第62話

 現在、校長のスタックは約一二〇〇〇ドル。ポーカー部の合計は約一八〇〇〇ドル。僕らの方が有利ではあるが、僕らが勝ったのはつまるところあの第六ハンドだけだ。それ以外は負け続けで、精神的にはむしろ追い込まれていると言っていい。


 「はい食べて! はい飲んで! 水分と糖分の補給!」


 わずか五分の休憩だ。部室に戻っている時間はない。講堂の隣の音楽室で、バッハやショパンに睨まれながら、城市先生が差し入れてくれたスポーツドリンクとチョコレートを、僕らは口に押し込んだ。


 「キッツいな、何だあのバカヅキ野郎」ペットボトルを握りしめて、和尚が毒づいた。雨は今は小康状態で、雷鳴も収まり、会話に支障はない。


 「言っちゃダメだよ、それだったら僕は何なん、ていう」僕も喉にスポドリを流し込んだ。講堂は暑く、汗をだいぶかいた気がする。「相手のツキにいらだてるのは、こっちがいいプレイをしているからだ。そうじゃない?」


 「冷静だな、友納」飛鳥さんは、濡れタオルを目に当てている。「こういうときは、やっぱ男の方が肝っ玉太いのかねぇ……」あまり関係ない精神論を、なぜだかぼそりと口走った。


 「校長は、命を賭けた勝負をしている、そのはずなのだろう」竜崎先輩が腕を組んでうなった。「しかし、まったく伝わってこん。楽しんですらいるようだ。あれが魔王の貫禄か」


 「……違うと思うわ」城市先生が手を止めて、ぽつりと言った。「私に教育を教えてくれた先生の先生はね、教師はいつも、いちばん劣った人間になる覚悟をしなさいと言っていた。だって、すべての知識を授けたら、その生徒は教師より優秀な人間になるわけでしょう? 人を育てるって、そういうこと」含蓄のあることを言っている。まるで先生みたいだ。……先生か。「でも、その覚悟がない教師は残念ながら多いわ。優越感を得たいから。劣ったものを見下したいから。子供相手ならそうできるから。そういう人……」


 「じゃあ何、つまり今の校長って、ガキをいたぶる優越感が、命を賭ける恐怖に勝っちまってるってワケ? それでバクチに勝てて人生もうまく回るんなら、見方を変えれば大物の美談ってことになっちゃわね? ヤな話……」和尚が大きく息をつきながら言った。今度はチョコバーを囓りながら。「でもそりゃ、魔王つーよりは、欲の皮突っ張った小悪党が成り上がる話だろうよ」


 「そういう大人は、嫌だね。なりたくないね……」また他人事のように、飛鳥さんがつぶやいた。


 「小悪党の所業と言えば、校長のあれは許されるのですか」おや、射水さんが丁寧語だ。さすがに今はアサルトライフルは持ってなくて、チョコレート配りに参加している。「ほら、自分の手元に全部チップを集めていたでしょう。卑怯だと思うのですが」


 「まぁ、全員個人プレイが前提のオンライントーナメントでやったら、即刻BANされかねないのは確かだよ」これは僕。「でも、今回はチーム戦だって最初から言ってたんだし、テーブル上で命令したわけじゃないしね。想定しなかったこっちが悪い。少なくとも、今さらとがめだてする方が卑怯だね」


 「まったくさぁ、よくもあれだけ、きちっと作戦どおり動けたもんだよなぁ、あの脳味噌なさそうな連中が」和尚が茶化し、「それは言いすぎ―――」と、さすがに城市先生が止めに入って、あははと笑いが広がりそうだった、そのとき―――。


 「ねぇ」


 今まで黙っていた桐原さんの、思い詰めた声。視線が一気に彼女に集中した。


 「あたしたちも、チップをさくらちゃんに集めた方がいいんじゃないかな」彼女が切々と言った言葉は、みなをシビアな勝負事の空間に引き戻した。「少なくともあたし個人では、あの校長には勝てないと思う。だったら、誰かに託した方が」


 今は敵が校長ひとりになった。校長がフォールドしているタイミングなら、僕らも自由にチップのやりとりができる。実際、僕は飛鳥さんにもういくらか融通したわけで。


 「待て、桐原」


 やはりこれまで黙っていた勇が、桐原さんを遮った。―――それから、飛鳥さんに向き直った。


 「飛鳥。そんなに手が来ないのか」


 勇も気づいていたようだ。飛鳥さんには、そもそも勝負に参加できる手札が来ておらず、ハンドメイクに苦しんでいることに。


 「……あぁ、来ないね」


 「戦えないのか」


 「それは、なんとも」


 「戦えないなら、校長とは俺がやる。おまえのチップ、全部俺によこせ」


 勇ははっきりと言葉をぶつけた。飛鳥さんも顔に乗せたタオルをのけて、勇とにらみ合うかたちになる。


 「この勝負は、俺のしでかしたことの始末でもあるんだ」オークキングを殴ったことを言っているのだろう。「俺がケリをつける。俺にチップを集めてくれ」


 これまで魔王対魔王で盛り上げてきたけれど、本来魔王を倒すのは勇者の仕事だ。彼が前に出ようとする気持ちは、なんとなくわかる。


 にらみ合いながらも、飛鳥さんは返答に窮していた。


 「それは……」


 「返事はいらん」勇は言った。「だが今後、俺はおまえとは共闘しない。もしおまえ自身で戦う意志があるのなら、俺とも戦え。そして、俺のチップを全部奪い取れ。それが俺たちのやり方だ、そう思うのだ」


 「わかった。あたしもそうする」桐原さんも応じた。「さくらちゃん、あたしとも戦って、勝って」


 「ケンカはダメよ、ケンカは?」ぴりっとした空気になって、城市先生がおろおろしている。


 「ケンカじゃないよ、立派な作戦会議だよ、センセ」和尚が言った。「俺は関与しねぇぞ。内にこもるのは趣味じゃない。俺はむしろ攻めて校長にショーダウンさせてみる。あいつのハンドの傾向がつかめりゃ、戦いやすいだろ―――その代わり、俺のチップは全部校長に行くと思ってくれ」


 「わかった。その犠牲、決して無駄にはしない」勇が力強く言った。そして次に、僕に向き直った。


 「友納、おまえはどうする?」


 みなの視線が、今度はいっせいに僕に集中した。


 「僕は―――」さぁ、どうしよう。僕にはチップが十分あるし、やれることもやり方も、いろいろ選べそうな気はする。これから、どう行動すべきか―――。


 ハッキリ答えを出す前に、「時間だ」大宅が呼びに来て、僕らは再び講堂へと移動した。

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