GODJOKE

@iCtomoe

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 目が覚めた時はすでに昼過ぎで、窓から覗く太陽はだいぶ傾いていた。枕元の目覚ましを手繰り寄せ時刻を確認。三時だ。昨日あたしが横になったのがちょうど日付が変わる前だったし、わーお、まさかの十五時間睡眠。

 お盆を前にして最近仕事も忙しかったからなあ……。もとより寝借金返済のための睡眠だっけど、ちょいと寝過ぎたな。身体がだるい。血圧が下がってるのか少し頭痛もある。上半身を起こし、首を回す。ポキポキと音がなる。

 あたしは一度伸びをしてベットから降りる。降りるのに起床とはこれいかに、と思ったが、まあ、どうでもいいことだ。あたしは洗面台で顔を洗い、リビングに戻るついでにキッチンに寄り、昨日飲み残してたペプシをイッキした。炭酸が喉を焼いていく快感で身体が急速に覚醒する。


 さて、こんな時間に起きといてなんだが、今日は何をしようか。とくに何も思い浮かばない。掃除でもしたろうか。

 それにしても小腹がすいたし何か食おうか。いや、さっきペプシを取り出した時に確認したが、そういえば冷蔵庫にはろくなもんが入ってなかったな。

 しょうがない。コンビニで済まそう。……そういえば昨日の晩御飯もコンビニで済ましたな。まあいいや。家事ができないのは今更のことだ。する気がないのも今更だし、こんな時間に友人を呼び出して御飯作ってもらうわけにもいかないからね。コンビニでいいや。

 あたしはエアコンを切り、窓を開けた。窓を開けた途端、むわっとした熱気とセミのフルコーラスが押し寄せてきた。ホント日本の夏は暑いな。不快指数マックスだ。


 あたしはさっさと寝間着を脱いで簡単なシャツに着替える。ベットの脇にくしゃくしゃに丸められたタオルケットを軽く折り畳んでベットに投げ、部屋を出た。

 一歩マンションから外に出ただけでやる気の8割は削がれた。暑い、アツすぎる。

 とはいえコンビニはマンションから徒歩一分のところにあって——、

 ……?

 ちょっと歩いたところで何かを蹴飛ばした感覚。一体何だと、あたしはつま先を見る。そこには金色の小銭、五百円玉が落ちていた。なんとなく反射的に小銭を拾う。手を伸ばしている途中、落ちてるものを拾うなんてちょっと不衛生かなー、と思ったが、まあ、五百円玉だから仕方ない。たまに落ちている1円や10円じゃそのまま見過ごすが、五百円玉が落ちているなんて珍しいじゃないか。というか三十年間生きて初めて落ちているのを見た。

 まああたしもいい年した社会人だし? 小銭なんてネコババする気も起きないけれど。

 うーん、拾っといてなんだがこの小銭、どうしたものか。

 たかが小銭のために交番に行くのも面倒だ。そもそも警察の人もたかが五百円届けられても面倒だ。

 「すいませーん、あそこのマンションの前に五百円玉が落ちてました」と言われてごらん? 

 しかもこんなに暑くてセミ以外やる気を無くすような夏日に、ほぼ確実に落とした人が取りに来ない遺失物を誰が喜んで保管する? 警察官が嫌な顔するのなんて目に見えているじゃないか。

 かと言ってネコババするのも気に食わない。自分でも面倒な性格だとは思う。しかしせっかく拾ったお金をまた捨てるなんて気が引ける。そもそもお金を道路に捨てたらバチがあたりそうだ。

 さて、本当にどうしたものか。

 結論はすぐには出なかった。あたしは悩む頭をそのままにしてコンビニでサンドイッチと野菜ジュースを買った。拾った五百円玉は財布に入れず、ジーンズの尻ポケットに落とした。

 コンビニの影で頭を回す。ついでにサンドイッチをかじる。かじる。ジュースで流し込んでまたかじる。数分立たずにサンドイッチは腹の中。それなりの食べごたえ。

 最近妙にコンビニのご飯が美味しいんだが、技術革新でもあったんだろうか。あたしが大学生の頃はもう少し味気がなかったような……。

 

せっかくだし腹ごなしに散歩でもしようか。ここ最近運動不足だったし、部屋のエアコン切ったし、うっかり拾ってしまった五百円玉をどうするかも悩むしね。歩きながら考えてれば何かしら浮かぶでしょう。


 それからふらふらと当てもなく彷徨って。大通りを渡って細道を行き、気づけば公園の脇に出ていた。じんわりとかいた汗が雫となって頬を伝う。

 コンビニを出て大して歩いてない気がするけど、アラサー女にこれ以上の日差しはいけないな。思えば日焼け止め塗るのも忘れてた。

 

 あたしは公園の屋根付きベンチに腰を下ろした。ついでに自販機で買ったペプシを額に当てクールダウン。こんな暑い日に公園で遊ぶ現代っ子なんていないだろうと思ったら先客が一組。赤と黒の小学生だ。

 あたしが腰をかけているベンチから、ひとつ離れた屋根付きベンチに隣同士で座っている。もう時期的には夏休みだろうけど、どういうわけか両方共ランドセルを背負っていた。このあたりの小学校といえば、進学校で有名だし、大方夏の補習か何かだろう。普段なら、夏休みにも学校だなんてかわいそうな現代っ子だ、と憐れむところだが、この小学校の二人、なんだか近くないか。

 独身彼氏なしのあたしに見せつけるかのような男女の組み合わせだ。わかりやすく言うと、仲睦まじく大変よろしくない。二人はデートのつもりだろうか、そこの駄菓子屋で買ったであろうアイスキャンディーをそれぞれ舐めていた。

 そこであたしはひとつひらめく。もしかしたらあの五百円玉は、小学生が落としたかもしれないな。現にあたしが住むマンションはお手軽な値段でそれなりに新しい物件のため、家族連れがやけに多い。その中の誰かとなれば大いに有り得る。それに小学生となれば財布を持っていない子も多いはず。あたしが小さい頃は財布とはスカートのポケットだった印象でしか無い。その習慣が今でも消えず、コンビニのお釣りをそのままジーンズにいれっぱなしにすることもしばしば。もはや癖になってるのかもしれないが、料金を支払ったらそのはずみで財布を仕舞ってしまうことも多い。お釣りをもらうときにもう一度財布を取り出す二度手間具合だ。

 それはさておきこの五百円玉は、本当に小学生のポケットから何かのはずみで落ちたのかもしれない。小学生にとって五百円は大金だろう。さぞかし落ち込んでいるかもしれない。今頃、五百円で買えるものを列挙しているだろう。そう思うと胸がチクリと痛んだ。とはいえわざわざ落とした主を探すのは面倒だし、そもそも小学生だという証拠が何ひとつとてない。可能性の問題だ。そう思いながらペプシのプルタブを引いた。シュワっという気密性の断末魔。することもないので、あたしは少し前にいる若いカップルを観察することにした。

 おそらくこのデート、男の子のほうから誘ったのだろう。

 黒の方がぎこちない笑顔で、日曜の朝に放送している特撮番組について話を振るも、赤の方はアイスに夢中。返したのは生返事だけだった。なんとか気を引こうと手を変え品を変えるも、やっぱり女の子はアイスに夢中。女の子の趣味を全く考えず、自分の世界しか知らない男の子の奮闘はまだ続く。

 会話を盛り上げることに夢中だったんだろう。いつの間か男の子はアイスを食べるのを忘れていた。いくら日陰といえ、夏は夏。自分のアイスが溶け出していることに、男の子は気づかないようだ。

「あ」

 二人の声が重なった。

 溶けたアイスが地面にぺしゃり。棒だけになったアイスキャンデーを、男の子は泣きそうな目で見ていた。二人が気まずい沈黙を破ったのは赤の方。

「食べなよ」

 女の子は食べかけのアイスキャンデーを、男の子の口元へ突き出した。

「え……、だって……」

 たじろぐ男の子。見かねた女の子は、アイスキャンデーを、男の子の口の中へ、

「か、かんせっちゅぅ……」

 押し込んだ。

 頬を真っ赤に染めた小学生カップルを、いい歳した女がいつまで見てるのも気が引けたため、中途半端に残ったペプシを飲み干してゴミ箱へダッシュート。あたしは勢い良く公園をあとにした。

 若さがギラつく太陽よりも眩しく感じた。くそう、見るに耐えない。



 しばらく歩いて川沿いに出た。日もだいぶ暮れてきて、いよいよ夕方といった具合。アブラゼミ勢力がだんだん小さくなっていき、代わりにヒグラシ勢力が台頭を始めた模様。アブラゼミよりかはヒグラシのほうがいくぶんかマシだ。風情がある気がするし、そこまで暑苦しくもない。

 まあ、それはさておき、そろそろ家へ向かおうか。そろそろ方向転換しないと日が暮れて夜になっちゃう。だいぶ歩いたせいで、自宅に帰るには少し時間がかかりそう。このまま踵を返して来た道を引き返してもなんの問題もないけれど、せっかくだし別の道を行くことにした。

 そこから少し歩いて住宅街。中学生の集団を前方に確認。あたしが中学生だと一発で見抜いたのは、背丈や表情の若さではなく、ただ単純に、彼らが着ているユニフォームに書いてあったからだ。どいつもこいつも坊主・坊主・坊主。みるからに野球部だ。

 彼らは汚れたカバンをチャンバラの容量で振り回していた。その中には日曜の朝に放送している特撮番組の主人公が使う必殺技名を叫ぶ馬鹿もいた。はしゃぎすぎて力の加減を誤ったのか、手からすっぽ抜ける鞄があたしの方へ飛んできた。それをすんでのところで躱してみせる。

 はしゃいでいた集団が、水を打ったように静かになった。周りの連中もようやくあたしに気づいたのか、はっとしたように口をつぐんだ。彼らの視線があたしに降り注ぐ。そこであたしは負けじと彼らをじっと睨みつけた。

 そうやってチャンバラしてっと、この五百円玉の持ち主みたいにお金落とすぞ。お前たち中坊にとっても五百円は貴重だろう。ゲームセンターで五回は遊べるし。だから君たちはもう少し周りに注意を払うのと、歩道ではしゃぐのをほどほどにするんだな。

 なんて説教くれてやるはずもなく、あたしは足元の鞄を持ち主に返した。そのまますれ違うようにして彼らを通り過ぎる。

 少し歩いたところで背後から

「すいませんでしたー」

 と野太さと甲高さが入り混じった声。声変わり途中の初々しさは、やっぱり三十路女には特攻ダメージだ。聞くに堪えない。つらい。

 げんなりして振り返ると、必殺技を叫んでいた彼が、彼のチームメイトから頭を押さえられていた。どうやら謝罪のポーズらしい。あたしは片手を上げて許したのポーズ。踵を返し、そのまま進む。

 緊張が溶けたのか背後では談笑に励む声。なんだ、可愛いじゃないか。口元が緩むのがわかった。

 ちょうど沈んでいく太陽へ向かう形へ家路へと向かう。



 ふと気づけばすっかり藍一色。街頭もようやく仕事を始めだし、景色はいよいよ夜の様相。家まではもう少しといったところだ。ふらふらと随分と歩いたものだ。日頃の運動不足はだいぶ解消したかに思える。

 周りを見ると仕事上がりのサラリーマンが増えてきた印象。そういえば今日は平日だったな。

 その内の撫肩サラリーマン二人組が、民家風の居酒屋へ消えていった。店の入口には「生一杯、二百五十円」とはためくノボリ。

 暗がりであまりよくわからないけど、ふたりともお腹が結構出ていたな。多分あれは脂肪なんだけど、主にストレスが原因なんだろう。ストレス発散の飲食はなかなか止まらないからねえ。まったく。彼らがうちの病院の門を叩かないことを祈るしか無いな。最近糖尿病患者多いし。

 って、やだやだ。オフの時にまで仕事のこと考えたくないなあ。これが職業病ってやつか……。ため息一つと共に、あたしは家路へと向かう。

 というか、この五百円玉、結局どうしよう。



 そんな思考の終点に決着がついたのは、ヒグラシすらも鳴き止んだ頃。あたしは“それ”を見つけてふっと足を止めた。目の前には大きな鳥居。それをくぐって伸びる階段。そしてその先にあるであろう神社のアイデンティティ。そう、賽銭箱だ。拾ったお金にぴったしな使い道だと確信した。ルービックが綺麗に揃った時の快感が脳を駆け巡る。この長い散歩にようやく意味が付いた。

 もしこの五百円玉を落としたのが小学生なら、いい教訓になるだろう。

 もしこの五百円玉を落としたのが中学生なら、勉強に専念するだろう。

 もしこの五百円玉を落としたのが社会人なら、いいメタボ対策だろう。

 「だからこれは神様に返そうか」

 そうやって自分に都合のいい言い訳を並べながら、一段飛ばしで石段を登っていく。乳酸が溜まって疲れきった足も、どういうわけか今だけは元気いっぱいのご様子。短い参道を渡り、お賽銭箱の前へ到着。神前だから、とあたしは小さく深呼吸。

 上がった呼吸を整えて、あたしはゆっくりとジーンズからコインを取り出した。名残惜しむように硬貨を握ったその手を、賽銭箱の前で開いていった。

 重力に従ってコインが落下。そのまま賽銭箱へ吸い込まれていった。中の小銭とぶつかる音。

 あたしは賽銭箱の上にある鈴を鳴らし、二礼二拍手。

 賽銭箱の中は、「ご縁」とかけて五円玉ばかりだろうか。そんな事を考えながらあたしは願う。

「——どうかこれを落とした人に、百倍のご利益がありますように」

 一礼。

 あたしはそのまま参道を戻り、階段の手前に立った。見下ろす景色には、ぽつぽつと街頭や家の明かりが灯っていて、星を敷き詰めた夜空と遜色が無いように思えた。

 なんだかとても清々しい。ちょうどいい運動にもなった。ああ、なんだかハッピーだ。

 嬉しくなって階段を二段飛ばし。あっという間に外についた。

 一度振り返って階段を見上げる。あたりまえだがここからは賽銭箱はおろか、本殿すらも見えやしない。

 肩をすくめ、家路へ向かう。あと数百メートルの距離だ。



 浮かれる気持ちで軽くスキップしてたら何かを踏んだ。よく見ると、少し大きい巾着袋。中身が入っているのか膨らんでいる。

 五百円玉はともかく、巾着袋は届けるべきだろうか。そんなこと思いながら、手を伸ばした。ずしり、と見た目以上に重い。金属でも入っているのか。気になって紐を解いて中を見てみる。

紐が解けるほんの刹那、なにか嫌な予感がした。

 中を覗く。

 そこには——、

 大量の五百円硬貨が詰め込まれていた。なんとなく予想がついた。数える必要もないと思えたが、しょうがなく数えてみると、案の定、五百円玉が百枚入っていた。

 そうか、そうだったのか。

 「百倍のご利益ってこういうことかよ……」

 あたしはがっくりと肩を落とした。本当に、しょうもない茶番だ。あの五百円玉は、昨日のコンビニのつり銭だ!

 

 「……そうか……落としたのは、……あたしだったのか……」

 力のない独り言が道路に反響していく。


 背後で神様の笑い声が聞こえた、気がした。


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