第4幕 愛憎渦巻く倫堂学園文化祭

1場 大バトル前の静けさ

シーン1 当初の目的の忘れ去られたお祭り騒ぎ

 日曜日。

 ついに、当日がやってきた。

 倫堂学園高等部文化祭は粛々と開会式を迎えた。

 体育館のアリーナ一杯に並んだ椅子を埋め尽くした生徒と保護者は、1000人ほど。

 校長や生徒会長の挨拶が終わって諸注意が挙げられた後、ステージ発表を観る者を残して、列席者は学園内の思い思いの場所へと一斉に散った。

 一般公開の学園祭なので、開会式後に開放された校門から入ってくる外部の来場者を合わせると、中等部も合わせて会場となった敷地内は3000人ほどの人でごったがえす。

 各学級やサークルの模擬店だの文科系部活動の研究発表だのと賑やかな一日が過ぎた。


 模擬店その1。

 3年進学クラスの駄菓子屋さんが人気である。

 商品は高くてもいいところ100円が限度である。

 小さなチョコレートやら小さい袋に入ったラムネ菓子。

 串に刺した薄いスルメや串カツ。

 そういったものを、手持ち無沙汰な時に立ち寄ってちょっと買っていくにはちょうどいい。

 中には、遠足のおやつのごとく300円分くらい紙袋に詰め込むという、訳のわからない買い片をする人もある。

 あるいは、つまむと蜘蛛の糸がねっとりと伸びるオモチャ。

 または、怪しげなステッカー。

 明らかに知的所有権を冒すと思われるパチモンと思しきアニメキャラクターが描かれている。


 模擬店その2。

 サバイバルゲーム同好会が開いた射的屋の銃は温泉場によくあるタイプで、長い銃身の先にこめたコルクの弾を発射するもの。

 景品は駄菓子屋の屋台にあるような菓子類や、安物のアクセサリーなど。

 当たらなくても残念賞として「わたしはサル」「たっぷりなめて」などと書かれたステッカーがもらえる。


 模擬店その3。

 割と手の込んだシナモンドーナツを売っているのは教職員組合だが、これは私学助成金を国に求める署名活動の一環である。

 屋台の隣には署名用紙とカンパ用の貯金箱が置かれており、協力する人もあればドーナツを買っていくだけの人もいる。

 さらに売り上げは歳末助け合いに全額寄付という、全く実入りのない屋台である。


 模擬店その4。

 これも知的所有権侵害スレスレのお面がいくつも並んでいるが、目立つものはあらかた売れてしまっている。

 不気味なオペラ座の仮面がひとつ、鬼やおかめひょっとこ狐が並んだ棚の上で笑っている。


 そんなお祭り騒ぎが、駐車場からグラウンドから、学園のあちこちで繰り広げられている。

 その間、吉祥蓮と鳩摩羅衆の忍者たちは何をしていたのかというと。


「あ、あたしのタコヤキ!」

 学園共有の広いグラウンドの一角で、模擬店から離れた瑞希の手から、器に6つきれいにならんでいたはずのタコヤキが1つ消えていた。

「た~ま~さ~ぶ~ろ~!」

 おもちゃを取り上げられたチワワのように低く唸って振り返ると、ごくんと喉を鳴らした玉三郎がいた。

「あ、分かった?」

 白々しく驚いてみせる同い年の少年に、少女は牙を剥かんばかりに噛みついた。

「あんたしかいないでしょ、こんなことするの」

「お駄賃」

 真顔で反論されて、瑞希は眉を吊り上げた。

「何の!」

「花の金曜潰したんだから」

 小馬鹿にしたような苦笑に、瑞希も嘲笑で返した。

「帳消しじゃない、昨日の晩メシで」

 玉三郎は口を尖らせる。

「作ったの、俺と亜矢先輩だろ」

 それを言うか言わないうちに、瑞希は掌を差し出す。

「何かお返し」

 玉三郎はそっぽを向いた。

「細かいな、タコヤキ一つで」

「あんたたちじゃあるまいし」

 そう言いながらも、瑞希は手を引っ込める。

 身内の面子にかかわるからなのか、玉三郎は結構真面目に反論した。

「確かにセコいって言われるけど、細かいのとは違うんじゃないかな」

「きっちりしないのがイヤなのよ」

 言葉の曖昧さを正してみせる瑞希に、玉三郎も嫌味ったらしく言い返した。

「それも吉祥蓮?」

「しっかりしてないと縁が結べないの、ダメ男の」

 最後の一言をゆっくりと放つと、玉三郎は静かに問い返した。

「お兄さんも?」

「それ言うな」

 ぶすっと答える瑞希の感情を冷ますように、玉三郎は声を低めた。

「兄妹なんだぜ、いつかは」

 その言葉が終わらないうちに、瑞希は切り返す。

「それ、ちょっとでも早い方がいいな」

 収まらない気持ちをぶつけられた玉三郎は、これをさらりと受け流す。

「じゃあ俺が」

 この冗談には、さすがの瑞希も引いたようだった。

「あんた、やっぱり」

「冗談です」

 からかい口調の玉三郎に、冷ややかな嫌味が返される。

「その割にはお節介じゃない。鳩摩羅衆のくせに」

「ここでイザコザ起こしたって何の得にもならないしね」

 言ってるそばから、真面目に答えた玉三郎に向かって小さな拳が飛んでくる。

 それを鼻先でかわして、少年忍者は声を低めた。

「それより、気が付かないか」

 瑞希は眉をひそめた。

 2、3回のまばたきと共に、両の眼がせわしなく左右を伺う。

 といっても、「飛燕九天直覇流鬼門遁甲殺到法」奥義、「十方眼」とまではいかない。

 玉三郎のヒントに応えきれずに、問い返すしかない。

「え?」

 耳元で囁く声が、2人の身に迫る危険を告げた。

「同類がいっぱいいるぜ、俺たちの」

 瑞希は突然、甲高い声を立ててじゃれついた。

 もちろん、それとなく辺りを見渡してはいる。

 屋台のホットドッグを受け取る、私服の若い女性。

 卒業生か何かだろう、名札をつけた男性の職員と談笑している。

 年配の女性が、孫と思しき幼女の手を引いている。

 いくらなんでも、この2人は除外しても差し支えあるまい。

 サングラスをかけて、身体にぴったりついた服を着た、年齢を弁えていない感じの中年女性。

「もう、いやだ、冗談ばっかり!」 

 そう言いながら、玉三郎を肘で小突いて囁き返す。

「分かってたわよ、何となく」

 真剣な瞳が瑞希を見つめた。

「たぶん……」

 頬を寄せる玉三郎を軽く突き飛ばす。

「言わなくても分かるわ」

 確率的に、周りの人間の半分は女性である。

 迦哩衆が紛れ込んでいないとは断言できないだろう。

 学園の中高生にも。

 保護者たちにも。

 名札を付けた女性教職員にも。

 そうした人混みの中に目を配りながら、小突かれた少年はよろけてみせる。

「おっとっと」

 その唇が、「仲間かな?」と尋ねた。

 大きな身体をした男性が、玉三郎の目の前を通り過ぎる。

 一旦は隠れた端整な顔が再び現れ、ひょっとこのように口を突き出しておどけてみせる。

 それに向かって瑞希は、びし、と人差し指を突き立てた。

 答える唇は、「そうだろうな」と言っている。

 迦哩衆は一人で動く、とは鳩摩羅衆も知るところのようだった。

 露出の多い派手な服装をした若い女性が人と人との間を抜けてきて、2人の間を一瞬だけ遮った。

 それを横目でちらりと見送った瑞希は、「じゃあ何者?」と意見を求めた。

 人の波の中へ消えていく素肌の背中を同じように眺めやった玉三郎は首を横に振った。

 その動きから読み取れる玉三郎の判断は「分からないけど構わない方がいい」ということだった。

 再び、少年の姿はすれ違った人の陰に隠れる。

 確かに、動かないのが無難だといえた。

 単独行動が迦哩衆の行動パターンだったとしても、仲間が接触しないとは限らない。

 だが、仮に仲間だったとして、向こうから手を出してくるかどうかは分からない。

 国家間の安全保障のようなもので、仮想敵だからといって先制攻撃を仕掛けることはないのである。

 だが、瑞希はいらぬ心配をする。

 音もなく「だけどもし」と食い下がる可愛らしい唇に、腕をまっすぐ伸ばした少年は人差し指を当てる。

 まるで、2人の間はもう誰にも隔てさせないとでも言うかのように。

 その手を払いのけて顔を背けた瑞希に、玉三郎は「そのときは、俺が」と言ったようだった。

 そっぽを向きながらも、少女の瞳は横目でそれを見ている。

 だが、続く言葉は読み取れなかったであろう。

 突然、甲高い吠え声が上がったからだ。

 周囲の視線が一斉に集中する。

 動物は、人が気づかない微妙な異変にも反応するものだ。

 人知れず操ってこそ意味を持つという点では、忍術も例外ではない。

 その忍術のひとつに、声を立てずに意思疎通を図るというものがある。

 瑞希たちが今、使っている術がまさにそれである。

 誰かが連れてきた小さな犬は、その術に敏感に反応したのであろう。

 次の瞬間、瑞希も玉三郎もその場から消えた。

 誰一人として、それに気づいた者はない。

 後には辺り構わず吠え散らすチワワを抱えておろおろする、よそ行き姿の来校客が驚愕と好奇の視線を浴びながら立ち尽くしているばかりであった。

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