紙山さんの4月9日。

ハイネ ケンスス

第1話 紙山さんの4月9日。

『本日、午前8時頃に魔王がゼータ函数魔法陣のフーリエ変換連結によってJR御茶ノ水駅近くの線路上に降臨しました。』


『ご覧のとおり、溢れ出る邪悪な闇の力により総武線、中央線に若干の遅れが生じています。通勤、通学時間帯に重なったことで沿線の駅は大変混雑しています。通勤、通学者の声です。』


『いやぁ参りました。営業先と大事な約束があって。あぁ。まずいなあ。どうしようかなぁ。割高だけど、ミグ25に乗ってくしかないかなぁ。』


『魔王くらいですぐに遅延、遅延てねェ! けしからんよっ、JRは! 車輌を聖備するなり車掌を聖装させるなり、いくらでも対処のしようがあるでしょうがっ! 』


『ゼータ函数魔法陣? え、今どき? クリケットマジかよ! オビ・ワン時代遅れすぎて逆にポカリキレ味があるっすね。』


『以上、現場から中継でした。』


『はい。近頃の魔王はどうにも、社会性が欠如してしているというか、人の迷惑を考える頭が足りないというか、困ったもんです。続いてお天気です。』


紙山さんはいつも通り午前8時に起床し、目覚ましのBGM代わりに朝のワイドショーを流しながら寝ぼけ眼で通勤の支度を開始する。

都内への外勤が入ってなくてよかった。まぁでも遅れたら遅れたで、急ぎの仕事もないし別に大丈夫だったか。とぼんやり思う。


いつも通り8時45分に親譲りのプリウスを駆って、9時丁度に会社に到着する。

会社の玄関脇に聳える大桜は週末に降った桜流しの雨ですっかり坊主になり、しかし、若い新緑がむくむくと目を出してきた。


先月まで紙山さんは係長という、あってもなくてもいい形ばかりの肩書だった。

けれど月末に先輩が産休に入ったことで、先輩が持っていた「課長代理」という、これまたよく分からない肩書が紙山さんにスライドしてきた。


俺自身は特に昇進するような成果を挙げたわけでもないんだけどなぁ。

課長、いつもいるから代理することもないし。

と思いながら紙山さんは新しい名刺の発注を庶務担当にお願いした。


座席位置もこれまでの複数人ごった返しから、多少ゆったりしたスペースに移動し、デスクとオフィスチェアも少しだけ大きなものが充てがわれた。

代わりにこれまでと違って所在がいく分か目立つようになったため、先月までは始業開始である9時30分の3分前、ときには1分前に着席していたが、今月からは何となく早く出勤するようになり、今では9時5分という中途半端な時間に着席にするようになった。


人は肩書が責任感を持たせたと思うかもしれないが、本人は単に人目を気にしているだけである。


始業のチャイムと同時に、自分と同じく肩書をスライドされた入社4年目の竹内が「少しよろしいですか。」とやってきた。


「実は山下が・・・」

「えぇっ。」


それは困ったな。どうしようか。


という言葉をすんでの所で飲み込む。

竹内くんは一緒に悩みたいわけではなく指示をもらいたいのだ。先月まで同じ肩書だった自分にはよく分かる。

「うん。分かったよ。10分後、第2会議室にみんなを集めてもらえる?」

課長に報告する程ではないが、かといって放置もできない。なるほど、課長代理とはこんな相談を受けるものか。

さてはて、部下たちにどう伝えたものか考えなくては。


なるほど肩書というものは、多少は責任感を持たせるようだ。


「急に集まってもらって申し訳ないね」


これまでは指示をもらう側だったが、今は指示を出す側だ。

こうして視線を送る側から視線を集める側に回ると、やはり緊張する。

ことに今回のような、厄介な情報を伝えなければならない場合は。


「えぇと。端的に言います。山下くんが死にました。」


そんな     本当ですか


  信じられない   どうしよう


またかよ   またですか


「あぁ、またなんだ。」

「原因はなんですか?」

「夫婦喧嘩らしい。」

「復活予定はいつですか?」

「早くて明日です。」

「蘇ったばかりで不安定期の山下にまた吸い込まれるかと思うと、気が重いです。」

「いざとなったら僕と竹内係長で封印するから。」

「頼りにしてます。」

「山下君は官公庁担当だよね。サブは誰が入ってる?」

「吉田と、あとユニコーンが。」

「ユニコーンか。機嫌はどう?」

「いいです。」

「じゃ当分は安心かな。涙目になってきたら報告してください。フォローします。」

「了解です。助かります。」

「共有事項は以上です。」


思ったよりも不満が少なく、紙山さんは安堵した。

なにしろ山下くんの死と復活もこれで4度目である。

悪い意味で皆慣れてきたのかもしれない。


11時45分。そろそろ昼食に意識が向きはじめる頃合いである。


「紙山君。少し早いが、今日は外で食べないか。」

「課長。いいですね。ぜひ。」

「よかった。実はもう予約してあるんだ。」

「どちらですか?」

「どうにも豚を食べたい気分でね。美味い豚カツを食わす店があるんだ。」

「いいですね。」

「では掴まってくれ。」

「よろしくお願いします。」

「むんっ」

鹿児島に着いた。

「ヒレなんて頼むなよ。ここのロースは絶品なんだ。」


「どうだい? 新しいポジションには慣れたかい?」

「いえ、まだまだです。たまに以前の席に座りそうになってしまいますよ。」

「はは。誰だって初めはそうさ。何かあったら遠慮なく相談してくれていいからね。」

「心遣いありがとうございます。・・・実は少々悩みがありまして。」

「何だい?」

「自覚はないんですが、やはり課長代理という役職に無意識に緊張してしまっているせいか最近、右腕が。」

「暴走を?」

「ええ。聖ワシリイの呪符で抑えてはいるんですが。」

「あのマツキヨで売ってるやつかね?」

「いえ、ちゃんと本山のやつです。メルカリで落としました。」

「じゃあ間違いないな。ともかく、休みが必要なときは遠慮なくな。ただし、」

「仕事内容は常に共有し、いざというときは他の者がフォローできるように。」

「その通り。」


1,500円と豚カツにしてはいささか値が張ったが、肉質、肉汁、飛距離すべてが絶品だった。


「ところで参考になるか分からんが、R-1乳酸菌はおすすめだぞ。目に入るもの全てを焼き尽くしてた私の第三の目チャクラも、毎日摂取していたら落ち着くようになった。」

「へぇ。早速試して見ます。」

「むんっ」

12時59分である。

「ぎりぎりだったな。それじゃ午後も頑張ろう」


紙山さんは夕方に最も仕事が捗るタイプである。

しかし、まさに夕方にユニコーンが突如涙を流し、ついに神殺しの角が伸びてしまった。

角に貫かれた吉田君は驚いたはずみで膝の爆弾が爆発。

対応にかかりきりで仕事が思ったように進まず、残業をしなければならなくなった。


「ご迷惑おかけしてすみません。でも、おかげで助かりました。ありがとうございます。」

「いいっていいって。だけど、信管はこまめにチェックしておくようにね。」

「うっかりしてました。この季節は爆縮レンズが出来やすくて。今後は気をつけます。」

「うん。それじゃお疲れさん。」

「お先失礼します。」


20時も半分が過ぎてしまった。

あとは明日でいいか。俺が帰らないと課長も帰れないしな。

「お先に失礼します」

「ああ、お疲れさま」

|充血した第三の目チャクラに目薬をさす課長を尻目に退社する。


「プリウス。帰るよ。」

キシャァァッ、といななきプリウスが空間を裂いて現れる。

「Ç®îÊÇÍÇ≥Å〜〜ÇÒ」

「うん。今日はちょっとつかれたなぁ。」

いつも通り紙山さんはプリウスにまたがってえらを掴み、真言を唱える。

「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ!」

プリウスに火が入る。しかし流石プリウス。静かなものである。

「夜はまだまだ冷えるな。エアコン頼むよ。」

「óπâÇ‚Ç≈≈♪」

なんとなく音楽を聞く気分ではなかったので、紙山さんはプリウスの耳を捻ってラジオを流した。


「本日早朝、JR御茶ノ水駅近くの中央線、総武線路線上に現れた魔王ですが、JR東日本は当該魔王の本籍地であるゴルゴン三千宇宙に対し、度重なる魔王降臨によって被った損害について賠償請求をするとのことです。」


「これに対してゴルゴン三千宇宙通商連合のギリギリリ事務総長は、「訴状が届いていないため、コメントは差し控えたい」とのことでした。つづいて為替と株とオリハルコンです。」


いつも通り、紙山さんはきっかり15分で帰宅した。


風呂上がりに一本のビール。ごれが紙山さんの、ごく庶民的な、しかし大きな楽しみであった。


と、突然のテレパシーである。

「どうしたの、母さん」

「いや何がってわけじゃないんだけれどね、」


どうやら愚痴を言いたいようだ。

これも親孝行、と思い紙山さんはテレビを見ながら適当に相槌をうつ。


「ところであんた、まだいい人はいないの?」

またその話か。思念波こえには出さずに紙山さんは少し顔をしかめた。

「母さん、前も言ったけれど、預言によればあと2年で前世から縁のある許嫁がワームホール事故でタイムスリップしてくるから。」

「そうはいっても、その子ずいぶん若いんでしょ? 年の差婚なんて不安ですよ母さんは。それよりもどうだい。そろそろ家に帰ってきたら?」

「いずれはね。でも、もう少しこっちで頑張ってみるよ。」


紙山さんの実家は浜名湖でぬえ養殖を営んでいる。

紙山さんは次男だったが、長男の紙山新也は昔から放浪癖があり、一所に腰を据えて事業を営むようなタイプではない。

現に紙山さんも去年の正月に兄に会って以来、顔を合わせていない。

「兄さん、今度はどこに行くんだい?」

「11次元」

無茶するなぁ。紙山さんはそう思ったものである。


「最近お父さんもなんだか少し弱気になってきて、プロミネンスのコントロールが難しくなってきた、なんて言うのよ?」

「本当に? 核融合炉の方は?」

「そっちはまだ元気にやってるけどねぇ。」

「そう。じゃあ少し心配だし、コールデンウィークには2、3日帰るようにするよ。」

途端に母の思念波こえがキンキン弾んだ。

「本当? 嬉しいわぁ。」

しまったこれが狙いか。紙山さんは苦笑する。まぁ、これも親孝行だ。


「それじゃおやすみ。」

「おやすみ。あったかくするのよ」

「はいはい。」


十三番目の太陽が上ってきた。そろそろ日付が変わる時間である。


明日は定時で上がりたいな。久しぶりに買い物でもしよう。クールビズ用のシャツでも買おうかな。そろそろ売り出してる頃だろうし。


そんなことを考えながら、紙山さんは窓を閉め、カーテンを閉じ、噴火を止めて、マグマ溜まりをトイレに流した。

「おやすみなさい。」

「ォャスミィ」

守護霊のパット・ザ・ラットが応える。


横になって目を閉じると少しだけ右腕がうずいた。


「あ。」


R-1乳酸菌のこと忘れてた。

明日会社帰りに狩って帰ろう。ええと釘バット、、、は持ち歩きが面倒だしTSUTAYAでグングニルをレンタルするかな。

紙山さんは大きく嘆息し、今度こそ眠りについて、木星と同化した。


明日は4月10日。約200年ぶりの惑星直列グランドクロスの日である。

明日もなんということのない、平凡な一日になるだろう。

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