第85話 メビウスの輪から【ギャグ】

「どうしようか」

「どうしよう」

「どうしますかねぇ」


 俺とリーリヤ、そして『転職』の魔導書娘は、執務室のソファーに集まって、顔を見合わせながらそんな言葉を呟いていた。


 なにをどうするか。

 決まっている。


「まさか『転職の魔導書』について、ここまで集まりが悪いとは」

「我が同胞のことながら、まったく不甲斐ない限りです」

「貴方が謝ることじゃないわよ」

「いやまぁ、そういう風に悩んでる魔法使いが居ないというのは、いいことじゃないか。魔法使いがこぞって転職考えるような世界なんぞろくなもんじゃない」

「庇っていただいているのは分かるのですが、なんだかいらない子みたいにいわれているようで、その」


 それはすまん、と、俺は失言を魔導書娘に謝った。

 いえ、大丈夫ですから、と、愛想笑いなんて器用なことをする魔導書。

 元が本とはとても思えない。


 そう、俺たちが今、目下頭を捻っているのは、この娘の処遇についてだ。


『転職の魔導書』


 これを異世界転生の書架に入れたリーリヤの判断は、あながち間違っていなかった。というのも、彼女を一緒に格納する書架が、ここ王立図書館には存在しなかったからだ。


 魔導書架の新設には、それ相応の数の同じ内容の魔導書が必要となる。

 単品で格納するにはよっぽど凶悪な魔導書でもない限り不可能。

 同等あるいはそれを包括するより大きなジャンルの存在が不可欠なのだ。


 だが、彼女の転職というのは、取り分けてその中でも異色のものだった。

 もちろん職業の魔導書というのは幾つかあるが、専門性を極めるものは既に一つのカテゴリとして独立しており、それ以外のものについてはいかんせん書籍の数が少なすぎたのだ。


 結果、彼女はどこにも格納することができず、かれこれ数週間、倉庫の中で暮らす羽目になった。


「評判悪いのよね。たまにやってきたギルドの方々が、倉庫でこの娘を見かけて、何かやましいことでもしてるんじゃないかって」

「申し訳ありません」

「倉庫にそいつら入れなくちゃいいだけだろ」

「それでなくても、図書館を勝手に出歩いて目撃されてて」


「おいなにしてんだ」

「暇だったんですよお。ずっと倉庫の中に入りびたりって、想像してもみてくださいよ。読み物の一つでも欲しいじゃないですか」

「文字の読めないそいつに言っても無駄よ」


 悪かったな、文字が読めなくて。

 そうなんですかと無垢な目をこちらに向ける、魔導書娘が恨めしい。


 あぁそうだよ。書物なんて読めないのに司書なんてやってて悪かったな。


「なんにせよ隠しておくにしてももう限界ね」

「そうですね」

「なんでもない風に言うなよ。お前の問題だろう」

「そうなんですけど。私としてもどうしたらいいのか」


 図書館内を勝手に出歩く割には受身な娘だ。

 そんなんだったら最初から、言いつけ守って倉庫から出なければいいのに。


 まぁ、元が道具だからな。使われるほうが性に合っているのか。


「こうなったからには仕方がないわね、世にも珍しい『転職の魔導書』だけれども、廃棄処分にするしかないわね」


「えっ? えっ、え?」


 と、ここまでニコニコと話を聞いていた、『転職の魔導書』娘の顔がぽかんと呆ける。


「機密文書だから、廃棄魔法で八つ裂きかしら、そのあと焼却魔法をかけて。それでも足りないかしらね、分解魔法をかける必要が」

「ちょっちょっちょ。ちょっと待ってください、リーリヤさん。いくらなんでも酷くいないですか、私の扱い」


 そう抗議しながらも、苦虫を噛み潰した顔に変わらない辺り、この本から人類に進化した娘の純粋さというか、人間離れしているというか。

 むしろそんな怖いことを平然と言うリーリヤのほうがどうかしている。


「そうかしら、魔導書の一般的な処分方法だけれど」


 あげくこの言い草だ。

 流石にたまらないという感じで、『転職の魔導書』は声を上げた。


「そうかもしれませんけど!! ほら、私、人型ですよ、人型!!」

「だから?」

「諦めろ。こいつは人型のムシに対してしらふ顔で火炎魔法を照射するような鬼畜司書だぞ。人間並みの扱いされるなんて期待するだけ野暮だ」

「そんな!! やです、私、そんな死に方したくないです!! どうせ死ぬなら、もっと人間らしく、天寿を全うして死にたいです!!」

「いや、魔導書のくせに天寿とかなに言ってんだよ」


 やだやだやだとその場でごねだす魔導書。

 魔導書でなくっても、そんな残酷な目に合うと聞いて、黙っていることはできないだろう。俺であってもおそらく、リーリヤに泣いて懇願する。


 しかしそこは鬼畜司書エルフのリーリヤ。

 聞く耳など持つはずもない。


「残念ね。産まれてくる時代を間違えたのよ貴方」

「そんなぁ、殺生な!! お願いしますリーリヤさん、お慈悲を、お慈悲を!!」

「いいわねその哀れな感じ。ちょっと背徳感」

「サディストめ。自分が産む原因つくったってのに、酷い扱いだな」


 なにか言ったかしらと、こちらを睨むリーリヤ。

 その眼はもうすっかりと女王様の風格である。


 おいおいとむせび泣く魔導書娘。そんな彼女に、ひょいと、リーリヤは月桂樹の杖を向けた。

 止むを得まい。


「けどダメよ。魔導書はちゃんと書架にしまって封印しておかなくちゃいけないの。外に出してて何かことにでもなったら大変だわ」

「そんなこと言わずに。ほら、私、そんな悪いことする魔導書じゃないですから。元が転職の魔導書なんですよ」

「気づかないうちに勝手に転職させられたら確かに迷惑かもな」

「しませんよそんなこと!!」

「けどねぇ、貴方、そうは言っても、その魔導書の力以外に、いったい何ができるっていうの。そんな小さい身体じゃ、労働なんてとても無理じゃない」


 リーリヤの言うとおりだ。

 なにぶん転生した身体が悪かった。そんな少女のようなか細い身体では、人の世界で生きていくには随分と心もとない。

 まともな仕事などまずできないだろう。


 それこそ、司書のように一日中机に張り付いて書類仕事をするだけならまだしも。

 そう、一日中、机に、張り付いて。

 司書のようなら。


 ぞくりと背筋を嫌な予感が走る。

 視線を上げると、そんな俺の予感を裏切らない、いい笑顔の魔導書娘がいた。


「文字が読めます、文字がかけます。元が本ですから、手入れの仕方も分かっていますし、図書館の運営についても心得てますよ、蔵書ですから」

「ほう」

「ちょっと待てリーリヤ、その顔。まさか」

「転職の魔導書ですから人の相談を受けるのも得意です。本を探しに来たお客様の応対なんかもできるんじゃないかなぁ。どうです、どうです、私、ここの図書館においていただけたなら、きっとお役に立てると思いますよ」

「そうね、どこぞの司書補佐より、よっぽど使えそうな感じがするわ」

「おい、リーリヤ。待てよ、よく考えろ。こいつ雇うにもこっちには予算が」

「置いていただけるならお給料は結構です。私、本ですから。日陰を避けて生活してれば永久的に稼動可能です!!」


「採用!!」


 先ほどまでの冷酷な態度はどこへやら、リーリヤは目の前の青い髪の少女を抱きしめると、いきなり頬ずりしはじめた。


「いやぁ、盲点だったわ。そうね、そういう使い方もあるわね。ほんと、どこぞの司書補佐が頼りないせいで猫の手も借りたいところだったのよ。心強いわ」

「おい、おい、おい、お前そんな勝手に。しかも人を役立たずみたいに」

「だったら文字の一つもさっさと覚えなさいな」


 ねぇ、と、『転職の魔導書』に同意を求めようとして、リーリヤは固まる。


 なんですか、と、きょとんとした視線を返す魔導書。

 なにが気になっているのか、と、俺もまた不思議に思ってリーリヤを眺めた。


「うぅん、そうね、これから一緒に働くのに『転職の魔導書』ちゃん、なんて、他人行儀みたいな言い方はナンセンスよね」

「他人行儀とはまた違うんじゃないのか」

「私は別に今までどおりで構いませんけれど」


 そうはいかないわよ、と、リーリヤ。

 うぅん、と、頭を捻って、それから、彼女は手を叩いた。


「メビウス。貴方の名前は、これからメビウスよ」

「メビウス? あの、メビウスの輪、の、メビウスですか?」

「いったいぜんたいなんでまた」


 明らかに思いつきで言っただろう、と、糾弾する俺の視線がリーリヤに向かう。

 そんな視線を鼻で笑って、リーリヤは俺の質問に答えた。


「それはもちろん、『永久に』こき使ってやるからに、決まってるでしょう」


 よろしくね、メビウス、と、サドい笑顔を見せるリーリヤ。

 流石にこの時ばかりは笑顔が眩しい魔導書娘の顔もどんよりと曇っていた。


 この魔導書、廃棄されたほうが幸せだったかもしれんな。

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