AIの純度

@10shosetsu14

第1話 ナツとの出会い

 この壁一枚を超えることで、世界は変わる。


 僕はそのことだけを頭に浮かべ、必死に手足を動かす。壁の小さなでっぱりに指をかけ、体を持ち上げる。後ろからは多くの足音と怒声が聞こえる。

 この向こうがアンドロイドの町だ。壁の一番上に指がかかる。足で壁をけりながら、懸垂の要領で体を引き上げた瞬間、僕の耳に銃声が響いた。左足に激痛が走り「あっ」という声が口から洩れる。僕の身体は壁の向こう側へ前転をするように投げ出された。そこで意識は遠のいた。





 ヒトの心をアンドロイドに移植することで、現代のアンドロイドは、ほぼ完全に人と見分けがつかなくなった。ヒトの心をアンドロイドに移植する技術は、身体医学の発展と比例するように増加したこころの病と、それに伴う自殺が、病死を上回ったことに対する苦肉の策として開発された技術だった。こころを取り除くことで自殺という結果だけは避けようとしたのだ。しかし、アンドロイドが心を持つことに恐怖を覚え、こころをなくすことと自殺することの違いがわからなくなったころ、ヒトはアンドロイドを遠ざけようとした。アンドロイドをヒトの生活圏から排除しアンドロイドだけの町を作りヒトがそこに近づくことを禁止したのだ。ちょうど60年ほど前だ。それ以降、こころを持ったアンドロイドは作られていない。その代償にヒトの自殺率は増加の一途をたどっている。



 僕は、自分たちの都合でアンドロイドを排除したヒトに嫌悪感を抱く一方で、こころを持ったアンドロイドたちに憧れを抱いていた。

 彼らの見た目はヒトと変わらない。白い肌のアンドロイドもいれば、黒い肌のアンドロイドもいる。女性がいれば男性もいて、服も着ている。食事だってヒトが食べているものと同じものを口から摂取して、それを電気エネルギーに変換している。

 しかし、彼らのこころはヒトから移植されたものなのにヒトとは全く異なる。彼らの感情は、特に愛するという感情は、ヒトよりも純度が高い。アンドロイドたちは、基本的に生涯愛する相手は一人だけだ。ヒトのように、社会的地位、容姿などといった変わりゆくものではなく、こころを好きになるからだ。アンドロイドの町では、すべてのアンドロイドは平等だし、食べ物も全てのアンドロイドに同量配られる。容姿だって子供を残すという機能がないからか、相手に求めるこだわりはない。だからアンドロイドたちは自分の心が好きになる心を持った人と、文字通りその身が朽ち果てるまで一緒に過ごす。


 その話しを通っていた中学で習った時に僕はヒトの町を飛び出して、アンドロイドの町で暮らすことに決めた。








 目が覚めると僕は綺麗なベッドの上にいた。左足には丁寧に包帯が巻いてあった。ズキリと鈍い痛みが走る。


「あら、目が覚めたのね」


 僕の頭のすぐ近くから綺麗な声が耳に響いた。


「あなたは?ここは病院ですか?」


 僕はそうしっかりと声を出したつもりだったけれど、思ったよりも声が掠れて出て驚く。そんな僕をみて僕の頭の近くの声はクスリと笑い、黙って席を立った。階段を下りていく音がして、しばらくすると今度は階段を上る音がする。そして、足音の主はベッドの隣に椅子を持ってきて右手で持った水の入ったコップを僕に差し出す。その姿を見て僕は息を呑んだ。


「丸二日寝ていたのよ。飲んで」

「あ、ありがとうございます」

「驚いているわね。アンドロイドを見るのは、はじめて?」

「はい」


 彼女はとても美しい容姿をしたアンドロイドだった。ヒトを似せて精巧に作られた彼女がアンドロイドだとすぐにわかったのは、その顔には左目がなくて、目があるはずの場所の奥に、電気コードや歯車、光る管のようなものが見えたからだ。醜くなるはずなのに、それすらも彼女の美しさを引き立てていた。


「この目が気になる?」

「すこし」

「昔ヒトにこの町に追いやられたときにつけられた傷よ。私がヒトだったら死んでいたかもね」

「ヒトを恨んでいるのですか」

「恨んでないわ。同じ姿を持つ別のものを怖がる彼らを少し憐れんではいるけれど」

「憐れだから僕のことも助けてくれた?」

「それはただの気まぐれ」


 そういって彼女は笑う。こうして話をしているとヒトにしか見えない。

  彼女は続ける。

「なんで君は追われていたの?なんでアンドロイドの町に逃げてきたの?」

「アンドロイドの町に行こうとしていたから追われていたんです」

「そう。なぜここに来ようと?」

「アンドロイドの愛の純度に憧れて」

「恥ずかしいことをなんでもないことのように言うのね」


 彼女は僕の手から空になったコップを受け取ってベッドの脇にあるテーブルに置く。


「とにかくしばらくここで休むといいわ。足の傷が治るまでは。ヒトがこの町にあなたを探しに来るかもしれないけど町の中心部に近いここにはあまり来ないと思うから」

「なぜ?」

「中心部にはココロ分離機があるからよ。そこの窓から見える電波塔みたいなの。あれがそうよ」

「ココロ分離機ってアンドロイドにひとのこころを移植するのに使った?」

「そうよ。ヒトはあれを怖がっているの。彼らが作ったものなのにね」

「銃だって爆弾だってヒトが作ったものですしね」

「アンドロイドだってね」


 そういって彼女は、また小さく笑った。これが彼女との4か月に及ぶ共同生活での初めての会話だった。



 彼女と暮らすようになって彼女自身のことをいろいろ聞いた。彼女はこころを持った二番目のアンドロイドであること。名前は二番目の季節からとってナツとつけられたこと。趣味はアンドロイドを作ることで、仕事はココロ分離機の管理であること。こころを持った一番目のロボットのハルのことを愛していたが左目を失ったのと同じ時に彼もヒトによって壊されたこと。それから六十年たった今でも彼のことをいつも想い続けていること。

 僕はそれを聞いてヒトとして申し訳なくなった。そんな僕に、趣味のアンドロイド作りを続けながら彼女は言う。


「君が気にすることないのよ。彼を壊したのは君ではないわ」

「それでも、彼とあなたの左目を壊したのは僕と同じヒトです」

「君が生まれる前の話よ」

「僕の祖父かもしれない」

「そうかもね」

「それでも謝る必要はない?」

「それでも君は君であって君のおじいさんではない」

「あなたは優しすぎます」

「時間のせいで恨みが薄れているのかもね」


 そういって彼女はいつものように微笑んだ。でも僕にはわかっていた。アンドロイドの記憶力はヒトよりもはるかに優れている。多くのことを詳細に忘れることなく記憶しているアンドロイドである彼女が、たかが60年程度でハルへの思いを忘れるはずがない。時間のせいで純度の高いアンドロイドの感情が薄れるはずがない。


「ナツさんはもっとヒトを恨んでいい」

「ヒトを恨んでいるアンドロイドもいるわ。町に追いやられるときヒトはヒトにはできないことを平気でやったもの。それでも私はヒトを恨めない」

「なぜですか?」

「恨むなんていう感情に容量を回せないくらい、失った悲しみが大きいからよ」

「・・・・・・」


 僕は何も声を出せなくなった。胸が締め付けられて熱くなった目頭を彼女に見せないようにうつむくことしかできなかった。泣きたくても泣く機能がないために六十年涙を流せなかった彼女の前で、ヒトである僕が涙を見せるわけにはいかない。代わりにそっとつぶやく。


「今日の晩御飯は僕が作ります」

「私の家にある食材で?」

「はい。こころを込めて」

「ありがとう」


 彼女は僕の目を見ながら感謝の言葉を述べた。

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