第72話 BMT216A

 店員が店の奥に消えてからしばらくの時間が経った頃。


「どうぞこちらへ」 


 俺たちは店員に呼ばれ、店の奥に入っていった。

 どうやら店の奥は倉庫になっているようで、数多の商品が並べられている。

 服や鞄、杖、木箱、剣の鞘にロープ、各種工具、中には棺桶まである。

 そして倉庫の中心には、2頭の馬がつながれる1台の馬車が。


「あなたがアイサカさんですか? うちのロンレンがお世話になっています。ボクはヤン=リンシャと申します」


 馬車の隣に立つ1人の男が、俺たちに挨拶してきた。

 まるで若手イケメン俳優のような男。

 街を歩けば数多くの女性を虜にできそうな、黒髪の甘いマスク。

 名前と言葉、アジア系な見た目からして、おそらくヤンのお兄さんだろう。

 ヤン家は美形ぞろいなんだな。


「はじめまして、相坂守です」

「噂は弟から聞いています。大変優しく、聡明な方だと」

「悪い噂は聞いてないんですか?」

「共和国からは、異世界者は悪魔のような人間だと」

「へ~」


 なんやかんや、共和国は俺のネガティブキャンペーンをやっているのね。

 最近は許されることも多かったから忘れていたが、あいつらはやっぱり信用ならない。

 まったく、ふざけやがって。

 

「どうやら、弟の噂の方が正しかったようですね」

 

 俺に微笑み顔を向けてそう言うヤンにい

 それは、ヤン兄さんにとって俺の第1印象が良いということか。

 ちょっと嬉しいぞ。

 どうやらこのイケメンは良い人のようだ。

 俺の中でコイツに対する好感度が上がっている。

 

「ロンレンさんのお兄さん、カッコいい方ですね」


 小さな声で、ロミリアが俺に呟いた。

 さすがに男に興味なさそうなロミリアでも、ヤン兄はカッコいいのか。

 よく見りゃ、あのスチアですら目を伏せている。

 あれは、イケメンを凝視できない女の子の仕草だ。

 すげえな、ロミリアだけでなくスチアまで緊張させるとは。

 イケメンは正義であり凶器なのだな。

 

「挨拶もこの辺にして、仕事の話をしましょう」


 そう言ってヤン兄は、今度はビジネス的な笑みを俺に向けてくる。

 ここからは潜入任務についての大事な話。

 イケメンがどうこう言っている場合ではない。


「えっと、用意してくれた馬車ってのがそれ?」

「はい。標準的なサイズで、どこでも走れる馬車を用意しました。幌馬車なので、乗っている人間や荷物を隠すこともできます」

「スピードはどれらい出る?」

「サルローナ産の馬を2頭つないでおります。馬車は軽量、積み荷の重さにもよりますが、かなりのスピードが出ると、我々は自負しております。それこそ、共和国騎士団の馬から逃げるには最適なぐらいに」

「そりゃ良い。馬車の強度は?」

「車輪は魔力により柔軟性を持たせた鉄製、溝入りで、サスペンション付きですから、どんな悪路でも走れます。幌も土魔法を応用すれば、剣や槍による攻撃を防ぐことができるでしょう。それに、防御魔法による防御壁を展開すれば、共和国騎士団など敵ではない」

「パーフェクトだヤン兄」

「感謝の極み」


 エージェントにはぴったしの、すばらしい馬車じゃないか。

 良い仕事をするものだな、ヤン商店は。

 ヤン兄のことはこれから、敬意を込めて『Q』と呼ぶことにしよう。

 ついでにこの馬車の愛称は『アストンマーティン』だ。

 

「あの、ヤン兄さん。1つだけわがままを言っても?」

「お客様の願いというのなら、なんなりと」

「じゃ、味方に伝わりやすいよう、馬車にペンキで印を付けてほしい」

「かしこまりました。すぐに用意します」


 礼儀正しく仕事も速い。

 ヤンも有能だが、ヤン兄も有能だ。

 美形で秀才ぞろいのヤン家って、俺が思っていたよりすごいんだな。


「ペンキの用意ができました」


 え、もうできたのか。

 随分と早いな。

 つうかそのペンキ、商品棚から持ってきただろ。

 まさかとは思うが……。


「ペンキ代っていくら?」

「代金はロンレンに請求しますので」


 やっぱり金は取るんだ。

 さすがは商人、抜け目ない。

 この抜け目なさが、ヤンの軍師としての才能に繋がってんだろう。


「では、どのような印を付けましょうか?」

「それについてはもう決めてます」


 この馬車はアストンマーティンだ。

 殺しのライセンスはないにせよ、エージェントである俺が乗るアストンマーティンだ。

 つまりは司令カーだ。

 ならば、あれしかないだろう。


「BMT216Aでお願いです」

「失礼、ビーエムティー216エーとはどのような文字でしょうか?」

「あ、すみません。こういう文字なんですけど――」


 すっかり忘れていたが、この世界でアルファベットは通じないんだった。

 メートルを表すmはあっても、それはただの単位でしかないし。

 そこで俺は、水魔法を使って文字を表すことにした。

 床に水滴を垂らし、『BMT216A』と書く。


「もしやこれは、異世界における文字では」

「知ってるんですか?」

「昔、本で見たことがありまして。初代異世界者にまつわる伝記です」

「ほうほう」

「それで、この印をどこに?」

「幌の側面に大きく書いてほしい。両側にお願い」

「かしこまりました」


 ヤン兄はすぐさま部下に指示を出し、馬車に印を付けてくれる。

 ペンキの色は黒だ。

 幌の色がベージュだから、それなりに目立つだろう。

 上空を飛ぶ小型輸送機からも、これなら見つけられるはず。

 俺の世界の文字だから、こちらの世界では不思議な模様と認識するだろうし、多分問題はない。

 万が一にヤン兄のような、アルファベットを知る人間がいても大丈夫だ。

 ロミリア辺りが初代異世界者のファンだと言えばそれで済む。


「ロミリア、魔力通信用の紙を」

「はい、ペンもどうぞ」


 俺はロミリアから、魔力通信用の紙とペンを受け取る。

 この紙に送信場所を念じ、文字を書けば、送信場所近くの魔力通信用の紙に同じ文字が浮き上がるという道具。

 久保田との連絡で使っているアレだ。

 今回は任務の性格から、念のため持ってきていた。


 受け取った紙に、俺はアストンマーティンの印についての説明を書く。

 内容は簡単にしておいた。


『幌に黒いペンキで、BMT216Aと書かれている馬車を見つけたら、それが俺たちの馬車だ。小型輸送機に伝えておいてくれ』


 ただそれだけを書いて、ガルーダに送る。

 これだけでも、ヤンとフォーベックならなんとかしてくれるだろう。

 あの2人は有能なんだから。


「作業が完了しました」


 もう1人の有能な男、ヤン兄が報告してくる。

 見ると、確かにアストンマーティンには大きく『BMT216A』の文字が。

 これで準備は完了だな。


 早速だが、俺たちはアストンマーティンに乗り込む。

 乗車スペースはそこそこの広さだ。

 左右両端に合計4人分の席が設けられ、真ん中には荷物を置くスペースがある。

 この荷物スペースに、2つの大きな箱が乗せられていた。

 幌に隠れて見えなかったこの箱は、村上とリュシンヌを運ぶために使うものである。

 こんなものまで用意してくれるなんて、ヤン兄には感謝しないと。

 

 ついでに、乗り込む際に幌に触れたが、俺の思っていた以上に固い幌だった。

 これは少なくとも布ではなさそうだ。 

 アストンマーティンの頑強さにも期待できる。


「他に必要なものはありますか?」

「いや、ないですね。ただ、1つだけ質問が」

「なんでございましょうか」

「最悪の場合なんだけど、この馬車が共和国の手に渡ったとして、ヤン兄さんたちの関与は疑われない?」


 この任務でヤン商店に迷惑をかけるわけにはいかない。

 こういうことはきちんと確認を取っておくべきだ。

 アストンマーティンを降りての俺の質問に対し、ヤン兄は屈託のない笑みを浮かべて答えた。


「ご安心を。その馬車は、これから我々が盗難届を出しますから。アイサカさんはその馬車を自由に扱っていただいて結構です」


 おやおや、俺たちはこれから、このアストンマーティンを〝盗んだ〟ことになるのか。

 それならヤン商店は、ただの被害者だな。

 ホント、抜け目のないヤツめ。

 そういうところ、ヤンもそうだが、ちょっと怖いぞ。

 

「司令、そろそろ行こ。馬車はあたしが操るから」

 

 いつの間に馬の手綱を握るスチアが、俺に対し催促の言葉を投げかけてきた。

 彼女の言う通り、そろそろ出発する時だろう。

 ロミリアも席についているし、行くか。


「ヤン兄さん、ご協力感謝します」

「いえいえ、弟がべた褒めする方なんて珍しいですから。こちらこそ、協力することができて嬉しいですよ」


 うお! ヤン兄が眩しい。

 はにかむイケメンなんてずるいじゃないか。

 男の俺ですら、ちょっと可愛いとか思っちまったぞ、クソ。


「では、頑張ってください」


 いきなりハグしてくるヤン兄

 俺は成す術無く、彼の腕に包まれてしまった。

 そして俺は、同時に違和感を抱く。

 彼の胸にある柔らかいものは、一体なんだ?


「お嬢様、あまり簡単に男性に抱きつかないように」

「良いじゃないか。ボクだってもう大人だ」

「大人だからこそです」


 ヤン兄?と彼(彼女?)の部下との会話。

 何かあの部下はおかしなことを言っていないかね?

 このイケメンを、お嬢様と呼ばなかったかね?

 

 あ、思い出した……。

 そういや、ヤンがだいぶ前に言っていたじゃないか……。

 ボクのお姉ちゃん、って……。

 

 ちょっと待って、ウソだろ!?

 姉弟揃ってそういう感じなの!?


「今日はアイサカさんとお会いできて、光栄でした」


 爽やかな笑みを向けるヤン姉だが、こちらは苦笑するしかない。

 俺はふらつく意識をなんとか保ちながら、アストンマーティンに乗り込んだ。

 何だか知らんが、早くこの場から去りたい。

 

「じゃ、出発」


 スチアの合図と共に、ゆっくりと動き出す馬車。

 振り返ってみると、ヤン姉がこちらに手を振っている。

 見た目的にはただのイケメンだが、そうか、あの人は女なのか……。

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