2場 ライバル・告白ハイキック

シーン1 伝統ある倫堂学園高等部にあるまじき、演劇部の甘えた日常

 一夜明けて水曜日。

 瑞希は大きな決断をした。

 逃げ隠れしないで、堂々と葛城亜矢と会うことにしたのである。

 放課後すぐに稽古場を訪問すると、すでに部員たちが稽古前の準備にかかっていた。

 音響機材のチェック、照明用フェーダー模型の設置、台詞の暗記……。

 雰囲気はそれなりに張りつめていたが、白いセーラー服の少女が出現したことで緊張感は一気に緩んだ。

「はじめまして!」

 大きな声で元気よく、まだ何も聞かれていないのに自己紹介する。

「中等部1年、菅藤瑞希です! 兄がお世話になってます!」

 その瞬間、稽古場の時間は停止した。

 好奇と羨望と嫉妬の視線が、一斉に冬彦に注がれる。

 やがて、身動きできない男子部員に野次の集中砲火が浴びせられ、稽古場のあちこちから歓声が飛び交った。

 なお、発言は「男子部員2名の会話と女子部員1名の非難」と(発言に脈絡のないもの)とで区別していただきたい。

 

「なに妹隠してんだよ」 (やった! 女子中学生だ!)

「何かされると思ったんだろ」 (天国だよ、ここ入ってよかった!)

「そんなことする男に見えるか」 (俺に紹介しろ、俺に)

「6‐4で危険性の方が高い」 (あ、冬彦、お兄さんって呼んでいいか?)

「それはお前だろ」 (ねえ、瑞希ちゃんクラスどこ?)


 やがてそこに女子部員の非難が混じる。


「うるさいロリコンども」 (中等部まで会いに行く気か)

「いまロリコンって言ったか?」 (俺、留年して待ってもいい)

「何だ、聞こえてたの」 (俺、ここ辞めて再入学)

「誰がロリコンだ」 (お前!)

「『ロリコンども』って言ったの!」 (あ、俺も?)


 そこで、その女子部員による個人的非難は、全体への罵声に変わった。。

「あんただけでなくてその辺で騒いでるバカ男どものことじゃ、静かにせえ!」

「俺は何にもしてないし、したいとも思ってない!」

 そこで男子部員同士の口論が始まる。

「諦めろ、もう公認だ」

「お前のせいだろ~が!」

「ロリコンを人のせいにすんじゃねえぞ変態男!」

「だから俺はロリコンじゃねえって言ってんの!」

 きりがないからこの辺にしておくが、とにかく蜂の巣をつついたような騒ぎの中で、当の冬彦は真っ赤になって正座していた。

 やがて、今回の台本を書いた部長兼舞台監督が一度手を叩いて宣言する。

「はい、稽古~。」

 何事もなかったかのようにその場は静まり返った。

 広い稽古場には一本の線がスポーツ用のライン引きテープが貼られている。

 これが、舞台と観客席を分けている。

 舞台の真ん中に、頑丈そうな机が、その線に対して斜めに置かれている。

 荒い木目のくっきりとした厚い板が太い角材で支えられ、同じ太さの補強材がその脚の間には真横に、板との間にはそれぞれの脚から斜めに、ボルトとナットで固定されている。

 劇の要となる葛城亜矢が下手しもての奥にに立つと、他のキャストは上手かみての所定の場所に立つ。

 冬彦は、机の客席から遠い方の端に就いた。

 その向かいに置かれた椅子にはもう一人が、観客に身体を向けて横座りする。

 上級生たちは緊張に張りつめた面持ちで稽古開始の合図を待っている。

 一方、冬彦は肩を上下させ、目を固く閉じて台詞らしきものをブツブツつぶやいていた。

 だが、再び舞台監督が手を叩いて稽古が始まると、瑞希の目の前で、冬彦は別人に変わった。

 シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」に登場する主要人物がじっと見守る中、向かいに座る上級生と机を挟んで情けない声で話し始める。

 会話の内容は、全く要領を得ない。

 そのバカバカしさに、瑞希はつい噴き出した。

 確かにドジで間抜けだが、そこにいたのは冬彦ではなく、ロミオに手紙を届け損なったジョン修道士だったのである。

 やがて、町を出て手紙を届けに行こうとする二人は、町役人に疫病患者扱いされて足止めされる。

 何とか兄弟子が逃げ出し、それを追ってジョン修道士が舞台上をおろおろと歩き回るようになると、本来なら主要人物であるはずの脇役が動き出した。

 バルコニーに見立てられた机の上で、亜矢が演じるジュリエットがロミオとの恋を語る回想シーン。

 帰ってこない兄弟子を呼ぶジョン修道士は、絶妙のタイミングで合いの手を入れる。

 ロミオがヴェローナを追放されるきっかけとなった喧嘩のシーン。

 その場にいなかったはずのジョン修道士がどこかに紛れ込んでしまった手紙を探して、大立ち回りの中をちょろちょろと動き回る。

 玉三郎の謀略でページが差し替えられたシーンでは、いきなり始まるジョン修道士とジュリエットの痴話喧嘩に、瑞希は爆笑した。

 そして、クライマックス。

 意味のない漫才を繰り返していたジョン修道士がロレンス神父の手紙の封を切ろうとしたとき……。

 それを止めるはずの兄弟子が、地蔵倒れで床に転がった。

 ジョン修道士はうろたえたが、そこは芝居としてカバーする。

 疫病だ大変だと大騒ぎを始めたが、それも長続きせず、その場に崩れ落ちる。

「大変! 誰か!」

 葛城亜矢が叫んで冬彦を抱き留め、稽古場は芝居抜きで大混乱に陥った。

 窓を開ける者、1年生を廊下に誘導する者……。

 稽古が白熱し過ぎて、それまで誰も冷房の故障や室温の上昇に気づかなかったのである。

 だが、誰かがスマートフォンを見て、現時点の日本の平均最低気温が摂氏37度であることを告げたとき、冷房は一気に動き出した。

 部長が暫時休憩を告げ、亜矢センパイの胸に抱かれているのに気付いた冬彦が跳ね起きる。

 やがて稽古場は冷気の中で静まり返ったが、そこにはもう瑞希はいなかった。

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