殺さない理由。

「どうしても、取引をしてくれないんですか?」

 町工場を経営する社長は、禿げた頭を下げ、泣きながら乞う。先代から代々、同じ製造メーカーに仕えてきた。取引の100%はそのメーカーだ。今日もメーカーの仕入れ担当者の男から、ネチネチと取引条件について言われているのだ。


「いつも言ってるじゃないか。あなたのところよりも安くで納入してくれるところがたくさんあるんだ。こっちも慈善事業じゃない、ビジネスだからな」

 土下座をし始めた社長に、冷静に言い放つ。クビをくくろうと、知ったことか。


 担当者の男は思う。“あの時に、自殺をしなくて良かったな”と。


 ──今から20年前。まだハゲ散らかしていなかった社長は、何の理由もなく遊び感覚で同級生に無理やり土下座をさせ、上から踏みつけて蹴り倒し、つばを吐きかけていたのだ。そんなことが毎日続き、自殺を考えた男が放心状態で死に場所を探しているさなか、町工場に入っていく当時の社長の姿を見かけたのだ。その後は早かった。「家業の継ぐこと」「町工場が一つのメーカーとしか取引をしていないこと」などを調べ上げ、必死で今の地位にまで上り詰めたのだ。


 だから、簡単には死なせないよ。

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