二〇三九年七月二十七日 一五時五〇分
沖縄県島尻郡座間味村阿嘉
3
その日の午後はさながら教室での座学のようだった。
俺とマレスの二人は市ケ谷地区との通信コンソールの前に座り、画面の向こう側のクレアと共にM6―RQのスペックを復習していた。
大田大佐を排除するつもりは、少なくとも俺にはない。だが大田大佐が何を考えているのか判らない以上万全の準備をしておく必要があった。
何がなんでも大佐を救いたい。
どうやったら即時破壊命令に背くことなく即時破壊を成せるのか。
どこを破壊すれば、大佐を殺すことなく無力化できるのか。
知っておくべき事柄は山のようにあった。
――出発する前にも簡単に説明しましたが、M6シリーズはこれまでの義体とは一線を画する義体なんです
余った椅子の上に載せた3D
――米国の最新義体、XMS―11もM6の設計を踏襲しています。そういう意味でもジェームス・アルバス大佐が提唱し実践したM6の設計思想は画期的だったと言っていいでしょう
まるでドキュメンタリー番組のナレーターのようにクレアが言う。
――特に注目するべきは生体脳の体内配置です
クレアはホロ・スフィアの中で義体の胸部を拡大した。
――大田大佐の生体脳はM6の胸部、人間だったら胃がある辺りにあります
「そんなところにあって大丈夫なの?」
――物理学的には理想的な配置です。身体が重心を中心にして回転すると考えた場合、モーメントアームの端に脳があることはとても不合理なんです
「なんか身体の感覚が狂っちゃいそう」
機械体操の経験があるだけに、マレスのコメントは身体感覚に直結している。
――ならば聞きますがマレス、あなたは自分の脳がどこにあるか意識したことはありますか? たとえばあなたはタンブリングするときに脳の位置を意識しますか?
クレアはモニターの向こうで微笑みを浮かべると、マレスに
「え?」
マレスが一瞬考え込む。
「うーん、ないかも」
――じゃあ、あなたの心はどこにありますか?
クレアがさらに突拍子もない質問をする。
「うーん……、ここ、かな?」
マレスが細い親指で胸の中心を指差す。
――マレス、そこにあなたの脳はありませんよ。心は思考の写像なのですから、本来であればあなたは自分の頭を指差すべきなんです。あなたの脳が頭にあると思うのはあくまで知識です。あなたはどこに脳があるかを意識していませんし、あなたが自らそれを知ることも出来ません。であれば……脳がどこにあってもいいとは思いませんか?
「うーん……わかったような、判らないような……」
マレスが曖昧な表情をする。
――まあ、そこはあまり考えなくても問題はありません。気にしなければならないのは今まで人体の構造に囚われすぎて不合理な事をしていた義体設計を一から見直し、設計段階から生体組織を工学的に正しい位置に再配置したのがM6だという点です。従って、弱点の位置が人体とは違うんです
クレアはM6義体の胸部を拡大した。
――この中心部の丸い部分が生体脳キャスク、隣の二つのユニットが生体肝臓モジュールと膵臓機能を司るランゲルハンス島モジュールです。生体脳キャスクは深海探査船の船殻素材と同じ強化チタン合金で構成され、単分子炭素繊維で強化されています。これを破壊するのは非常に困難だと考えてください
「おいおい、じゃあどうすればいいんだ?」
俺はクレアに尋ねた。
「そんなものは破壊できんぞ。それじゃあお手上げだ」
――脳は非常に脆弱な組織です。多少時間はかかるかもしれませんが、栄養不足、ないしは酸素不足に陥れば機能は比較的速やかに停止します。ですから、本体を破壊しなくても周りを破壊できれば問題はありません
クレアは破壊対象を赤くハイライトしてみせた。
――最大の弱点はここ、循環器制御系です
生体脳キャスクの直下、体幹奥深くの小さなモジュールが赤く点滅する。
――この前面には生体肝臓モジュールとランゲルハンス島モジュールがあります。このうしろには循環系ポンプもありますので、この一帯を破壊できればM6は比較的速やかに死に至ります。攻撃は背後からのほうがより有効です。M6には外骨格のみで背骨や肋骨がありません。背面装甲を貫徹できればすぐに生体組織に侵襲できるはずです
「わかった」
――ただし、
クレアはモニターの中で細い人差し指を立てた。
――M6にもバーサーカーモードがあることを忘れないで。ですから、モード発動前に倒して下さい
バーサーカーモード。嫌な言葉だった。
バーサーカーとは北欧神話における狂戦士のことだ。熊の毛皮をまとった野獣のような北欧神話の戦士は戦争に際しては異常興奮状態となり敵味方構わず殺戮を行ったという。
クレアの言うバーサーカーモードとは致死的なダメージを被った義体が身体保護を目的に実施する緊急回避行動の事だ。
敵味方構わず蹂躙し、とにかく基地あるいは
この機能は米軍のサイボーグに特有のものであり、またそれが故に米国製の義体は恐れられていた。
サイボーグがバーサークしたために味方に被害が及んだという事例は未だないが、敵として対峙した場合にはその限りではない。サイボーグが暴走した結果、戦線が破綻して戦場が殺戮の修羅場と化したケースも一つではない。暴走するサイボーグに勝つ自信は俺にもなかった。
――循環器系を破壊する前に循環器制御系を破壊することが非常に重要です。制御系が先に破壊されれば、その後循環器系が破壊されてもバーサーカーモードは発動しません。ないしはまとめて全部破壊できるのであれば、それはそれでも構いません
「簡単に言うけどなクレア、そりゃあ無茶だ」
俺はクレアに言った。
「サイボーグの循環器系を制御系もろとも破壊しろって、それには強装徹甲弾を装填した
――和彦、ガトリングガンを銃架なしで撃つのはおそらく人類には不可能ですよ。反動で飛んでいってしまいます
「じゃあ、他の方法を教えてくれ」
――今M6の
「ああ、頼む」
世の中には出来る事と出来ない事がある。
クレアが言っていることはどう考えても出来ない側の方に思えた。
「ねえ、クレア姉さま?」
ふと、それまで考え込んでいたマレスが口を開いた。
「帰還するべき基地がないサイボーグの場合、バーサーカーモードが起動したとして、その人はどこに帰るんですか?」
――マレス、それはいい質問ですね
クレアがモニターの向こうで考え込む。
――そうですね、どこに帰るのでしょう。特に大田大佐の場合、どこに帰るのかは調べる必要がありそうです
その時、俺はドアがノックされる音を聞いた。三回のノック。
瞬時にマレスのスイッチが入る。
顔立ちがいつものほわんとした少女から手練の戦士のそれへと変わる。
大きな瞳が半目に据わり、そこに凶暴な光が宿る。
もう三度ノック。
『いるかね?』
やや掠れた声。
戦闘モードに入ったマレスが音を立てずに立ち上がる。
マレスは椅子の背にかけていたいつものトートバッグから静かにXMP34を取り出すと、ドアの影に立った。
無言のままアイコンタクト。
〈敵?〉
左手で右手を覆うような仕草をしてから、両手で握り直したXMP34を顔の横に添える。
俺は広げた手のひらをマレスに向け、左右に振った。
〈不明〉
俺はテーブルに置いてあったベレッタを背中に押し込むと、わざと音を立てて椅子を引いた。
ドアに近づきながら開いた右手の手のひらを下げ、次いで頭の上で振る。
〈隠れていろ〉〈カバーしてくれ〉
マレスが人差し指と親指でOKサインを作る。
「どなた?」
わざと明るい声でドアの外に声をかける。
ドアの反対側に立ち、右手でドアのノブを掴む。
『和彦、私だ。大田だ。開けてくれんか』
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