君にあげる
モンブラン博士
第1話夢のような1日
ここは、私立北徒十字星(ほくとじゅうじせい)学園。
小学から高校まで一貫してあるこの学園の中等部二年に、全校生徒の注目を集めている生徒がいた。その生徒の名は、アップル=ガブリエル。
彼はアメリカのギムナジウムから一年の五月に転校してきたのだ。
どうして彼が遠い外国である日本の地に転校してきたのか。
それは、両親の経営しているケーキ店が店舗を拡大し、日本にも支店を出そうという話になり家族揃って引っ越してきたからである。彼は賢い子であったため、転校来る前から日本語の勉強を熱心に学び、日本に移住してきて僅か一か月で母国語と同様に非常に流暢に会話をする事ができた。
彼は転校生――それも外国人であるため、皆の注目を集めた。
だが、普通の転入生ならばクラスメートの興味もすぐに冷めてしまうものだが、彼の場合は違った。なぜか。それは、彼の容姿があまりにも愛くるしかったからである。
首のあたりまでかかる、ふんわりと柔らかな金髪に、切れ長の水色の瞳、日本人よりも遥かに白い雪のような肌を持つ、誰でも彼の顔を見た瞬間に一目惚れしてしまうほどの容姿だったため、彼は女子は勿論男子にまで深く愛されるようになった。
当然ながら、それはルックスだけで成せる業ではない。
その外見に加え、彼の誰にでも分け隔てなく温かい優しさを注ぐその慈悲深さもあったため、皆は彼をすぐに好きになったのである。もし、彼がその外見で傲慢かつ嫌味な性格だったらどうだっただろう。いかに美形であったとしても、たちまち彼の人気は地に落ち、彼は孤独な毎日を過ごすはめになったに違いない。そうならなかったのは、彼が天に一物も二物も与えられていたからに他ならない。
さて、彼はそのような魅力を持つため毎日のように男女から愛の告白を受けていたが、その度に彼は悲しそうな顔をして、涙を流し、口を開く。
「僕を愛してくれてありがとう。でも、僕、好きな人がいるんだ。だから――本当にごめんなさい」
そんなアップル=ガブリエル少年が恋心を抱いている人物、それは読者の諸君には意外かもしれないが、同性であった。
彼が誰よりも深く愛する人物。
それは彼より一学年上中等部三年の剛力徹(ごうりきとおる)であった。剛力は所謂イケメンではなく、どちらかというと狼に近い顔立ちをしたワイルドな男だ。ボクシング部の主将かつ生徒会長も務めている文武両道な優等生であり、統率力に長けたカリスマ的存在の男である。常に冷静かつ無愛想でキザな一匹狼ではあるが、女性に対しては紳士的で女子なら誰であっても「お嬢さん」と呼ぶ礼儀正しさも持ち合わせている。彼の信念は「有言実行」である。
普段はキザな発言が多く、初対面の人間からすると気取っている印象を与えかねない彼であるが、言った事は必ず成し遂げるその行動力と実力が多いに教師側からも信用されている。
例えば、彼は以前「ボクシング県大会を全て一ラウンドKO勝ちで優勝する」と発言。そしてそれを見事にやってのけたのである。他にも「苛めのない学校にする」と言い、すぐさま手配をして苛めのアンケートだけでなくカウンセリング室の積極呼びかけ、スクールカウンセラーの増員、監視カメラの設置などを提案し、自ら率先して動く事により、校内でのいじめは全くと言っても過言ではないほどに減少した。しかしながら、彼はそれでもまだ足りないと語る。
「登下校の最中に上級生や他の学校の奴らに目をつけられている奴もいるかもしれねぇじゃねぇか。だから、それも視野に入れて考える必要があるんだ」
冷静で的確な指示と、実行力で中等部をまとめ上げる彼に、いつしかアップルは憧れから恋にその思いが変わってしまったのだ。
アップルは転校して僅か二か月で彼の魅力の虜になってしまった。
彼にしてみれば、剛力はさながらスーパーヒーローのような存在だった。けれど、ある日それは自分と学年が違い直接会話をした経験がないため、そのような感情を抱いているのかもしれないと考えた彼は、勇気を出して彼のいるクラスに会いに行く事にした。
中等部の三年三組。そこに剛力は所属していた。クラスメートとは自分に仲間が依存しないようにと一定の距離は保ちながらも、仲良く楽しくやっていた。無愛想ではあるが根は優しく誰にでも平等に接し、上下関係を気にしない性格は、例え相手が高等部であったとしてもその中等部ながらに圧倒的な貫禄と迫力で決して物怖じしたりせず、理不尽な意見は真っ向から勝負に挑む事からもよく分かる。だが、それは同時に後輩に対しても権威で語らず対等に話すため、アップルが彼の元を訊ねてきた際も、快く歓迎したのである。
「お前がアップル=ガブリエルか……『中等部のアイドル』って噂はよく聞いているぜ」
彼がニヒルに笑うと、アップルもつられて微笑む。
「それで、俺に何か用でもあるのか?」
「はい……あの、もし時間が空いているのであれば、僕とお話していただけませんか?」
剛力は、彼に気づかれないように傍にいた彼の補佐を務めている女子の生徒会副会長にアイコンタクトを送った。
『お嬢さん、悪いが、俺に宛てられた今日の用事は全部キャンセルして貰えますかね?』
『OKよ、剛力くん』
『感謝いたしますよ』
彼は態々来てくれたアップルを落胆させたくないと、用事を全部断って彼に付き合う事にしたのだ。相手を喜ばせるためなら、時には大胆に行動する場合もあるのが、彼の生き方である。
剛力とアップルは、三年の教室を出て歩きながら会話をする。
「えっと、剛力先輩って呼ばれるのと剛力さんって言われるの、どっちがいいですか」
「どっちでもいいさ。お前が好きな呼び方で結構だ。なんなら、呼び捨てでもタメ口会話をしてもいい。その方がお前も話しやすいだろ」
「それはそうですけど、先輩に対して失礼じゃないですか?」
「そんな事どうだっていいじゃねぇか。俺がいいって言うんだから、お前が気にする事なんか何もないと思うがな……」
彼のその言葉に感銘を受け、アップルは母国アメリカでいた頃のように、タメ口で話す事にした。
「剛力は、嫌いな食べ物とかある?」
「嫌いな食べ物か……基本的に何でも食べるから、好き嫌いはあまりないが敢えてあげるとするなら、甘口カレーライスだな」
「甘口カレー!?」
予想だにしない答えに、彼は驚愕した。彼は転校してきた当初から、日本人はカレーが大好きという情報を耳にしていたし、実際クラスメートが給食でカレーが出た時に歓声を上げたのを見て、その情報は事実なんだなと思っていた。だが、ここにきてカレーが嫌いという人間が現れたのだ。彼の中にあった日本人の常識は早くも崩れ去ってしまった。常識だと思っていたことが覆されてしまったのでアップルは少しの間ポ~っとしていたが剛力に名前を呼ばれ我に返る。
「お前は、何が好物なんだ」
「僕が好きなのはね、アップルパイだよ」
「アップルパイか……確かそれはアメリカの伝統的なデザートだったな。よく作ってくれるのか」
「僕のお母さんとお父さんはケーキ屋さんだから、よくアップルパイを焼いてくれるの」
「そうか……俺も食べてみたいもんだな」
彼は自分の両親が得意としている料理を好きな人に褒められて上機嫌だった。
それから暫くふたりは無言で歩いていたが、ここで校内の中庭に到着した。北徒十字星学園は、剛力の尽力のおかげもあり環境が非常に整っており、中庭もそのひとつだった。まるで花畑のようにバラやひまわり、チューリップやパンジーなど様々な草花が植えられており、見る物を癒す。腰かけるベンチに自動販売機まで設置されているのだから、他校と比べると十分に豪華である。しかしながら、学園のこの中庭は土日は一般の人も入って寛げるように解放してある。
「この中庭素敵だね。いったい誰が設計したのかな」
「さぁな。ただひとつ言えるのは、この中庭を設計したのは匿名の誰かということだけさ」
事実を語るならば提案し設計したのは剛力の手腕によるものであるが、彼は自慢する事をよしとせず、他の生徒には「匿名で中庭設置の案と設計図が送られてきた」と公表している。だが、これは彼のもうひとつの考えによるものであった。
敢えて設計者不明にする事により、学校内の七不思議にとして残しちょっとしたミステリーにもしたかったのだ。
魔法は、十二時になったら切れる。
それは、ヨーロッパの昔話を読んだ事のある子どもなら誰がも知っているだろう。魔法が解けた後に残るのは、何だろう。
答えは、思い出である。
夢のような一時を過ごしたという想い出だけが、心の中に残る。
けれど、その想い出は決して消えずに、その人の心でいつまでも輝き続ける。そして、アップルにとっての「夢のような時間」も終わりを迎えようとしていた。
剛力は座っていた長椅子から立ち上がり、男らしいワイルドな笑みを浮かべ、どこかとおくを見て過ぎ去った思い出を懐かしむような口調で告げた。
「そろそろ下校時刻だ。今日はお前と話せて楽しかったよ」
「僕も凄く楽しかった――」
喜びと別れの時間が差し迫る悲しさで、アップルは胸が押しつぶされそうになりながらも、彼に心配をかけさせてはいけないと、敢えて笑顔で言った。立ち上がった彼は自分より背の高い先輩を見上げる。
身長差は十センチ程あるが、この時ふたりは互いの瞳をじっと見つめていた。
「お嬢さん、じゃあまた機会があればまた話しましょう。あばよ」
今にも泣きそうな彼の肩にポンと優しく手を置き、夕日をバックに自分のクラスへ向かって歩き出す彼の姿をアップルは一瞥し、踵を返し思い人と同じく教室に帰って行った。
帰り道、アップルの瞳から一筋の雫が流れ落ちた。
それは、自分のためにここまで尽くしてくれた剛力に対する感謝の涙であった。彼は上品でおとなしい性格であるため、感情を高ぶらせる事はない。けれど、その代わり、嬉しさや悲しさを表情と涙で表現するのである。嬉しい時には笑顔で涙を流し、哀しい時は俯き、ポロポロと涙を地面に落としていく。
それが彼なりの感情表現方法なのである。
彼が泣くと、周囲の人間皆が悲しい気持ちになり、笑顔を見せるとそれだけで、皆の心に光が灯るのである。
アップル=ガブリエル。彼は北徒十字星のアイドルであるとともに、常に優しく温かな光を照らす太陽であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます