犬と私の充実ライフ

玉瑛

第1話

 飼っていた犬が死んだ。老衰だった。私がまだ小学校に上がる前に出会い、一緒に成長していった。私が大変な時、つらい時にいつも支えてくれていた。学校で虐められて帰って泣いていた私の涙を舐めてくれた。人間の食べ物をほしがるのでよく考えながら塩分とかが少ないものを分けて一緒に食べたりもした。散歩のときはお気に入りのボールを持って行ってそれで遊んだりもしていた。

    そんな私の大事な犬が、死んだ。

 犬の名前はチコという。メスのポメラニアンでふわふわの毛並みが愛らしくて大好きだった。私が学校から帰ってくると駆け寄ってきて尻尾を振りながら「なでてなでて」と言わんばかりに私の足にスリスリしてくる。そうすると私はチコを抱え上げてリビングのソファに連れていき膝の上にのせて座り、しばらく撫でまわすのだ。撫でていると寝てしまうのでチコのベッドに連れていき、そっと寝かせる。その柔らかな寝顔に癒され、なごまされることで私は日々のつらいことから解放される。だが、もうそれはできない。チコのそのふわふわの毛並みを楽しむこともできないし、寝顔になごむこともできない。

 チコが死んでも社会は何も変わりはしない。テレビでは相も変わらずよく知らない人が付き合ってるだとか結婚したとか浮気したとか、どうでもいいことばかり流している。窓の方を見れば車がたくさん走っている。仕事に行くのだろう。彼らもまた何も変わっていない世界で生きているのだろう。私の中では決定的に何かが壊れてしまっているというのに。ああ、また学校に行かなくてはいけない。

 学校の持つ空気が嫌いだ。努力を最上のものと決めつけ、落第生にかまい、普通の人間はいないものとするこの空気が。ほらまた今日もろくでなしのクズ野郎が私に近づいてくる。

「おい、暇だから殴らせろよ!」

このクズの名前はよく覚えていない。このセリフもいつものことだ。これは申し出とか依頼ではない。断っても生意気だなんだと言って殴られるのだから。教室には生真面目な風紀委員もカリスマ性を発揮する生徒会長などもいない。遠目に見下すように眺める目線があるだけだ。誰も守ってくれやしない。私は殴られ、ボロボロにされ、財布から金を抜き取られるのだ。

 放課後になり、学校という名の牢獄からやっと解放された。だが、帰ってもチコはいない。私の心の傷を癒してくれる存在は、もういないのだ。果たして私のこの生活には意味があるのだろうか……?

 こんなことを考えながら帰るのも何度目だろう。チコを失ったことへの喪失感、虚無感は消えない。もういっそ死んでしまおうか。そんなことを思っていると、目の前に気配を感じた。前を見ると、蛇がいる。随分と傷ついているようだった。私は動物全般が好きだ。素直だからだ。爬虫類もその例に漏れない。かわいそうだったから連れて帰ることにした。蛇はかみつくこともなく私に抱えられた。蛇の生態には詳しくないから大きな手当はできない。しかし傷口を洗って包帯を巻くくらいはできる。私は蛇を手当てしてあげた。初めはつらそうな顔をしていたが、手当てをすると少し表情が和らいだような気がした。蛇が表情を変えるなんてあるわけないのに、不思議な気持ちだった。

 今日も両親は帰ってこないだろう。父も母も浮気相手とよろしくやってるはずだ。生活費は置いていってくれているし、気にかけてないわけではないのだろう。まあ、どうでもいいのだけれど。連れてきた蛇はダンボールに布を敷き詰めて、そこで寝かせている。私もそろそろ寝ようか。また明日も牢獄に行かなきゃいけない。

『このセカイに未練はないのですか?』

鈴を鳴らしたようなかわいらしい声が聞こえた。

目を開けると手当てした蛇がいた。

『ワタシがこのセカイにきて優しくしてくれた人はあなただけです。そんなあなたが苦しんでいるのは見ていられないのです。』

私はどうしたのだろう。蛇が喋っているように思うなんて。

『あなたが驚くのも無理はありません。ワタシはここではないセカイから来ました。私達のセカイは穏やかで、平和です。そこならあなたを救えるでしょう。』

少なくとも今のこの世界は私には厳しすぎる。この不思議な蛇の誘いに乗るのもいいだろう。チコはもうどこにもいないのだから別のセカイに行ってもそれほど変わらないだろう。私の肯定の意思を感じたのか蛇は

『かしこまりました。それでは私達のセカイにご案内しましょう。』

蛇は光り輝くとありえないほど口を開けて、私を丸呑みにした。

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