第33話 夏の休みの自由な研究【シュール/ゲスト:ピョートル】
王国の短い短い夏の終わり。
毎年この時期になると、決まって俺達図書館にうめき声が上がる。
司書と司書補を苦しめる、とあるイベントが発生するのだ。
「なんだろうね。どうしてうちの姫さんは、節制やら、自制やら、計画性というか、人の上に立つものとして絶対に必要なスキルを、まるで狙ったように持ってないのかね」
「教育係があまちゃんなんじゃないの。もっと厳しくしつけるべきなのよね」
「だべっておらんでちゃんと手を動かせ。リーリヤ、読書感想文はもうかけたのか?」
「まだよぉ。さっきはじめたばっかりじゃないの、せっかちね。というか、いまいちのらないのよね。この小説」
「なにをのんきなことを言うとるんじゃ!! 姫様が学園に戻るまで、あと数時間もないのじゃぞ!! なんでもいいからはよ書き上げんと!!」
「英雄譚ってねぇ、すっきりとして尾を引かない爽快な後味が売りじゃないのよ。心にじくじくと残るような、文章に起こさないと気がすまない感じがないのよね」
「適当書いとけばいいじゃねえか、なに本気になってんだよ、お前」
どうせアホなこと書いても問題ない。
恥をかくのはあのおてんば姫なのだから。
本に携わるものとして、文章に妥協は許されない。
そんな所か。
俺の言葉を無視して、はぁと溜息を吐くリーリヤ。
眉間の皺が懊悩を思わせる。
なんでもいいからさっさとせんかと、怒り狂うピョートルを尻目に、俺はでたらめに数字を埋めた羊皮紙を机の上に投げた。
王都に暮らす多くの子供たち。
その多くの例に漏れず、うちの姫様も国営の学校に通っている。
彼女専属の家庭教師と違って、国営学校の教師というのは貴賎を問わず子供に平等に接する。幾ら王家の姫様といっても、夏の長期休暇に出す宿題を加減するようなそんなおべっかはしない。
ただしそこは、暗愚・怠惰・傲慢・不遜と、およそ子供に相応しくない二つ名を持つ姫様である。
いくら教師が厳しかろうと――。
やらないものは、やらない。
となると国の面子にかけて、なんとか誤魔化す必要がある。
王、王妃、大臣、そして俺達王立図書館の司書を総動員しての、夏の終わりの大勉強会である。
それぞれの得意分野を生かしての大仕事。
文章といえば、流石に本職のリーリヤ。彼女は例年感想文の担当だ。
算数に関してはその手の計算にだけは頭の回る俺の担当。
芸術系は道楽物の血が騒ぐ旦那。
そして工作関係については自分の体を自作しちまう伝説的な職人。鋼鉄大臣ピョートルが引き受けていた。
とまぁ、そんな感じで。
俺たちは夏の終わりをなんとか凌いでいるのだ。
とうの姫様はといえば、今日もご学友と優雅に遊んで、今はベッドで横になっておられる。まったくの平常運転である。
「一度あのガキ、本気で教育してやる必要があるんじゃないか」
「どこかちょうどいい感じにトラウマになりそうな書架でもないかしらね」
「まだ道理の分からぬ子供相手に何をそんなムキになってるんだ大人気ない」
「そろそろ道理が見えてきてもいい年頃だと俺は思うんだがな」
「そうよね。エルフでも十も数える頃には、そこそこ分別がついているわ」
いっそオリガに戦場にでも連れて行ってもらおうかしら。
気のいい獣人娘は、姫さまの自由な研究の一環として、王都のはずれの森に昆虫を採取しに行っている。
本当、周りの人間がこれだけ自分のために動いてくれているというのに、どうしてそれが分からないかね、あの道楽娘め。
まぁ、なにはともあれだ。
「俺の仕事は終わった訳だ。悪いな二人とも、先に休ませてもらうぜ」
「ちょっとマクシム。アンタ、なに抜けようとしてるのよ。まだ他にも姫様の宿題は残ってるんだから」
「そうじゃ。暇ならワシの『積み木で作った大聖堂』を手伝わんかい」
「悪いなピョートル。流石にそんなのやる精神力もう残ってないっての。手伝うのはいいけどさ、俺のこのしびれた脳みそでこなせると思うか」
こなせるわよ、と、リーリヤ。
すぐに彼女は自分の持ち場を離れると、図書館の奥へと駆け込んでいった。それから、一冊の本と、ガラス製の容器を手に持って現れると、それを俺の前に置いた。
「何をしろと」
「魔術研究の課題よ。今年から姫様も魔術学を履修されていてね」
「へぇ、しょうもないことに使って、また面倒にならんといいが」
「いいから。それで、魔術の初歩として、魔法生命体の作成の宿題がでてるのよ」
なんでそれを盗賊の俺に振るのか。
リーリヤさん、知っていらっしゃいますよね。盗賊でなくっても、俺の魔力がすこぶる少なくて、魔法なんてとうてい使えないってことを。
そこはちゃんと考えているわよ、と、微笑むリーリヤ。
「魔法が使えなくても作れる魔法生命体があるんだな、これが」
「ろくでもなさそうだなおい。その魔導書で作るのか」
「そうそう」
リーリヤがガラスの容器と魔導書を俺の前におく。
まずはそうね、と、辺りを見回すと――あれね、と、リーリヤが指を差した。
指の先にあったのは、壊れた魔導書の補修用にと常備している、のり、だ。
そんなものをどうするのかと尋ねるより早く、またリーリヤは席を離れると、ブリキの缶に詰まっているそれをこちらへと持って来た。そして、何を思ったか、それをガラスの容器の中にぶちまけると、今度は手近にあった花瓶を拝借し、その中に入っている水を注いでみせた。
何がしたいんだよ、と、戸惑う俺。
その前で、リーリヤは魔導書を一枚破る。
それを細かく引き裂いて、水とのりが混ざっている容器の中へと放り込むと、やぁと一声、ぐるぐるとその容器を振りはじめた。
「どうした、ついに気でも狂ったのか?」
「ちがうわよ、いいから黙って見てなさいな。よし、こんなものかしらね」
おままごとでも始めるつもりかと、呆れて黙りこんだ俺の前に、リーリヤは先ほどの容器を置いた。
リーリヤの手によって攪拌されたそれは、インクが溶け出したのか、薄ら青い色に変色している。そして、のりの成分のためだろうか、強い粘性を感じられた。
これが魔法生命体。
どこからどう見てもできそこないのスライムだろう。
あぁ、そうか。
そう、思ったときには、容器の中からそれが這い出てくる。
「スライムかよ」
「大正解。そのとおりこれはスライムよ。そして、こちらにある魔導書が、なな、なんと、インスタントスライムの魔導書にござい。紙を破って、粘り気のあるものと水を混ぜ合わせたら、たちまちスライムにはや代わりという便利アイテム」
ダンジョンの宝箱にも、誰にも見られたくない秘密の部屋の落とし穴にも、うってつけの品でございます。
したり顔のリーリヤ。
正直、だからどうした、という、感想しかない。
「お前、スライムっていったら、結構上位のモンスターだぜ。子供が扱うにしては危険だろう。うっかり飲み込まれたら、骨まで溶かされるっての」
「そこはいろいろと消費者に言われて魔導書の発行者も考えてるわよ。このスライムは人畜無害、手に乗せても侵食しないし、体をつけても溶かされない。むしろあかだのフケだの老廃物を食べてくれるっていう、いいスライムなのよ」
「……マジかよ」
「これが出てからスライム浴なんてのも流行っているわ」
ふざけたことを言う。
スライムに飲み込まれて死に掛けた人間としては、なんと言われてもそんなものに入る気にはなれないな。
ついでに言うと、こんなものを作る気にも。
「という訳で、マクシム。あなた、この魔導書でスライム作ってちょうだいな。最低でも十種類はお願いね」
「種類って。のり混ぜて作るだけじゃ」
「ねばりけのあるもので作るって言ったでしょう。元にする材料によって、微妙に違うスライムが出来上がるのよ」
たとえばポタージュなんかで作ると、黄色いのとかができるわ、と、嬉々とした調子で言うリーリヤ。
「本当は、こっちが早く終わったら私がやろうと思ってたのよ。けど、仕方ないわね譲ってあげる」
なんだろうね。
子供の宿題に、ここまで思い入れてしまう、このいい大人たち。
隣のドワーフも、とても子供に持ち運びなどできそうにない、人が住めそうな大聖堂を作り始めていらっしゃるし。
文句いいつつ楽しんでるからいかんのだろうな。きっと。
「長いもとかだとどうなるんだ。あと蜂蜜は試したのか?」
「いいわねマクシム。それ、やってみなさいよ」
「溶かした鉄なんかはどうなるのかのう」
「危険なこと言うわね。水をある程度含んでいないとスライムにならないって書いてあったけれど」
「水銀とかならできるんじゃねえの」
「それじゃマクシム!!」
「なによ、やればできるじゃないの。ちょっぴり見直したわよ」
「いやぁ、そんな、誉めるなよ。たまたまだっての」
計算で疲れた脳では、もはや突っ込むのも面倒くさい。
俺は早々に気持ちを切り替えると、どうやれば変わったスライムを作れるか、ということを考えるのに集中することにした。
もう朝まで時間もそうないことだしな。
断じてスライム作りに興味が湧いたわけではない。
誰がこんなでろでろしてねろねろして気持ちの悪い生物に、興味など沸くというのだろうか。
「うぉっ!? 見ろよリーリヤ、卵の白身に試しに突っ込んでみたら黄金色に!!」
「わぁ、なにこれ、どういう原理!? どういういう理屈!? 綺麗だけど」
「本当じゃのう。ただ、徹夜作業で疲れた眼には、いささか滲みるのう」
本当、スライムなんかに興味なんかない。
ないけれどまぁ、これはこれで――ふへへへ。
いや、童心に帰ってこういうことをするのも、時には悪くないもんだな。
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