第44話

 思いつきとは、要するに、こうだ。


 「飛鳥さん―――今、飛鳥さんがブチ殺してこっちに引っ張り込めそうな勇者って、どれくらいいる?」



 帰り道。どちらが言うともなく、僕と飛鳥さんとふたり並んで通用門を抜けていた。


 今日は朝から雨だったから、僕も徒歩で来ている。そして、走れば家から数分の飛鳥さんは、雨足が弱ければ傘を持ってこない。


 雨の勢いがちょうど増していて、僕は自分の傘を彼女に差し掛けた。相合傘―――と、世間では言うのかもしれないが、臣下としては当然の振る舞いだろう。


 「いいよ、そんなのしなくて……」


 人の目もある場所だしいやがるかと思ったら、その言葉以上の拒絶はなかった。まだ敗北感が心の内にあるようで、飛鳥さんは唇を引き結んで、むしろ僕に体を寄せて、黙々と歩いた。


 逆の肩を濡らしながら、しばらく併せて歩いた。そのしょげ返った後ろ姿に、僕は先の言葉を投げかけたわけだ。


 「ブチ殺す、って……自業自得かもしれんが、もう少しマシな言い方、ないか?」


 顔を上げた飛鳥さんの口元は、少し緩んでいた。アンニュイが多少なりとも晴れたようで、幸いだ。


 「いいから。……その中に、交渉ごとにけたのはいないかな」


 「交渉して何とかなる相手か? 奴は権力で押しつぶすんだぞ」


 「わからない。でも、腕力はなおさら通じないよ。ここで引き下がらないと決めたからには、使える手札を揃えるべきだ」


 飛鳥さんは腕を組んでうーんとうなって、「いなくはない。殴り合いや撃ち合いだけが解決でない奴なら、確かあの世界に……」歯切れ悪く答えた。「けど、あいつは……気が進まない」


 「なんで?」


 「あの世界の場合はな……いわゆる、世界線の分岐、てのがあんだよ」


 「つまり?」


 「つまり……魔王と戦わないルートがあってさ。奴はそれを選択しつつある。深追いはあたしの趣味じゃない」


 「趣味をどうこう言える状況?」僕があきれ気味に言うと、飛鳥さんは普通に困った顔をした。


 友人に問題が生じている、解決策はあるけれど選択すると別の問題が生じるとわかっている。だから彼女は困っている。ごく普通に、人間関係に悩んでいる。そういう表情。


 道路の凹凸でできた小さな水たまりに踏み込んでしまって、ぱしゃぱしゃと水しぶきが立ったけれど、飛鳥さんはまるで気づかなかった。


 「それだけじゃない、趣味だけの話じゃなくってさ! なんて言うか……ほら、勇者を確実にあたしの身近に呼び込むには、あんたもいなくちゃダメじゃん? で、あんたをあんまり連れていきたくない理由があんだよね、あの世界には……でも、どうこう言ってられない、か」


 飛鳥さんは、不承不承のていで何度か小さく頷くと、僕に指図した。


 「わかった、召喚があったら呼ぶから、待機しててくれ」


 「待機で、大丈夫なの?」


 「異世界の時間感覚が違うのは知ってるだろ。あの世界は、召喚されて二、三〇分経ってから行っても問題ないよ」


 駅前を過ぎ、飛鳥さんは自宅のあるマンションへ入っていった。後ろ姿にさよならの手を振ると、飛鳥さんは、照れくさそうに小さく手を振って応えてくれた。




 翌日。勇と桐原さんの停学二日目。雨はやんで、薄日が差していた。


 飛鳥さんは頻繁に教室から姿を消した。くだんの世界に対して積極的に行動し、ルートを誘導しているのだそうだ。クリスタデルタもそうだったけど、魔王といっても、最後に一回登場すればいいわけではないのだ。


 部活はしなかった。着信音が鳴ったのは、夕暮れ時、僕が自宅に帰った後だった。連絡がありそうな気がして、僕は家に帰っても風呂にも入らず、目立たぬ私服に着替え、自室の六畳間でスマホを前に正座して待っていた。


 「今、召喚があった。来い、友納」


 飛鳥さんは開口一番、いつもの強気な命令口調で言った。……周囲が静かだから、彼女も自室からかけているのだろう。彼女の存在以外は何もない、あの色のない部屋。


 「例の、交渉に長けた勇者の世界? ラストバトルになる?」


 「おそらく。あいつがやっと、あたしが悪の元凶だと気づいたからな。気づかせるのに苦労した」


 「わかった。すぐ行くよ。どこで落ち合う?」


 「いま親いないからちょうどいいよ、ウチくる?」飛鳥さんはサラリと言った。……あんまりサラリと言われたものだから、僕のほうが驚いて二の句が継げなくなった。「エントランスで部屋番号入力してくれたら、こっちで開けるから……どしたん、友納?」


 「飛鳥さん―――、自分がものすごいこと言った、って自覚してる?」


 「え? ……あっ!」たった今、自覚したらしい。電話の向こう側で、表情も呼気も、およそ色が一変しているとうかがえた。「ち、ち、違うから! 誘ってるとか、そういうんじゃないから! いや、あれ、誘ってるっちゃあ誘ってんのか、その、とにかく、さっさと来い、友納!」


 「だから、家まで行っちゃって、いいの?」


 「いやダメ、でも、あれ? えぇっと、その、あ、そうだ、ウチの近所、綱島街道のさ、でかい店あんじゃん、あそこ! あの屋上!」


 わたわた焦る飛鳥さんというのが妙におかしくて、なんだか電話を切りたくないな。


 「まだ開いてる? 屋上って、閉店よりかなり前に閉まっちゃうよね?」


 「夏は営業時間伸びるんだよっ。七時までは開いてるから!」


 「子供向けの場所だよね? 以前、日曜に行った時は、小さい子で足の踏み場もないくらいだったよ?」


 「そりゃ日曜はそうだよ、大きい店はそんなもんだろ! 平日のこの時間なら、人いないから! ……いいから、来いってば!」


 「わかった。一五、六分で着くよ」


 何やらボフっとノイズが入って、それから「切ってない切ってない」と小さくつぶやく声とガサゴソ音がして、その後、通話は切れた。枕か何かに、思わず投げつけたものとみえる。


 携帯もスマホもなかった黒電話の時代には、「受話器を叩きつける」という表現が普通にあって、それは実際、殺人の凶器になりうる硬度だったそうだ。僕らは幸福な時代に産まれてきたものだと思う。

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