2.5 空虚な弱者

 金属を力いっぱい叩いたような甲高い音が、着地の衝撃で頭を揺さぶられたから聞こえてきた轟音だと知ったのは、痛む頭に右の手の平を添えながら起き上がった時の事だった。

 太古の力を全身に込めていた筈だが、鈍重な体は鈍い痛みをウトゥピアへと伝える。体の末端から節々まで満遍なく熱を持っているから、一刻も早く周囲の状況を確認したい彼女にとって、心底足手まといだ。

 焦点の定まらない視界が、徐々に正常な状態へとシフトし始める。キリキリと鋭く痛む頭に顔を渋くしつつも、彼女は一言も発する事無く、すぐさまに周囲の状況を確かめる為、右へ左へと、ゆっくり頭を動かした。

 冷たい風に、冷たい砂粒が、滔々と周囲を流れる。そんな空間は、彼女が初めに抱いた退屈なもので、何一つとして変わったことはない。遠方に光る紫は景色の中で遊び、空に浮かぶ星々は、ひたすらにちらついていた。唯一彼女が納得できなかった事といえば、少し離れた地面が、一瞬ばかり砂を巻き上げた事だけ。

 間断設けず、炯々たる二つの闇が、砂を巻き上げながらふわりと浮き上がって、ウトゥピアへと向いた。

 それは、未だに命を宿している、獣の瞳だった。

 尋常でなく、しぶとい。大地を蹂躙する獣は、体が大きいという点を除いても、単純に、生命力が強すぎる。眉間に向けて全速力で放った力の塊は、血肉を持つ者であれば、いとも容易く穿った筈だ。だが獣は、致命傷となりうるであろう鋭利な力の塊を頭部で受け止めて、尚も立ち上がるのだ。

――――――。

 声にならない唸りが大地に逃げ去って、冷たい空気に溶け込んだ。巨大な獣は、自らを支えるに相応しい凶悪な四肢を、ウトゥピアへと向ける。一本一本の足が、意志を宿しているかの如く殺気を放って、彼女の心を抑圧した。そんな獣の毛が、吹き荒ぶ乾燥した空気を受けて逆立った。

 しかし変化は、それだけにとどまらない。

 空に向かって立ち上がる獣の剛毛が、ゆっくりと、紫の陽炎を生み出す。揺らめく紫は、周囲の景色を忌まわしい色に染めつつ歪めて、徐々に強まってゆく。獣が纏う光は、紛れもない、腐敗の象徴だった。

 驚愕を噛みしめるウトゥピアは、獣の正体に一歩近づく。どうやら、眼前で圧倒的な光景を作り上げている獣は、高濃度の腐敗を身に宿した、泉そのものであったらしい。警報を鳴らし続けていた装置がいつになく騒がしかった事からも、納得できる。

 腐敗の泉は、人を死に追いやる。そして、腐敗の泉たる獣が、明確にウトゥピアを殺す意志をもって、目の前に揺蕩っている。それはウトゥピアに、退屈で冷淡な大地の掟をくっきりと浮かび上がらせた。

 殺すか。あるいは、殺されるか。

 そこに、逃げるという選択肢はない。圧倒的な破壊力と速度を併せ持った巨大な獣から逃れるなど、いくら力を持った人間であれど、できない。大地には、大地のルールがあるのだ。それに最も恵まれている獣に背を向ければ、あっという間に呑み込まれる。

 ウトゥピアは、下手に慌てた素振りを見せないように、ゆっくりと、再び全身へ力を巡らせる。

 彼女の内包した、最高峰の力の塊。

 それは、体を守ってくれるかわからない。頑強で獰猛な獣の生命に終止符を打つ事ができるかも、わからない。しかし、彼女はやらねばならない。人類の揺りかごを背負う者が、みすみす餌になる訳には、いかないのだ。

 煌めく星々を背に浮かぶ、空の庭。彼女は見上げてから、「フッ」と息を吐き捨てて、聳える巨体へと頭を向け、光の奥底にある瞳を見据える。

 紫に発光する凶悪な獣に、接近する必要はない。獣の得物は、素早く繰り出される爪と、凶悪な牙のみなのだ。故に彼女がとった行動は、たったの一つ。両の腕を持ち上げて、炯々とウトゥピアを睨む二つの闇の中心へ手のひらを向けて、力を込めた。

 先に放った一発よりも、更に強く。更に鋭く。そして、更に重く。先ほどと違って、ただ立っている状態であるから、破壊という一点に力を集中することが、彼女にはできる――。

 冷たい風が、肩を撫ぜ、力を飽和させたウトゥピアの腕を撫ぜ、指の合間を縫って、獣の方へと絶え間なく流れる。弄ばれた頭髪が暴れて、ウトゥピアの首をくすぐった。

 そして、自由奔放に振る舞っていた風が、一瞬だけ、止まった。刹那、彼女は腕に極限までため込んだ全てを、一本の線のように細い凶器へと変えて、解き放つ。

 極めて短い爆発音が、手のひらを中心に発生して、四方へと走り去る。同時に発生した強烈な衝撃は、冷淡で退屈な大地と冷えた大気を全てひっくるめて巻き上げ、叩きつけ、ウトゥピアの後方へと豪速で吹き飛ばした。

 獣の急所を喰らう、致命の一撃。わざわざ眉間に放つ必要がない程に圧倒的な破壊力を包含したそれは、一直線に、獣の前へとせり出る。着弾の数舜前に、炯々たる闇が、ユラリと、左へ流れた。

 あたかも小さく動いたかのように見えたが、巨大故に、獣が動かした頭は、棒状の塊からかなり大きくそれる。だが、力の塊の速度に、まだまだ劣る。

 鋭利で豪速の力は、ウトゥピアから見て右側――左頭部の、丁度耳に当たる部分へ食らいつき、紫色の光を散らせた。粉砕された耳が、円形の衝撃を受けて空中で霧散し、着弾の衝撃を物語る。次の瞬間、えぐり取った部分から、噴出する血液の如き腐敗の塊が、天高くへ噴き出した。獣は大きい体を左右に揺さぶって、痛みに悶えている様子である。


 大地の掟は、温和でも冷徹でもない。純然と、ただそこに存在するだけである。その単一性たるや、ウトゥピアが住むの混じりけなき純白の塔よりも、遥かに淡白。あらゆる生命や物質を、巨大な腹の中で飼っているだけなのだ。だから、小さき者が、巨大な者を打ち破る事でさえ、十二分にあり得るし、許される。

 ウトゥピアは、自らの命の為に、悶える獣を仕留める為の準備を、既に終えていた。

 もう、外さない。

 獣に向けて伸ばした腕に力を込める。力は、大きく開いた手のひらの中心へと集まって、再び棒状の力の塊を生み出す。実証された破壊力は、信頼に足る。十分な要素がそろっているから、ウトゥピアが迷う事はなかった。

 しかし。

 飽和した力を開放する寸前に、紫色の光を噴出する獣の目が、僅かに煌めく。その動きは、明らかに今までのものと違って、不穏の二文字を呈している。だからウトゥピアは慎重になって、数舜ばかり、力の解放を停滞させた。その、たった僅かばかりの停滞が、ウトゥピアを後手に回らせる。

 片や、破壊や殺戮に適した獣と、片や、天空に浮かぶ人類の楽園で、別格として育てられてきた、人間。端から、命の削りあいに適している方がどちらであるかなど、言うまでもない。故に、ウトゥピアが後手に回ることは、不利に不利を上塗る行為と同義である。

 獣が、紫を強めた。そして獣は、流麗たる動きで宙へと舞い上がり、そのてっぺんで、星の光を背景に、輝いた。直後に、獣の体から、無数の棘として放たれる紫色の光が、ウトゥピアの視界を一杯まで埋め尽くして、彼女の行動を制する。全てを回避する事は、絶対に不可能だと、彼女は確信する。なぜならウトゥピアの視界は、何の冗談でもなく、紫一色に染め上げられてしまったのだから。そこに人が滑り込める隙間など、当然存在しなかった。

 致命的な状況。誰が見ても絶体絶命で、どうしようもない、窮地。そんな状況になってしまったが、人類で最も優秀である彼女を絶望に追いやるには、まだまだ足りない。紫の到達まで、厳しい猶予であるが、時間が全くない訳でもない。であるからウトゥピアは、棒状の力の塊を即座に霧散させて、腕に飽和した力を、自らの保護に回すべく、目の前に盾を生成する。

 紫は、迫る。

 ウトゥピアは、生成した盾の厚みを増すために、更に力を込める。それに応じた盾は、仄かに発光して、白色となった。

 紫は、盾を挟んですぐ目の前まで来た。

 残る数舜、着弾に備えて、身を低くし、盾にすべてをかける。イリオスで祈りを捧げる人など、物珍しく、ごく少数が存在するだけであるが、彼らの気持ちが、今でこそわかる。

 そして、風が止まった。音も止まった。

 代わりに、衝撃と、目を潰す勢いの、光の渦が、ウトゥピアと、周囲の景色を丸ごと包み込んだ。

 獣の放った無数の棘の一粒ずつに、十二分の破壊力が包含されている事を、彼女は盾越しからでもはっきりと理解した。一発が着弾する度に、盾が人一人分ほど押されて、ウトゥピアをじりじりと追い詰める。唯一の幸いと言えば、何もない腐敗した大地だから、一歩も引けない状況には陥らない、という事だけだろう。だが、当然安堵などない。良く滑る砂の地面は、盾が主を守りつつせり下がる事で、ウトゥピアの後退をひたすらに支援する。


 降り注ぐ猛攻は、終わらない。そんな中、ウトゥピアは、ピキっという音を聞いた。連続した攻撃を防ぎ続ける事で、盾がヒビを生み出した音だった。

 ヒビが広がる。

 隙間から、仄かな光を漏らして、拡大してゆく。

 やがて盾は、砕けた。




 純白の盾が完全に粉砕され、ウトゥピアはその身を凶器の前へと晒す。垣間見たのは、紫色の光と、その合間から見える、星。

 体を隙間に無理やりねじ込めば、避ける可能性は残されていたのだろうが、ウトゥピアには、その余裕も、体力もない。全身全霊をかけた防壁を破られてしまったのだ、彼女にできる事など、力なく腕を持ち上げて、自らの体を守る程度だった。

 人間一人程度の大きさがある鋭い一撃が、ウトゥピアの掲げた右下腕に食らいつく。想像以上の質量を持ったそれは、彼女の体を吹き飛ばし、きりもみ状態で大地を滑らせた。

 ようやく体が止まった頃には、ウトゥピアは起き上がる事すらままならず、全身で鈍痛を味わう。常に殴りつけられているかのような鈍痛は、彼女の全身に、力が入る事を遮断しているかの如く、しつこいものだった。

 砂にめり込んだ頭を、ようやく持ち上げて、彼女は周囲を見渡そうとした。が、その必要はないと知る。

 丁度彼女の目線上には、自身が吹き飛んだ際にできた一方向の砂模様と、その線の上に乗っかるようにしてはばかる、紫色の光。

 獣だ。

 凶悪な四肢を大地に押し付けて、獣はゆっくりとウトゥピアへ迫る。歩まれる度に、彼女の全身から、鈍い痛みが抜けてゆき、腕の辺りでキリキリと疼く、鋭い痛みが輪郭を浮き彫りにする。諦めて、自身の右腕を見てみれば、獣の一撃を防いだ細いそれは、湿った深紅に染まり、砂をこびり付けていた。

 止めどなく垂れ流れる深紅が、横たわった大地に吹き溜まりを作って、砂を固める。

 命の削りあいにおいて、腕の一本を失う事は、直接死亡につながる要因となりにくいのだろうが、相手が相手である。腐敗は、人間を確実に殺す猛毒だ。であるから、ウトゥピアが諦めるのに、そう時間はかからなかった。


 音が迫る。


 伏した彼女の脳裏を、老人の言葉がよぎる。彼は、『その末路は、悲惨』だと言っていた。

 本当に、その通りだった。人の心しか読み解けない力を持った彼は、奇しくも、冷たい未来すら端倪していたらしい。

 人類に安定をもたらす為に淡々と仕事をこなしてきた彼女は、文字通り音を立てて迫る死を前にして初めて、自らが人々を支える柱である責任の重大さに、気付く。

 頭を回せば、成功した。

 手を動かせば、成功した。

 故に彼女には、失敗した体験が、ない。だからこそ、今の今まで、自分がすべてを支えているという自覚が、抜け落ちてしまっていた。だが大地は、人類という種を支える頂点の後悔すらも、呑み込む。ウトゥピアは、単身で地上へ降り立ち、巨大な腐敗の根源と戦い、敗れ、そして死ぬ。 

 自身の死に目を背けたい気持ちになったが、しかし、それは無駄な事である。淡々とした大地において、死にゆく者の抵抗は、須らく無意味なのだ。気付いて、目を瞑る気力も失い、ウトゥピアは、ただ茫然と獣を見ていた。

 すぐそこにある獣が、歩みを止め――。


『聞け』


 曖昧な視界の中に収まらぬ距離まで来た獣から、極めて低く、重く、声が響く。それは耳に侵入してから、砂や空に吸い込まれて消えた。

 目を見開く。ゆっくりと、視覚が明瞭になる。目の前で聳えた獣の体は、改めて大きさをウトゥピアへと伝えてくる。

 本来ならば、空の庭を守る彼女を食い荒らしている筈の、獣が。

『お前は誰よりも、人の匂いが強い。だからお前は私の敵で、私はお前の敵なのだ』

 と。

 間違いなく、眼前の獣は、人の言葉を発した。

 死を目の前にした自分の体が、幻聴でも生み出したのかと一瞬ばかり訝しんだが、どのように考え直しても、それはあり得ない。完全に、明確に、寸分違わず、紫色の光を纏った獣が、低く低く、言ったのだ。

 ウトゥピアは、更に瞼を持ち上げて、文字通り目を剥く。

「獣が……」

 驚愕のあまり、思わず声が漏れ出た。

 獣は、

『形に意味はない。私はこのように生まれた。そしてお前は、そのように生まれた』

 と、二つの巨大な闇で彼女を見据えて、”伝えた”。

 口から声が出ているのか、何らかの力を用いる事で、意思を伝えているのか。それは、ウトゥピアには判断できない。ただ、獣は紛れもなく、自らと彼女は違い、人と獣は敵同士であると述べた。

 意思を伝える事は、命に高度な思考力が宿っている証明である。であるなら、屈強で凶悪で忌々しい腐敗の獣は、獣でなかったのかもしれない。それこそ獣が言う通り、形に意味を求めるなどは、無駄であるのだろうか。

 注意深く獣を観察しながら、ウトゥピアは獣を試す。

「獣は、人を喰らうものでしょう。敵などと。何を、今更」

 即座に、獣の意思が開示される。

『何を誤っている、人間。お前達が生きる事は、構わぬ。その為に獣を殺す事もまた、自然の摂理だ。だが、お前達人間は違え、”世界の理”に触れ、それを壊す。過去そうであったように。だから私は敵なのだ』

 獣の意思が、確かに応じた。世界の在り方を説いた上で、見てきたであろう過去と絡めて人を明確に非難し、そして、ひたすらに聳え続ける。

 だからウトゥピアは、

「過去……とは」

 と、返した。

 彼女の読んできた文献の中には、世界の理などという、形すら捉えられない何かの存在は、ない。そして、それを壊した記録なども、存在しない。つまり、獣の言う事を理解、いや、そもそも納得ができなかった。

『お前達の知恵は、恐るべきものだ。それは長い年月を経て、大きく成長した。やがてお前達は世界を支える二本の柱の内、一本を引き抜いた。だから世界は傾いた。だから、”世界の理から外れた私”が、形を持って生まれた』

 獣は、低くて暗い音に乗せて、意思を吐き出し続ける。

『私は世界を、元あった形へ戻す。故に、拡散した柱を還さねばならない。暁に、世界は元へと戻る。”歪み”と”虚空”が、均衡を保つ形へと。そして私も、元の形へと還る』

 終えて、獣は大きな口から、冷えた周囲の大気よりも冷たい吐息を、ウトゥピアへと吐きかけた。彼女が横たわる辺りの砂が舞い上がって、目に入ってくる。ゴロゴロとした違和感があったから、負傷していない方の腕でもって拭うと、幾らか楽になった。

「そのような話は――」『当然、お前達は知らない。なぜなら、それを見ない。優れた知恵には必要のないものだと、切り捨てるからだ』

 獣の意思は、ウトゥピアに間断を許さず、すかさず彼女の言葉を封じる。言葉を継げなくて、致し方なく黙り込むと、獣が身を震わせた。

『故に、今更見る必要など、ない。もしお前が生きていたならば、戻りゆく世界こそを、その目で見ればよい。そして人の業を知れ。だが、世界が元に戻れば、お前達人間は再び獣となる』

 獣は、ウトゥピアの疑問を解消してはくれなかった。何らかの漠然とした主張がただ存在するだけであり、決して彼女は満たされない。しかし彼女は、獣から不穏を示す言葉が出たと、確かに聞いた。

 言うまでもなく。獣は、人を獣に落とす、と言ったのだ。

 詳しい意味は不明であるが、仮に獣の意思がそれを望むならば、彼女は抗う。抗わねばならない。彼女でなければ、誰ができようか。

 しかし、満身創痍の彼女が体を動かすなど、難しい。獣の言う通り、”もしも生存していたならば”、イリオスへ再び戻る事が出来るだろう。そして、獣を殺すだろう。あくまで、仮定の話ではあるが。

「人が獣に落ちるなど、考えられない事です。ですが、獣よ。お前が人を獣に落とすと言うならば、お前の言う通り、お前は私の敵です。人々に永久の平和を約束する事が、私の使命なのですから」

 獣の真っ黒い睥睨へ、強固な意思で応じる。

 空の庭に平和をもたらし続ける事が、彼女の存在意義なのだ、獣の意思など、慮る必要すらない。獣は、彼女の命のみならず、彼女の存在意義すらをも、殺そうというのだろうか。

 冷えた大気が、獣の剛毛を揺らした。

『……お前達と、”それ以外の生き物”の違いが、なんであるかわかるか、人間』

 揺れた剛毛に追従して、紫の光が宙で遊ぶ。彼女は、踊る忌々しい紫色を些か目で追いかけてから、再び、獣の睥睨を真正面から受け止める。

「獣よ。お前は私に、何を伝えたいのですか」

『人でない者は、歪みと虚空の均衡を崩さない。ただ、そこにあるだけだ。しかし人は違う。自らの世界を作り上げ、その中での安定を求めるが故に、この世界そのものを食い荒らす』

 耳から噴き出す紫色の光を放った液体。苦痛を感じていないのだろうか、獣は、微動だにせず続ける。

『世界は既に、傾けられてしまった。だから世界は、”理から外れた者”を、誤って生み出した。それらは、世界を滅ぼしかねない』

 紫色の光の奥で、鋭利な牙が、確かに光る。

『お前は、天を制する者なのだろう。ならば、天に浮かんだお前の庭が、いかに”歪んだ”存在かを、知れ』

 言い終えた獣が、体を大きくふるった。

 その際に生まれた風圧が、獣の周囲に散らかる砂を無秩序に巻き上げて、巨体を完全に覆う。次の瞬間には、巻きあがった砂が風に押されて渦を巻き、それからウトゥピアへと降り注いだ。

 猛威を振るうそれらが目に入らぬよう、自身の顔を自由な方の腕で隠してから固く目を瞑って、降り注ぐ砂粒の騒めきが収まるのを、待つ。長い時間、大小無数の騒音が、周囲を席巻した。

 やがて、彼女の背中を撫ぜる砂粒の感触が、小さくなってゆく。更に幾らか待つと、周囲には、風の音だけが寥寥と流れた。

 ウトゥピアは、徐に目を開く。すると、自分が纏っている、汚れきってしまった紅茶色のワンピースが目に入る。未だに体へ生命が宿っている実感をし、彼女は獣へと目線を向けたが、どういう訳か、巨体は忽然と姿を消していた。




 地に伏したウトゥピアは、周囲の温度が急激に低下してきたと思ったから、身震いをしようとした。だが、長い事横たわっていた彼女の体力は、意識を保つ事に精一杯で、それを許さなかった。だから彼女は、自身が弱っている実感から、今度こそ死の覚悟をする。

 巷では、人が死に際した時、自身の過去を閃光のように思い出す走馬燈という現象が起こる、との話だったが、彼女にそれは、なかった。

 風が冷たい。そして、ひたすらに、寒い。

 徐々に、視覚が奪われてゆく。

 隅っこに、点が見えた。

 近づいてきた。


 ここで、彼女の意識は途絶えた。

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