第8話 夕暮れの観察者
8 夕暮れの観察者
「お前さんのは杖術か?」
「うん。攻撃はあんまり得意じゃないけど」
「お前さんはとりあえず自衛できりゃいい。ジャス公が来るまで時間を稼ぐのが仕事だと思え」
エルムは柔らかく微笑み、うなずいた。
戦闘時の役割は事前のレクチャーで確認済みだ。
ジャスパーが最前線で敵を食い止め、打ち倒す前衛。
エルムは後列から魔法で支援する後衛。
ただしエルムは状況に応じて前進し、ルピニアとアトリを守る壁となる。いわゆる中衛と呼ばれるポジション。戦闘能力以上に判断力を問われる役割だ。
説明を聞いたルピニアは嫌な顔をしたが、その場で不満を口にするのは思いとどまった。役割分担を聞いて静かにうなずき合うジャスパーとエルムに、不思議な力強さを感じたからだ。
そして今、エドワードの前で杖を構えるエルムの背中に、ルピニアは奇妙な安心感を覚えている。
エルムはジャスパーのように接近戦闘を専門にしていない。どうひいき目に見てもエドワードにかなうはずがないが、彼が簡単に倒される姿は想像しづらかった。
根拠のない予感に戸惑いながらも、ルピニアは動き始めた二人を目で追った。
エドワードの攻撃は手加減されているが、的確に急所を狙ってくるため油断がならない。エルムは身をかわし、あるいは杖で受けてしのいでいるが、その動きには余裕が感じられなかった。
「まあ、そりゃそうやろな」
ルピニアは拍子抜けした気分で二人の攻防を眺めた。
護身術と言うだけあってエルムの技術は防御に特化している。防戦に徹すればエドワードの攻撃をしのげるあたりは、むしろ賞賛に値する。とはいえエドワードが加減を改めればたやすく突破されるだろうし、エルムにはジャスパーのような持久力がない。彼の息はすでに乱れ始めている。
あと二、三回の攻撃で崩れる。
ルピニアがそう読んだ矢先に、それは起こった。
エドワードが攻撃を繰り出した瞬間、エルムは身をひねりながら鋭く前へ踏み込んだ。
小柄な身体がするりとエドワードの懐に入り込む。
いつの間にか手放していた杖が地面に落ちる。
エドワードの意識が杖に向いた一瞬、エルムは彼の腕を捕み、投げ飛ばした。
「うおっ!?」
虚を突かれたエドワードは頭から地面に叩きつけられるところだったが、寸前で受身を取った。
「……なんやて?」
あまりにも意外な形で予感が当たり、ルピニアは唖然とした。その隣でアトリも目を丸くしている。一人、素振りを続けるジャスパーだけがしたり顔だった。
エドワードが一回転して立ち上がる。
「おいおい、すげえじゃねえかエルミィ。これなら自衛はなんとかなるな」
「たくさん、ジャスパーを、投げたからね♪」
エルムは笑っていたが肩で息をしており、これ以上は戦闘を続けられそうになかった。
「技はいいが、長引くと危ねえか」
エドワードは思案顔だった。
「エルミィはぎりぎりまで前に出るな。お前さんがやられて治療術を使えなくなるのが一番まずい」
他の三人が一息ついている間もジャスパーの訓練は続いていた。
エドワードの指南は丁寧というよりも執拗だった。
基礎のフットワークを百回以上も繰り返させ、次いで打ち込みを盾で防御させた後、再びフットワークをやり直させるといった具合だ。
「模擬戦闘はやらないのか?」
「適当なチャンバラじゃ意味がねえ」
不満げなジャスパーを意に介さず、エドワードは基礎練習をひたすら続けさせた。
ようやく実戦的な型の練習に入った頃には、日が傾きかけていた。
盾で攻撃を止める。剣で受け止め、打ち払い、受け流す。体勢が崩れた敵を即座に突く。
しかし右手と左手の連携が様になってきたと思うと、再びフットワークに戻る。
延々と繰り返される基礎練習にジャスパーは嫌気が差していたが、ここまできて音を上げるのも癪だった。剣が軽いことも幸いして、疲労にはまだまだ耐えられる。こうなれば根競べだと、ジャスパーはひたすら要求に応え続けた。
しかし自らの持久力をあてにしていたジャスパーは、思わぬ落とし穴にはまっていた。腕が疲労するより先に、鎧の縁が当たる脇や肩、腰周りが痛みを訴え始めたのだ。
新調した鎧はまだ固く、身体の動きについて来ない。思いきり動くと身体のあちらこちらが鎧に当たって痛む。しかし身体が痛まない動きを心がけると足運びがおろそかになるといった具合で、どうにも思い通りに動けない。
鎧を身体になじませるとは、単に鎧の可動部をほぐすことを意味しない。固い鎧に身を包めば、身体を動かせる範囲はおのずと狭まる。鎧の形状が許す範囲内で身体を痛めず動くには、自分自身の動きの無駄をなくす必要がある。ジャスパーが身をもってそれを理解した頃には、肩と脇の痛みが無視できないものになっていた。
「そろそろきつそうだな。エルミィ、治療してやれ」
「は、はい」
近くで待機していたエルムが走り寄り、ジャスパーの背中に手を当てる。
「我らが父は杯を満たし賜う」
聖句の詠唱とともにエルムの手が淡い光を放つ。ジャスパーの身体の痛みは溶けるように和らいでいった。
祈りの力を媒介として神の奇跡を授かる魔法。神官たちが操るそれは神術と呼ばれる。治療術はその中でも基本の術だ。
「ありがとな」
腕を回しながら、ジャスパーはかすかに顔をしかめていた。鈍痛からはほぼ解放されたが、窮屈な動きを強いられた上半身はあちらこちらが筋肉痛を訴えている。
「うん、どういたしまして」
口調こそ普段通りだが、エルムの笑顔もわずかに固い。
「治療術は及第点ってところだな。誰が何をできるか、これでだいたい分かっただろ」
エドワードは手をひらひらさせながら宿の方向へ歩き出した。
日はすでに暮れかけ、周囲にいた冒険者たちも大半が引き上げていた。
「そんじゃ解散だ。朝の鐘が鳴ったら鎧を着けて止まり木亭に来い。寝坊すんなよ」
「あのひと、まだいるね」
木剣や射的を片づけ、倉庫から出たエルムは不思議そうにつぶやいた。
「どうかしたのか?」
「訓練の間ずっと、あのひとにちらちら見られてたような気がして」
ジャスパーはエルムの視線を追い、黙々と受身を練習している一人の男を捉えた。
たしか自分たちより少し遅れて現れ、素振りや受身を一人で繰り返していた男だ。時折こちらを気にするような視線を感じた気もする。
「初心者が珍しいんじゃないか。ここは経験者のほうが多いみたいだし」
「経験者にしては基礎練習しかしてなかったよ。それに昼からずっと休みなしで続けてなかった?」
「たしかに熱心だよな」
ジャスパーらが見ている間に男は汗を拭き、服の土を払って立ち去ろうとしていた。
「帰っちゃうみたいだね。何かボクたちに言いたいことがあるのかと思ったんだけど」
「勘違いだろ」
ジャスパーは肩をすくめた。
練習熱心というには度を越しているかもしれないし、視線が少々気になったのも事実だが、これといって何かされたわけでもない。
ふと横に目をやると、去り行く男の背をアトリが無言で見つめていた。
「アトリもあのひとが気になるのか?」
「い、いえ……」
アトリが身を固くする。
ルピニアはじろりとジャスパーを睨んだ。
「あんたが驚かせてどうするんや。初対面で匂いなんか嗅いどるからやで」
「そんなにいやだったのか? だったら謝る。ごめん」
「あ、いえ、そういうわけではないんです」
頭を下げかけたジャスパーを、アトリは慌てたように制した。
「止まり木亭であのひとを見かけた覚えがないので、ちょっと気になっただけです。登録して間もない冒険者なのかもしれません」
「見かけた覚えがない? アトリは前から止まり木亭にいたのか?」
「少し前から働かせてもらっています」
「ああ、それでルピニアが顔を知ってたのか」
納得してうなずいたジャスパーだったが、なおも首をかしげているエルムを見て顔をしかめた。
「まだ何か気になるのか」
「……ジャスパー、あのひとの匂いを覚えてる?」
「分かるわけないだろ。ここはひとの匂いだらけだぞ」
「それもそうだね。たくさんひとがいたし」
エルムは思案顔で訓練場の出口を眺めていたが、不意に片手で腹を撫でて笑った。
「ボクたちも戻って夕食にしようよ。おなか減っちゃった」
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