十六歳

こまぞう

十六歳

誰だって、忘れられない夏はあるよね?

 それに誰にだって忘れられない女はあると思うんだ。

 つまりだな、ぼくにだって…


 ぼくはしがない輸入洋食器の販売員だ。

 (しがないって言ってしまえば語弊があるのかな。職業に貴賤はないなんて言ってたっけ。…いいんだよ本人が自嘲するのは)

 会社が仕入れた商品をひたすら売り歩く。百貨店や雑貨屋、ギフト店なんかを廻って何やかんや売り込むんだ。しかし余りいい営業とは言えないね。成績もパッとしないし、営業時間中のサボりが癖についている。喫茶店でスポーツ新聞を隅から隅まで読んでいる時もあるし、ゲームセンターでひたすら格闘技ゲームをやっていることもある。営業車を止めて真っ昼間から居眠りしていることもある。

 夏は暑いが、嫌いじゃない。営業を適当に済まして、海岸の近くに車を止め、クーラーをガンガンに効かして寝ていると本当に幸せな気分になる。水色の空に巨大な入道雲が沸き立っているのを見ていると、人生の意義って何だろうって思う。



 営業マンは、高速道路でタンクローリーの後ろにつけて走っていて、突如、夏になったことを意識する。ガソリンを運ぶような色を塗ったタンクではなく、飲料なんかを運んでいるステンレスでぴかぴかのタンクローリーだ。銀色のタンクの後尾に、道路とこちらの車と青空と白い雲が丸く凝縮されて写っているのを見る。何日も前から、照りつける日差しに気づいていた筈なのに、その時ようやく夏のまっただ中にいることを発見するのだ。

 夏になると空は青い壁のようになり、ピラミッドのような入道雲が階段を形作る。それを見るともう仕事をする気は失せてしまう。営業車を安全な場所に止めて、シートを倒し、空を見上げながら白日夢にふける。

 記憶。

 記憶は夢のようなものだ。繰り返し現れるそれは、正確かどうかさえ分からなくなる。その時の情感だけが生々しく残っている。

 ぼくはそのことを繰り返し考えてきた。記憶は繰り返し思い出され、情感でさえその時ごとに上塗りされて、原型をとどめないほどになってしまったのだろうか。



 肉感のない細い胴、日焼けした肩、赤茶けた長い髪。贅肉が少しもない十六歳の青い身体だった。背中を抱けば、小鳥のように固く小刻みに震えた。思いの外、女を感じさせる臀部、筋肉で締まった脚。うつぶせに重なって手を回すと、膨らみきれない乳房が腕に触れる。ぼくは二十五歳で、身体はまだ締まっていた。

 サッカーをしていると嘘をついた。高校時代やっていたし、今でも会社のサッカー部にいるんだ。

 少女はテニス部の練習がきついとこぼした。

 初めて彼女と会い、車の中でちょっとした会話をし、ホテルに行った。それは二十五歳の(彼女にとっては十六歳の)夏の気の遠くなるような反復の始まりだった。ぼくたちは行為に夢中になり、行為が生み出す感覚に没頭した。身体の奥に目覚めた感性の虜になっていった。

 最初少女は何も経験していなかった。キスも初めてだと言った。ホテルの前ではちゃんと説得してくれないと行けないよと拗ねた。しかし学校でも優等生らしい彼女は、自分自身の欲望に率直に向き合った。

 耳やうなじや背中への接触がもたらす可能性を少女は受け止めた。あるいは自分からの能動的な行為の効果を見極めようとした。そして強烈な痛みをともなうその行為が反復によって和らぐことを理解した。反復がぼくたちの行為の根拠だった。苦痛や無感覚も反復によって快感に変わる。いつか少女は身体を痙攣させるように仰け反らせながら、部屋中に響く声を上げるようになっていた。

 疲労はぼくたちの敵ではなかった。彼女はぼくとの行為の後でクラブの練習に行く。あるいは真夏の長く辛い練習の後で会い、ぼくと行為する。夏休みの期間、殆ど毎日会うのだった。ぼくは仕事もそこそこに昨日約束した待ち合わせ場所に行く。時間に少々遅れても(三十分か一時間あたりも)彼女は忍耐強く待っているのだった。

 飽きもせず繰り返された行為の断片が白日夢のように浮かび上がる。ぼくはしばしば接触部分を眺めた。両足を肩に担ぎ見えやすい姿勢をつくって、そうしてゆっくりと行為した。視界の効かない沼の中に吸い込まれるようになめらかにそれは侵入する。引き上げる時には植物を根元から引き抜く時のように地面が盛り上がり、名残惜しんで茎に吸い付いく。あるいは子供がアイスキャンディーを舐める時の小さくとがらせた唇のように。

 開脚が苦痛だというのでしばしば閉じたまま行われた接触。それは本来の沼のような部分ではなく、盛り上がった腿の摩擦を使った行為のように倒錯的な印象がしたものだ。接触を行いながら相手の下半身を足で挟み込み覆い被さると少女の身体の小ささが実感できた。少女は自分の小ささとぼくの大きさを認識して、その感覚を口にした。

 ぼくたちは共犯者だった。いつも年齢の違いや出会いのシチュエーションに背徳的な意味を見いだしながら行為に及んだ。この関係が一瞬のものであることは明らかだった。夏の終わりが近づくにつれてぼくたちの関係はより濃厚なものになっていった。

 背後からの行為がもっともぼくたちの嗜好を刺激した。首筋への刺激が少女の全身に影響を及ぼすのをぼくは見た。即ち無数の毛穴が粟のようにびっしりと浮かび上がるのが二の腕や太股に見て取れた。腰からうなじにかけての背骨への刺激も同様の効果をもたらした。少女が行為の間にしばしば漏らした言葉、生死に関するその不穏な言葉がより多く発せられるのはこの時だった。ぼくはしばしば乱暴に扱った。少女は悲鳴を上げて応えるのだった。細いウエストから急激に膨らむ二本の線、最も女性的なその線が再び出会うところにぼくの一部は深々と沈み込む。彫刻のような曲線とは裏腹にその部分は産卵する海亀のように濡れた薄い粘液を細長くぼくの一部にまといつかせる。

 夏休み期間が終わり会える日も少なくなると少女は日常に戻り二人で共有する感覚は薄れた。常識的な倫理観が彼女を捉え感性に影響を与える様子がうかがえた。彼女はある言葉を口にするようになった。ぼくはそれを先に延ばそうとする。



 愛だの恋だの、信じたことはない。期待することもない。あるのは行為と反復だ。

 十六歳の時、ぼくは何をしていたんだろうと思うことがある。やはり同じように感激したり驚いたり傷ついたりしていたのだろうか。

 今度こそ彼女は気まぐれで軽薄で傲慢で無慈悲な十六歳になる。彼女はそのままの意味で高校一年生になってしまう。もう彼女の意識の中には、洋食器を売り歩く二十五歳のサラリーマンとの接点は見出せない。愛だの恋だの、これから始まるまやかしめいた幻惑の強烈さに心を奪われてしまう。

 うじうじと女々しくいつまでも忘れられないのは男の方だ。電話や手紙や突然の訪問もまるで効果がない。苦し紛れに電話の前で泣いてみせる。それも逆効果。ぼくは次第に苛立つ。意識のずれは明白だ。ぼくを支配しているのは行為と反復の記憶なのだ。それをどうしても分からせることができない。独自の言葉の世界に遠くなっていく彼女をもう取り戻す方法はない。



 また夏が来て、ぼくは記憶の来襲を受ける。いってしまったものは帰らないのに、生々しい記憶だけがいつもやってくる。それは気の遠くなるような反復の記憶だ。打ち返す波のようにやってくる記憶。



 あほだね、まるで。三十越えた男のいうことかいな。

 ぼくだって、たまには思うよ。いつまで、こんな自堕落に過ごすのかなって。そうだ、こんなぼくにだって夢はあるんだぜ。夢を語ろうか…

 今では女房子供もち、思えば遠く来たもんだ。この先まだまだいつまでか、生きていくのであろうけど…

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十六歳 こまぞう @komazou

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