始動

ブレザー姿の女学生と小動物がいた。少し赤の入ったほぼ黒の茶髪を肩の位置で少しカールさせたかわいらしい少女は、扉の前に立ち尽くしていた。その瞳に悪意はなく純朴さが垣間見える。一方の犬のぬいぐるみに近い小動物の目は、何を考えているのか分からない得体の知れなさがあった。

「ねえ、ヤク。こ、ここがヤクザ屋さんのところなの?」

「そうヤク~。間違いないヤク~」

ヤクと呼ばれた謎の小動物が、ふわりと宙に浮いた。池袋にある悪目立ちもしない平凡な都心の一角のビルの中は、閉じきったカーテンでうかがいしれない。

「こっちヤク~。早くするヤク~」

「あ、まってよ~」

休日ということもあってか企業のビルが並ぶ街中は不気味に静まりかえっている。音もなくスルスルと宙を浮かぶ小動物を少女は追いかける。そのままエレベーターに乗って7階に移動した。唾を飲む音が響く。

「さあ早くいくヤク~」

「ちょ、ちょっと」

手を触れもせず「バン!」と大きな音を立てて小動物は扉を開ける。そして小動物はさっと素早く少女の背に隠れる。するとそのまま少女の背を使って部屋から見えない位置に移動した。

「ああ!?なんやわれぇ……っておなごや。JKがおるで。何しとるんやこんなところで。っていうか鍵しめとけやあの糞アホンダラが。おい、嬢ちゃんそこでまっててえな。おい、お前鍵しめとかんかいボケが」

「は、すんませんアニイ」

「すいませんもヘチマもあるかいボケ!」

坊主頭で額に傷がある眼鏡をかけた体格のよい男は、近くに座っていた細身の優男――どちらもよいスーツを着ていた―ーの事務机を蹴りつける。大きな音がしてハルカは、肩をびくりとふるわせた。それを流し目で見ていた大柄の男はハルカに話しかける。

「おどろかせちまったなぁ。すまんすまん。で嬢ちゃん何かようかい」

ニカリと大男が笑うと金歯が数本見える。しかし目は笑っておらず

(いまので逃げへんのやな)

と少女の目的をいぶかしんだ。


「あ、あの」

「まあ落ち着き。そこ座って」

「お薬が私欲しいんです!」

「へ?薬って……、なんや嬢ちゃんその年でヤク中かいな」

「違います」

「あかんあかん。冷やかしなら帰ってくれへんと」

「私、本気なんです」

「イジメか何かか?」

「違います」

「嬢ちゃんの意思で欲しいと」

「……はい」


まっすぐな目でハルカは大男を見た。閉じられた扉の外にいるのか小動物は出てこない。

(もうっ、ヤクは何やってるのよ~。この人怖いし、早くヤクを探さないと……)

ため息を一つ吐いてから大男がハルカに問いかける。


「わかったわかった。で、いくらもってきたのよ」

「はえ?」

「金だよ、金」

「そんな私、お金なんて……あ、家に豚さんの貯金箱なら……」

「ハハハ豚さんの貯金箱ってお前さんふざけとんのか」

「いえ私、ふざけてなんて……」


大男は、ハルカの体を値踏みするように首を上下させて眺める。

(なかなか上玉やないか)

そして優男のほうをチラり見ると優男とアイコンタクトしたのちに無言でうなづいた。優男は席から立ち上がると別室からカメラと三脚を用意する。

(やっちまいましょう)

(ああ……)

「え、あ、ごめんなさい。私お金もってきますから」

カメラを見て何かを察したハルカは勢いよく立ち上がった。

「かまへんかまへん、嬢ちゃんが稼いでくれたらええんや。いくらでも」

「いや、あの、私」

「ほらほら、ええからええから。こっち来て」

「いやっ!」

「おとなしくせんかいワレエ!」

大男は女の首ねっこを捕まえるとそのまま少女の額を扉にうちつけた。ゴウンと鈍い音がしてハルカはその場に崩れ落ちる。何が起きたのか分からないといった表情であった。

「あ……う……?」


「ちょっとアニイ、顔は不味いっすよ」

「大丈夫や。手加減しとる。」

ヘラヘラしながら優男は撮影の準備をはじめる。すると大男は懐から白い粉を出した。

「こいつが欲しいか?やらへんよ。シャブ漬けにして飼うのもええけど、見たところ嬢ちゃん処女やろ。まず泣き叫ぶところが見たいなぁ……」

「あ……あっ……!?」

「いつまで寝てるねん。このカスが」

「うぐう」

わき腹に蹴りをいれるとビクンとハルカは痙攣してうずくまる。

「おい準備はまだか」

「もう少しですアニイ」


(いまだヤク~。呪文を唱えるヤク~)

いつのまにかに部屋の中にいた小動物はハルカに近づくとささやきかけた。

(ヤ、ク……?)

(今のハルカなら脳内モルヒネで変身できるヤク~。いいから早く呪文を唱えるヤク~。ハルカなら自然に呪文も唱えられるはずヤク~)


ふらつく足で静かにハルカは立ち上がる。小さく息をすうと男たちをにらみつけながら

「ピーリカピリララ啓け、夢の世界!」

と大きな声で叫んだ。

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