第48話 いざ女の園へ赴かん
後ろから現れた双子の護衛にせっつかれ、
「じいじ?」
「都……ごめんな。後から行くからの」
事情を聞くと、経済界の御仁と約束があったのに、老いの悲しさでころっと忘れていたのだという。午後には行けそうだが、姉の劇には間に合わないとのことだった。
外出をかなり楽しみにしていた都は、大きく口元をへの字に曲げた。泣き出す三秒前、と言った形相である。それを見下ろしながら、巌は冬眠前の熊よろしくどすどすと歩き回った。爆発で揺らいでいた屋根瓦が、振動で何枚かふるい落とされる。
「……急な腹痛があったことにすれば」
「「だ・め・で・す」」
護衛たちは、巌のわがままをばっさりと切り捨てた。
「都ちゃん、おじいちゃん後から来てくれるって。それまで、お姉ちゃんと屋台で何か食べてようよ」
都の様子を見かねた
「クレープもアイスもあるよ。お腹すいたら、唐揚げとか焼きそばにしようか」
「アイスじゃと?」
都は怜香の放った餌にがっちり食いついた。涙は引っ込み、パンフレットにくっつきそうなほど顔を近づける。怜香がにやりと笑った。
「まっちゃあじも、あるのかのう」
「もちろんあるよ~。ほら、白玉と小豆も追加できるって」
「かんぺきじゃ。ほめてつかわす」
都は小さい手で拍手をした。完全に都の機嫌が直ったのを見てとり、巌がほっと胸をなで下ろす。それでは出かけようか、と
「一尉、お休み中にすみません。警察から報告が入ったのですが」
「警察?」
「どうも、
部下からだった。彼がしてくれた報告を聞くと、
「悪い、俺も行けなくなった。先に行っててくれるか」
「どうしたの?」
「部下の不始末だ。久しぶりに帰還した奴らが、近くの飲み屋街で騒ぎを起こしてる。ちょっと行って絞めてくる」
「大変ね、中間管理職」
怜香が葵の肩を叩きながら、慰めの言葉をかける。その間にも、葵は頭の中で行き来の時間を計算していた。姉の演劇は十二時開始。ここから車を飛ばして、飲み屋街まで二十分弱。そこから鈴華までは十分ほどだが、時刻はすでに十時を回っていた。仲裁がすぐに終わるか、と言われるとなかなか厳しい。
「間に合うか微妙だな。もし過ぎたら、外の屋台で落ちあおう。毎年派手な飾りをつける調理部の前でいいか?」
「了解」
「悪いな。都のお守りも任すことになって」
「わたくしも同行いたします。困ったことがあればお申し付けください」
葵が詫び、双子の片割れが言い添えた。いいのいいの、と怜香が手を振る。そこに大和が乱入してきた。
「そうか。葵くんは行かれへんのか」
「お前と違って忙しいんでな」
葵は皮肉を飛ばしたが、それは大和の分厚い顔面に当たって跳ね返った。
「怜香ちゃん、都ちゃん、護衛一人だけで行くのは危ないで? ヨコシマな男がおるかもしれん。そんな時、俺という頼りがいがある男が、ちょうど暇をもて余している」
「お前が『ヨコシマな男』の代表格だろうが」
「そこいらのナンパ男と一緒にすなや」
「怜香、心配しなくても変態ぐらいなら関節技で落とせるだろ」
「うん、お望みなら玉潰しのオプションもつける」
「怖いよ」
えげつない技をさらりと言い放つ怜香に、俊が怯えた。
「聞いたか。追加の護衛など必要ないとさ」
悲報にうちひしがれ、大和は腰から地面に崩れ落ちた。
「でも、大和君が行きたいなら一緒に行く?」
「うきっ」
「人としてのプライドはどうした猿」
怜香の一言に、大和が文字通り飛びあがって喜んだ。葵がこきおろしても、耳に入った様子はなく、もだえにもだえて全身で喜びを表現している。
「怜香、お前な……」
葵がたしなめたが、怜香は笑っているばかりだった。
「いいじゃない、大和君なら女の子がほんとに嫌がることはしないわよ。ということで大和君の分もチケットちょうだい」
葵はため息をつきながら、渋々チケットを渡した。皆にいきわたったところで、双子の片割れが深々と礼をする。
「……申し遅れました、私、氷上一丞と申します。巌様の執事のような仕事をしております」
「おう、護衛チーム結成や。仲良くやろうな」
大和と一丞が友好的に握手を交わし合う。その横で、葵は怜香にささやいた。
「絶っっっ対に手綱は離すなよ、怜香」
「うん、頑張る」
重大犯罪は犯さないだろうが、大和が本能のままに行動したとき、どんな火事場の馬鹿力を発揮するのか見当もつかない。なにせ入隊の時から、説明会場に不法侵入しようとしていた奴だ。
「もし、奴を見失ったらすぐ俺に連絡くれ」
葵が、すぐ、のところに力を入れて怜香に注意する。怜香は素直にうなずいた。
「大和くん、もう走り出したよお。追わなくていいのー?」
後ろでぼんやりと見守っていた修が言う。大和と、彼に抱かれた都はもはや米粒ほどの大きさになっていた。怜香と一丞はそれを見るなり、ふたり一緒に駆けだした。
☆☆☆
通常なら車で移動するのだが、都が電車に乗りたいというので、一行は地下鉄に乗った。電車の方が珍しいと興奮する大和と都を見て、怜香と一丞は育ちの違いを思い知る。
鈴華に一番近い出口から地上に出た。土曜の朝、もうすでにどこかへ思いを飛ばしていて、はしゃいでいる集団がぱらぱらと怜香たちの前を歩いていた。その楽しげな空気は一行にも感染し、文化祭への情熱を抑えきれない都が、早く行こうとせっついた。
「えーと、学校はどっちかな」
怜香はバッグからパンフレットを取り出した。するとそれを見ていた大和が、
「ええで、俺わかっとるから」
と声をかけた。
「え?」
「道筋はばっちり、俺の頭の中や。みんな、ついてき」
本当だろうか、と怜香は顔をしかめた。大和の普段の行動を見ていると、案内役と言うより、真っ先に迷子になって探される立場の方がしっくりくる。
「う、疑っとる?」
「正直かなり」
取り繕ってもわかるだろうと、怜香は素直に口にした。
「普段の俺は確かにそうや。一歩進めば決まった道を踏み外す。生まれついての野生児っちゅうやつやな」
「一歩って」
ニワトリだってもう少し賢くなかったろうかと怜香は思う。よく選抜試験を通ったものだ。
「しかし、今回は違うで。ありとあらゆる犠牲を払い、完璧に覚えこんだ……。肝心のその日が歩きになった時に、一分でも早く現場に辿り着きたいもんな」
「葵が許さなかったら、どうする気だったの?」
「そない悲観的なことでどうする怜香ちゃん! 男なら、成功のみを胸に秘めて突き進むもんや」
「そ、そう……。行けてよかったね……」
怜香はその楽観主義にただただ恐れ入る。つくづく、葵とは正反対な性格だなあと思い知った。今までほぼ、常識的な人としか付き合いのなかった怜香にとっては、刺激が強い。
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