょう。


 特にボドゥが挙げている思索小説の場合、著者にも読者にもかなりの負荷を要求します。そのまま言い換えられるわけではなく、視点が異なってきますが、ハードSFもやはり著者にも読者にもかなりの負荷を要求します。この二つの負荷を要求するものがSFなのではないかと私は思います。


 その2つの負荷を要求しないものは、ハードに対してのライトSFであるか、あるいはどれほどガジェットが現れていてもファンタジーなのではないかと思います。


  ****


 ただ、これらを見ると、スチーム・パンクがどれほど革新的だったのかが見えるかもしれません。ファンタジーでも風刺でもなく、ありえたかもしれない「過去」への逃避なのですから。


 ****


私が書くときには、それがどんなにつまらないものであっても、これらを念頭においています。特に挙げるとすれば『思索小説スペキュラティブ・フィクション』です。

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