第10話 四本の矢
10 四本の矢
ルピニアはドアを軽くノックした。
「アトリ、起きとるか」
「は、はい」
木製のドア越しに小さな返事。
「入ってもええか? ウチ、他の里のエルフは初めてでな。いろいろおしゃべりしたいんや」
「ど、どうぞ……」
「そんならお邪魔するで」
ルピニアはドアを引き開け、軽い足取りで敷居をまたいだ。
アトリはベッドに腰掛け、肩越しにルピニアを見ていた。部屋の隅には小さな机と椅子があるが、あまり使われていない様子だ。
「アトリも椅子が気に入らんか。ウチの部屋のも、なんか腰が落ち着かん。安い部屋やし文句言えんけどな」
「……そうですね。贅沢は言えませんから」
ルピニアはベッドに目をやった。
髪の手入れをしていたのか、ベッドの上には櫛と手鏡があった。そのどちらにも花柄の意匠が見て取れる。シンプルで上品な印象を受けるデザインだ。
ルピニアは記憶をたどってみたが、それらの花の造形には見覚えがなかった。
「髪飾りもそうやけど、花が好きなんやな」
「え……はい」
アトリはあいまいにうなずいた。
「ウチの里辺りじゃ見かけん気がするけど、なんて名前なんや?」
「ええと、櫛のほうは南に咲くミズユリ。鏡のほうはルエリアという花だそうです」
ルピニアは首をかしげた。書物で得た知識の中に思い当たるものはなかった。
「やっぱり聞かん名前や。どっちも南の花なんか」
「そう聞いています」
「色はどんな感じなんや?」
「わたしも実物は見たことがなくて……」
「まあ山向こうの里ならウチのとこより北やしな。……ん? そんなら南の花を彫ってあるんは、ますます珍しいんやないか」
「……遠くからの交易品だそうですが、もらい物なので由来がよく分からないんです。すみません」
アトリは申し訳なさそうに答えながら、櫛と手鏡を布袋に収めた。
――第一の矢、ハズレ。
ルピニアは内心肩をすくめた。
丁寧に扱っていることからも分かる。あれはアトリにとって大切な品なのだろう。それでいて由来が分からないというのは奇妙な話だが、あまり詮索しても良い結果に繋がる気がしない。
「ウチの里の連中は、髪も目も地味な色ばかりでな。アトリみたいに綺麗な金髪は見たことないわ」
心に二本目の矢を番えつつ、ルピニアはベッドの反対側へ回り込んだ。
「アトリの里はどんな感じや? 髪とか目とか、いろんな色のエルフがおるんか?」
「そう……ですね。金髪は多いです」
「里ごとに違うんやろか。赤とか茶色が多い里もあるんかな」
「どうなんでしょう……わたしも他の里のひとは初めてですから」
答えるアトリの表情は固い。
――第二の矢、ハズレ。
ルピニアは早々に追及を断念した。
手応えがないどころか拒絶の気配すら感じる。この話題を続けるのは得策ではなさそうだ。
「なんや、ひょっとしてそれで緊張しとるんか? アルディラはんやないけど取って食べたりせんで」
ルピニアはベッドの反対側の角に腰を下ろした。
「あ」
ルピニアが座った反動でアトリの身体が浮きかかる。アトリは慌てたように両手でブランケットを掴んだ。
「なんやアトリ、ずいぶん軽――」
ルピニアは口から出かかった言葉を慌てて止めた。
――これじゃウチがやたら重いことになるやんか。
「あー、うん。ところで昼間のことなんやけどな」
「訓練のことでしょうか?」
「せや。あれ見て分かったやろ。男どもはいまいち頼りにならん。明日はウチらがしっかりせなあかんな」
「エドワードさんもですか?」
アトリが不思議そうに聞き返す。
ようやく得た手応えに、ルピニアは心の中で快哉を叫んだ。
「いやいや、エドは大丈夫やろ。なんたってセンパイやから。問題なんはジャスパーとエルムや」
「エルム? そういえばどうしてエルミィさんをそう呼ぶんですか?」
「あいつ、実は男なんやで」
ルピニアは声をひそめ、顔を近づけた。
とっておきの秘密を共有する。打ち解けるには有効な手段のはずだ。
「バッタモンド商会で採寸しとったら分かったんや。店員が大騒ぎしとった。ウチもすっかりだまされたわ。男であの服が似合うなんて詐欺やと思わんか。妙にセンスがええんも余計に腹立つわ」
アトリはきょとんとした顔になった。
それ以外に目立った反応はなかった。意外すぎて実感が湧かないのかもしれない。
「そういう顔もするんやな」
ルピニアは笑ってみせながら、第三の矢も外れたことを悟っていた。
――考えるんや。里のことを聞かんでも、話題くらいいくらでもあるはずやろ。
ルピニアはアトリの頭からつま先まで目を走らせた。
地味な黒のローブ。ハイソックスもやはり黒。会話が盛り上がる題材ではないだろう。髪と瞳はすでに試した。花飾りも今さらだ。まだ聞いていない彼女の特徴は――
「……ところでアトリの名前は何からとったんや? なんか本で読んだ気がするんやけど。動物やったかな」
「はい、渡り鳥の名前です。……ルピニアさんの名前は『ルピナス』からですか? 髪と瞳の色」
「おしい。半分正解やな」
ルピニアはいたずらっぽく笑った。
ようやく相手から質問が来た。これを逃す手はない。
「もう半分は『ルプス』や。女性形なら『ルピア』になるやろ」
ルピニアの予想に反し、アトリは思案顔になった。
「ええと……。古エルフ語ですよね? ……ええと」
「なんや、古語は苦手なんか? オオカミや。物騒な名前やろ」
「青紫の狼ですか」
アトリは不思議そうにルピニアを見つめていたが、やがて小さくうなずいた。
「でも狼は賢くて仲間想いですし、ちょっと素敵です」
「ありがとな。けど里の連中が言っとった。下手な男よりウチのほうがよっぽどオオカミやって。乙女に何を言うんやって怒ったら『ほら見ろ』とか抜かしよった。失礼な話やろ。遠慮せんで噛みついたればよかったわ」
アトリはあいまいにうなずいた。どう反応して良いのか分からないといった様子だ。
――第四の……あー、もうええわ。矢が尽きるまで試したる。
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