その猫の名前は何ですか?

穂咲 萬大

第1話 

「ったく、女ってのは、ほんとうに化けるんだな」


畳の上に寝そべりながら、秋ちゃんは、比呂ちゃんがウエディングドレス姿で涙ぐんでいる写真を、指でぱちんと軽くはじいた。

たしかにアルバムの中で百面相をしている比呂ちゃんは、十五年近く弟稼業をしている僕でさえ、一度も見たことのないような、華やかで可憐で初々しい、つまりは正真正銘「立派な花嫁さん」の顔をしていた。


弟である僕の感想からしてこの体なんだから、いとこの秋ちゃんにいたっては、ほとんどマジックショーを見ている気分なんじゃないだろうか。──タネも仕掛けも、そこそこあるんだろうけど、観客にはまったく解らない。


秋ちゃんは僕より二つ年上の高校二年生で、僕の家のはす向かいに住んでいる(ちなみに僕が自分の姉のことを「比呂ちゃん」と呼ぶのは、秋ちゃんの影響だ)。

秋ちゃんの父親は僕の父の弟、つまりは僕の叔父さんである。

彼らは共同で電気屋を経営している。駅前の商店街にある「ヨモギダ電気」が店の名前(ちなみに僕の名前は蓬田達也といい、秋ちゃんは蓬田秋彦。ついでに言うと、比呂ちゃんは蓬田改め山田比呂美という)。


自分たち一代で店はたたむから、お前たちは好きな道を選んでいいんだぞ、というのが親父たちの口癖で、あんまりうるさく言うもんだから、聞いてるこっちにしてみればかえって信憑性がない。僕も秋ちゃんも、その話題が出るたびに、実は密かに辟易している。


風が入ってきて、軒下につるされた風鈴を揺らした。

誘われるように庭に目をやると、数ヶ月前、まだ独身だった比呂ちゃんが種をまいたひまわりが、強烈な日差しをものともせずに、たくましく伸び上がっているのが見えた。


種と一緒に買ってきた観察日記用のスケッチブックは、いま僕の部屋の本棚の隅にある。

表紙の裏には、比呂ちゃんによる僕へのメッセージ──このスケッチブックに、双葉がでた日とか、蔓が伸びた日とか、花が咲いた日の天気とか、ちゃあんと記録しておくこと──等々が大書きされている。


サービスのつもりか、一ページ目には比呂ちゃん自身の字で、*月*日、ひまわりの種を蒔きました、って一行書いてあって、絵も描いてあるんだけど、それは一面茶色に塗っただけのもので、それを比呂ちゃんは、むりやり僕に押し付けていったのだ。これによって僕の自然界への興味が増大するに違いないというような、ナイーブな誤解をしているらしい。


もちろん続きなんて書いてないけど、母さんなんか大喜びで、あら懐かしい、面白そうじゃない、なんて、高校受験を控えた息子の夏休みを、いったい何だと思っているんだろ。

だいたい、ひまわりに蔓なんてものはない。きっと比呂ちゃんのアタマのなかでは朝顔とごっちゃになっているのだ。そしてそのうち、ヘチマ水もつくっておいてよ、なんて言い出すに違いない。


「それにしても、あいかわらずここの家は暑いな」

秋ちゃんは耐えかねたように、気怠げに上体を起こした。(つづく)

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