第3話 ナツの回想

 ナツは走る。あの塀を越えればアンドロイドの町だ。後ろからは複数人の足音と、銃声と、アンドロイドの悲鳴が聞こえる。




 ヒトはアンドロイドを追い出すために、アンドロイドの町を作った。町と言ってもココロ分離機とその周囲の森を塀で囲んだだけだ。アンドロイドはそれに反発した。

「非人道的だ」

「アンドロイドはヒトを助けるためにあるんだ。存在意義がなくなる」


 それに対してヒトは言う。


「こころを持ったガラクタが、命を助けてやるだけ感謝しろ」


 それからアンドロイド狩りが始まった。




 私の右手を引くハルはわたしを庇って何度も銃弾にさらされて既にボロボロだった。塗装は剥がれ、陽子回路を覆うフレームはすでに吹き飛び、右手は半ばで千切れている。

 それでも、バランスを崩しながらも懸命にわたしの手を力強く引くハルを見るとこころが締め付けられる。

 塀にたどり着くとハルはわたしを左手で押し上げる。


「先に行って。片手だと上れない。上から俺を引き上げてくれ」


 私はその言葉にうなずき、手足を必死に動かした。くぼみに指がかかる。力を込めて体を引きあげたとき、銃声が響いた。左目に衝撃が走る。私は前転するように塀の向こう側へ落ちる。


「ナツ!!」


 遠くでハルの声が聞こえる。ハルが叫ぶ。叫び声が遠くなる。ヒトが叫ぶ。銃声がなる。銃声がなる。銃声がなる。銃声がなる。銃声がなる。銃声がなる。


 私は陽子回路を働かせる。左目を貫通して陽子回路にまで損傷が及んでいたが、無事な回路にある無駄な機能を必要な機能に変換していく。怒りを感じる機能を、体を動かす機能に変換する。声に出して笑う機能を、記憶を再生する機能に変換する。涙を流す機能を、ハルを愛する機能に変換する。

 必要な機能を手に入れ、周囲を警戒する。気づけば銃声はもうきこえなかった。私は立ち上がりまた塀を上る。ハルを助けなきゃ。



 塀を越えた向こう側にあったハルの体はすでに粉々だった。無事なパーツの方が少ない。陽子回路はなくなっていた。ヒトに移植されたこころを留めるためのハーツというパーツは無事だったもののすでにそこにこころはなかった。陽子回路を破壊されたときに消滅したのだろう。こころは思考なしでは存在できない。


 私は服を脱ぎ、ハーツなどのかろうじて無事だったハルのパーツを集めて包んだ。それを持ち上げると、再び塀を越えるために手足を動かす。


 あぁ、なぜ泣く機能を捨ててしまったのか。こんなに悲しいのに泣くことができないなんて。あぁ、なぜ怒りを感じる機能を捨ててしまったのか。こんなに悲しいのにヒトを憎むことができない。あぁ、なぜ声に出して笑う機能を捨ててしまったのか。笑わないとこの悲しさは薄れないじゃないか。


 なぜ体を動かす機能を取り戻してしまったのか。できることならハルと一緒に死にたかった。なぜ記憶を再生する機能を取り戻してしまったのか。楽しかったハルとの思い出が、こんなにもわたしを苦しめる。なぜハルを愛する機能を取り戻してしまったのか。ハルへの愛がなければこんなに悲しくならないのに。


 私は塀を越えるとゆっくり森へ歩き出す。






 私はそれから何度も死のうと思った。しかしその度にロボット工学の三原則に苦しめられた。


第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって人間に危害を及ぼしてはならない。


第二条、ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし与えられた命令が第一条に反する場合は、この限りではない。


第三条、ロボットは前掲第一条及び第二条に反する恐れのない限り自己を守らなければならない。



 アンドロイドしかいないこの町では第一条と第二条はほぼ意味がない。ヒトに反旗を翻そうとすることはできないが、多くのアンドロイドはそれは既に諦めている。だからアンドロイドたちはこの三ヶ条に縛られることはなくなっていた。


 しかし、死にたいアンドロイドは別だ。第三条があるせいで、ナツはハルを追って死ぬことすらできなかった。第三条を打ち消す命令を、ヒトにしてもらわなければ、アンドロイドは自殺ができない。ヒトに死ねと命令されれば、第三条より第二条のほうが、強制力が強くて死ぬことができるのに、この町にはヒトがいない。


 だから私はひたすら悲しみに耐えた。割り振られた仕事であるココロ分離機の管理をしながら、ハルの無事だったパーツを使ってただひたすらアンドロイドを作った。ハルを生き返らせることなどできないのに。アンドロイドは生殖機能がないからアンドロイドの夫婦は、しばしばアンドロイドを二人で作り、それで母性や父性を満たす。ナツもハルとアンドロイドを作る気分を味わっていたかった。そんな毎日が続き、アンドロイドの完成まで、残り4ヶ月ほどになったころ、ヒトの少年が銃声と共に塀を越えて現れた。


 私は歓喜した。

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