魂の塵
鯣 肴
第一話 ある男の楽しみ
それがいつの頃かは分からない。ある日、ある時、ある場所に、ある男がいた。場所は、ある大きな屋敷の、暖炉のある応接室。その男はその屋敷の持ち主だった。男は初老に差し掛かっており、髪の毛は白く染まっていた。彫りの深い凛々しい顔に、日にほとんど焼けていない真っ白な肌をしている。上下灰色の細めのストライプのスーツを着ており、靴は黒のウイングチップの短靴を履いている。服にも靴にも一切の汚れはなく、いかにも紳士というような佇まいであった。深めのソファーに腰掛け、低めの机の上に置いてある品に触れているところである。
その品を持ってきた、上品なセールスマン風の別の男が、紳士の対面に座り、その様子をにこにこしながら伺っている。紳士は満足げにその物を見ていた。手に取って、角度を変え、ついている傷を見ては何やらの懸想に耽っているようであった。その顔からは、様々な表情が見て取れた。喜び、怒り、哀れみ、楽しみ。表情がころころと変わるのだ。その様を見るのが、セールスマン風の男は好きだった。だから、この紳士が求めていそうな物を見つけると即座に持ち寄ることにしていた。紳士もこの男のことを信頼していた。
「これはまた、いい品ではないですか。ではいつも通り、経緯を話して頂けますか。それを聞いた上で買い取るかどうかの判断をさせて頂きます。」
紳士は今回も同じように丁寧な言葉遣いで満足げにそう切り出す。それを聞いたセールスマン風の男は安心した。今回も気に入っていただけたようである、と。
「はい、では――。」
そうして、セールスマン風の男はいつものようにその物を手に入れた経緯と、その物が辿った遍歴、味わった出来事、刻まれたであろう想いについて、分かる範囲で全て説明する。憶測は入れるが、一切の嘘は入れない。少しでも二人のうちのどちらかに迷いがあれば、売らない、買わない。それが二人の間での約束事であった。それを守れるセールスマンはほとんどおらず、今目の前にいるこのセールスマンのみが紳士の唯一の御用達であった。
目の前の物について語られる前に示しておかなければならないことがある。それは、この紳士の持つ趣味についてである。この紳士には一つの風変わりな趣味があった。それは、物を集めること。その証拠に、男の屋敷には物がたくさん置かれていた。整理整頓されているため、その量は控えめに見えるが、独り暮らしの老人が所持するにしてはどう考えても多すぎる量であった。紳士は何だかのコレクターであるにも関わらず、一見それらには共通点は見られないのだ。そのため、屋敷を訪れたセールスマンは誰もが困惑することになっていた。
しかし、共通点はきちんと存在する。紳士がコレクターであるが故に。それは、人の想いが焼きついている物であるということである。人が触れていたもの。長期間人の手にあったもの。多くの人の手を渡ったもの。歴史あるもの。死ぬ直前の品、遺品。人生の転機、最も人生が輝いたとき、どん底に落ちたとき、実につけていた品物。要するに、想いが、その人の心が焼き移された物。紳士はそれを常に探し求めていたのだ。
そして今日も、想いの篭った物が紳士の目の前に現れたのだ。
*
二人の取引には一種の様式のようなものがあった。大概、その流れをなぞって取引は行われるようになっている。
「今回の物はそれです。まずお聞きしますが、それは何だと貴方は思いますか?」
まずは、セールスマン風の男が疑問をぶつける。
「ペーパーウェイトでしょうか? 白光りする金属でできた、片手で容易に持ち上げることのできる適度な重さと大きさを持っていますので。」
紳士は目の前の物を観察し、それが何かを予想する。必ずそこには理由が付与される。
「それは、ライターです。テーブルライターです。これは、卓上に直接接着されて使用されていたそうです。X003年製、あるカジノのポーカー台にこれまでずっと備え付けられていたものです。裏側を見てください。黄緑色のフェルトの痕があるでしょう。」
それに対して、セールスマン風の男が答え合わせをする。それがいつ作られてどこにあったものかを添えて。
それを聞いて、紳士が話を作り上げる。セールスマン風の男の集めてきた情報の全てを埋め込んだ、その物についての逸話を練り上げるのだ。人名はA・Bなどのアルファベットで。通貨は円に統一してより単純化させて。それを語り、二人は矛盾点を洗い出し、整え、そこに込められた想いを再現するのだ。
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