第48話 いざ女の園へ赴かん

 後ろから現れた双子の護衛にせっつかれ、いわお爺さんが気まずそうに言いだした。元気に跳ねまわっていたみやこの動きが、面白いようにぴたりと止まる。


「じいじ?」

「都……ごめんな。後から行くからの」


 事情を聞くと、経済界の御仁と約束があったのに、老いの悲しさでころっと忘れていたのだという。午後には行けそうだが、姉の劇には間に合わないとのことだった。


 外出をかなり楽しみにしていた都は、大きく口元をへの字に曲げた。泣き出す三秒前、と言った形相である。それを見下ろしながら、巌は冬眠前の熊よろしくどすどすと歩き回った。爆発で揺らいでいた屋根瓦が、振動で何枚かふるい落とされる。


「……急な腹痛があったことにすれば」

「「だ・め・で・す」」


 護衛たちは、巌のわがままをばっさりと切り捨てた。


「都ちゃん、おじいちゃん後から来てくれるって。それまで、お姉ちゃんと屋台で何か食べてようよ」


 都の様子を見かねた怜香れいかが、しゃがみこんで声をかけた。バッグから文化祭のパンフレットを取り出し、都の目の前で広げて見せる。


「クレープもアイスもあるよ。お腹すいたら、唐揚げとか焼きそばにしようか」

「アイスじゃと?」


 都は怜香の放った餌にがっちり食いついた。涙は引っ込み、パンフレットにくっつきそうなほど顔を近づける。怜香がにやりと笑った。


「まっちゃあじも、あるのかのう」

「もちろんあるよ~。ほら、白玉と小豆も追加できるって」

「かんぺきじゃ。ほめてつかわす」


 都は小さい手で拍手をした。完全に都の機嫌が直ったのを見てとり、巌がほっと胸をなで下ろす。それでは出かけようか、と大和やまとを無視して立ち上がった時、ポケットの中の端末が鳴った。葵は断って電話に出る。


「一尉、お休み中にすみません。警察から報告が入ったのですが」

「警察?」

「どうも、木下きのした山田やまだがやらかしたようです」


 部下からだった。彼がしてくれた報告を聞くと、あおいの頭が痛くなってきた。痛いのは耳だけで十分だと思っていたのに、世の中そううまくはいかないものだ。ため息をつきながら通話を切り、怜香に声をかける。


「悪い、俺も行けなくなった。先に行っててくれるか」

「どうしたの?」

「部下の不始末だ。久しぶりに帰還した奴らが、近くの飲み屋街で騒ぎを起こしてる。ちょっと行って絞めてくる」

「大変ね、中間管理職」


 怜香が葵の肩を叩きながら、慰めの言葉をかける。その間にも、葵は頭の中で行き来の時間を計算していた。姉の演劇は十二時開始。ここから車を飛ばして、飲み屋街まで二十分弱。そこから鈴華までは十分ほどだが、時刻はすでに十時を回っていた。仲裁がすぐに終わるか、と言われるとなかなか厳しい。


「間に合うか微妙だな。もし過ぎたら、外の屋台で落ちあおう。毎年派手な飾りをつける調理部の前でいいか?」

「了解」

「悪いな。都のお守りも任すことになって」

「わたくしも同行いたします。困ったことがあればお申し付けください」


 葵が詫び、双子の片割れが言い添えた。いいのいいの、と怜香が手を振る。そこに大和が乱入してきた。


「そうか。葵くんは行かれへんのか」

「お前と違って忙しいんでな」


 葵は皮肉を飛ばしたが、それは大和の分厚い顔面に当たって跳ね返った。


「怜香ちゃん、都ちゃん、護衛一人だけで行くのは危ないで? ヨコシマな男がおるかもしれん。そんな時、俺という頼りがいがある男が、ちょうど暇をもて余している」

「お前が『ヨコシマな男』の代表格だろうが」

「そこいらのナンパ男と一緒にすなや」

「怜香、心配しなくても変態ぐらいなら関節技で落とせるだろ」

「うん、お望みなら玉潰しのオプションもつける」

「怖いよ」


 えげつない技をさらりと言い放つ怜香に、俊が怯えた。


「聞いたか。追加の護衛など必要ないとさ」


 悲報にうちひしがれ、大和は腰から地面に崩れ落ちた。


「でも、大和君が行きたいなら一緒に行く?」

「うきっ」

「人としてのプライドはどうした猿」


 怜香の一言に、大和が文字通り飛びあがって喜んだ。葵がこきおろしても、耳に入った様子はなく、もだえにもだえて全身で喜びを表現している。


「怜香、お前な……」


 葵がたしなめたが、怜香は笑っているばかりだった。


「いいじゃない、大和君なら女の子がほんとに嫌がることはしないわよ。ということで大和君の分もチケットちょうだい」


 葵はため息をつきながら、渋々チケットを渡した。皆にいきわたったところで、双子の片割れが深々と礼をする。


「……申し遅れました、私、氷上一丞と申します。巌様の執事のような仕事をしております」

「おう、護衛チーム結成や。仲良くやろうな」


 大和と一丞が友好的に握手を交わし合う。その横で、葵は怜香にささやいた。


「絶っっっ対に手綱は離すなよ、怜香」

「うん、頑張る」


 重大犯罪は犯さないだろうが、大和が本能のままに行動したとき、どんな火事場の馬鹿力を発揮するのか見当もつかない。なにせ入隊の時から、説明会場に不法侵入しようとしていた奴だ。


「もし、奴を見失ったらすぐ俺に連絡くれ」


 葵が、すぐ、のところに力を入れて怜香に注意する。怜香は素直にうなずいた。


「大和くん、もう走り出したよお。追わなくていいのー?」


 後ろでぼんやりと見守っていた修が言う。大和と、彼に抱かれた都はもはや米粒ほどの大きさになっていた。怜香と一丞はそれを見るなり、ふたり一緒に駆けだした。



☆☆☆



 通常なら車で移動するのだが、都が電車に乗りたいというので、一行は地下鉄に乗った。電車の方が珍しいと興奮する大和と都を見て、怜香と一丞は育ちの違いを思い知る。


 鈴華に一番近い出口から地上に出た。土曜の朝、もうすでにどこかへ思いを飛ばしていて、はしゃいでいる集団がぱらぱらと怜香たちの前を歩いていた。その楽しげな空気は一行にも感染し、文化祭への情熱を抑えきれない都が、早く行こうとせっついた。


「えーと、学校はどっちかな」


 怜香はバッグからパンフレットを取り出した。するとそれを見ていた大和が、


「ええで、俺わかっとるから」


と声をかけた。


「え?」

「道筋はばっちり、俺の頭の中や。みんな、ついてき」


 本当だろうか、と怜香は顔をしかめた。大和の普段の行動を見ていると、案内役と言うより、真っ先に迷子になって探される立場の方がしっくりくる。


「う、疑っとる?」

「正直かなり」


 取り繕ってもわかるだろうと、怜香は素直に口にした。


「普段の俺は確かにそうや。一歩進めば決まった道を踏み外す。生まれついての野生児っちゅうやつやな」

「一歩って」


 ニワトリだってもう少し賢くなかったろうかと怜香は思う。よく選抜試験を通ったものだ。


「しかし、今回は違うで。ありとあらゆる犠牲を払い、完璧に覚えこんだ……。肝心のその日が歩きになった時に、一分でも早く現場に辿り着きたいもんな」

「葵が許さなかったら、どうする気だったの?」

「そない悲観的なことでどうする怜香ちゃん! 男なら、成功のみを胸に秘めて突き進むもんや」

「そ、そう……。行けてよかったね……」


 怜香はその楽観主義にただただ恐れ入る。つくづく、葵とは正反対な性格だなあと思い知った。今までほぼ、常識的な人としか付き合いのなかった怜香にとっては、刺激が強い。

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