エピローグ 改訂版

エピローグ

 村はずれの小高い丘で腰を下ろし、ジャスパーらは眼下に広がる草原を眺めていた。


 なだらかな傾斜の先には幅の広い道が横たわっている。道はこの国の王都へと続いているが、馬車で半日かかるという都市は目を凝らしたところで視認できるはずもなかった。


 アトリが王都へ向かってから四日になる。彼女は妖精狩りを憲兵に引き渡した翌日、事情聴取のため王都の憲兵所へ出頭を求められた。付き添いには誰が赴くべきか話し合われたが、バートラムの一言で議論は収束した。


「俺が行く。こういうことは舐められたら終わりだ」




「あのときのアトリちゃん、格好良かったね」


 道のはるか先を見やり、エルムは目を細めていた。


「あれは痛快やったわ。一日でえらく変わりよったけど、あれがほんまのアトリなんやろな」


 眼鏡をいじりながらルピニアが応える。遠見の力を持つ彼女にも、長い道の終点は見通せなかった。


「強いよなアトリは。一言であいつを黙らせてたし」


 つぶやきながら、ジャスパーは憲兵たちが訪れた夜のことを思い返していた。




 両腕を縛られ馬車に連行されていく細目の男。

 アトリとすれ違いざま、その顔に笑みが浮かぶ。


「また会いましょう、お嬢さん」


「あたしの弟子に――」


 眉を吊り上げたアルディラが一歩踏み出す。

 それを制したのはアトリだった。


「わたしはここにいます。もう逃げません」


 毅然と言い切ったアトリに舌打ちし、細目の男は無言で馬車に乗り込んだ。

 憲兵が馬車の扉に鍵をかけ、アトリに敬礼した。


「誇り高きフェアリーのお嬢さん。この男は人間の恥さらしです。我々も誇りにかけて法の下で裁き、ご同胞が捕まっているのなら必ず助け出してみせます」




「なあエルム。事情聴取っていつまでかかるんだろうな」


「調べないといけないことはいっぱいあると思うよ。アトリちゃんたちの集落がどこにあって、そこにひとが何人いたのか。妖精狩りはいつ何人で襲ってきたのか。捕まえたフェアリーたちをどこに閉じ込めて、粉を誰に売ったのか」


 エルムが指折り数えながら応える。


「妖精狩りから話を聞き出すには時間がかかるだろうし、しゃべったことが正しいかどうかも一つひとつ確かめるだろうね。たぶん今回だけじゃ終わらないから、これから何度も王都へ行くことになるんじゃないかな」


「アトリのことや、何日でもつき合うやろな。きっちり片をつけんとアトリにとっても事件が終わらん」


「分かってる。だけどなんか納得がいかない」


 ジャスパーは小石を拾い、丘の下へ投げつけた。


「やっと辛い目に遭わなくてよくなったんだぞ。なんでまだあいつに振り回されて、遠くまで連れて行かれて、何日もいやな話をしなくちゃいけないんだ」


 エルムもルピニアも無言だった。事件の解決に必要なことと分かっていても、割り切れない思いを抱いているのはジャスパーだけではなかった。




 爽やかな風が草原を吹き抜けていく。日は中天高く、寝転がったジャスパーには日差しがまぶしかった。


「そういえば、ルピニア」


「ん?」


「その弓、何か仕掛けでもあるのか? たまにものすごく強い矢を飛ばしてるだろ」


 ジャスパーはルピニアが脇に置いていた弓を眺めた。午前の訓練を終えた彼女がそのまま持ってきたものだ。つぶさに見れば一本の木から作り上げたものではなく、何か複雑な素材で作られているようだった。


「タネも仕掛けもあるけどな、当分は秘密や。ちょっとは謎が残っとらんと楽しみがないやろ」


「あのバカ力と関係があるのか」


「バカ力とはなんや、乙女に失礼やんか」


 口を尖らせはしたものの、ルピニアの声に険はなかった。口喧嘩には気乗りがしない様子だ。


「まあ三分の一くらい正解や。残りは気が向いたらな」


 小さく息をつき、ルピニアは空へ手をかざした。

 初夏と呼ぶにはまだ早いが、日差しは少しずつ力強くなっている。斜面を駆け上がる風が青紫の髪をなびかせた。


「……あ」


 唐突にエルムが立ち上がった。頭上の耳がせわしなく動いている。


「どうかしたのか」


「うん、ちょっとね。ルピニアちゃん、あの坂の辺り見える?」


「なんや急に」


 ルピニアは目を凝らした。

 彼女の遠見は急坂を上ってくる馬車らしきものを捉えた。まだ距離があり、車両の大部分が死角に入っていて細部の判別は付けづらい。


「馬のいななきが聞こえたんだよ。あの坂は急だから、さすがに大変みたいだね」


 エルムは柔らかく微笑んでいた。


 やがて馬車が坂道を上りきった。

 車両の後部で小さな旗が風になびいている。馬車の姿が大きくなるにつれ、旗の細部が見え始めた。


 葉の茂る枝をあしらった円状の枠。枝に止まり、向かい合ってさえずる二羽の小鳥。


「止まり木亭の紋章や」


 ルピニアが立ち上がり大きく手を振った。

 慌てて身を起こしたジャスパーの眼下で馬車が停止し、小さな人影が車両から飛び出した。


 束ねた金髪を揺らしながら、少女は丘を駆け上がる。二枚の羽が陽光を浴びて美しくきらめいた。


 ――鳥が、飛んだ。


 駆け下りていくルピニアを追い、走り出したジャスパーの頭にそんな言葉が浮かんだ。




 バートラムは馬車の窓から丘を見上げていた。


 赤茶。青紫。薄緑。黒。四つの色が個を主張しながら一つにまとまろうとしている。草原の緑も彼らを呑み込むことはできない。若く希望に満ちた彼らの未来を祝福するかのように、空の青がどこまでも広がっていた。


「迷宮にお前たちを縛らせはしない」


 歴戦の戦士が静かにつぶやく。


「いつかお前たちも飛び立つ日がくる。そのときは止まり木など振り返らずに飛んでいけ」




 草原を駆ける一陣の風。

 無数の白い綿毛が空へ舞い上がる。

 はるかな空に筋を引く幾条もの綿雲。

 白い翼を広げた鳥たちが彼方へと羽ばたいていく。


 ――わたしは、ここにいます。


 アトリは吹きわたる風に祈った。


 ――この空の下のどこかで、一族の皆が無事でいますように。風がこの思いを届けてくれますように。




 アトリは御者に向かって首を振った。

 御者が会釈を返し、馬に鞭を入れる。


 ゆっくりと動き出した馬車に背を向け、アトリは顔を上げた。

 深緑の瞳が映すのは三人の仲間たち。


 ここからは自分の足で歩いて行ける。この道はもう孤独ではない。


 アトリは穏やかに微笑んだ。


「わたしたちも帰りましょう。次の冒険が待っています」




  だんじょん村の止まり木亭 ‐Start Line‐ 了

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