第45話

 近隣住民に待ち望まれて新たに建ったショッピングセンターは、日々賑わっているが、平日の夕方ともなると食品売り場以外に人はまばらだ。


 屋上に上がると、のしかかるようにそびえ立つマンションに取り囲まれた。上ってきたはずなのに、突き落とされてたどり着いたような錯覚がある。今日は薄曇りで暗いし、遮音壁や空調の排気設備にも囲まれて、あまり印象は良くない。


 むろん展望台や観覧車はない。ゲームセンターや着ぐるみショーの案内も見当たらぬ。子供のためにと開放されたスペースには、自然素材で作られた、ぶつかってもケガをしない加工で危険を減らした遊具がところ狭しと並んでいる。そして、それでも危険を警告してあれこれ禁じる注意書きの看板が、それらよりも多く突き立っている。


 六月の夕方、六時を過ぎてもまだ日暮れには遠い。けれど、そういうところで行儀よく遊ぶ子供らには、もう夕ごはんの時間だろう。飛鳥さんの言葉どおり、黄昏時に人はほとんどいなかった。


 ―――いや、訂正だ。他に誰もいない。僕が上がったタイミングで、わずかに残っていた親子も潮が引くように去ってしまい、屋上には誰もいなくなった。不自然なほどに静かだった。これだけ静かで、子供らもいないのが普通なら、むしろ南高生の逢引スポットとして知られていてもよさそうなものだが。


 隅のあずまやで、飛鳥さんはすでに待っていた。そこには自然の風がすぅっと涼しく吹き抜け、思ったよりも心地がよかった。ベンチに腰掛けると、別世界に入り込んだような気がした。


 「おまたせ」


 「まったくだ」


 飛鳥さんのすぐ隣に腰を落とすと、「近いよ」そう言って彼女は少し距離を取った。


 周囲に誰も人がいない、隅っこのベンチ。飛鳥さんは、なんだか居住まいが悪そうにしている。


 「誰もいないね」


 「こ、ここまで人いないってのもどうなんかな?」


 「召喚されるの見られちゃ困るんだから、都合がいいんじゃない?」


 「それはそうなんだけどさ、ほら、せっかくできた店だから、潰れても困るし」


 飛鳥さんの外出着を見たのは初めてだ。大きいとはいえ徒歩五分圏内にある店だ、彼女の性格からして、またジャージ姿でもおかしくないかなと思っていたが、想像と違いほんの少しおしゃれで、白のランニングウェアにハーフパンツというジョガーのスタイルだった。


 彼女は体育会系ではないが、「あいつら」に文句を言わせない体型と体育の成績を維持するため、日々トレーニングを欠かさない。マンションの向かいにスポーツクラブがあって、そこの会員だそうだ。


 味気なく地味にみえて、明らかに綿一〇〇%でない生地にエンボスで浮かび上がる見たことのないロゴマークは、イオンやユニクロには置いてない、凡人には無縁のブランドに違いなかった。


 ハーフパンツの下のハイソックス。座ると微妙に丈が上がって、見える素足。ツルンとした膝。


 実際に少し走ってきたのか、シャツには微かに汗がにじみ、熱気がまとわりついていた。もう夕方で、晴れてもいないのに、サンバイザー。あぁそうか、日除け目的ではなくて、彼女の白髪を帽子っぽく見せる知恵なんだ。なるほど。


 唇に少し違和感―――リップグロス?


 「なんかカワイイ格好してるね」


 「はぁ? どこが! 見てのとおりだよ、走るカッコしてきたんだ」


 「ジョギングしてて休憩中に偶然友達に会いました、みたいな?」


 「そう!」


 「それでこの屋上? 不自然だよ。そんなストーリー、作らなくてもいいのに」


 「うるさいな。あたしがそうしたい気分だったの!」


 たぶん今からの異世界転移は、現実では十秒もあれば終わってしまう。歩いて五分、出会って十秒、それからまた五分で家路につく。そんな短時間のために飛鳥さんは、「そうしたい気分」になったわけだ。ふーむ。


 辺りを見渡す。広い屋上の隅っこのベンチに、ふたりきり。


 「まあどう見ても、イチャつける穴場を見つけたカップルってとこだよね」


 「な、おま、この……、ズバッと言うなよ!」


 さすがに頭をはたかれた。飛鳥さんの顔は照れて真っ赤だった。彼女は色白だから、赤面するとはっきり顔に出る。もしかすると白髪よりもその赤面が、恥ずかしさを増幅して人を遠ざけたいと思わせる難物なのだとすれば、―――「赤面しなくていい人生」が、彼女の行動原理のひとつであるのかもしれない。


 「いいから、とっとと行くぞ!」


 はたいた手が、照れ隠しのままに僕の手を握る。


 次の瞬間、僕らは新たな世界へ転移していた。

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