実家

こまぞう

実家

 飲み会が盛り上がってきたところで、中座するのはいつものことだった。若い社員が多い会社だから酒が入ればはじけるように騒ぎ出す。せっかくの機会に社長が居座っていては座が白けるだろう。

秘書の女性に目配せをして席を立った。何人かが見送りに来ようとするのを制して外に出た。夜の冷気が頬を切った。

 町はクリスマスムード一色だった。忘年会シーズンだからサラリーマンの姿がいつもより多いように感じる。

 まだ早いので、会社に戻ろうかと思った。社長が宴席を抜け出して会社に戻るのも無粋な話だが、ここが正念場だという気持ちが続いているので、仕事漬けになるのも仕方ない。

 しかし、どういうわけか、その気になれなかった。飲み足りない気分になっていた。そのくせ浮かれた町の雰囲気から逃れて、静かなところに行きたかった。

 駅に向かう途中の道を一つ脇にそれると、落ち着いた通りに出た。少し進むと地味な看板が佇んでいて、地下に降りる階段の先にBARがあることを示していた。

 躊躇なく階段を降りた。初めての店だった。

 思った通り、カウンターだけのこじんまりした店内に無口そうなマスター以外、先客は誰もいない。やや奥の席に腰を下ろしてバーボンのオン・ザ・ロックを注文した後、目を閉じる。一日を締めくくるのに丁度いい店だと思いながら。

 残念なことに、すぐに次の客が来た。目を閉じたままにしていた。次の客は二つ隣に座り、私と同じものを頼んだ。しわがれた男の声だった。私はそのまま男のことを意識から外した。


 このごろ気がかりなことをすべて消そうとしてきたが、消えるどころか、気がかりは増える一方だった。

これまで多少のミスを気にするよりも、挑戦して突破することに意義を見出してきた。社長のそんな姿勢は、確かに会社に勢いをもたらしたはずだ。おかげで会社は加速度的に成長を続け、経済誌にもたびたび取り上げられるようになった。挑戦心あふれる社風を褒められることが何より誇らしかった。

 しかし株式上場するには、それだけでは不十分だった。幹事証券会社との連日の打ち合わせの中で、普通の会社になるということの意味を嫌というほど教えられた。この一年、自分のやってきたことは、守りを固め、些細なミスを丹念に消していくことだった。もうかつてのようなワクワクするような楽しい毎日ではないが、会社を次のステージに上げるために自分を抑えてきた。その努力の日々ももうすぐ完了する。


「宮本さんじゃないですか」

 静寂を破ったのは、しわがれた声の男だった。私は夢から醒めたように目を開けて、男の方を見た。

「はい。宮本です」

「いやだなあ。お忘れですか」

 年のころは六十ぐらいか。髪は薄く、額に刻まれた皺は深いが、目だけが若々しく力を宿している。ノーネクタイだが、着ているジャケットは一見して高級な外国製だった。

「金森ですよ。その節は、お世話になりました」

 男の光る眼から目を離せなかった。むろん私は男のことを覚えていた。すぐに思い出せなかったのが不思議だった。決して会いたくない男の一人だったのだ。

「まあ、そう嫌わないでくださいよ。こちらも昔の私ではありませんしね。懐かしいと思うだけですから。昔話でもしましょうよ」

 男は図々しく、私の隣に席を移してきた。

「懐かしいなあ。お元気そうですね。今は、何をやっておられるのですか」

 私は警戒しながら言葉を選んで答えた。

「普通の会社員ですよ」

 男は大きな目に色を点した。

「ははは。ご謙遜をおっしゃる。もうすぐ上場する有名な会社の社長さんじゃないですか。日経ビジネスを何度も読みながら、大したものだなあと思ってたのですから。まあ、私も知らない仲ではありませんから、少しは誇らしく思いながらね」

 私の顔色が変わるのを認めたのだろう。男は慌てたように手を振った。

「いや、本当に警戒なさることはありませんよ。私はとっくに足を洗って、今はごく真面目な堅気の実業家です。正真正銘保証します。警察に聞いてもらえばよくわかりますよ。今は、暴力団に厳しい社会ですから、私の名前を言えば、照会してくれます。本当に嘘偽りのない堅気の身なのですから」

 男は名刺をテーブルの上に置いた。

「ほらね。これを警察に持っていってもらえばいい。この近辺に小さな店をいくつかやっている飲食店のおやじですよ。ねえ、マスター」

 突如、話を振られたマスターは、曖昧に肩をすくめた。


 二十年以上も前になる。金森という男は、もう一人の男と一緒に私の実家にやってきた。

 実家の家と小さな工場がある土地を買いたいというのだ。彼らは、いわゆる地上げ屋だった。

 最初から驚くような金額が提示された。断ると、さらに法外な金額となった。

 そこは下町の静かな場所だったが、駅に近いこともあって、急速に開発が進んでおり、彼らのような者がしばしば表れていた。古くから住む顔なじみの人が、高く土地が売れたと喜んで引っ越していった。最後に残ったのが私の実家だったのだ。その区画に大きな商業ビルを建てるには、実家の土地がどうしても必要だった。

 私の両親が首を縦に振らないでいると、金森の相棒は、スキンヘッドの巨漢に変わった。絵に描いたような威圧をかけてきたのだが、そんな男よりも痩せて静かな金森の方が、はるかに凄みを持っていた。あの頃の金森の目は、今のような光を宿していなかった。暗い荒んだ穴倉のような目だった。


「ご両親はお元気ですかね」

 人の好さを身に着けた金森は、確かにあの頃とは別人だった。

「元気ですよ」

「まだあの工場をやっておられるのですかね」

「まあ、やったりやらなかったり、ですかね」

 私は言葉を選んで言った。このような男に言質をとられたくなかった。

 実際には、両親は揃って老人ホームに入っている。伊豆にある高級といわれる施設だった。私がその費用を払った。

 実家は空き家になっている。もう五年以上使われていない。あれほど頑なに売ることを拒んできた工場がわずかな期間で無用の土地になったとは皮肉なことだった。


 金森は執拗だった。どんなにきっぱり断ろうとも、懲りずに毎日のように訪ねてきた。

 気の小さい父は、金森の姿が見えると、工場を捨てて逃げてしまうので、仕事にならない。

 しかし母は一歩も引かなかった。金森を見つけるとすぐに飛び出してきて立ち塞がり、二度と来るなと怒鳴りつけ、押し問答の末に帰る背中に塩を撒いたりした。

 金森は、私にも接触してきた。その頃、私は起業したばかりで、実家のことを思い図る余裕がなかったのだが、金森は何度もやってきては私を説得しようとした。

 金森は冷静な男だった。脅迫的な手段に出る前に、話し合いをしようとしていて、その相手が私しかいないと判断したらしかった。

 恐ろしかったが、話を聞くしかなかった。金森は意外なほど率直に自分の立場を説明した。当時の日本は青天井に土地の値段が上昇していたが、その状況に拍車をかけたのが、金森たちのような地上げ屋の存在だった。小さな区画を取りまとめると大きな開発が可能となる土地になる。特に実家の土地がある一角は、都市計画としても大きな発展が見込める場所だったから、金森の話には理があると思えた。

 正直に言うが、金森の提示する買収価格は魅力だった。両親がなぜそれを拒否するのか私には理解できなかった。


 両親がその場所に土地を得たのは、戦後になってからだった。北国から集団就職でやってきた父が、身に着けた技術をいかしてブリキ工場を始める時、母の親が資金を提供して、土地を購入したのだ。その場所が手頃な値段だったというだけで、両親ともに思い入れはないはずだった。

 商売はそこそこうまくいった。特に、戦後の物資が不足していた一時期は、工員も大勢抱えるほど繁盛していた。ただそんな時期は長く続かなかった。もともと父は職人気質で、時代の変化に対応できる人ではなかった。昔身に着けた技術で同じものを作り続けるしか能がなかった。

 むしろ母の方が、商売の才があったようだ。アイデアを出しては父に試作品を作らせて、得意先に売り込んだりしていた。母がいなければ、とうの昔に商売を畳んでいた。

 母は、自分の甥を引き入れて、営業役をさせるようになった。

 それが貞雄おじさんだった。

 明るくて気さくな人で、小さい頃から私をよくかわいがってくれた。小さい頃、両親に遊んでもらった記憶はないが、おじさんにはいつも遊んでもらっていた。今はない広場で凧揚げをしてくれたのもおじさんだし、キャッチボールを教えてくれたのもおじさんだった。私は貞雄おじさんが大好きだった。

 今思うと、貞雄おじさんの能力からすれば、零細工場の営業など見合うものではなかっただろう。よく我慢してくれたのだと思う。両親も、あてにしていたし、事実、おじさんがいなければ、商売は回らなかったであろう。

 最盛期からは比べるべくもないが、工場は細々と続いていた。工員も数人は残っていた。それを支えているのが、母のアイデアと貞雄おじさんのまめな営業活動だった。

 そのおかげで私立の高校、大学へ行かせてもらえたのだから、感謝してもしきれない。ただ、子供だった私に、そんな気遣いがあるはずもなかった。両親が働くのは当たり前だと思っていたし、その両親がいつも油にまみれた汚い姿でいることを恥ずかしいとまで思っていた。工場の騒音で近所の人たちから嫌味を言われるのも情けなかった。


 いつ頃からか、工場にみよという若い女性が住み込みで働くようになった。父の郷里からやってきたという素朴な女の子だった。

 みよは、工場で簡単な作業をしたり、母の下で雑用などをしていたりしていた。あまり使えなかったのかも知れない。母はいくぶん邪険に扱っていた。私の四歳年上だったが、幼いので、中学生だった私とそれほど変わらないように見えた。

 夜、庭で野球の素振りをしていると、銭湯帰りのみよが通りかかった。

「がんばってるね」そんなふうに親しげに話しかけられるのは初めてだった。

「ありがとう」

「ありがとうって」みよは可笑しそうに繰り返した。「かわいいね」

 私は初めてみよを近くで見た。風呂上りで上気した肌はなまめかしかった。やはり大人の女性なのだと思った。

 次の時、みよは庭で待っていた。心臓が高鳴った。

「クラブは大変?」

「いえ」

「いえ」みよはまた可笑しそうに繰り返した。「敬語使わなくていいよ。歳も一番近いし、普通に話そうよ」

 みよが、私の顔を覗き込むようにしたので、思わず目をそらした。

「そうだ。これあげる」みよは私に小さなものを手渡した。

 四つ葉のクローバーだった。

「いい高校に受かりますように」

 高校受験を控えていた私だったが、それからは夜の素振りを欠かさないようになった。工場の脇の小さな小屋がみよの宿舎だったので、意識しないではいられなかった。時には、みよの部屋の電気が消えるまで、 素振りに打ち込んだ。

 時折、煙草を吸いに出てくる貞雄おじさんや、ゴルフの素振りをする父の存在が疎ましかった。それまで気にしたことはなかったのに、おじさんの煙草の回数が多すぎるような気がして、いらいらした。

 二人きりでない時のみよは、どこかさびしげに見えた。それは自分を殺して過ごしている人の頑なな、あるいは健気な態度に思えた。私には、みよがいつか遠くに行ってしまうような予感がしていた。そう思うと、頭から離れなくなった。

 どういうわけか待つようになると、みよと親しく話せる場面は少なかった。手渡したいものがあったのだが、その機会はなかなか来なかった。

 日曜日、誰もいない時に、勇気を出して、小屋の扉を叩いた。「はい」扉を開けたみよが、私を見て意外そうな顔をしたので、悪いことをしているような気持ちになり、逃げだしたくなった。

「これ。あげるよ。修学旅行のお土産なんだ」ぶっきらぼうな言い方になった。

「え、私に?」みよは驚いた様子だったが、すぐに喜びでいっぱいの表情になった。「開けていい?」

 すぐにその場で、紙袋を破った。私があげたのは、四つ葉のクローバーを象った銀色のネックレスだった。

「すてき」みよはそれを首にかけて両手で胸に押し当てるようにした。

「高かったんじゃない?」

「いいよ」似合うと思った。

「うれしい。これでまた頑張れる」みよはそんな謎めいたことを言ったが、何も言葉を返すことができなかった。それがいつまでも心残りになったのだ。

 私の思い出はそこまでだ。

 みよは一週間も経たないうちに、私の前から姿を消した。

 それだけではない。貞雄おじさんも姿を消した。

 母が言った。「あの二人は駆け落ちしたよ」

 父が気まずそうにうつむくのを憎々しげに見ながら、続けた。

「本当に。恩知らずな女だよ」

 営業マンを失った工場は急激に傾いていった。工員も全て辞めてもらって、最後は父一人が作業するだけになった。細々と惰性で続けているような状態がその後続いた。

 母は私に後を継がせたかったのかも知れないが、私にその気はなかった。大学の工学部を出ると、メーカーに就職し、そこで身に着けたCADの技術からヒントを得て、仲間と会社を興した。もちろん経営は苦しかったが、辛くはなかった。

 金森がやってきたのは、そんな頃だった。


 私の会社に分不相応な大企業からの仕事が舞い込むようになった。誰もが知っている一流企業からの依頼だった。

 私は仲間に事情を話した。調子に乗って、事業を拡張すれば、やつらの思い通りになる。私は、取り組むべき仕事と、受けてはいけない仕事を慎重に見極めて、手綱を離さないようにした。

 案の定、そんな依頼は前触れもなく来なくなった。

 金森の差し金だった。

 その頃から、工場の出入り口に人相の悪い男たちがやってきて、威嚇するようになった。狭い路地には、黒塗りのベンツが停車して、近所の車が出入りできなくなってしまった。彼らは、通行人を意味なく睨みつけたり、卑猥な言葉を投げつけたりした。

 工場の敷地には、生ごみや、酷い時には、動物の死骸が投げ入れられるようになった。

 近所からの風当たりも強くなり、町内の自治会が遠回しに土地の売却を促したりもした。

 一方で、金森は、私への接触は続けていた。彼の疑問は、何で売らないのか、という一点だった。先祖代々の土地でもないし、工場が繁盛しているわけでもない。狂ったような土地の高騰は長くは続かないだろう。それなら今のうちに高値で売って、郊外に別の家を買った方が得策ではないか。

 しかし、母は頑なだった。いくら利を説いても、決して首を縦に振らなかった。それは理屈ではなく、意地になっているのだった。

 そんな母の強い意志の前に、金森も打つ手を失っていた。


「いやあ、全くあっぱれなことですよ。私も長いこと、あの仕事をしたが、あれほど意志の強い人はそういるわけじゃない。あそこまで頑固だとすがすがしいくらいだ。いや、間違わないでくださいよ。ちょっと普通の感覚とは違うかも知れないが、あれも我々にとってはビジネスの範疇なんですよ。だから恨むとか根に持つとかはありません。バブルが崩壊して、それからはノーサイドです」

 金森は昔を懐かしむように言った。確かに、現金なもので、バブル経済が崩壊してからは、金森も柄の悪い男たちも、様々な嫌がらせも、蓋を閉じたようになくなってしまった。

 バブル期に調子に乗らなかったことが良かったのかも知れない。私の会社は、徐々に軌道に乗っていった。ITバブルといわれる頃にも、地に足をつけた経営を心掛けた。その姿勢は間違ってなかった。

 一度、貞雄おじさんにばったり出会ったことがあった。五年ほど前のことだ。年齢よりもずっと老け込んだおじさんは、気まずい思いがあるのか、あまり私と話したくないようだった。警備会社に勤めているとだけ言って、会社名は教えてくれなかった。


「もう一杯いかがですか」金森が空になったグラスを手に言った。

 いや、もう帰ります、と言う私を彼は引き留めようとした。

「いいじゃないですか。もう会わないのかも知れないんですから、もう一杯ぐらい。マスター。同じやつを二つ頼むよ」

 親しくもない男に馴れ馴れしくされて不快な気持ちに囚われたが、金森は早くも酔ったのか、構わずに話し続けた。

「しかし、分からないのが、なぜあそこまで土地にこだわったのかだ。こういうことは理屈じゃないといっても、わかりにくすぎる。どうも私には、それがずっと引っかかっていましてね。気になって仕方なかった。いや、先ほども言ったように、商売としてはノーサイドですよ。確かにあれは私の手痛い敗北ですから、ちょっと厄介なことにはなりましたがね。それでも商売には失敗はつきものだ。いつもうまくいくわけじゃない。そんなことは気にしていません。これは私の単なる好奇心というやつでしてね。ちょいとばかり調べてみました」

 私の背筋に冷たいものが走った。

「工場の経営がうまくいかなくなったのは、あの、なんでしたっけ。そうそう貞雄さんという方がいなくなったからだ。あの方は確かに優秀でしてね。小さな零細工場だというのに、結構、いい得意先を開拓していたようです。全国にですよ。大したもんだ。ただそんなに優秀な人が小さな工場の営業で満足するというのはおかしなことだ。だから、もっと給料のいい遣り甲斐のある会社を求めて辞めていった。これはあなた方にすれば残念なことだが、人間の気持ちとしては理解できる。ごく自然なことだ。ところがですよ。貞雄さんという方のその後を調べると、実は、十年近く会社勤めもせずに何もしていないのですよ。これはなぜだろう」

 次第に全身に氷のような寒気が回ってくるのがわかった。

「確か、貞雄という人は、従業員と駆け落ちしたというのが近所の評判だった。あなたのお母さんがそう触れ回っていたのです。ところが、貞雄という人の周辺をいくら調べても、その駆け落ちした女性というのが出てこないんですよ」

 金森は、手帳を取り出して、老眼らしく、手を遠くに伸ばしてメモを読んだ。

「ええと、山田美代。山形県天童市出身。お父さんの古い知り合いの親戚の女性ですね。この女性がどこにいったのか分からない。天童市の実家を探したが、それも見つからない。それもそのはず、最初から、身寄りのない女性でしてね。小さい頃から親戚の家にずっと預けられて育った。東京に住み込みに働きに出されたというのは、まあ、一言でいえば厄介払いされたわけです。だから、彼女がどうなったかなんて誰も気にしていませんでした。さて、私としては、また気になることが増えました。この女性はどうしたのか。なぜ突然消えたのか。貞雄さんという方はなぜ十年間も無職の生活をしていたのか。私の悪い癖でしてね。こうなれば、調べずにはおられません。貞雄という人がどうやって生活をしたのかというと、あの工場を辞めた直後に、五千万円近いお金が振り込まれていることが分かりました。貞雄氏の口座に、あなたのお父さんからですよ。退職金ですか。それにしては高額ですね」

 全身が凍りついたように動かなかった。

「それに、これは地上げをしていた時の情報ですが、あなたのご両親は必ずしも仲がいいわけではなかったようです。近所の人の話では、一時期は、よくお母さんの怒鳴る声が聞こえたそうです。あなたも知らないはずはない。あなたのお父さんの行状が原因で痴話喧嘩が絶えなかったそうじゃないですか。町内の自治会長に聞きましたが、お父さんは、なかなかどうして、艶福家であったらしい。田舎から連れてきた娘ほど若い女を二号のように囲っていると酔って自慢していたそうです」

 金森は、横目で私をじっと見た。

「さて、今、ご両親は伊豆の高級老人ホームに入っていらっしゃる。あなたは、今は都内の高級マンションで一人暮らしだ。そこで、失礼ながら、空き家状態の工場の敷地を調べさせていただきました。すぐに分かりましたよ。工場脇の小屋裏に小さな祠が置いてありましてね。その下に埋まっていました」

 金森は私に向き直った。

「人の骨でした」

「まさか」私はようやく言った。身体の震えが止まらなかった。

「いや。間違いありません。たぶん、小柄な女性の骨でしょうね。一緒に埋まっていたものがこれだ」

 鞄からビニール袋を取り出すと、どす黒く変色した布のようなものが出てきた。どうやら女性の持つポーチのなれの果てらしかった。

「見覚えありませんか。中身は、化粧品と髪留め手鏡とその他こまごましたもの。それに四つ葉のクローバーの形をしたペンダント」

 私の震えが激しくなった。何かを話したくても、歯ががたがたと鳴って、話せそうになかった。

「骨の首のところには紐のようなものがついたままでした。殺人事件ですよ。誰が殺したんでしょうね。貞雄氏か、追い詰められたお父さんか、逆上した気の強いお母さんか。貞雄氏への巨額の資金は、報酬なのか、口止め料なのか。あなたは事情を知らないようだから、貞雄氏かご両親に聞けば分かることです。我々からすれば、口を割らせることなど造作ないことですよ」

 金森は薄ら笑いをした。いつの間にか、あの頃の空洞のような無機質な目になっていた。

「これでようやく、あなたのお母さんが、土地を売りたくなかった理由がはっきりしました。長年の疑問が解けてすっきりですよ。まあ、ご心配なく。私は自分の好奇心を満足させたかっただけで、それ以上に興味はありませんから。これで私の話は終わりです。お暇するようにしましょう」

 金森は、マスターを呼んで会計を済ませると、席を立ってコートを着た。まだひきつけを起こしたように震えている私を残して出口の方に歩き出したが、ふと思いついたように振り向いて、しっかりした口調で言った。

「そうそう。私の古い知り合いが、あなたの会社にとても興味を持っていましてね。世話になった人だから私も無下に断れなくてね。すみませんが、上場する前に、株式と役員の椅子を都合してあげてくれませんか。私のお願いはそれだけです。嫌とは言いませんよね。明日にでも、使いの者を行かせますから、よろしくお願いいたしますよ」

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実家 こまぞう @komazou

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