吸血鬼ゲーム

こまぞう

吸血鬼ゲーム

 吸血鬼が出たらしい。

 昨日から、村に夜間外出禁止令が出された。夏休みまであと二週間という時期だった。夜中にコンビニへ行って、マンガを読むのを楽しみにしているぼくとしては、いい迷惑だった。

 朝、中学校に行くと、西村の周りに人だかりができていた。やつの親父さんは村役場に勤めているから、事情通だと思われているらしい。だけどぼくは全然信用していなかった。西村が大変なお調子者だということを知っていたからだ。

「交番の駐在さんと、コンビニの山川さんが、裏山を上る若い女を見たらしい」

「被害はあったのか?」

「ここだけの話にしてくれよ。被害が出たから夜間外出禁止になったんだ」

 女子たちが軽い悲鳴を上げた。男子も息をのんでいた。

「誰がやられたんだ?」

「それはおれも分からん。しかし、十分気を付けてくれ」

 西村は、芝居がかった間をたっぷりとってから言った。

「でも大丈夫だ。夜間出歩かなければ、まず安全だ。そのうち自衛隊が駆除に来てくれる。何かあったらおれから連絡するから、LINEをまめにチェックしてくれ」

「あほらし。そんなの、役場の公式発表を聞いたらしまいだろ。Twitterに流れてくるじゃないか」

 そう大きな声で遮ったのは、久島だった。やつのじいさんは建設会社の会長で、商工会の会頭をもう四期もしているから、三代揃って威張っていた。

「公式発表を待ちたいやつは待て。最新情報を知りたいやつは、おれのLINEを見たらいい」

 西村が言うと、久島は悔しげに顔を歪めた。

「そんな情報、勝手に流していいのかよ。情報漏えいじゃないか」

「非常時に言ってる場合かよ」西村は、得意気に薄笑いを浮かべて言った。

 その時、先生が教室に入ってきた。皆は、自分の席に座った。

「先生」久島が、授業を始めようとする先生に向かって言った。

「吸血鬼が出たって本当ですか?」

「正式発表じゃないだろう」先生は事もなげに言った。

「夜間外出禁止令が出たのはなぜですか?」

「知らん。夜は外出するなということだ」

 学校の先生はいつもこういう言い方をするから、まともな情報は期待できない。西村が、自分の席でほくそ笑んでいるのが横目に見えた。

 放課後、西村がぼくの席に来た。何か企んでいる顔だった。

「吸血鬼狩りに行こうぜ」

「吸血鬼狩り?」

「ばか。大きな声出すな」

 西村は、声を潜めた。

「こんな機会めったにないぞ。やらなくてどうする」

「だってお前、自衛隊が来るんだろ」

「自衛隊はしばらく来ない。連中は今、米軍基地のテロ事件で手いっぱいだからな。だから、しばらくこの村はほっとかれるんだ」

「だけど、吸血鬼狩りってどうするんだ?危ないじゃないか」

「大丈夫だよ。ちょっと動画を撮るだけだから。危険はない」

「動画?」

「そうだ。吸血鬼の動画を撮って、ユーチューブに投稿すると、全世界から注目されるぞ。凄いじゃないか」

 西村は憑かれたような目をして言った。いかにもお調子者の考えそうなことだった。

「おれはいやだ」

「なんでだよ。頼むよ。手伝ってくれよ」

 西村は、駄々をこねるように食い下がった。やつは八方美人のお調子者だが、こういう時、頼りにする仲間はぼくしかいないのだ。

 とりあえず西村の計画を聞くことにした。やつの言うには、目星をつけた家に、太陽があるうちに入り込んで、寝ているところを撮影して、すぐに引き上げるのだという。

「だけど、目を覚まして、襲いかかってきたらどうするんだ?」

「大丈夫だよ。吸血鬼は、昼は寝ているんだ」

「なんでわかる?見たことあるのか?」

「ネットに書いてあるじゃないか」

 呆れてしまった。西村は、ネット情報をうのみにして、危険極まりない計画を妄想しているらしい。

「却下」ぼくは言った。

「なんでだよ。頼むよ。いいだろう。一緒に来てくれよ」

 西村はしつこく食い下がった。言い出したら聞かないやつのことだから、面倒だった。

「ネット情報を信用して、命をかけるやつがあるかよ。もっとまともな情報を仕入れてこい」

「まともな情報ね」西村は腕組みをして考え込んだ。「となると、あいつしかいないか」

「あいつって…」ぼくが言うと同時に、西村が同じ名前をあげた。


「…というわけで吸血鬼といってもいろんなタイプがいる。それを知らないで、立ち向かったら非常に危険だ」

 真田は、先ほどから一時間近く、吸血鬼の誕生や歴史について、古い文献を例にしながら説明していた。 チビでデブで近眼の真田が、西日の射す教壇に立って威張っているのは滑稽だった。

「だからさあ、物語の話はいいから、現実の話をしてくれ」西村がいい加減じれて言った。

「今、この村にいるやつのことだよ」

「そんなの知るわけないだろう」真田は落ち着き払って言った。「おれは見たわけじゃない」

「なんだと」西村がとうとう切れた。「何の役にも立たん。もういい」

「待て待て」立ち上がろうとする西村を真田が慌てて制した。「日本にいるタイプはだいたいわかる」

「それを早くいえ」西村が忌々しげにつぶやいて座りなおした。

「日本にいるのは古い文献にも登場する古来種だと思って間違いない。三年前に岡山県に出たのもこのタイプで、山間部に多いのが特徴だ。山の中の動物から感染すると思われている」

「どんな能力を持つ?」ぼくが聞いた。

「普通の人間と同じだ。ただ知性はない。昼は寝て、夜に起きる。主に家畜の血を吸う。たまに人間を襲うが、動きが鈍いので、子供や老人以外はつかまらないし、感染力も弱い」

「昼間は寝ているのか?突然、襲われることはないのか?」西村が身を乗り出した。

「ない。昼間は、冬眠しているように動かない」

 西村と私は顔を見合わせてうなずいた。もういいよと、真田を制して、立ち上がった。

「待て」真田は、教壇から尊大に見下ろした。「お前ら、何か企んでるな」

「何もないよ」

「嘘だ。吸血鬼狩りに行くつもりだろう」

「行かないよ」

「先生に言うぞ」

 西村とぼくは真田に近づいて睨みつけた。「なんだと」

 真田は、ぼくらを交互に見上げながら、すがるように言った。

「言わない。言わないよ。その代り、おれも連れていってくれ」


 真田は、以前は村に一人しかいなかった医者の家の息子だった。祖父の時代にはずいぶん繁盛したらしいが、三十年ほど前に総合病院が出来てからは、開店休業状態で、父親は町の病院に勤めに出ていた。

 真田は、頭はよかったが、オカルト狂いの変人だった。特に吸血鬼に関することは、権威といいたくなるほど詳しいので、今回、話を聞いたのだ。

 ちなみに、真田は、運動神経が見事なほど発達しておらず、体育の時間のぶざまな動きは、滑稽を通り越して、悪い冗談にしか見えない。それでもプライドは山のように高く、他人を小馬鹿にするので、友達がいない。ぼくらもあまり相手にしたくないやつだった。

 本当は真田など連れて行きたくなかったが、行きがかり上、断ることができなくなってしまった。


 次の日の放課後、三人で待ち合わせて、村はずれに集合した。その先に、一軒だけ集落から離れた農家がある。

「内山さんの屋敷じゃないかよ」ぼくは言った。「どうしてここなんだ?」

「親父が言ってたんだ」西村が答えた。「内山さん一家が、しばらく姿を見せていない」

 真田は、自分の身体ぐらいある布袋を抱えてきていた。やつは、袋からいろいろなものを取り出して、道に並べ始めた。

「お前ら、おれを仲間にしてよかったな。貸してやる。これを着ろ」

「なんだよ、それ」

「特殊ファイバー製のボディアーマー(防弾チョッキ)だ。この生地はアーミーナイフも通さないから、吸血鬼に噛まれても大丈夫だ。ズボンと手袋も忘れるな。それとフルフェイスヘルメットに特殊ゴーグルだ。全部装着しろ」

「ゴーグルって何だ?」

「吸血鬼の中には、視線に催眠効果を持つ者がいる。その対策だ」

 あっけにとられるぼくらを後目に、真田はそれらを全て装着して、宇宙飛行士のような格好になった。そして言った。

「何をしている?日が暮れるぞ」

 ぼくらも慌ててそれらを着た。何はともあれ、自信に満ち溢れる様子の真田は頼もしかった。連れてきて正解だったと感じられた。

 内山さんの屋敷は、雨戸を閉めて静まり返っていた。それでも気のせいか、人の気配が濃厚にしていた。

敷地に足を踏み入れると、ぼくら三人は慎重になった。

「くそ。持ちにくい」ヘルメットの中から、西村がぼやいた。やつはビデオカメラを持っているので、この分厚い手袋では扱いにくいだろう。

 真田とぼくは、念のために、木刀を握っていた。

 玄関は少し開いていた。その向こうに広がる薄暗い空間がぼくらを誘っているようだ。

「早く入れよ」真田が、二人の後ろに隠れながら言った。

「お前が入れよ」

「本丸はお前たちに任せる。おれは周辺調査をする」真田はそう言い残して、さっさと逃げてしまった。

 後に残されたぼくらは、固まってしまったように動けなくなった。

「どうする?」

「行くか?」

「先に行くか?」

「やめるか?」

「明日にするか?」

「そうするか?」

「おい」突然、真田から肩を掴まれて、仰天した。やつはいつの間にか、背後に戻ってきていたのだ。

「なんだよ。驚かせるな」

 だが、真田は、ひきつったように首を左に振るだけだった。

「どうした?」

「こっち」真田は、ぼくらを左の方へ引っ張っていった。

 その先に、農具を入れておく蔵があった。

「どうしたんだ?」

「見ろ」

 真田の視線を追うと、漆喰の白壁に開いた通風口が、板のようなもので塞いであった。

 ぼくはぞっとして西村を見た。通風口を塞ぐ理由が見当たらない。

 蔵の正面に回ると、鍵が外されていて、いつでも開けられるようになっている。

 三人でしばらく見合っていたが、やがて西村がカメラを構えて正面に陣取った。

「扉を開けてくれ」

「おれたちがか?」

「そうだ。おれはカメラ係だ」

 真田とぼくはぶつぶつ言いながら、左右に分かれて扉に手をかけた。

「開けるぞ」

「おい。ゆっくりだ。ゆっくりだ」

 しかし真田は、力任せに扉を開くと、そのまま十メートルほど逃げて行った。

「おい。ばか」西村は慌てたが、ぼくも扉を開いた。

「どうだ?」

「くそ。暗くて見えない」

「しばらく目を慣らせ」

 ぼくも蔵の中を覗いた。徐々に目が慣れてくると、うっすらと中の様子が見えてきた。何の変哲もない農具が並べてある。

「入るぞ」西村が入っていった。ぼくがその後に続いた。窓を塞いでいるが、少しずつ光が漏れているところがあり、埃の筋になっていた。

 ぼくが懐中電灯を取り出して、蔵の中を端から順番に照らしていった。何もない。

「奥へ行くぞ」

 ぼくらはゆっくりと進んでいった。ようやく後ろから真田が入ってくるのが分かった。

「おい」西村がただならぬ声で注意を促した。

 やつの見ているものがすぐに分かった。一番奥の隅に、トラクターに隠れて、ダイコンのようなものが何本も横たわっている。

 それは足だった。複数の足がトラクターの大きなタイヤの陰から突き出していた。

 西村とぼくは慎重に近づいた。トラクターの裏に回って、懐中電灯を向けた。

人が寝ていた。

 まるで雑魚寝をするように身体を横にした人体が、四体か五体あった。異様な光景だったが、それは死んでいるのではない。農具置き場で寝ているのだった。

 内山さん一家だった。間違いない。内山さんと奥さん。息子夫婦。おじいさんだった。

 西村は、興奮した様子で一心にカメラを回していた。時折、ライトの位置を変えるようにぼくに指示しながら。

「どうした?」後から来た真田がおずおずと覗き込んで「ひっ」と息をのむのが分かった。

「これはすごいぞ。本物だ。おれは本物を見たぞ」真田はうなされたようにつぶやいた。

「おい、待て」ぼくが言った。「静かにしろ」

 真田が何事かと問いかける表情をした。

「今、笑い声がした」

「笑ってないぞ」

「違う。どこからか…」

 ぼくは懐中電灯を上の方に向けて、思わず叫んだ。

 蔵の梁のところに、小さな子供が座って、ぼくら三人を不思議そうに見ていたのだ。

「おい、あれ」

 西村が、子供にカメラを向けた。子供は、首をかしげて、レンズを見ていた。

「変だぞ」ぼくが言った。「あの子が笑った」

「ばかな」真田が言った。

 子供は今度こそ無邪気に笑った。どこか遠くから聞こえるような笑い声だった。

「あの子は無事だったんだ」

 それは内山さんの息子の子供に違いなかった。三歳の男の子だ。

「助けないと」

「やめろ」真田が言った。

 ぼくは、子供の方へ、手を差し出した。子供は不思議そうに見ていたが、やがて嬉しそうな様子で、梁から飛び降りた。

 それは、五メートルはある高さだった。子供は、軽々と着地し、そのまま跳ねるようにぼくに飛び掛かってきた。

 ぼくは叫びながら、後ろへひっくり返った。子供とは思えないものすごい力で、首をつかんで引っ張ろうとした。子供の目が赤く血走っていた。

「くそ」西村が子供を引きはがそうとして背中に手をかけた。すると子供は、西村に飛び掛かった。「しまった。助けてくれ」

 起き上がって、木刀を探したが、どこに取り落としたのか、見当たらなかった。仕方なく、手に持っていた懐中電灯で子供を叩こうとした。

「うわあああ」真田が叫んで逃げていった。

 奥の方から、内山さん一家がぞろぞろと這い出そうとしていたのだ。

「やばいぞ。逃げろ」

 ぼくは、西村にしがみついている子供を懐中電灯で力いっぱい払った。子供は獣のような叫び声を出して、奥の方へ転がっていった。

「来い」呆然とする西村の手をつかんで出口に走った。蔵の扉から出ると、日の光が目を射した。そこで二人は重なり合って転げてしまった。

「見ろ」ぼくは言った。扉の内側から、彼らが外を窺っているのが見えた。日の光を恐れて、外にまでは出てこられないようだった。

 内山さんの屋敷が見えなくなるまで走って、西村とぼくはへたり込んだ。その先に真田がへたり込んでいた。

「昼間は寝ているって言ったじゃないか」ぼくは真田に言った。怒鳴りたかったが、大きな声が出なかった。

「何にしろ、ボディアーマーがなければ、危なかったな。おれがいてよかっただろう」真田はへたりながらも憎々しい口を聞いた。

「噛まれた」西村がつぶやいた。

「なんだって?」

 西村がのろのろと手の甲を示した。そこには、小さな傷があった。

「お前、手袋はどうしたんだ?」

「カメラの扱いがやりにくいので外した」

「ばかか」真田が呆れたように言った。

「どうしよう」西村は、泣きそうになっていたが、ぼくにもどうしていいか分からなかった。

「しっかりしろ」真田が袋の中から、消毒液を出して、西村の甲に掛けた。

「いててて」

 真田は、傷口に念入りにスプレーをすると、そこに湿布を張った。

「大丈夫だ。めったに感染しない」

「本当か?」西村は恐る恐る聞いた。

「本当だ。噛まれても感染するのは、百人に一人くらいだ。今日の夜、高熱が出なければ、感染していない」

「そうか。そうだな。感染していない。感染していない」西村は、湿布を張った手をうらめしそうに見ながら、何度も繰り返して、心を落ち着かせようとした。

「明日の朝まで様子を見ないとな」ぼくは、少し安心しながら言った。「でも、こんな経験はもう金輪際ごめんだからな」

「おれも」西村もしょげながらつぶやいた。


 次の朝、西村は興奮した様子でぼくの席にやってきた。

「おい。見たか。昨日からだけで十七万ヒットだそ」

 西村は、ちゃっかりと昨日のビデオをユーチューブに投稿していたのだ。暗くてわかりにくい動画だが、不気味な迫力があった。特に子供が跳びかかる様子は、恐ろしかった。昨日の恐怖が冷めやらぬぼくとしては、とても正視できるものではなかったが、西村はよほど図太い神経をしているのだろう。

「すごいぞ。おれたちは世界中から注目されている」

「それより、お前、手は何ともないのか?」

「手?ああ。一晩起きてたが、何もない。大丈夫だった」

 のん気なやつだった。その日、西村は、徹夜の反動か、授業中居眠りばかりしていた。


 親父が電話にペコペコしていた。

 あの態度は、久島の親父からの電話だろう。親父は電気工事業で、仕事の大部分を久島建設からもらっている。久島の親父は、うちの親父より若いが、威張りくさっていた。

「国道が封鎖されたそうだ」

 電話を終えた親父が言った。

「それで明日の仕事がなくなった」

「なんで、封鎖されたの?」

「村に吸血病が出たことが県議会で取り上げられたらしい。しばらく出入りができなくなった」

 ユーチューブの動画が世界に配信されたからだと悟った。

「姉ちゃん大丈夫かな。テロで危ないから、帰ってくるって言ったのに」

「ああ。しばらく無理だな」


 親父は東京で会社員をしていた時期もあったが、ばあちゃんの介護のために辞めて村に帰ってきた。会社員時代の技術をいかして電気工事業を始めた。

 親父がどんな気持ちで仕事をしているのかは知らないが、村で新参者は住みやすくない。商工会の役員連中は、皆、三代、四代事業を続けている者ばかりだった。

 親父は、ぼくらには、教育をつけて、この村から出ていかせようとしていた。決して楽な家計ではないのに、塾や予備校に使うお金を惜しもうとはしなかった。

 姉は県の中心部で一人暮らしをして、働きながら看護師になるための学校に通っている。そしてぼくも、来年は町の高校を受験して、姉と同じ部屋に住ませてもらうつもりだった。

 母が早く死んだので、女手がいないのは大変だったが、親父は文句ひとつ言わなかった。だから姉は少し時間があると、家に戻って家事をしようとした。姉は今どき、携帯電話も持たずに節約して働いていた。

 親父は、子供たちを村から出そうとしていることで、余計に仕事仲間から邪険に扱われているはずだった。

 ぼくも、学校で久島たちから露骨に嫌味を言われていた。村が嫌ならさっさと出ていけよ、裏切者。そんな類の低能な嫌味だった。

 そんなことは何でもない。ただ一度だけ泣いたことがある。

 久島が、ある時、学校にいやらしい風俗雑誌を持ってやってきた。わざわざ付箋をつけたページを開いて、ぼくの机に広げて見せた。

「これお前の姉ちゃんに似てるな」久島は一人の写真を指差した。下着姿の女性が、口もとを手で隠して写っていた。

「お前の姉ちゃん、町で看護師の勉強するって言いながら、こんなことしてるんじゃねえの」

 久島とその取り巻きが嘲笑った。

 ぼくはいつもの通り、無視しようとしたが、写真を見てしまうとどうにも悔しくて、涙を流してしまった。

「ふざけるなよ」

 その時、雑誌を取り上げて、めちゃくちゃに破ったのが、西村だった。

「大島の姉ちゃんがこんなことするはずねえだろ」

 激しい剣幕に教室中が静まり返った。西村の声は怒りに震えていた。

「ただの冗談だろ。つまんねえやつ」勢いにのまれた久島は、白けたように去っていった。

 西村は、村役場の家だから久島におもねることがなかった。ゴリラみたいな久島にも平気で向かっていくので、連中は苦手にしているようだった。

 普段は、軽薄なところの目立つ西村だが、意外に芯のあるやつだと知った。

 この時のことは忘れるわけにはいかない。今でも、ずっとそう思っている。


「おい。見たか。二日で五百万ヒットだぞ!」

 西村の興奮は収まらなかった。ユーチューブの動画の再生回数がどんどん増えてきていた。

「ニセモノだ」「釣りだ」などと批判するコメントも多かったが、「本物をはじめてみた」という感想も多かった。外国語のコメントも多く、世界的に関心が高まっていることが分かった。

 西村はLINEで「昼間から雨戸の閉まっている家に近づかないように」「納屋や倉庫も危険だ」などと専門家のような警句を発して得意になっていた。

 よほど機嫌がいいのか、昼休みのバスケットボールで、曲芸のように飛び跳ねて、ダンクシュートを繰り返していた。

 西村はもともと運動神経が抜群にいい。バスケやサッカーは、西村の得意なスポーツだった。だが、その様子を憎々しげに見ている久島一派の姿を見て、嫌な予感がした。午後からの体育で、柔道の授業がある予定だったからだ。

 いくら西村がすばしこいといっても、柔道のようなパワーを使う競技では、久島に叶わない。この数日の対立で、緊張が高まっており、一触即発の状態だった。

 案の定、空気を読まない担任の先生が、久島を前に立たせて「彼に挑戦するやつはいないか」などとやってしまった。

「はい」勢いよく手を上げたのは、やはり西村だった。何を考えているのか、やつは自信満々だった。

 久島がにやりと笑うのが見えた。ぼくは思わず目を覆った。

「はじめ!」

 西村は簡単に久島に組み付いていった。久島は襟首をとって、軽々と持ち上げる…と思っていたが、西村は動かなかった。

 久島は顔を真っ赤にして力をこめているのだが、西村は組んだままじっと動かない。

 久島に焦りの色が浮かんだその時、西村が力任せに、久島をぶん投げた。

 それは、柔道というよりも、引っこ抜くような力投げだった。

 皆が、あっ、という間もなく、久島は三メートルほど投げ飛ばされて、背中から落ちた。

「一本!」

 だが、西村はその声を聞かなかったかのように久島に飛びかかり、太い首を後ろから締め上げた。

「やめろ!」先生が、慌てて引き離した時には、久島は気絶していた。

 柔道場が静まり返った。

 二人の対立をクラスの皆が面白がっていたことは確かだが、まさか、西村がこれほど決定的に決着をつけてしまうとは、誰も想像していなかった。

 久島の取り巻き連中は青ざめて凍り付いていたし、その他の者も、衝撃を受けて何も言えなかった。西村だけが得意気な顔で立っていた。


「おい」学校が終わってさっさと帰ろうとする真田を呼び止めた。やつは悪いところを見つかったように首をすくめた。

「ちょっと質問がある」

「な、なんだよ」

「一昨日の内山さんのところだけど、なんで全員が感染したんだ?」

「どうして?」

「吸血鬼に噛まれても、百人に一人しか感染しないんだろ?それなら、なんで内山さんのところは、一家六人全員が感染した?ありえない確率じゃないか?」

「ありえないって言っても、それは確率なんだから、あるかも知れないよ」

「ごまかすな。昼間に起きだしてきたのも、お前の話と違ったし、なにより子供の動きがすごすぎる。あれでは超人じゃないか。お前の情報は、いい加減だ」

「なんだと」プライドを傷つけられて、真田は憤慨したが、ぼくの怒りを見て、すぐに目を伏せた。

「お前は吸血鬼の権威なんだろ。分かるように説明してみろよ」

 真田は躊躇していたが、諦めたようにため息を深くついた。

 そしてぼくを校庭の端まで連れていった。

「ユーチューブの動画にコメントがいっぱいついているのを知っているな」

 真田は、誰にも聞かれない場所だというのに、さらに声を潜めて言った。

「知ってる」

「コメントの中に、外国人のものも結構ある。その中に、気になるものがあったんだ」

「何だ?」

「あの動画に映っている吸血鬼は、日本の古来種ではない。ヨーロッパ型だという指摘だ」

「何だって?」ぼくは驚いた。「お前、日本には古来種しかいないって言わなかったか」

「常識ではそうだ」真田は眉間に皺を寄せて言った。「だが、確かにあの動きは古来種と考えるにはおかしい。その外国人のコメントは、東欧にいるタイプに見えると書いていた」

「東欧のやつが、日本に入ってきたっていうのか?しかし、これだけ海外旅行が自由になった今、あったって不思議じゃないだろう。なんでその可能性を考えなかった?」

「日本に入ってきたとしても、東京や大阪などの大都会ならわかるが、この村のような僻地にいきなり発生するとは考えにくい。山間部に発生するのは、過去の事例からいっても古来種だと考えて間違いなかった。それに、EUは吸血病をほぼ完全に把握しているし、東欧型は五十年以上発生していない」

「じゃあ、なんで…」

「米軍基地からウィルスが漏れたのかも知れない」真田はつぶやいた。「第二次世界大戦で、アメリカの兵隊が、ヨーロッパ型の吸血ウィルスに感染したのはよく知られた話だが、軍が研究のために、そのウィルスを使って動物実験をしているという噂がある。もし、あれが東欧にいるタイプなら、その線からの感染なのかも知れない」

「吸血ウィルスで動物実験だと?アメリカ軍はそんなことをしているのか?」

「軍が吸血ウィルスの研究をするのは常識だぞ。ナチスドイツや昔の日本軍は、人体実験までやっていたという話だ」

 確かにネットにはそういう情報があふれているが、本当だとは思っていなかった。

「基地から吸血ウィルスが漏れるなんて、重大事件じゃないか。そんな話なら、ニュースになっているはずだぞ」

「いいか、前に説明したけど、どの国も吸血病の発生を恐れていて、厳重に管理している。吸血病の発生は、観光業やその他の産業にとって大打撃になるからな。厳重に管理していても、人間のやることだから、漏れることはあるだろう。今までも、アメリカで吸血鬼が発生したという噂がないわけじゃないが、殆どの場合、ニュースになる前に非公式に駆除されて、政府が公式に認めることはない。特に東欧型は完全管理されていることになっているから、これが発生したということは認めたくないだろう」

「東欧型って、そんなに厄介なのか?」

 真田は、深刻そうに顔をしかめた。

「感染率がほぼ百パーセントだと言われている」

「なんだと?」

「噛まれれば、確実に感染する」

 真田は続けた。

「問題は、それだけじゃない。東欧型に感染すれば、身体能力が超人的に高まり、その上に、狂暴化すると言われている」

「じゃあ、西村は…」

 真田は意味ありげにうなずいた。

「東欧型の潜伏期間は、二日から三日。最初は身体能力が高まり、逆に元気になったように見える。しかし、その後は徐々に衰弱していって、一週間で死亡する。そして、その一日後に吸血鬼として復活する」

 ぼくは衝撃で気が遠くなりそうだった。西村の異様に元気な姿を思い浮かべた。

「西村は、一週間ほどで吸血鬼になってしまうのか?」

「いや。全員が吸血鬼になるわけではない。半数ぐらいはそのまま生き返らずに死んでしまう。逆に、ごくまれにだが、死なずに生き伸びる者もいる。死ななければ人間としての理性を保ったままでいる者が多い。今、WHOに保護されている吸血鬼は、こういう人たちだ。厳密には、死んでいないので、法的には人間だからな。ただ、そういう人たちも、血を吸う特徴を持つことに変わりない」

「いったん死んで、吸血鬼として復活した者とどう違うんだ?」

「いったん死んでしまえば、法的には死者だから保護されない。駆除の対象となる。それに死んだ時に脳の理性を司る部分が破壊されて狂暴化する。ほとんど野生動物と変わりない」

「吸血ウィルスに感染しても、死なない人はどれぐらいいる?」

「1、2パーセントだろう」

1、2パーセントだと?ほとんど絶望じゃないか。ぼくは目の前が真っ暗になった。

「西村はどうなるんだ…」

 真田は、あきらめたように首を振った。


 LINEでは、西村は相変わらず意気軒昂で、道路封鎖の情報や、自衛隊の動きなどをまめに報告していた。

 道路が封鎖されたままなので、不便を訴える者が増えてきた。県に働きに出ている人も多いので、仕事に行けない者、逆に県の仕事場から帰ってこられない者などが結構いるらしい。大人たちがイライラしているのが分かった。

 吸血鬼の目撃情報も増えてきていた。LINEだけではなく、mixiやtwitterには、夜中、家の外で飛び跳ねる子供を見たとか、じっと佇む若い女の姿をみたといった話が飛び交っていた。あるいは、隣の家が昼間から雨戸を閉めて出てこないという情報も多かった。

 夜、慌ただしい雰囲気の電話の後、親父が仕事に行くと言い出した。

「仕方ない。久島さんのところが、停電したらしい。今すぐ行かないと」

「今、外に出たら駄目だ」ぼくは驚いて言った。「明日にしてもらえよ」

 だが、親父は耳を貸さなかった。どうしても今日のうちになんとかしてくれという電話だったのだ。

「心配するな。万全な防備でいく」親父は言って、厚手の作業着と革手袋と安全靴と目出しマスクとヘルメットをつけた。

 親父はわかっていない。今、外にいるのは、ヨーロッパ型の狂暴なやつなのだ。

「おれも行く」ぼくは言った。親父が呆れて、振り返った。

「駄目だ。お前は家にいろ」

「家に一人でいるのは嫌だ。怖いよ」ぼくは駄々をこねるふりをして粘った。親父はついに折れて、ぼくにぶかぶかの作業着を着せた。

 家の前に停めた親父の軽トラに乗るだけで、心臓が飛び出そうになるぐらい恐ろしかった。が、何事もなく車を出すことができた。途中の道でも、何も変わりはなかった。

 久島の屋敷の前に車を停めて、携帯から電話をした。親父の携帯電話なのに、久島の親父のだみ声がぼくにまではっきり聞こえた。

「遅かったな。早く何とかしてくれや」

 親父は、懐中電灯を持って、車から出た。ぼくも出ようとしたが、恐ろしい顔で制止された。ぼくは車の中から屋敷の電気配線を調べる親父を注視した。親父に迫る危機を何も見逃さない。もし何かあれば、密かに持っている大型スパナで叩きのめすつもりだった。

 親父は停電の原因をつきとめて一度車に戻ってきた。荷台から工具を取り出して、また修理に向かっていった。

「電灯を持ってやろうか」ぼくは言ったが、親父は答えなかった。

 親父は頭を斜めに傾けて、首のところに挟んだ懐中電灯で前を照らしながら作業を始めた。そんな不自由な姿勢だからいつもより手間取っているように見えた。それを見ているぼくには、永遠に近い時間がかかっているように思えた。

 その時、親父の後方に白い影があるのに気付いた。ぼくは、その影に全神経を集中した。すると、それがぼくの方に顔を向けるのが分かった。

 女だ。

 女が木の陰から、じっとこちらの様子を窺っているのだ。

「危ない!」ぼくは車を飛び出して親父に駆け寄った。

 ちょうど、修理を終えて、久島の家の電気がつくところだった。ぼくの行動を見て驚いたようだった。

「早く!」ぼくはおやじに合図した。親父は工具をその場に捨てて、走って戻ってきた。

「なんだ?」

「なんでもいい。早く」ぼくらは、慌てふためきながら車に飛び乗った。「エンジンを掛けて」

 親父がキーを回すと、エンジンがかかった。ライトが女のいた位置を照らしたが、もういなくなっていた。

「いたんだ。女が。吸血鬼だよ」ぼくの必死な様子を見て、親父は黙って車を出した。車を走らせながら「ありがとう」とぼくに言った。


「昨日はご苦労」

 久島が、横柄な態度で言うので、ぼくは怒りをこめて睨んだ。

「なんだよ。電気屋なんだから、修理するのは当然だろ」

 気分を害した久島は、さらに横柄に迫った。

「お前のところはいいよな。吸血鬼騒ぎで仕事が増えてよ。こっちは仕事上がったりなんだから、昨日のはサービスしとけよ」

 確かに、この数日、停電したといって親父に依頼する家が増えていた。夜の間に、吸血鬼が配線を引きちぎったりしているのかも知れなかった。ただ、そんな家も、朝まで我慢してくれるのが普通だった。この非常時に、夜中に修理に来いというのは、久島の家が初めてだった。

「いたたたた」久島が突然身体をエビのように後ろにそらせた。

 背後から西村が、髪の毛をつかんで引っ張っていたのだ。

「何しやがる」久島は苦しげにうめいた。

「何がサービスしろだ?」西村は怒りに震えた声を出した。「もういっぺん言ってみろ」

「お前には関係ないだろ」

「大島は、おれの友達だ」西村が手を放すと久島は音を立てて後ろに倒れた。

「ちくしょう」久島はのっそりと立ち上がり、全身を怒りでわななかせて、西村に向かった。しかし、西村は軽く近づいて、久島の首に手をかけて締め上げた。ものすごい力だった。久島の身体が宙に浮いたと思うと、そのまま後ろに押し投げられた。

 西村はまた軽い足取りで近づいていき、倒れている久島の襟首をつかんで引き立たせ、もう一度、首に手をかけた。今度は、のど仏を握りつぶすように力を入れた。

 耐えきれずに、久島が涙を流して泣き出した。

 ところが、西村は怒りをさらに増幅させた。

「何を泣いてやがる。ゴリラ。散々偉そうにしやがって、ちょっとやられると泣き出すのかよ。クズ野郎」

「やめてくれ」「助けてくれ」取り巻き連中が、西村の腕にすがった。西村は、一度手を放したが、すぐに髪の毛を持って、久島の顔を机に繰り返し叩きつけた。

 もう久島の鳴き声は、爆発したかのような勢いになっていた。取り巻き連中も、何も言えずに見ているだけだった。

「やめろ。もう十分だ」ぼくが言うと、西村が手を止めて、ぼくを見た。その目は、まだ怒りに充血していた。

「もういいんだ。やめてくれ」

 西村は、いまいましげにぼくから目をそらすと、久島に言った。

「大島に偉そうな口を聞いてみろ、お前とお前の親父と、お前のじじいと全員揃っていつでも半殺しにしてやるぞ」

 だが大島が泣いたままでいるので、西村は「聞いてるのか」と頭を蹴り上げた。

「聞いてる。聞いています」慌てて言ったのは、取り巻き連中だった。

 自分の席に突っ伏して、居眠りの体制に入った西村に近づいて、ぼくは言った。

「大丈夫か?」

 西村は、まだ怒りを抑えきれないのか、身体を小刻みに震わせていた。

「ああ。なんだか、最近、むちゃくちゃ腹が立つんだ。なんだか分からないが自分が抑えきれない。おれ、どうしてしまったんだろう」

 西村は突っ伏したままそう言って、顔を隠した。

 こちらを見ていた真田と目があったが、やつはすぐに目をそらした。


 その一日、西村は授業中ずっと居眠りして過ごした。そして、次の日から学校に出てこなくなった。

 三日間、何の音沙汰もなかった。LINEの投稿もない。日曜日、西村の家を訪ねた。

 体調が悪く、ずっと寝込んでいるということだった。家の人は心配したが、無理を言って、部屋に入らせてもらった。

 ベッドの中にいる西村は、肌の色がどす黒く、干からびたようになっていた。

「悪いのか?」

「ああ」西村はかすれる声で答えた。「昼はだいたいこんな感じだ。だけど夜になると元気になるんだ」

 ぼくは何も言うことができなかった。

「なあ」西村は濁った目でぼくを見て言った。「おれは感染したのかな」

 ぼくは息を飲んだ。

「そうだろ。知ってるだろ。真田が何か言ってたか。頼む。教えてくれ。何を言われても驚かない」

ぼくは微かに首を振った。「分からない」

「そうか」西村は落胆して目を閉じた。目を閉じた顔は、既にデスマスクのようだった。

「何とかする」ぼくは思わず言った。「調べるよ。何がどうなっているのか。助かる方法があるはずだ。だからしっかりしろ」

 西村は、もう一度目を開けてぼくを見た。「ありがとう。おまえが頼りだ」そして少しだけ笑ってみせた。


 学校で露骨に避けようとする真田を捕まえ、校庭の端に連れて行った。

「西村を助けたい。おれなりに調べた」

「お前が調べたのか。そうか」

「ああ。ワクチンがあるはずだ。全国の病院に配布されているはずだ」

「うちにはないよ」

「総合病院にはあるはずだ」

「駄目だ」真田は即座に言った。「ワクチンは、古来種のためのものだ。ヨーロッパ型には効かない」

「効くかどうか分からないじゃないか。やらないよりマシだ」

「無理だよ」真田は苦しげに首を振った。「ワクチンは、症状を悪化させないためのものだ。完治させることはできない」

「ワクチンがあれば西村は死なずに済むかも知れない。そうすれば、西村は、法的には人間のままだから、保護されるはずだ。総合病院に一緒に来てくれ」

「いやだ」真田は何度も首を振って強く言った。「病院が早いうちから休院しているのは知っているだろう。病院なんて、一番感染しやすいところなんだぞ。今、あそこは吸血鬼の巣窟になっているはずだよ」

「昼間なら大丈夫だろう」

「内山さんのところで懲りただろう?今度はお前がやられるぞ。自衛隊が救援に来るのを待て」

「時間がない。このままでは西村は確実に死ぬ」

「おれは嫌だ。行くなら、お前ひとりで行け」

「お前がいないと、どれがワクチンか分からないじゃないか」

「ばか言うな。おれにも分からん。お前と同じ程度の知識しかない。足手まといになるだけだよ」

 真田はすがるような目で訴えていた。

 仕方なかった。呆れることもないし、腹を立てることもない。それが普通の反応だと思った。

「分かった。おれ一人で言ってくるよ」諦めて言った。「その代り、ボディアーマーとか、防護セットを貸してくれないか」

 真田は、電気がついたように明るい顔をした。「そうか。分かってくれたか。貸してやるよ。何でも貸してやる。いつでも言ってくれ。レンタル料はとらない。返す時に洗濯してくれたら大丈夫だ」


 時間がなかった。ぼくはその足で、真田の家に行き、一式を借り受けた。

「そうだ。これも持って行け」

 真田が持ってきたのは、携帯バッテリー付きの大型ライトだった。

「紫外線ライトだ。やつらの動きを止めるのに、少しは役に立つ」

「ありがとう。助かるよ」

「頑張れよ。生きて帰ってこい」

 ぼくは、村はずれの病院の敷地に急いだ。既に日が傾きかけている。躊躇している暇はない。

 玄関の前で、ボディアーマーとズボンと手袋とゴーグルとヘルメットをつけた。二度目だから前よりは早く着ることができた。携帯バッテリーと大型ライトを持って、病院の玄関に向かった。

「事情によりしばらく休診します」と書かれた張り紙のドアを押したが、鍵がかかっていて動かなかった。

 別のドアを探そうと移動した。その時だった。

「待て」肩で息をしながら、全身を大げさな鎧で固めたような背の低い男がぼくの後ろに立っていた。

「お前、来てくれたのか…」

 真田は、ヘルメットの上や腰や胸にいくつもライトを取り付けて、両手に木刀とさすまたを持ち、八つ墓村の殺人鬼のような風体だった。

 そんな滑稽な姿で「おれがいないと困るだろ」と格好をつけてみせた。


「厄介だな」真田が言った。「この張り紙と鍵のかかった扉。やつらが、知性を残しているということだ」

「裏口を探そう」

「いや。裏口も鍵がかかっているはずだ。ここを突破するしかない」

 真田は、ポケットからカッターのようなものを取り出した。

「ガラスカッターだ。こういうこともあろうかと持ってきた」

 真田の用意のよさに感心してしまった。やつは手際よく、ガラスに四角い傷をつけてから、足でけり出した。ガラスがきれいにはずれて、向こう側に落ちた。

「よし。外れた。行こう」その穴を通り抜けようとしたが、ヘルメットのライトがつっかえて頭を入れることさえできなかった。

 ぼくは、真田を穴からどかすと、手を中に入れて、内側から鍵を開けた。扉が開いた。

「さあ、行こう」


 病院の中はほとんど暗闇だった。もともと直射日光が入らない設計になっているので、電気を消すと真っ暗になる。ぼくは壁にある電気のスイッチを押したが、電源を切られているのか、電気はつかなかった。

「どこだ?どこへ行けばいい?」

「こっちだ」真田は、奥へ続く廊下を示した。「ワクチンがあるとすれば内科だろう」

 奥へ進むほど暗闇が濃くなっていった。角を二つ曲がって、内科の前に着いた。

「どうだ?」

 ぼくは首を振った。人の気配はない。思い切って戸を引くと、簡単に開いた。

 部屋の中は、廊下ほど暗くはなかった。閉めたブラインドから西日が漏れて、十分に目視できる。

 だが、そこには何もなかった。引っ越しした後のように、がらんどうで、床に書類や小さな器具が転がっていた。

「どういうことだ?」

 ぼくらは、隣の部屋も開けてみた。同じだった。やはりがらんどうで、荷物を持ち出した形跡がある。

いくつかの部屋を見たが、同じだった。

「そうか」真田が言った。「地下だ。やつらは光を嫌う。地下に集結してるんだ」

 ぼくはぞっとして真田と目を合わせた。しかし躊躇している暇はない。既に日が赤くなっていた。

 地下に向かう階段を見つけて、慎重に降りて行った。地下はさらに暗闇になるに違いなかった。

 地下におりるにつれて怖気づいてきた真田は、ぼくの腰のあたりを強くつかんで離さなくなった。

「おい。強くつかむな。歩きにくいだろ」

「さきさき行くなよ」

「うわっ」

 真田が腰を強く引いたので、ぼくはバランスを崩した。同時に真田もよろけて、二人して階段を転げ落ちてしまった。

「いてててて」

 ぼくは腰を強打して、しばらく動けなかった。真田は無事だったようだが「どこだ。大島、どこだ」と暗闇の中でぼくを探している様子だった。

「ここだ」ぼくは痛みに気が遠くなりそうになりながら言った。

「大丈夫か?」

「大丈夫じゃない。腰を打った」

「そうか。腰を打ったか。休んでくれ。気の済むまで休んでくれ」真田は、気を遣ってそう言ったが、ゆっくり休んでいるわけにはいかなかった。

「電気をつけられないのか?」ぼくは言った。

「ああ。そうだ」真田は今頃気づいて胸のライトをつけたが、それはいわゆるブラックライトで、暗闇を照らすには適切ではなかった。

「懐中電灯はないのか?」

「ある」真田はポケットから懐中電灯を取り出して、点灯した。ようやく視界が開けた。

 地下は狭い通路になっている。何が出るか分からないが、夜になる前に探し出さなければ大変なことになる。ぼくは痛む腰のことなど忘れて、奥に向かうことにした。

 すぐ右手に大きな部屋があった。確かレントゲン室のはずだった。

 ここを開けるぞ。身振りで合図をし、そろそろと戸を引いた。

 最初の部屋には何もなかった。部屋の奥にはさらに撮影室がある。そこに顔を近づけたが、真っ暗で何も見えなかった。

「懐中電灯をくれ」真田から受け取って、撮影室の中を照らした。

 それは凄まじい光景だった。

 無数といっていいぐらいの人体が、でかい蛆虫の大群のように密集して横たわっていた。皆が一様に顔を埋めて、生白い首筋や腕や足だけが、複雑に絡まり合って、幾何学模様のような表面を形作っている。五十や六十体はありそうだった。

「おえっ」真田が嗚咽した。こんなところでやめろよ。ぼくは思ったが、こちらも嘔吐しそうだった。

「行こう。さっさと見つけて、こんなところ、バイバイしよう」ぼくは真田を促し、やつらを起こさないように静かに外へ出た。

 次の部屋は手術室となっていた。ぼくは真田に合図をして、入っていった。

 ここも最初の部屋は何もなく、奥にガラスで仕切られた大きな部屋がある。

 何を見ても驚かないと、覚悟しながら懐中電灯の光を当てた。

「おい。これは…」

 そこには、様々な機械や器具が運び込まれていて、研究施設のようになっていた。テーブルの上に、血に見える液体が入ったフラスコやビーカーがいくつも並べられていて、その横にはホルマリン浸けの内臓のようなものまである。狂人博士の研究室のようだった。

 さらに異様なのは、テーブルの向こうに、十近いベッドが運びこまれていて、その上には青白い人間のようなものが厳重に縛られて乗っかっていた。

 ある者は死体のように見える。ある者は瀕死の患者のように点滴を受けながら喘いでいる。ある者は身体を切り刻まれて内臓を晒している。ある者は口蓋を横に切り開かれて長い舌を巨大な鬼百合のように屹立させている。

 何より恐ろしいのは、それらが皆、胸を切り刻まれた身体でさえも、生きているかのようにもぞもぞと動いていることだった。

「ここだったんだ」真田がうめくように言った。「ここが発生源だったんだ」

「おい」ぼくは言った。「ワクチンはあるか?」

 真田は、軽蔑したようにぼくを見て言った。「おれに分かると思うか?」

「なんてことだ」ぼくは頭を抱えた。

 突然、地獄から響くような野太い声がした。

「誰だあああ!」

 懐中電灯が照らしたのは、白衣を着た大男だった。その顔には見覚えがあった。

 松尾医師。この病院の院長だった。

 ぼくも何度か診察を受けたことがある。だが、目の前にいる男は、既に生気を失った目をした松尾医師の仮面を被ったものだった。

「うわあああ」真田が叫んでその場にへたり込んだ。腰を抜かしたのだ。

 だが、松尾医師らしきものは、獣のような叫びを上げて、奥の部屋に逃げ込んだ。

 そうか。ぼくは悟った。真田の持つ紫外線ライトが効いたのだ。

 懐中電灯を捨てて、すぐに自分の持っている大型ライトを点灯させた。携帯バッテリーがなめらかな音を立てた。

「ぎょえええええ!」

 ぼくの持っているライトが偶然天井を照らしたために、そこにへばりついていたでかいヤモリのようなやつが、叫び声を上げて逃げていった。危ないところだった。

「おい、腰を抜かしてる場合か。ライトを点けろ」

「ふぇ?」

「さっさとしろ。おれは先に逃げるぞ」

 真田は、生き返ったかのように飛び起きて、自分の持っているライトをすべて点けた。

「逃げろ」

 ぼくらは、廊下に飛び出した。やつらが動き出す気配がしていた。

 狭い廊下を転げそうになりながら走った。

「階段はどこだ?」

「知らん!」

「知らんなら黙ってろ!」

 行く手側の扉が開いて、やつらが飛び出してきた。

「しまった。戻れ」

 しかし、後ろからはさらに多くのやつらが迫ってきていた。

「くそ。お前はそっちを見ていてくれ」真田に言って、後ろから迫るやつらに大型の紫外線ライトを浴びせた。やつらは、天井を這うやつも含めて、悲鳴を上げて逃げていった。

「そっちはどうだ?」

「ライトが弱いから追い払うことができない。だが、近づいては来ない」

「よし。入れ替わろう」

 真田と背中合わせになって回転した。ライトを浴びせると、出てきた部屋に引っ込んだ。

「今だ」

 真田の背中をつかんで走った。階段を駆け上がろうとしたが、真田がバランスを崩して転げた。

「助けてくれ」

 真田の足を追いかけてきたやつらが掴んだ。一瞬の間に、真田はやつらの中に引きずり込まれた。

「くそ」ぼくは、廊下に戻って、ライトを浴びせた。光を浴びせられた便所虫のようにやつらが散って逃げた。

 真田は気絶したようだったが、紫外線ライトを三つもつけているので、致命傷は受けていないようだった。

 ぼくは戻って、真田の重い身体を引きずった。

「捕まえろ。殺すな」暗闇の中から、松尾医師の声が響いてきた。やつらは飛びかかれる瞬間を待っているようだった。

「おい。起きろ。真田」

「ううん」真田は寝ぼけたように唸った。

「真田。よく聞け。あいつらは生け捕りにする気だ。すぐには殺さないだろう。いったん帰って、助けを呼んでくる。それまで人質になっていてくれ」

「ばか言うな!」真田は憤慨して飛び起きた。

「逃げろ」

 真田は、見たこともないような勢いで階段を駆け上がった。ぼくはしんがりを務めるべく、後ろのやつらにライトを向けながら階段を上った。

 ぼくが病院の玄関を出る頃には、真田ははるかかなたを走っていた。ぼくもその後を追って走った。

 日が沈みかけていた。

「このまま帰るぞ」ぼくが叫んだのも聞こえていないのか、真田は一目散に逃げていった。やつがこれほど運動するのは生まれて初めてだろう。人間とは、極限になれば、信じられない力を発揮するのだなあと驚いた。


 家に帰ってすぐに西村に電話した。もうぼくらではどうしようもない。やつにこれまでの経緯を包み隠さず説明した。

「だから、親父さんに頼んで、自衛隊に来てもらえ。ヘリコプターで連れていってもらったらいい。東京の大きな病院には、ワクチンがあるはずだ。お前が助かるにはそれしかない」

 西村はじっと聞いていた。ぼくの話がすべて終わっても、しばらく黙っていたが、やがて意外に落ち着いたしっかりした声で言った。

「もう親父には頼んだ。でも駄目だった」

「なんでだ?」

「政府はおれたちを見捨てた。掃討するつもりらしい」

「なんだと?」

「村のことは、国際的に問題になっている。国内だけのことなら、内々に処理することもできただろうが、これほど情報が広まれば、完全に制圧しなければ収まらない。政府は今、その準備をしている。政府からすれば、感染者の保護など二の次、三の次だ。村が全滅しても、これ以上拡散させないことの方が重要なんだ」

 西村は声を震わせた。

「全て、おれが、馬鹿みたいに動画をユーチューブに投稿なんかしたからだ。自業自得だよ。だから、お前も、これ以上関わるな。お前まで消されてしまうぞ」

「だって、お前は、死んでしまうぞ…」

「ああ」西村は淡々と言った。「だが、まだ手はある。お前の話では、総合病院の松尾医師が黒幕なんだろう。そいつなら、ワクチンの研究もしているかも知れない。それをもらってくればいいんだ」

「無理だよ」ぼくは言った。「あんな恐ろしいところに行く気なのか」

「今は、おれも、やつらに近い」西村は、少し笑った。「だから大丈夫だ。夜は、力がみなぎっている。久島のバカみたいに、叩きのめして、ありかを聞き出してやる」

 ぼくは言うべき言葉を失った。それしか西村が生き延びる方法はないとしても、あまりにも危険すぎる。

「ありがとう。恩に着るよ」やつはそう言って、電話を切った。

 LINEやtwitterを見ようとしたが、つながらなかった。インターネットそのものにアクセスできなかった。

 西村の言う通りなら、政府がこの地域のインターネット接続環境を停止したのかも知れない。これ以上、情報を拡散させないようにしたというのだろう。

 いつの間にか、携帯電話もつながらなくなっていた。固定電話も同じかも知れない。

 ぼくは二階の窓から静寂に包まれた村の風景を眺めた。点々と続く街灯が、寂しい道や畑を遠く浮かび上がらせている。このどこかに、吸血鬼がうごめいているのだ。

 そして、その中を、西村が、孤独な魂を抱えながら、最後の戦いに向かっている。

 ぼくは自分の勇気のなさを呪った。こんな大切な時に、西村の力になれない。

 その時、気付いた。街灯と街灯の間、暗いところに、かすかに白く浮かび上がるものがある。

 女の人だった。

 いつか見たことがある。同じ人に違いない。

 こちらをじっと窺っている。

 その人の顔に目を凝らした。


 次の朝、学校で、青白い顔をした真田がやってきた。やつも寝ていないのだろう。

「朝方、西村が来た」真田が言った。「おれの部屋の雨戸を叩いて、おれに呼びかけたんだ。雨戸を少し開けて、見ると、西村がいた」

「何だって?」

「怪我していた。脇腹のあたりを抑えていた。西村は、ガラスのビンに入った血を持ってきて、吸血鬼の血をとってきたと言った。それで、これで血清を作ってくれと頼んできた」

「血清だと?作れるのか?」

 真田は泣き出しそうに顔を歪めて首を振った。

「道具もない。第一、血清を作るには、半年ほどかかる。間に合わない」

 なんてことだ。それが、西村の最後の望みだったのだろう。それも叶えられなかったのか。

「西村は?」

「行ってしまった。ありがとうと言ってな。お前にも、よろしく言ってくれと言っていた」


 ぼくは学校を出て家に戻った。道具をとって、そのまま昨日の総合病院に向かった。

 村はすでにゴーストタウンのようになっていた。朝から雨戸を閉めたままの家が、やたらに目についた。 道に乗り捨てられた車があちこちにあった。

 総合病院の玄関は昨日のまま開いていた。ぼくはその中に入って怒鳴った。

「来たぞ!お前らを退治しにきた!」

 そして地下に降りる階段を躊躇なく進んでいった。

「来るならきやがれ!おれが殺してやる!」

 叫びながら、手術室の扉を開けて、紫外線ライトを照射した。

「うおおおおおお!」

 だが、手術室には、何もなかった。昨日見たテーブルの上のビンも器具も、ベッドもその上に縛られた吸血鬼も。一晩でもぬけの殻になっていた。

 レントゲン室も、MR室も、霊安室も同じだった。慌ただしく出ていった形跡はあるものの、吸血鬼たちは残っていなかった。やつらは、消えてしまったのだ。

「くそおおおおお!」ぼくは、悔し紛れに叫んだ。狭い地下のスペースにぼくの声が反響した。

 涙が流れてきた。それでもぼくは叫び続けた。声が枯れて、体力がなくなって、声が出せなくなるまで叫び続けた。


 次の日、村に自衛隊が進攻した。動画配信から一週間も経っていた。

 全身防護服に身を包んだ一軍は、緊迫した様子で、村を一軒ずつ調べて回った。

 しかし、拍子抜けだった。村には、吸血鬼が一体もいなかったのだ。

 内山さんの屋敷も、ただの空家になっていた。

 ただし行方不明者は、百人以上に上った。村の全人口七千人弱のうち、百人がやられてしまったと推察された。

 夏休みの間、ぼくや真田は、警察と自衛隊と保健所とよくわからない政府機関から呼ばれてこってりと絞られた。ぼくらが、病院に侵入しなければ、やつらは逃げなかったはずだと言われた。彼らは、吸血ウィルス感染者を全て抹殺するつもりだったのだ。複雑な気持ちだった。

 親父も同じように呼ばれて絞られたらしいが、ぼくには何も言わなかった。小言も言わなかった。

 ぼくは、予定通り、県の高校に合格し、今は、一人暮らしをしながら、東京の大学に行くために勉強している。親父は、ぼくに仕送りを続けている。いつか、ぼくが、親父を楽にさせてあげたい。


 高校二年の夏だった。ぼくのアパートに差出人名のない一通の封書が届いた。封を切ると、予想通りそれは、西村からだった。


大島へ

久しぶり。元気にしているか?

長い間、連絡しなくて申し訳ない。お前の住所が分からなかったんだ。

お前には感謝しているよ。何も言わずに、行ってしまって済まなかった。

おれは何とか生きているよ。


おれは今、松尾先生と一緒にいる。

驚いたかな?

お前たちも、おれも松尾先生のことを誤解していた。

あの人は立派な人だ。

自らも吸血ウィルスに侵されながら、ワクチンを開発して、おれたちを救ってくれた。

あの病院は、松尾先生の即席の研究施設だったのだ。

だからあの病院がウィルスの発生源だというのは間違っている。先生は、病院に感染者を集めて、保護しておられたのだ。

おれは知らないで、松尾先生の仲間を傷つけてしまったが、逆に怪我をして動けないおれを助けてくれたのは、彼らだった。

おかげでおれは、まだ人間のままでいられる。法的には…


松尾先生は、一度死んで吸血鬼になった者も救おうとされている。

先生の開発したワクチンを投与すれば、人間らしい理性や感情が復活する例もある。少なくとも凶暴性は薄れる。生前の記憶をわずかだが回復させる者もいる。

先生の研究がもう少し進めば、生前と変わらない人格に戻すことができるかも知れない。


おれたちは、今、誰も知らないところで、共同生活を送っている。ほぼ自給自足の生活だ。

おれたちは吸血ウィルスに侵されたが、実際のところ、人血をとらなくても生きることはできる。家畜の血でもいいし、血液製剤でもいい。松尾先生自身は、ほぼ普通の人間と同じ食事で過ごしている。もっともこれは、先生なりの制御心が必要だが。


おれたちの夢は、いつか、普通の人間と一緒に暮らせるようになることだ。いつかその時が来ると松尾先生は仰っている。

一度死んだ者も実際には人間と同じだ。笑う者も泣く者もいる。人血を吸わないように教えれば、我慢できる者もいる。いつかは、全員がそうなるはずだ。

だから、もし、おれの両親に会う機会があったら、それとなく伝えてほしい。おれは元気だと。

厄介なことを頼んで申し訳ないが、お前にしか頼めないのだ。


そうそう。お前のお姉さんも一緒にいるよ。

お姉さんは、一度死んだ人だが、最初から凶暴性は強くなかった。そういう人もいるのだ。

まだ言葉は話せないが、回復状況は良好だ。これはおれの勘だが、ある程度、記憶を残しているのかも知れない。お前の話をすると、少し嬉しそうな顔になるのだ。


またお前と会える日が来るとおれは信じている。

政府は、おれたちの存在を認めていないが、いつか認める時が来るだろう。松尾先生は賢い人だからその時期を待っているのだ。

お前は、高校生だな。もうすぐ大学生。そのうち大人になるのか。

いつ会えるだろうか。

大人になったお前を見て、おれたちは驚くのだろうな。

なにしろ、おれたちは歳をとらない。いや正確には、歳をとるのが極めて遅い。いつまでも子供のままだ。

お前のお姉さんも、いつまでも若くて綺麗だぞ。

お前の方が、おれたちを見て、驚くだろうな。

その時が来るのを楽しみに待っている。

西村より

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