第92話 哀しみ

 街のど真ん中で起きた爆発魔法による攻撃。

 建物の窓ガラスは、その全てが破片と化し、辺りは騒然とする。

 爆発の中心にいたのは、リナの乗っていたキャデラック。

 俺はただ、唖然としていることしかできなかった。


 キャデラックは、もはや馬車の形をしていない。

 焦げた木のかたまりだ。

 馬は地面に横たわり、びくともしない。

 鎧が混ざり合った肉塊は、きっと爆発魔法を使った張本人のものだろう。

 じゃあ、久保田はどうなったんだ?


 爆発の衝撃で、小さな破片が俺の足に刺さっている。

 だが俺は気にせず、足を引きずりながら、久保田とリナを探した。


 久保田はすぐに見つかった。

 俺からあまり離れていない場所で、唸りながら地面を這い回っている。

 ……ちょっと待て、出血が酷い!

 こりゃ大けがを負っていると直感した俺は、すぐさま彼のもとに駆け寄った。

 案の定、彼の左腕は肘から先がない。


「大丈夫か久保田! ロミリア! 治癒魔法を!」

「え? あ、えっと、はい!」

 

 ロミリアは使い魔のため無傷だ。

 彼女はすぐさま久保田の左腕に治癒魔法を使い、出血を止める。


「僕の治療はいい! リナさんは! リナは!」


 そこでようやく、俺はハッとした。

 なんで俺はリナを探そうとしなかったのだろう。

 もしかしたら、辛い現実を前に思考が停止していたのかもしれない。

 

「お嬢様……必ず……助かります……」


 背後から聞こえるルイシコフの声。

 正直言うと、振り返りたくない。

 振り返ったって、そこには悲しみしか存在しないだろうからだ。

 でも、振り返らなければならない。

 

 俺の背後には、胸より下の右半分が焼け、腹部に巨大な木片が刺さるリナの姿。

 彼女の血に濡れた地面に膝をついて、リナを励ますルイシコフの姿。

 あまりに絶望的な光景。

 あまりに哀しい光景。

 口にする言葉が思いつかない。


「ルイシコフさん! リナさんに治癒魔法を! 早く!」


 治癒魔法を施すロミリアを振り払い、よろける久保田。

 彼は同じようなことを叫びながら、地面に横たわるリナの横で崩れ落ちた。

 その表情は鬼気迫り、この世のものとは思えない。

 千切れた左腕の痛みも、もはや感じていないのだろう。


「治癒魔法を! 早く! 早く!」

「クボタ様、お嬢様はもう……」

「諦めないでください! ほら、治癒魔法を!」


 久保田の願いに首を横に振るルイシコフだが、久保田は聞く耳持たない。

 誰もやらないなら自分でと、リナに治癒魔法を使おうと必死にあがく。

 だが、この世界に来た最初の日に俺たちは教わった。

 治癒魔法は、相手の治した場所と同じ場所が健康でないと、意味がないと。

 そして、致命傷は治せないと。

 何をどうしようと、リナにできることはもうない。


「リナさん! 大丈夫です! 必ず……必ず……!」


 大粒の涙が、血まみれの久保田の顔に滲む。

 目の前に横たわるリナに、何もできないのが悔しいんだろう。

 俺もそう思っているのだから、久保田がそう思わぬはずがない。


 そんな久保田の右手を、リナの綺麗な左手が握りしめた。

 握りしめると言うよりは、触れたと表現した方が適切かもしれない。

 もはやリナには、生きる力は残されていないのだ。

 それでも彼女は、最後に残された力を、久保田のために使いたかったんだろう。


「リ、リナさん!」

「……最初から……覚悟はしていました……」

「喋らないで! すぐに治療を――」

「妾は満足です……。今の妾は……1人じゃない……」

「そうです! 僕がいます! 僕はリナさんを守ります!」

「フフ……久保田さんに出会えて……本当に……良かった……」


 久保田に優しい笑みを浮かべ、弱々しくも言い切るリナ。

 直後、彼女の左手は力をなくし、久保田の右手からこぼれ落ちる。

 

「リナさん!」

「お嬢様……! お嬢様!」


 悲痛な呼びかけに応じないリナ。

 彼女はすでに目を瞑り、静かな眠りについていた。

 もうリナが目を覚ますことはない。

 

 リナの亡骸に寄り添い、絶望に打ち拉がれ、俯く久保田とルイシコフ。

 2人の嗚咽する声や、泣きわめく声は聞こえない。

 爆発に対する野次馬の喧噪と、それを止めようとする騎士たちの声、甲冑のこすれる音。

 それらが辺りに虚しく響くだけだ。

 きっとこの光景は、宇宙にいるフォーベックも見ているのだろう。

 俺とロミリア、ミードンは、何も言えず、真っ白な頭で立ち尽くすだけ。

 

 リナは死んだ。

 ある1人の騎士が仕掛けた自爆攻撃によって、彼女は19年という短い生涯を終えた。

 ユーリの外務担当後見人は、炎と木片に包まれ、命を落とした。


 彼女は生まれたその時から、身分によって翻弄されてきている。

 19年という決して長くない人生のほとんどを、嫌がらせと欺きに費やされてきた。

 そのためいつしか人を疑う癖を持ち、味方はルイシコフただ1人。

 

 だがリナは、久保田と出会い、俺と出会い、ロミリアやミードンと出会えた。

 そして今の彼女は、仲間に囲まれている。

 彼女は、自らを1人の人間として扱い、愛してくれた人に囲まれ、息を引き取った。

 唯一それだけが、救いかもしれない。

 

「オドネル艦長、リナさんが殺されました。任務は失敗です……」


 涙も流せず、俯いたまま、スザクに現状を伝えた久保田。

 これにオドネルは、怒りすら含んだ口調で答える。


《なんだと! 誰だ、誰がリナ殿下を殺した!?》

「おそらく、議員と学者の連中です」

《どこまで腐っているんだ! この国は!》

「……僕は、リナさんとの約束を果たせませんでした。でもせめて、リナさんの愛したこの国を、綺麗にしたい」

《クボタ司令……?》


 いつもとは違い、久保田の声は、腹の底から這い出てくるような低音。

 そこにはあまりにも多くの感情が込められ、もはや無感情とすらも表現できる。

 おれは直感した。

 彼はとてつもないことを言い出すと。


「リナさんを殺した連中に、罰を与えましょう。それがこの国のためです。オドネル艦長、超高速移動でグラジェロフ城上空まで来てください」

《そこまで移動して、何をすれば良い?》

「僕とルイシコフさんを、リナさんと一緒に回収してださい。その間、リナさんの愛したこの国を汚す人々を、全員殺すんです」

《……了解。クボタ司令の命令通りに行動する。魔力カプセルの用意!》


 ちょっと待て! 久保田は何を言い出すんだ!?

 オドネルもなんで止めない?

 ルイシコフもだ!

 いくらリナが殺されたからって、冷静さを失ってないか?


「さっきのクソ自爆野郎、お前の仲間なの? コラァァ!」

「それは……」

「助かった命、投げ捨てるんだねコラァァ!」

「や、やや、止めてくれ!」


 俺たちの後ろでは、スチアが捕虜の尋問をはじめている。

 そうだ、犯人がジジババ共とは限らない。

 あいつらはヘタレて、リナの暗殺を諦めたはず。

 リナを殺したのはジジババ共ではなく、リシャールのはずだ。


「さっさと答えてよコラァァ!」

「アイツは……俺の仲間だ! リシャールにリナ王女の暗殺を命令されたんだ!」


 やっぱりそうだ。

 今回の事件に、ジジババ共は直接の関与はしていない。

 悪いのはリシャールだ。

 リナを殺したのはリシャールだ。


「久保田! スザクヘの命令は撤回! リナを殺したのはジジババ共じゃない!」


 犯人の正体が分かり、俺は久保田がやろうとしていることを止めようとした。

 ジジババ共に何かしらの罰を与える必要はあるかもしれないが、殺すのは絶対にダメだ。

 ヤツらは犯人ではないのだから。


「ジジババ共は直前になって、リナの暗殺計画を止めてる! 実際にリナの暗殺計画を実行したのは、リシャールだ!」

「暗殺計画を企てのは事実ということじゃないですか! リナさんにあれだけの罵詈雑言を浴びせかけ、長年リナさんを苦しめ、リシャールという悪がリナさんを殺す下地を作り出した!」

「そうだ、久保田の言う通りだ! あいつらは伝統と憲章を守るためなら、どんなことでもするクソ野郎共だ! でもだからって、それは殺す理由にはならない!」

「殺さなきゃグラジェロフは良い国になれない! リナさんの願いは叶えられない!」

「違う! 殺す必要のない人を殺して国を作れば、リシャールと同じだ! それにそんな国、絶対に良い国にはならない!」

「議員や学者たちは、殺す必要のある人間だ!」

「殺す必要はない! 永久追放で十分だ!」

「僕はリナさんのためなら、なんでもすると決めた! 相坂さん、僕の邪魔をするな!」


 話は平行線。

 でも俺は、なんとかして久保田を止めたい。

 彼はリナの死に動転し、冷静さを欠いているんだ。

 怒りに身を任せ、正義感が悪い方向に暴走しているんだ。

 このままだと久保田は、もう〝帰ってこられなく〟なっちまう。


「やめろ久保田! 冷静になれ!」


 久保田の両肩をわしづかみにし、彼の顔に直接、言葉をぶつけるが、もう遅かった。

 俺たちの頭上に突如として、巨大な鉄のかたまり、重厚な軍艦が姿を現した。

 超高速移動によって、何もない空に忽然と現れたスザクだ。

 スザクはすでに、全ての砲口をグラジェロフ城に向けている。

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