第95話 虐待と毒親は違う

ここ1年〜2年、毒親という言葉が一般に知れ渡ってきた。

そうすると、毒親と虐待を混同する人が出てきた。


虐待と毒親は違う。


これ、虐待されて育った人も

毒親に育てられた人も


お互いに『一緒にしないでほしい』と思っているのでは無いだろうか?


虐待されて育った人からすると

毒親に育てられた人は、暴力の恐怖に怯える事も

痛みに苦しめられる事も無かったどころか


方向性が間違っていようと親は子どもを愛そうとしてくれたんでしょ?

命の危険が無かったのに贅沢言ってるよ。



そう思うのでは無いだろうから?


そして、毒親に育てられた人は

暴力は振るわれなかったけれど、気が触れたような態度の親に

従うしか無かった事や

それによって、気が付かないうちに洗脳されていた事による

色んな後遺症がある。


虐待と違って辛いのは、世間からは良い親だと思われて

親の悪口なんて言おうものなら

どんなに家の中で酷い目ににあっていても

こっちが親不孝な子どもという事にされてしまう

こっちは世間には分かってもらえないけど

虐待は世間が味方になってくれるのでは?



という具合に、お互いに自分たちの辛さと相手の辛さが違うのが分かっていながら


「でもそっちの方がマシでしょ」


となる。

親によって苦しめられたという事は同じだが

当事者たちは一緒にされるのは心外なのでは無いだろうか。

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