愛と憎しみの果てに
@mplan
第1話
四月の中旬、私は入院しているまきを見舞うため車で山口へ向かった。十二月の末、今病院だから電話できないと言って切れて以来まきとは連絡が取れなくなっていた。それから何度電話してもメールを入れても返事はなかった。私はまきの旦那が彼女の携帯を使っているから連絡できないのだろうと思い、新しくプリペイドの携帯を買って五十猛神社のお守りと一緒に入院している病院へ送った。それでもまきからの連絡は全くなかった。彼女が以前から使っている携帯から電話があったのは年が明けてしばらく経ってからだった。かけてきたのはやはりまきの旦那だった。
「まきは宇部の大学病院に入院してます。一時危なかったけど、今は落ち着いてます」
私は危なかったと聞いて驚いた。まさかそんなに悪いとは思ってもいなかった。それまでいくら言っても病院へは行かない。入院したらお母さんと同じように帰れなくなると頑なに拒んでいた。だから入院して治療をちゃんと受けられると安心さえしていた。
「そうですか、容体が悪くなったら連絡してください」
「わかりました。連絡します」そう言ってまきの旦那は電話を切った。
「そんなに悪いとは」私の心は不安でいっぱいだった。まきの病気は癌だった。
まきの容体が急変して連絡があったとしても私はどうすることも出来なかった。私の存在はまきの旦那以外誰も知らないことでまきの家族や旦那の身内がいる臨終の場に行けるはずもなかった。その日から私は携帯が鳴るたびにまきの旦那からか、と着信表示を見ては別人だと分かるとほっと安心した。それから一ヶ月経っても二カ月たってもまきの旦那からなんの連絡もなかった。私はまきがどんな状況なのかまったく知ることが出来ず最悪のことも考えた。もうまきは亡くなっていてまきの旦那が連絡をしないだけではないだろうかとも思った。私は居ても立ってもいられなかった。とにかく山口に行かなければ何も分からない、行ってまきがどんな状況なのか知りたかった。その日の午前八時ごろ家を出、東九州自動車道の日向インターから高速に乗り高千穂を経由し熊本から九州自動車道に入った。まきが入院している山口医科大学付属病院のある宇部市に着いたのは午後三時過ぎだった。私は以前まきと一緒に買い物をしたショッピングセンターでネーブルと誕生石のトパーズのネックレスを買い急いで病院へ向かった。
携帯を送るとき電話でまきの病室を確認していたが念のため受付でもう一度訊ねた。
「吉田まき子さんの病室は何号室ですか?」
「吉田まき子さんですね、お待ちください」受付の女性はパソコンの画面を見やりキーボードを打ち始めた。しばらくして
「吉田まき子さんという方はこちらにはいらっしゃいません」と申し訳なさそうに言った。
私は一瞬、耳を疑った。
「えっ、そんなはずないと思うんですけど。確かにこちらに入院していたんですが。退院したんでしょうか?」
「ここではそれは分かりません。ただ吉田まき子さんという方はこちらにはいらっしゃいません」
「それじゃ、斉藤まき子という名前では居ませんか?」私はまきの旧姓で探してもらった。
受付の女性は再度画面を見やった。
「斉藤まき子さんという方もいらっしゃいませんね」
私は混乱した。まきは確かにこの病院に入院していた。電話で名前も病室も確認して荷物を送ったのだからそれは間違いなかった。
「まきはどうしたんだろう。どこへ行ったのか?」私は病院を後にし出て駐車場の車に戻る間、自問自答した。
「ここに居ないということは、退院して家にもどったということか。それとも亡くなって病院を出たということなのか」そのどちらかしか私には思い浮かばなかった。まきの旦那に容体が急変したら連絡してくれと頼んでいた。しかし連絡はなかった。いくら考えても分からなかった。
「とにかく家に行ってみよう。もし退院していれば家に居るはずだ。家に居なければそのときは・・・。」
私は山陽小野田市のまきの家に向かった。
まきの家を訪ねるのは昨年の三月以来だった。廊下のカーテンは閉められ、人の居る気配はなかった。インターホンを押したが返事はなかった。いつもなら聞こえるまきの愛犬プーの鳴き声も聞こえずひっそりとしていた。私はもう一度インタホーンを鳴らした。しかし返事はなかった。
「いない」。
私の脳裏を最悪の事態がかすめた。
「まきはもうこの世に居ないのかもしれない」。
私は覚悟を決めた。携帯を取り出しまきの旦那に電話した。呼び出しの間、私の心臓は激しく脈打っていた。
「はい、吉田ですが」まきの旦那が出た。その声はいつもとまったく変わりなかった。
「甲斐です、まきの具合はどうですか?」私は恐る々々そう訊ねた。するとまきの旦那は
「ああ、だいぶ良いですよ。市内の病院に転院して家に帰るためにリハビリをしてます」と拍子抜けするほど明るい声で言った。
それを聞いて私は張り詰めていた緊張の糸が緩み、ほっと安心した。
「それならそうと連絡してくれれば」と思ったが、家族でも身内でもない私にそこまでする義理はまきの旦那にはなかったのだろう。
「実は今こっちに来てるんですけど。まきはどこの病院に居るんですか?」
「あ、そうなんですか。わざわざすみません。まきは市民病院に居ます」
「小野田市民病院ですね?」私は念を押した。
「そうです」
「分かりました。いまから行ってみます」そう言って私は電話を切った。
「まきは元気になっている。家に帰るためにリハビリをするほど回復している。よかった
」と心から思った。
私は市民病院へ向かった。はやる気持ちを抑えられなかった。病院に着いたのは午後四時半過ぎだった。
「ここにまきは居る。まきに会える」私はうれしさで一杯だった。
まきの病室は南病棟の四二三号室だった。エレベータに乗ると四階のボタンを押した。私はまきの驚く顔を想像した。まきは私が来るとは思ってもいないはずだった。エレベータは四階に着いた。私は真っ直ぐまきの病室に向かった。
423号室 吉田まき子
表札にはそう書かれていた。
私は扉をノックした、が返事はなかった。もう一度ノックしてみたが同じだった。
私はそっと扉を開けた。そこには花柄の毛布が置かれた空っぽのベッドがあるだけでまきの姿はなかった。
「留守か。リハビリに行ってるんだろうか?」私は扉を閉め外で待つことにした。ナースステーションの前に談話室があった。エレベータホールと廊下が見渡せる椅子に座りまきの帰りを待った。
「車椅子に乗ってるのだろうか。それとも松葉杖を使ってるのだろうか」私は想像をめぐらした。
しかし十分,二十分経ってもまきは現れなかった。私は痺れを切らし、再度まきの病室の扉をノックした。
「はい。どうぞ」中から返事があった。弱々しい声だったが、それはまぎれもなくまきの声だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます