紫に光る少女

1.1 光の町

 光の町。この町はそう呼ばれている。

 光の塔と呼ばれる遺跡から湧き出る不可思議な力を使って、この小さな町の住人達は暮らしていた。光の塔から出るそれは、時に住人の傷を癒し、時に住人の狩りの手助けをした。そうやって、光の町の住人は光の塔と共に生きてきた。

 何故、そのような不可思議な力が光の塔に宿っているのかは、誰も知らない。ただ光の塔は、光の町の隅っこに、しかし堂々と聳え立ち、今も住人に恵みをもたらし続けている。


 町に住むエズラという少年は、今年で十五歳になる。彼は町の一角にある小さな家に住み、週末の休みを楽しみに生きる、ごく平凡な少年だ。

 唯一彼が他と違う点といえば、彼の家が貧しく、学校に行く余裕がないという事と、その為に、狩りに使う鉄砲を売る仕事をして生計を立てている、という事である。彼は、自分の体が同じ歳の者よりも小さい方であるという事を、ほんの少しだけ気にしている。しかし、この小さな町では、体が小さくとも、いくら歳が若くとも、関係なしに仕事が出来た。小さな町故に、人手が足りないのだ。


 エズラの仕事には、一週間に一度だけ、休みがある。彼は待ち遠しい一日がやってきたら必ず、この町を支える神秘である、光の塔に忍び込んで探検をするのだ。勿論、この事は彼だけの秘密だ。

 神秘、というからには、光の塔は彼にとっても、町の住人にとっても、理解できない事がまだまだ残っている。例えば、誰も立ち入った事のない場所があったりする。そんな、不可思議な力の湧き出す泉である光の塔で、彼は誰も見た事のない発見がしたいと、心を駆り立てる無尽の好奇心を満たす為に、週末を待ち遠しくしているのだ。




「おいエズラ! ちゃんと火薬の仕込みはおわったのか!?」

 鉄を打つ音と共に、大きな声が鉄砲屋に轟く。それを聞いたエズラは、その声が鉄砲のそれより大きな音なのではないかと思う。

 大きな声の主は、ここの店の店主だ。光の町には鉄砲屋がいくつもあるのだが、この店の工房で作られた鉄砲は精度が格別だとかいって、かなり売れ行きが好調だ。町一番の狩り人と称えられるズーと言う女性も、この店でよく鉄砲の調整をしたり、弾を買って行く。

 そんな店だから、ここでずっと働いてるエズラは、最初から今まで忙しい。かといって、店主の返事をおろそかにする訳にはいかない。返事をしなければ、ゲンコツが飛んでくるに決まっている。だから慌ててエズラも声を張り上げる。それこそ鉄砲みたいな大きい声を。

「はい! 今さっき終わりました! ヘファイスさん、僕休憩してもいいですか!?」

 体を休めたいと思ったからだろうか、彼は気合を入れて言ったのだが、ふいに、自身をまるでトラキアの国の軍人か何かかと思ってしまった。

 兎に角工房では、このように声を張り上げないと鉄をうつ音で声が上書きされてしまうだろうし、何より、頑固職人ヘファイスの雷が落ちる事を、エズラは避けなければならないのだ。

「よし、じゃあそろそろ休憩するか!」

 エズラの張り上げた声を受けて、ヘファイスは遠くからゴツゴツの顔をこちらに向けて、返してきた。

 どうやらヘファイスもエズラのようにずっと働いていたらしい。そんな事を毎日毎日繰り返していれば、ヘファイスの腕がとんでもなく太い理由も納得出来る。

(ヘファイスさんの腕、トラキアの軍人より太いんじゃないかな……)

「お? なんだ? なんか言ったか?」

 突然エズラの耳元で大きな声がするものだから、エズラは「うわぁ!」などと、ヘファイスより大きな声で驚いてしまうのであった。


 そうこうしている内に、何故そうなったのかはわからないが、エズラは買い出しに行かされる事となった。当然彼は、面倒くさいといった調子をヘファイスに見せられる訳もないので、きびきびとした動作をわざと彼に見せつけるようにして店を飛び出る。

 エズラが買い出しに行く店は決まって、一五〇ヤード程先にある、大昔からある店だ。大昔というのは、彼が生まれた時からある店という事だ。

 茶色い石畳で出来た町の狭い通路を全力で走りながら、幾つかの角を曲がった先にある。いつもの通り、軽々しい調子で駆けてきたから、エズラはそんなに時間をかけずに店に到着した。

 石畳と全く同じ色をした店の前には、これまたいつも通り、太ったおばさんが仁王立ちしていた。彼女は、ハァハァと息を切らして全身に汗を滲ませるエズラを見るなり、ずんずんと彼に近寄って来る。


「あんた今日もヘファイスさんにこき使われてるのね。アッハハハハ!」

 彼女は、たっぷりエズラとの距離を縮めてそう言ってから、特徴的な大笑いをした。基本的にこのおばさんは、豪快奔放な性格の持ち主なのだろう。そして、彼女はこの店の店主でもある。

 店主の太ったおばさんは、いつもエズラに優しい。だからエズラは彼女の事が好きだ。具体的に言えば、ヘファイスに対する彼の愚痴を文句一つ言わず聞いてくれる。更に彼女は必ずと言って良い程、彼におまけをしてくれるのだった。

「もう慣れっこですけどね! あ、仕事の方はまだまだ慣れてないですけど。……ハハハ」

 エズラは太った店主のおばさんに、調子の良い事を言う。すると彼女は「フフン」と苦笑いで返してきて、「今日は何にすんだい?」などとエズラが買い物をするのを急かすように言った。恐らく彼女は、遅れて鉄砲屋に戻った時のエズラの事を心配しているのだろう。もし遅れれば、怒鳴り散らかされるに決まっている――。


「いもチーズ二個とサラダ二個下さい!」

 この場所では必要もないのに、エズラはいちいち大きい声を張り上げてしまう。彼には工房での癖が全身の隅々にまで染みついているのだ。だから、機敏な動作で小銭を出すのだが、勢い余って幾つかが転がって行ってしまう。当然、機敏な動作を緩める事なくそれを拾うのだが。そんな彼の調子を微笑ましいといった感じで見聞きしていた店主のおばさんは、「はいよ」と言いながら茶色の紙袋に彼が注文した品物を詰め込んでゆく。一通り袋が膨らんだ所でエズラの胸元に紙袋を押し付けてきた。

「午後もがんばっといで!」

 店主は良く通る元気な声でエズラの背中をボンと勢い良く叩いて、笑った。エズラもなんだか嬉しくなってきて、「はい!」と大きい声で返事をするとそのまま駆け出す。

 両足は不思議と、午前の疲労を彼に感じさせなかった。




「おーガキンチョ。ちゃんとやってるか」

 店からペースを落とさずに駆けて戻って来たエズラは、工房の奥の方から精悍な女性の声を受けた。彼からは見えないが、どうやら声の主はいつもの場所に座ってこちらを見ているらしい。恐らく声の主は、鉄砲の弾を購入しがてらヘファイスと談笑しているのだろう。

「こんにちはズーさん」

 いつもみたいに声を張り上げないで挨拶をして、エズラは店の奥へと歩みを進める。するとズーは、「おす」と短く言って、微笑みを彼に投げた。

 彼女は噂の、町一番の狩り人だ。いつも午後の狩りに出かける前に、こうしてヘファイスと店で談笑して行く。つまるところ、ズーとヘファイスは仲が良い。

「私の昼飯も買ってきてくれれば良かったのになぁ」

 そう言って、ズーは両の腕を後ろについて上を見上げたものだから、彼女のミディアムカットの黒い髪は背中側にサラリと垂れる。

 それを見てエズラは一瞬ばかり停止してしまったのだが、直ぐに我に返って「い、今から買ってきます!」とぎこちなく叫んだ。


「おいおい、冗談だよ冗談。ハハハハハ」

 ズーは、いきり立って買い物に向かおうとするエズラを笑いながら制した。こんな時のズーは、エズラにとっての天敵たりうる。彼は自分の心中を見透かされた気分になって、茶色い紙袋を直近の木のテーブルに雑に置くと、下を向いて顔を赤くしてしまった。ズーもヘファイスも彼を見て大笑いを始めるものだから、ことさらに恥ずかしくなったエズラは、店の外に出ようとする自分の体を制止できなかった。




 一週間がたった。待ちに待った、週末がやってきたのだ。

今日もエズラは、町の住人の目を盗んで光の塔の前に立つ。彼の眼前にこれでもかと聳える塔は、先っちょが全く見えない。視界に入らない。

 その塔は、遠くから見ると頂上に近づくほど先端は細くなっていて、これは近くで見ても変わらないのだが、巨大なベージュの石がいくつも積み上がって出来ている。

 光の町の住人は、立ち入りを禁止している癖に警備を配置していないから、エズラにとっては大変入りやすい事この上ない。今日も彼は、何の問題もなく光の塔のロビー――かどうかは不明だが、とにかく中に入る事が出来た。

(良し……)と、心の中で気合を入れたエズラは、赤いバツ印がいくつもついた紙を片手にずいっと奥に踏み込んだ。彼の手にしている自作の地図は、だいぶ使い古したもので、角はボロボロ、中央の折り目には小さな穴が開いている。つまり彼は、相当な回数この塔に侵入しているのだった。


 手にした地図の赤点を、丁寧に一個一個確認して、且つ、大胆に奥まで足を踏み込んでゆく。奥に進んでゆくにつれて、エズラの心臓の鼓動は、歩くリズムに近づいて行く。

 狭い通路だったり広い空間だったりと、そこかしこを歩き回るのだが、必ず壁沿いに薄紫の光が走っているので転んだりする事は無かった。その紫色の光の正体をエズラは知っている。光の町の住人が使っている、不可思議な力の源だ。

 紫の光の線は、血管のように光の塔の内部を駆け巡っている。時にはエズラの足元を。時にはエズラの頭上を。しかし、あくまで線は線なのだ。


――だからエズラは、突然正面に現れた大きな扉の中央に、紫の光が集まっている事を見れば、当然そこに興味を示す。


(す、すげー! これ絶対、世紀の大発見だ!)

 塔で発見したものの中で一番の高揚をもたらす大きな扉の前で、エズラは何の警戒も抱かずに、それに触れたり、蹴っ飛ばしたり、こじ開けようとしたりする。しかし、紫色の光が集まる扉は、一向に開く気配を見せない。だからエズラは痺れを切らせる。待ち遠しい休みの日がやってくるまでひたすら働く時より、我慢ならなかった。

 何かあった時の為に鉄砲を持ち歩く事が出来るのは、彼が工房で働いていたお蔭か。エズラは肩に担いできた彼の上半身程の長さを誇る、遠距離の獲物をしとめる為の大きいライフルを一旦地面に置く。彼は、腰のあたりにかけていた茶色い革で出来た鞄を開いて、大きいライフル専用の弾丸を三発ほど雑に取り出しながら、ヘファイスの鍛えたライフルを見た。

 改めて見ると、それは立派なものだ。ライフルはボルトアクション方式で、黒金と木で出来ている。決して無骨でなく、かと言って繊細すぎる印象もないライフルは、体格に合わせて稼働するストックが装着されていた。つまり、彼のような少年でも、十分に取り回しがし易い。使い手に馴染むように、丹精を込めて作られているからこそ、町一番の狩り人ズーが、彼の鍛えた鉄砲を好んで使う事にも頷ける。へファイスの太い腕は伊達ではない。


 エズラは黒金のライフルのボルトを手慣れた調子で持ち上げて、一気に引く。ボルトを引くときのカシャ! という小気味の良いスライド音は、彼のいるエリア全体に滞りなくこだまする。続いて彼は、手に握っていたライフル専用の大きな弾丸を銃の隙間に滑り込ませた。再びカシャという準備完了の合図を響かせた彼は、徐に立ち上がって一五ヤード程小走りに離れると、極めて慎重に石の扉の中央、紫色の光が集まっている場所に照準を定める。

 そしてピクリとも動くことなく、指に全神経を集中して引き金を引いた。


 しかし。


 紫色の光は、発射された高速の銃弾が命中したのか否かを彼に確認される前に、蜘蛛の子を散らすように広がった。伴って、石の扉は重苦しい音を上げて、少しづつ、左右に分かれるように動き始めた。

 弾丸が発射されたのは間違いない。だがエズラは、石の扉を傷つける為にそれを放ったので、扉の隙間に弾丸が滑り込んだのか、あるいは、弾丸は間違いなく命中したから扉が動き始めたのかわからず、ゴリゴリと音を立てる扉の前で、少々呆気にとられてしまった。

 扉はまるでへファイスの作った銃のような、精巧で、機械的な動きを続ける。エズラは我に返り、どうやら扉は開いているのだろうとようやく理解して、喜び、興奮した。

(あ、あいた……)

 おっかなびっくり、彼はうんともすんとも言わなくなった、完全に開ききったであろう石の扉に近づく。

 石の扉の向こうに広がる完全な暗澹を前に、彼は今更にして、未知に対する得も言えぬ恐怖が芽生えてきた事を自覚した。だが、こんな所でグズグズする事を良しとする程、彼の好奇心は小さいものではない。それこそ、なみの子供のそれよりも深淵な好奇心は、芽生えた恐怖とせめぎあいつつも、エズラの四肢を動かすに至らせる。

 ゆっくり、静かに。彼は奥に向かって歩みを進める。

 どうにも、扉からと言うより、この光の塔全体に歓迎されている気分になってしまう。そうでもなければ石の扉は開かなかったろう。ここにたどり着くまでの道のりだって、紫色の光に先導されていたようなものであったのだし、そう考えれば、塔全体が彼をここまで誘導してきたと思えなくもない。

 そんな事を、自分の恐怖をごまかす為に考えていたエズラは、ふと、遥か彼方に紫色の点がある事に気付いた。

 完全に暗澹とした空間であったので、遥か彼方であるのか、それとも目の前に紫色の点が浮いているのか、彼にはわからない。だが、歩みを進めているのだから、確実に紫の点に近づいている筈だ。エズラは、自分の視界で徐々に大きくなって行く点に向かってただひたすらに、そして慎重に歩みを進め続けた。


 忍び寄る彼の速度に比例して、その全容が明らかになって行く。エズラはその点が、決して点でない事に気付きつつあった。

 点の正体は、かなり大きい。今まで彼が見てきた紫色の光は、それに比べれば、全てか細いものであった。だからエズラの恐怖と好奇心はことさらに肥大して行く。彼は高揚する精神状態下にも関わらず器用に、自分の中で大きくなってゆく感情と、実際に視界の中で点が大きくなってゆく事実を認識していた。

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