第21話 俺、居候する

 2日後の朝。俺は見慣れない天井の下で目を覚ました。いつもと同じ淡い水色のパジャマを着て、いつもと同じように6時20分に起きた。

 寝心地が微妙に違う布団からすり抜けると馴染みはある廊下を通り、階段へと出る。階段にたどり着くまでに一つの部屋があるのだが、そこはまだ入ったことは無い。

 慣れた15段の階段ではなく、10段の少々少なめの階段を一段一段降りていく。10段目を降りきったところでも、まだあると思いみっともない格好になったのは秘密だ。

 そこからリビングへとつながる廊下と呼んでいいか迷うほど短い廊下を抜け、スライド式のドアを開ける。

 そこには弱った様子で料理を作る母さんの姿はなく、代わりに楽しそうな声がこぼれる家族団欒があった。

「おはようございます」

 ぎこちなく挨拶をする。

「あっ、将くん。おはよう」

 忙しそうにバタバタとしながらもにこやかな笑顔を浮かべてそう返してくれた。

「おはよー!」

 朝食の食パンを頬張りながら織葉が言う。

「将大くん。おはよう」

 渋みのある織葉父が新聞を読むのを一時中断して、顔を上げて言葉を発する。

 俺は再度「おはようございます」と返して、織葉の元へと歩いて行く。

「パンついてる」

 織葉の横に用意されたまだ真新しい椅子に腰を下ろすや、直ぐにそう言った。

 普通気づくだろ。そう思えるほどそこそこの大きさのパンの欠片だ。

「えっ、どこ?」

 抜けた表情で困ったように言う。

 これ素でやってんのか?

「ここだよ」

 そう言ってから俺は織葉の口元についていたパンの欠片を取った。

 映画とかならここでこの欠片を食べたりするんだろうが、俺にそこまでやる勇気は無い。

「ほらよ、ここ置いとくぞ」

 織葉はその映画であるようなやつをやって欲しかったのか少し恨めしそうな目でこちらを見ながら、ぶぅー、と口先を尖らせている。

 そんなやり取りをしているうちに俺の前にも織葉と同じであろう朝食が運ばれてきた。

「ごめんねー、ちょっと遅くなっちゃった」

 織葉をそのまま大きく成長させたような顔をした織葉母が忙しそうに、ほんのり焼き目のついた食パンと目玉がプルプルと震える焼きたてほやほやの目玉焼きの載ったお皿を出しながら告げた。

「ありがとうございます。いただきます」

 感謝の言葉を述べてから、両手を合わせてそう言い朝食に手をつけた。

「どう?」

「美味しいです!」

 そう答えると織葉母は嬉しそうな顔を見せて、台所へと消えていった。

「なぁ、織葉」

「何?」

 視線を交えることなく話す。

「ありがとな。その……いろいろ」

 照れくさくなり、最後まで言葉にできない。しかし、彼女である織葉にはきちんと届いたらしく、食べる手を止め、少し俯き加減で「うん」とだけ返した。


 あてがわれた物置部屋として使用していたらしい部屋に戻り、俺は制服へと着替えていた。

 ここまできて言うのもなんだが……俺はいま、竹田織葉の家に居候している。

 群青色の森中中学の指定学生ズボンに右脚から入れる。

 次に左脚を入れ、軽く跳ねて一気に腰のあたりまでズボンを引き上げる。これが俺流の穿き方だ。

 それから中学生が好んで使う『社会の窓』という愛称で親しまれるチャックをしめてホックを留める。そして黒のベルトを締める。

 そして森中中学の指定服である白色のカッターシャツに胸元の森中中の校章が書かれたカッターシャツを着る。

 右手から袖を通し、左手を通す。かけ違えないように、下から順番にボタンをとめていく。

 着替え終わった俺は筆記用具と夏休みの宿題を詰め込んだ、学校指定のリュック型カバンを片手に部屋を出た。

「将ちゃん、遅いよー」

 部屋を出たところにちょんと立っていた織葉がそう告げる。

 群青色のスカートから白く細い脚が長く伸びる。足元にはびしっと引き締まる黒色の靴下を履いている。そして襟が丸襟になっているが、それ以外は男子と同じ白色のカッターシャツを着ている。うっすらと胸のあたりに膨らみが見受けられる。

 そこにまたエロスを感じてしまう。

「何ジロジロ見てるのよー」

 右手で胸元を、左手で股のあたりを隠しながら少し頬を紅潮させながら言う。ちなみにカバンはリュックの要領で背負っている。

「べ、べ、べ、別に見てねぇーし」

 明らかに焦る俺に対して微笑み、織葉は左手を前に突き出して「いこっ!」という。

 家の中から手を繋いでいく、なんてことはさすがに出来なかったが、竹中家を出て、織葉母の見送りが終わった頃から手を繋いだ。

 別に隠してるわけじゃないが、どうにも親の前だと照れが勝ってしまう。

「ねえ、今日って式だけだよね?」

「あぁ」

 即答する。なんとも言えない気まずさがあり、織葉と話すことが躊躇われる。

「な、なんか照れるね」

 織葉も同じような胸中だったらしく、困惑顔を浮かべる。

「そうだな。家から一緒なんて初めてだもんな」

 織葉の言葉を受け、俺はほんのりと微笑を浮かべた。

 ぎこちないながらも言葉を交わしているうちに学校にはついた。

 公立森中中学校。見るからに年季の入ってそうな建物だ。元の色はおそらく白か白っぽい灰なのだろうが、今はその原形すら感じさせない限りなく黒に近い灰色にどこから生えだしたのか分からない蔦のようなものが建物を覆っていた。

 何も考えずここまで手を繋いで来ていた俺たちは案の定、クラスメイトどころか学校中から冷やかされた。

 そんなそろそろ建て替えたほうが良さそうな建物の学び舎で授業が始まった。いつもとなんらかわりのない、眠たくて仕方が無い授業だ。

 いつもと変わらないはずなのにな……。みんなにとっての日常は俺にとっては日常じゃない。日常は人それぞれなんだ。

 この時俺は始めて日常ということを知った。

 皆揃って同じだと思っていた、平和な日のことだと思っていた日常は、脆くすぐに崩壊していくものなんだと。

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