【一日目】 改訂版
第1話 水と耳
1 水と耳
――なんや、危なっかしいな。
最初に浮かんだ感想がそれだった。
給仕服に身を包んだ金髪の少女。年頃は自分と同じくらいだろうか。小柄で、体つきはだいぶ華奢だ。首も腕も脚も、ルピニア自身と比べてさえ頼りなく感じるほど細い。
給仕服は白黒を基調としたおとなしいデザインだ。控えめなフリルが少女の清楚な雰囲気を引き立て、どこか品のよさを感じさせる。ヘッドドレスの花飾りは薄桃色で、地味な服に適度に映えていた。
まだ料理運びに慣れていないのだろう。数個のグラスをトレイに載せ、ルピニアのテーブルに向かってくる足取りは見るからにおっかなびっくりだ。歩を進めるたびに水が暴れ、そのつど深緑の瞳が忙しく左右を往復した。
不安定に揺れるグラスの水を眺めながら、ルピニアは書物で読んだ知識を思い返した。
たしか人間の町でもガラスは高級品であり、庶民の酒場で使われることは珍しいはずだ。ここの店主が金に困っていないという話は本当らしい。
ふとルピニアは、少女の耳が人間のそれよりも長く尖っていることに気づいた。
――エルフやんか!
その発見に、ルピニアは大いに気を良くした。
間違いない。あの少女は同族だ。森の妖精エルフ族だ。
故郷の森を出て、人間の生活圏に入ってから数日が経つ。当然ながら道中見かけたのは人間ばかりで、どうにも肩身が狭かった。久しぶりに同胞を、それも年の近い同性を見かければ頬もゆるむというものだ。
故郷では金髪を見たことがなかったし、あの少女は顔かたちも少し丸みを帯びているが、そこは生まれた地域や血族の違いだろう。
たしか穴ぼこ山の向こうにもエルフの集落があると聞いている。彼女はそちらの出身かもしれない。あるいはもっと遠くの森から来たのだろうか。聞きたい、聞きたい――
「お、お待たせしました」
少女がようやくテーブルに到着し、グラスを差し出した。
細い左腕一本で支えられたトレイは小刻みに揺れ、グラス同士が触れ合ってカチカチと音を立てている。
「……」
ルピニアは平静を保つことに成功した。読んでいた本をゆっくりと、自然な動作で脇へ退ける。
――あかん。今はあかん。静かにせんとえらい目に遭う。
少女がそろそろとグラスを置く。
右手がゆっくりとトレイに戻る。
カチカチと鳴っていたグラスが静けさを取り戻す。
それらを見届け、ルピニアは静かに息を吐いた。せいぜい十秒ほどの出来事だったはずだが、一分くらい息を止めていたような気分だった。
「あー。……足元、気をつけるんやで」
「はい?」
少女はきょとんとした表情を浮かべ、ルピニアの顔を見返した。
――やっぱりやった。
ルピニアは頬をかいた。
予想通りの反応だ。やはり聞き慣れない訛りなのだろう。
知り合いの人間から教わった標準語が、あまり標準的でないらしいと気づいたのはここ数日のことだ。それ以来、語尾や抑揚を周りに合わせようと努力はしている。しかし染みついてしまった癖は簡単に消えそうにない。
もし勢いよく話しかけていたら、少女はさぞかし戸惑ったに違いない。踏みとどまって正解だった。
「……ええと、ありがとうございます。ごゆっくり」
少女は会釈し、別のテーブルへ向かった。その足取りはどうにも危なっかしい。
離れていく背中を見送り、ルピニアは小さく息をついた。
妙に喉が渇いていたが、一息に飲んでしまうのはためらわれた。お代わりを頼むには覚悟が要る。この水はじっくり味わって飲むべきだろう。
止まり木亭。
酒場であり、食堂であり、雑貨屋でもある。
どこの村にもある酒場と大きく違うのは、利用客の大半が冒険者と呼ばれる者たちである点だ。
冒険者とは、平時は宝物を求めて古代遺跡を探索し、依頼があれば高額な報酬と引き換えに危険な仕事を請け負う者たちだ。彼らは国家公認の冒険者ギルドに属し、各人が戦闘技術や魔法など特殊な技能を身に付けている点において、単なるごろつきとは一線を画している。
冒険者が請け負う仕事は多岐にわたる。街道を行く行商人の護衛、辺境の調査などは穏便な部類だが、妖魔や魔獣の討伐など命がけの依頼も少なくない。
そうした荒事の依頼を取りまとめ、適切な冒険者に斡旋する場が「冒険者の店」だ。ここ止まり木亭も冒険者の店であり、日夜多くの者たちが仕事と食事を求めて出入りしている。
店内のテーブルは大半がベテラン冒険者向けの「酒場」区画に属するが、ルピニアが陣取るテーブルは通路を隔てた「定食屋」区画にある。こちらは主に
客層が変わればメニューもサービスも変わる。斡旋される仕事は危険度が低い代わりに、報酬もそれなりだ。先の金髪の少女のように、明らかに不慣れな給仕娘が大目に見られるのも定食屋区画ならではの光景だった。
「あら感心。時間どおりね、ルピニア」
張りのある声がした。
ルピニアが振り向くと、エプロン姿の女性が腕組みをして立っていた。
年齢はそろそろ壮年に差し掛かるくらいだろうか。尖った耳はルピニアや金髪の給仕娘と同じ、エルフ族の証だ。見るからに気さくな雰囲気ではあるが、身にまとう空気にはどこか威圧感が混ざっている。彼女が近くに立つだけで空気にぴりっと緊張が走るようだった。
「おはようさん、アルディラはん」
ルピニアはくだけた調子を意識しながら会釈したが、背筋はぴんと伸びたままだった。
「なに緊張してるの。あたしには気軽に挨拶なさい、取って食べやしないから」
女性はからからと笑った。
止まり木亭の女将アルディラ。かつて英雄と呼ばれ、今なお「王宮泣かせの女司教」の異名をとる女傑だ。格式ばった事が嫌いで、あまり丁寧な言葉遣いをされると機嫌をそこねるという噂もある。
とはいえアルディラは王宮に招かれるほど凄腕の魔術師であり、かつ優れた神官だ。知り合ったばかりのルピニアとしては緊張するなと言われても困ってしまう。
取って食うという表現も的確すぎた。アルディラはどこか肉食獣めいた危険な香りがする。今は満腹で機嫌が良いのだろうが、うっかり獣の尾を踏むような真似は避けたい。
「ほら、二人とも。こっち来なさい」
アルディラが店の入り口に向かって手招きした。
所在なげに立っていた少年と少女がテーブルに近づいてくる。
最初にルピニアの目を惹いたのは、彼らの耳だ。
少年の耳は手のひらほどの大きさがあり、柔らかそうな焦茶色の毛に覆われていた。傍らの少女はといえば三角形の耳が一対、頭上に突き出ている。
獣人族。身体に動物の特徴を宿す、人間型の種族だ。
顔立ちや体格からすれば二人とも成人して間もないと見える。
特徴的な彼らの耳は落ち着きなく動いている。それが冒険者の店という特殊な空間への好奇心によるものか、アルディラに対する緊張によるものかは分かりかねた。
「〈ルーツ〉違いの獣人が二人連れ? けっこう珍しいんやないか」
「まあ変り種ではあるわね」
首をかしげるルピニアと異なり、アルディラには動じた様子もない。
「さて。登録も済んだことだし、あなたたちも晴れて止まり木亭の冒険者。あのダンジョンに挑む資格を認めるわ」
アルディラはテーブルに集まった三人に笑顔を向けた。
「自己紹介を済ませておきなさい。駆け出しのあなたたちにちょうどいい依頼を紹介してあげる」
カウンターの奥へ戻っていくアルディラの背中を見送り、三人は誰からともなく安堵の息を漏らした。
「……まあ順番にいこか。ウチはルピニア。射手や。見てのとおりエルフ」
ルピニアは目で二人を促した。
待つのは苦手だ。こういうことは手っ取り早く進めたい。
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