シーン2 お祭り騒ぎの場から忘れ去られた日常

 しばらくして、模擬店会場となっているグラウンドから離れた自転車置き場で、瑞希は安堵の息をついた。

 波状のトタン屋根の下には、生徒や来校客の自転車がぎっしりと並んでいる。

 ちょっとした駐車場くらいの広さがある自転車置き場は生徒数増と共に広げられたものらしく、その通路は迷路のように入り組んでいる。

 瑞希は、人目を避けて場所を選んでいるうちにここへ入り込んでしまったのだった。

 対面状に駐輪できる自転車の間に壁はない。

 その向こうに、玉三郎が現れる。

 向かい合わせの自転車をひらりと跳び越えて、瑞希の隣に舞い降りる。

 そのときは既に、吉祥蓮の少女は1本向こうの通路の曲がり角に立っていた。

 ずらりと並んだ自転車越しに、瑞希の薄い胸から上の姿が遠ざかっていくのが見える。

 玉三郎はそれを、むっつりと寄り添って群れなす自転車を何度となく跳び越えながら追った。

 だが、追いついたかと思えば瑞希の姿は消え、玉三郎から自転車の群れをはるかに隔てて離れた場所に出現する。

 そんなことを繰り返すうちに、瑞希は自転車置き場を抜けて敷地の端っこにある廃品集積場に出ていた。

 自転車置き場と同じ波状のトタン屋根の下に、束ねられた雑誌類や、型の古い5インチフロッピー時代のデスクトップパソコンの本体などが積み上げられている。

 そこへ、一足遅れて玉三郎もどこからともなく現れた。

 背後から叩こうとしたのか瑞希の肩に伸ばした手を払いのけられて、ふくれっ面をする。

「冷たいじゃないか」

 じろりと瑞希が睨んで警告した。

「馴れ馴れしいって言ってんの」

「だってお互い……」

 忍者だと言いたかったのだろうが、そこへ男子生徒たちがふらふらと、模擬店会場から抜け出してきていた。

 ひとり、またひとり。

 5人から6人といったところか。

 といっても、彼らは別に群れているわけではない。

 ある者は太った身体をのそのそ動かし、またある者は小さな体を縮こまらせてせせこましく歩いている。

 体格も顔立ちもさまざまであったが、彼らに共通している点がただ一つだけあった。

 表情が、妙に冷めているのである。

 別に不機嫌そうでもないが、口元に曖昧な薄笑いが浮かび、目つきは妙に人を小馬鹿にしている。

 彼らがそんな顔をするのに、取り立てて理由はない。

 人間関係で何かあったわけでもなければ、改称しがたい不満を抱えて生きているわけでもない。

 単に、文化祭の雰囲気についていけないだけである。

 早い話、いわゆる「ぼっちの非リア充」が自由意思で居心地の悪い喧騒から逃れてきたに過ぎない。

 雑誌の束に腰掛けて、模擬店で買ってきた太いソーセージやらチョコバナナを齧る者。

 古いパソコン類を珍しそうに眺める者。

 廃品集積場の柱にもたれて、敷地内では電源を入れてはいけないことになっているスマートフォンをいじる者。

 その中に、一人たたずむ女子中学生。

 明らかに、目立つ。

 現に、彼らの中には瑞希の顔をちらちらと盗み見ていた。

 その傍らに立つ玉三郎は、眼中にないようである。

 瑞希はというと、視線をあさっての方向へ向けた。

 いそいそとその場を立ち去ろうとする。

 だが、その身体は数歩の先で突然、凍り付いた。

 瑞希の目があちこちを探る。

 それは、警戒すべき何者かが複数、周りに迫っていることを示していた。

 玉三郎も同じであった。

 相変わらず、孤独な高校生男子の視界の外で立ち尽くしている。

 だが、敢えて瑞希を見ないで背中合わせになっているのは、別に無関係を装っているわけではない。

 彼女の背後に、睨みを利かせているのだった。

 吉祥蓮の少女と、それを守る鳩摩羅衆の少年。

 それを人知れず包囲する者たちとは何者か。

 答えは1つしかない。

 迦哩衆だ。

 瑞希は身じろぎひとつしていないように見えるが、白い膝は微妙にたわみ、その可愛らしい指は軽く握られている。

 いつでも跳躍して蹴りや突き、あるいはセーラー服に仕込まれた流星錘を放つことができる。

 玉三郎もゆっくりと、微かに息を吐いている。

 瑞希の身に何かあれば、すぐさま行動を起こせるだろう。

 囲まれる前に、各々の忍術を使って逃げることもできる。

 だが、状況が悪かった。

 陰気な少年たちの注目を浴びていては、瑞希もうかつに飛燕九天直覇流鬼門遁甲殺到法を使えない。

 その注意をそらすことは、玉三郎なら造作もないことである。

 だが、その隙に迦哩衆が何らかの術で襲ってこないとは断言できない。

 そうなれば、もしかすると居合わせた少年たちまでもが、迦哩衆の姿や術を見たばかりに危害を加えられるかもしれない。

 だから、吉祥蓮および鳩摩羅衆の忍者2人は動くこともできなかったのである。

 一見なんでもないが、絶体絶命の危機であった。 

 どうすれば忍術を人に見られることなく、姿なき包囲を破ることができるのか……。

 答えは単純だった。

 まず、動いたのは瑞希だった。

 玉三郎に、「ごめんね」と白々しく歩み寄る。

 その意図を察したのか、玉三郎も満面の笑顔で「気にすんなよ」と答える。

 それは、文化祭の最中につまらないことで喧嘩した中学生の男子と女子が、再びお互いの想いを確かめ合うといったベタな青春ドラマの1シーンだった。

 雑誌の束に腰掛けていた非リア充男子がひとり、またひとりと目を伏せて立ち上がった。

 柱にもたれていた者は、スマートフォンを懐に収った。

 じっとパソコンを眺めていた者たちは、自分たちと似たような「ぼっちの非リア充」たちの様子を、それとなくうかがっている。

 彼らは無言で自転車置き場の迷路に消えたかと思うと、しばらく経ってその向こうに見える人混みの中にすごすごと戻っていった。

 それを確かめながら、瑞希はまだ顔を寄せて囁き続ける。

「行ったかな?」

 瑞希が尋ねるのは、中学生男女の恋路を目の前にしていたたまれなくなった男子高校生のことではない。

「たぶん」

 きょろきょろと目だけ左右に動かして、玉三郎は答えた。

 無論、来校客に紛れ込んでいるであろう迦哩衆のことである。

 瑞希は人混みの向こうにある大きな草色の屋根が秋の陽光を照り返すのを眺める。

「体育館かな?」

「たぶん」

 答えは同じだったが、瑞希は玉三郎の肩をぽん、と叩いて言った。

「ありがと」

「え?」

 きょとんと見つめる顔を前に、瑞希は居住まいを正す。

「何の得にもならないことしてくれて」

 玉三郎は肩をすくめた。

「罪滅ぼしさ」

「何それ」

 怪訝そうな問いに、寂しげな答えが返された。

「俺たちは、自分では人を傷つけない。だけど、結果として泣く人はいるかもしれないから」

 瑞希はぼそっと尋ねる。

「どういう意味?」

「さあ」

 自分で言っておきながら、玉三郎はとぼけた。

 二人は押し黙った。

 周りの雑踏の音と談笑の声だけが二人の間を流れる。

 やがて瑞希が嘲るように言った。

「中二」

「中一だけど?」

 玉三郎がとぼけると、その鼻先に白く小さな握りこぶしが突きつけられる。

「一発殴られたい?」

「中二でいいです」

 肩と首をすくめる相手に、瑞希は腕組みしてふんぞり返った。

「割り切らないと。そういう世界に生きてるんだって」

 偉そうな目の前の小柄な少女を、玉三郎は冷ややかに見下ろす。

「その割には、冬彦さんに」

「くどい! 兄妹だから!」

「おっと」

 一瞬のアッパーカットを紙一重でかわした玉三郎は、ぎっしりと連なる自転車の向こうに見える、生徒とOBと保護者、教職員の入り乱れる人混みの間に消えた。

 瑞希だけに聞こえる声を残して。

 ……泣いてるのかもしれないけどな、亜矢センパイも……。

 そのとき、学園構内に呼び出しのアナウンスが響き渡った。

「演劇部部長、演劇部部長、至急、事務室まで来てください」

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