私の魔術師様
庭芽
第1話とある日の夜のこと
久しぶりに訪れる彼氏様の部屋。掃除道具背負い込みいざゆかん。研究熱心な魔術師の彼を持つと、掃除がとっても大変なんです。
彼女が大好きな魔術師様と、魔術師様が大好きな彼女のとある一日。
掃除の話ではありません。
泣くかと思った。
「ぎいやあああああああ!!!!」
初めましてこんばんは。
こんな夜遅く、突然の絶叫に何事かと思っている方もいらっしゃるかと思いますが、あいにくと現在進行形で極悪非道と遭遇からの戦闘に転じておりまして、それどころではないのでございますすいません。
右手に握ったスプレー缶を乱発し、左手に握った丸めた新聞紙を振りかざす。
まさにデッドオアアライブ。
ここで取り逃がせば今夜はこやつにビクビクして夜を過ごさないといけない。おちおちトイレにも行けないのだ。
すばしっこく走りまわる強敵を相手にいろんなところをぶつけ回りながら追いかけ、ぎゃあぎゃあと雄叫びを上げる私。
近所迷惑は百も承知ですが申し訳ないことに叫ばずにはいられないのですだって飛ぶんだもんんんんん。
「どうしたの⁉︎」
私の悲鳴を聞いて、日頃から一度眠ると何をしても起き出さない彼が駆けつけてきた。
徹夜明けで今朝から今まで心配になるくらいピクリとも動かず、しかも低血圧の彼が起き出して来るほどなのである、相当うるさかったらしい。明日ご近所さんから苦情が絶対来るなこりゃ…
敵と戦闘中に遅れてやってくる、といえばお約束の展開だろう。
しかし、愛しの恋人様は私と対面するやつを目にして数秒固まって
「きゃあああああああ!!!」
大絶叫したのであった。
無理無理無理無理!
待って!逃げないで!そこにいてくれるだけでいいから!
ばか!こっち来たらどうするの!失神するからね俺!
やだあ!1人にしないでえ!
あーだこーだと騒ぎながら、なんとかやつを倒し、その後の処理もあーだこーだ言いながらやっとこさ終わらせた。
ばふん、と彼がさっきまで寝ていたベッドへダイブする。
「明日はシーツを洗って布団を干そう。起こして起きなかったらベッドから落として転がしとこう。起きないんだし、ばれないばれない」
「全部口からだだ漏れなんですけど」
青い顔をした彼がドアから半分顔を覗かせてじと目で睨んでくる。
「ちゃんとお手洗い行けたのね、えらいえらい」
「子供か!すごい怖かったですけどね!お風呂入るから風呂場の前に絶対居てって自分は俺のこと残してあれがまた出た時の見張りにしたくせに、俺が手洗い行くのは付いてきてくれないってひどい!」
「一緒にお風呂入ろうよって言ったら断ったくせに」
一瞬で顔を真っ赤にした彼がまた何か言い出す前に、ベッドの片側を開けて来い来いと敷布団を叩く。
恨みがましい視線を向けながら、おとなしく隣に潜ってくる。
「明日はお布団干すからソファとかで寝てね」
「もう寝ないよ」
「寝足りないでしょ?起こしてごめんね。お仕事お疲れ様」
実に一月ぶりにまともに顔を見た彼に、思いきり抱きつく。
また痩せたなあ、明日からいっぱい食べさせなくっちゃ。
先ほどまでの戦闘場所であったキッチンの様子から、この一ヶ月まともなものを食べていないことがよくわかっていた。
明日は彼の好きなものをたくさん作ってあげたい。
国中の憧れであり、エリート中のエリートだけが集められる王宮専属魔術師の一人で、王宮組織の中の研究機関で働いている彼氏様は研究に没頭するとその他の何もかもが疎かになる。
朝昼夜関係なく研究し続け、まともに食事も取らず服もいつ着替えたかわからない、なんて当たり前だ。
ポストを確認しないので手紙での連絡を取ることはまず不可能だ。
それどころか話しかけても気がついてくれないこともある。
ただし、魔術師同士の通信用魔道具があり、緊急会議や魔術師長からの呼び出しがあるので、それには反応する。
一度彼の生活が心配で研究中にひっつき回っていたら、気が散るからとほっぽりだされ、その後自分の行動を非常に悔やみ頭を悩ませていたらしい彼氏様が、実験中に不注意で大怪我をしたので、彼の研究が大詰めになっている時はなるべく近づかないようにしている。
そうして放置プレイをされつつしつつ、気がつけば一月も顔さえ見ない生活が過ぎたところで、彼から連絡が来た。
研究が終わってから彼の部屋に行ったことは何度もある。
掃除道具を山ほど持って彼の家に行き、予想通りゴミ屋敷と化しているそこを本日全力で掃除したのだった。
「黒豆料理にしようかな」
「一番遠いところに避難してたのは謝るからやめて!ごめんなさい!」
冗談である。私も1週間は食べれそうにない。黒豆はなんの罪もないけどね。
平凡庶民な私と、誰もが憧れる高級取りな彼が共通していることといえば、大の虫嫌いなことだ。
先ほどの戦闘で私が何を撃退したかは敢えて明記しないでおくので、皆さんのご想像にお任せします。思い出したくないからね!
「あの、さ」
「うんー」
「えと、呼び出しといて出迎えもせず寝ててごめん」
「うんー」
「手紙にも書いたと思うんだけど、いや、意識朦朧としてたからもしかしたら書いてなかったかも…」
「う、んー」
「だから!そのー…だ、大事な話があって!本当は早起きして部屋を掃除して待ってようと思ってたんだけど寝てて…」
「…」
「あ!掃除ありがとう!いつもいつも目が覚めたらきれいになってるから、ありがたくって。掃除してもらいたくて呼んだんではないからね⁉︎」
「ぐう…」
「寝んな!」
せっかく心地よい疲労感に気持ち良く眠れそうだったのに肩を揺すられて意識を引き戻される。
グリグリと頭を押し付ければ、ああもう!と抱きしめられる。
「痛い痛い」
「わ!ごめん!」
「先ほどの戦いでいろんなところぶつけたから、当たると痛いの」
「どこが痛い?当たらないようにする!」
「いいー。今日は抱き枕でいてー」
拷問だよ、それ…と呟いて、彼氏様はため息を吐いてから頭を撫でたしてくれた。
「だから、えーっと話があって」
どうしても話したいらしい。なでなではご機嫌取りだったか。
「眠いから明後日じゃダメー?」
「なんで明後日なのさ」
「明日は忙しい」
「後は布団干して洗濯物して終わりでしよ?」
「その後デートしに買い物行きたいです」
「はい、行きましょう」
「うん、おやすみ」
「こらこらこらこら」
ちっ!誤魔化されなかったか。
仕方がないので最終手段に出るしかないか。
「こらこらこらこら!なに服の中に手を入れてきてるの!」
「主導権とられると朝まで眠らせてくれないから先制で行かないと明日の予定が狂っちゃう」
「冷静!眠たかったんじゃないの⁉︎」
「むむむ、やっぱり痩せたね。精の付くものいっぱい食べさせないと!」
「や、やめなさいってば!」
スリスリと薄い胸元に擦り寄り、口では否定しつつも抵抗しきれていない彼氏様にしめしめと思っていたのだが、不意に力を込めて握られた腕がちょうどできたてほやほやの青あざに当たり、顔をしかめてしまった。
はっ!とした彼氏様は今度は力づくで擦り寄る私を離した。
「だめ!話が先!」
「…先?」
「い、いや、だって、話をすることばかり考えてたから、心構えができてなかったっていうか、あ!もちろん考えに考えた上でのことだから覚悟も責任も心得てるんだけど、いや、そうじゃなくて…お風呂上がりで火照ってて柔らかくていい匂いして久しぶりで耐性がなくなってるみたいで、我慢できそうにないっていうか我慢したくないっていうか、もちろん!同意を得てからのつもりで!」
顔も耳も首も真っ赤に染めながら、視線を彷徨わせたり顔を隠してみたりと忙しない。
いまいち要領を得ない内容を聞くに、よくはわからないけれど、自分の考えていたことと食い違いがあるらしい。
「話って、別れ話じゃないの?」
「はあ!!?」
その後、ポカンとする私に詰め寄った彼氏様はあんまり言いたくなくて言葉を濁す私に、彼の中で何かが切り替わったようだだった。
普段二人きりの時には見せない研究者の顔を持ち出して巧みな話術で私の言葉をどんどん引き出していき、最終的に余すことなく喋らされた。
「つまり、兼ねてより問題視されていた王宮魔術師研究科の研究中の生活サイクルの乱れを改善するために、この一ヶ月の間に王命で王宮専属魔術師に待遇の改善が出され、その内容が研究費の拡大と家政婦の割り当てだと」
「はい」
「配属される家政婦が王宮で働いている選りすぐりの下級貴族のご令嬢たちで、しかも彼女らは誰の元へ行くか自ら志願することができると」
「はい」
「で、俺のところにも何人か候補が上がってると」
「はい…」
ベッドの上、膝を付き合わせて向かい合わせでの話し合いは、かれこれ1時間は経過している。
国内最高峰の魔法学校を学年をスキップして主席卒業後、王宮魔術師に任命され、魔術師なら誰もが憧れるが一握りしか採用されない研究科に配属され、どんどん功績をあげている紛れもない天才。
整った顔立ちに生える深いアメジストの色をした目。どんなにひどい食生活でも荒れない白い肌と、肩に着くくらいのツヤのある黒い髪。細身ではあるが男性の平均はある身長。
家政婦の配属先志願者数ナンバー1であるのは当然だった。
彼の元に届けられた志願書は未開封のままポストの中に大量に放り込まれていた。
「どうしてそこから別れることになるの?」
常にはない彼の責めるような視線にたじろぐ。
黙りに入ろうとする私を、しかし彼は許さない。
「…志願者数が多い時は、面接になるって」
「うん」
「……いつでも冷静沈着で魔術師団長や魔術師長さえ論破する麗しの鬼才が研究中に女性と密会してたって」
ポロリと、我慢していた涙が一雫零れる
「見たことないくらい嬉しそうな顔をしていて、まるで別人だったって」
一度崩壊した涙腺は留まることを知らないようで、溢れては流れて行く。
「ごめんね…」
無意識にびくりと肩が跳ねた。どんなことを言われても笑っていようと思っていたのに。
「酷いことをたくさん言われたんだね」
壊れものを触るかのように、ゆっくり抱きしめてくれる。
賢い彼は、先ほどの話だけで私へ向けられた悪意があることを瞬時に理解したらしい。
泣くのはずるいと知っている。
…それでも、最後ならどうか今だけは甘えさせて欲しい。
「……行き遅れの年増はやっぱり隠れ蓑だったんだって」
貧乏大家族とはまさにうちのことだった。
8人兄弟の長女として生まれて、忙しい親に変わり面倒を見たり家の家事を引き受けていた。
下の子達は孤児院の先生が無料で開いている学習会に参加できたが、私はさらに幼い兄弟の面倒と家事をしなければならず、また女であるからと私が学習会に行くことに親はいい顔をしなかった。
適当な家に嫁がせればいいと考えていたのかもしれないが、残念なことに町の男の子たちはお節介で見た目も地味な私を好んで嫁にしようとはしなかった。
なにより6つ下の妹がそれはそれは可愛らしかったので、私に構う男たちからはどうにかして妹に近づこうという魂胆が見え隠れしていて、こっちこそお断りですと、構えていた。
そんな私に、どうして魔術師様の彼氏ができたのかというと、彼は研究のための市場調査に駆り出されて町を探索していた。その最中に虫に遭遇し疲労困憊していたところを私が見つけたのがそもそもの始まりだ。
それから紆余曲折経てお付き合いすることになった。
「店に来たの?」
「…うん」
「誰だかわかる?」
「わかんない」
家紋はしっかり覚えていたし、ポストの中身を整理した時、家政婦志願書の中に同じ家紋の判が押されているものがあったのでどこのどなたかは調べればわかるのだけれど、しなかった。
誰もが思っていることなのだから、誰から言われたかなんて意味はない。
「俺のせいで辛い思いをさせたことは謝るよ。本当にごめん。
でも、君だってひどい」
頬に手を当てて顔を上げさせられる。
見上げた彼は眉を寄せていて。
…とても、辛そうだった。
「俺が別れてって言ったら別れるつもりだったの?」
「…」
「穏便にさよならしようって?だから問い詰めもしないの?」
「…」
「そんな簡単に終わらせようって?」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられて全身の青アザが痛かったけれどそれ以上に胸がチクチク傷んだ。
「だって、かないっこないもん」
細い体に腕を巻きつけて、思い切りしがみつく。
「教養もなくて空気も読めなくて見た目もつり合わないのに、家事まで私よりできる人が来るなら、どうやって対抗すればいいのかわからないよ」
目を見開いてから、本日何度目かのため息をもらう。
「独学で勉強を始めて、本も読めるし字も書けるようになったじゃないか」
「難しい言葉はわからないから、研究の手伝いもできないしそういう会話も付き合えない。字も汚いし」
「君ほどの気遣い屋もなかなかいないよ」
「纏わり付いて正しいことだと押し付けたから、悩ませたし実験で怪我もさせた」
「俺が他人に自分の領域に入られるのを好まないのは知ってるでしょ?」
「他人じゃない、いい人を見つけたんでしょ?」
自分の言葉に自分で傷つく。
これ以上惨めな顔を見られたくなくて顔に添えられていた手をどけて俯く。
しかし彼はまた顔に手をやって無理やり目を合わせてきた。
「魔法ばかりで、狭い世界しか知らなかった俺に、君がたくさんのことを教えてくれたんだよ。恵まれているとは言えない環境で、自己犠牲でも自己満足でもなくいつでも笑ってる君が眩しかった。あと、俺は君の字が好きだよ。
怪我をしたのは俺の責任だよ。君に嫌われたらと思うと、今までは何においても最優先だった実験が手につかなかった。
君だから貴重な実験資料が置いてある部屋の掃除も頼めるんだ。
研究が終わって君が部屋に来てくれるのが嬉しくて、掃除も何もかもおざなりになってるけど、家政婦なんて雇うくらいなら自分でするよ」
「じゃあ、密会は?」
「先輩の奥さん御用達の商人だよ。買いたいものがあったんだけど、どこの店がいいのかわからなくて先輩に相談して紹介してもらったんだ」
「………勘違い?」
「その通りですおバカさん」
涙の後をそっと拭われて、両頬をびよんと左右に引っ張られた。
「俺に言うことは?」
「ごめんなひゃい」
両手で頬を包んでこつんと額を押し当てられる。
「ああもう、傷ついた。いろいろ考えてたのに、思ったようになってくれないんだから」
「ご、ごめん」
「研究中も君に会いたくて仕方なかったよ」
「…?」
「君の妹さんがマリッジブルーになって結婚取りやめたでしょ?」
可愛らしいと愛でて育てられたあの子は、町でとても裕福だと有名な役人の跡取り息子と結婚が決まっていたのだが、間際になって妹が嫌だ嫌だと言い出し没になった。
家族内の雰囲気は険悪で、妹を宥め両親との取り持ちをして精神的にしんどかった時に、彼の話を聞かされたのだった。
「今回のことをきっかけに君が結婚に対して気後れし出したり、家族に遠慮しだしたり今より構い出して、俺のことなんて忘れてしまうんじゃないかと思って」
「まあ、たしかに」
「そこは否定してよ!」
合わさったままの額を額でぐりぐりされる。
こういうスキンシップはしない人だったけれど、私が抵抗なく兄弟にしていることをつい彼にもしてしまって、何度も彼を固まらせていた結果か、彼からも頻繁にじゃれてくるようになった。
彼はすぐ照れるけど。
彼はそっと私の左手を取る。
「君が俺の視界に映る位置にいないと、落ち着かないんだ。
君に字を教えるのは、魔法しかなかった俺の楽しみになったんだよ。
自分の体のことなんて二の次だったけれど、君と少しでも長生きしたいから、そばで見張って叱ってほしい。
家政婦なんていらない。
もし君が、掃除ができなくなって料理が作れなくなっても、君がいいんだ」
綺麗に片付けた部屋で君を出迎えて、俺のことを見直してもら思ってたのに。
買ってきた指輪を受け取ってもらって格好をつけて言うつもりだったのに。
真っ赤にした顔を綻ばせながら、決まらなかったなあと君は照れて、それから真剣な目をしてまっすぐに見つめてくる。
「大事な話があります。
結婚してください」
今の気持ちにぴったり当てはまる言葉が、私の頭では思いつかなくて声が出なかったけれど、賢い彼には言わなくたって伝わっただろう。
言葉もなく全身全霊でくっつく私を、笑いながら受け止めてくれる。
こんな素敵な人は、きっとどこにもいないだろう。
ただ確かなことは、この人にまだ甘えていられるということ。
その事実だけで、思ってもみないほどたくさん泣けた。
おわり。
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