ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記 超訳版

人の海

第1話 クララ、来日するのこと

補足:巻末に<オマケ>をつけてみました(2016年3月31日)

【幕開き】

 江戸幕府の最後の幕を引いた男、勝海舟。

 彼に青い目の孫が、しかも六人もいたと云えば、驚かれるだろうか?

 海舟の三男で、長崎時代の愛人くまとの間に生まれた梅太郎は、ニュージャージー州生まれのアメリカ人クララ・ホイットニーと明治十九年、熱烈な恋愛の末に国際結婚。彼女との間に六人の子供を儲けた。

 この事実が広く一般に知られるようになったのは後世、クララの日記が発見され出版されたことがきっかけだ。

 明治八年、十五歳の誕生日の直前、家族と共に日本にやってきて以降、明治二十四年までの間に記した大小十七冊にも及ぶ日記。

 幕末維新期に日本を訪れた外国人たちの記録を研究主題に据える私にとって、この日記は珠玉の一冊である(手元には日本語版、英語版、フランス語版がありますが)。歴戦の外交官や世界各地を訪れた宣教師たちの記録は確かに興味深く、それ故に私もこのジャンルを研究主題に据えたわけではあるが、そんな中、まだ十代の普通のアメリカ人少女の目を通してみた明治初期の日本。「そのありのまま」の光景は今日の我々に新鮮な驚きをもたらしてくれる。

 しかも彼女の日記には明治初期の著名人が綺羅星の如く登場する。

 後に義父となる勝海舟は勿論、福沢諭吉、森有礼、新島襄、大久保一翁、大鳥圭介、徳川宗家第十六代徳川家達などなど、数え出せばキリがない。そして何より、教科書や歴史書では窺い知れない彼らの「素顔」は、明治という時代をより身近に感じさせてくれる。

 同時に異文化の視点から我々のご先祖様たちを見たときに、それがどのように映ったのかの貴重な資料でもあります。勿論「異文化側の視点」も相対的な物であり、開国期のものだと今日的な観点で云えば、人種差別意識が満載です。それでも、彼らの記録からは「当時の日本人が意識もせず普通に行っていた行動」それが故に文章としてわざわざ残されることもなかった当時の日本人の「普通の」姿が伝わってきます。

 ただ残念ながらそれらの記述は、今日的視点で見た時に、明治維新当時、いえ、江戸期を通じて育まれてきた「一つの固有の文明」が今はもう滅び去ってしまったことを示す悲しい実例でもあります。勿論全てが滅び去ってしまった訳ではありませんが、それでも確実に当時と現在を比較すると、我々の立ち位置は、我々のご先祖様側ではなく「異文化の視点」だった外国人側にずっと軸足が寄ったものとなっています。

 しかしこのことについて今更嘆いても仕方ありません。今更我々は当時の文明に戻ることは出来はしないのですから。

 ただ自分は、その固有の文明が終わりゆく様を、その終わっていく様を嘆き、記録してくれた異文化人たちに感謝を示すためにも、一人でも多くの人に知って貰いたい。

 そのために彼女の日記をラノベ風に「超訳」して皆様にお目にかけたい次第であります。

 構成は毎回クララの日記の「超訳」と解説編とがセットとなっております。解説編で掛け合い漫才も担当する二人もまたクララの日記に登場する実在の人物ですが、ラノベのキャラになれるほどキャラが立っていますので歴史に興味の薄い方にも是非ご一読を。


明治8年8月3日 火曜日(クララ14歳)

 いよいよ日本に着いた! あんなにも神様に一生懸命に祈って辿り着いた国だというのに実感が殆ど湧かない。今朝早く起きたら、陸が見えていたのだ。

 母は無事「約束の地」に辿り着いたことへの感謝の祈りを捧げていたけれど、父と兄のウィリイは「やれやれやっと着いた」とばかりの態度だし、妹のアディに至ってはその一報を聞いた後も再び夢の国の住人となる始末だ。

 それでも五時少し過ぎには全員甲板に出て、朝食のベルが鳴るまで双眼鏡などで「そよ風の島」の青い輪郭を一心に眺めていた。海と空の青色はとても美しく、海は雲が陰ると緑色や紫色になった。

 岸に近付くにつれ、沢山の漁船が見えてきたけれど、それに乗っている人々は皆素裸だった。ショッキングだ! 年頃の淑女としては頬を染め目を逸らすべきなのだろうけれど、わたしには目を逸らすつもりなんてなかった。

 わたしがこうして日記を書いているのは将来小説を書くときに役立つかも知れないと思っているからだ。こんなエキゾチックな光景を見逃すわけにはいかない。「トリビューン」誌によると、オールコットは十歳の時から日記をつけていて、各巻千頁以上の日記帳が七十七巻もあるのだという。「しかし困ったことに索引がないので、一番良い箇所が何処に入っているのか分からないのである」とあるのはご愛敬だろうけれど。

 岸に散在している村々の家はたいてい茶色の竹でできた漁師の家で、屋根は葦か何かそのような材料で葺いてあった。景色の素晴らしさは格別で、起伏する丘が重なり合い、実に鮮やかな緑に覆われていた。「日出ずる国」は本当に美しくてどの眺めも快く、まさに「などか人のみつみに染みし」といった感じだった。小さな帆船の大群に出会ったが、その中の幾隻かが近付いて来て、この国の音楽的な言葉でわたしたちに挨拶した。

 午後五時半頃に灯台船に付き、そこでわたしたちの船は礼砲を鳴らし、まずアメリカ国旗を、次に日本国旗を掲げる。

 横浜港はいろいろな国の船で一杯で、アメリカの何処かの港のようだった。あらゆる国から遠洋汽船や帆船が来ていた。そして白いポーチのある館、ホテル、海軍造船所といったロマンチックな背景の緑の丘が引き立てて、港は大変印象的な一枚の絵となっている。

 長い航海を共にした乗船オーシャニック号に別れを告げ、わたしたちは小さい“はしけ”に乗り移った。

 一マイルほど離れた横浜に向かって、はしけは波打つ海の上をすいすいと進んで行くけれど、その漕ぎ方はかなり変わったものだった。はしけはイタリアのゴンドラのような形で、一人が舳先に立って平らい櫓で漕ぎ、他の二人が両側で長い竿を押す。その間物憂げな歌のようなものがこの作業に伴うのだ。一人が「オー」と云うと、もう一人が「アー」と答え、それを岸に着くまで続けていた。もしこの水先案内人(ウンディーネ)が女性だったりしたら、さぞや人気の観光地になるに違いない。


 上陸した私たち一家はまず税関へと赴いた。そこでは通常、手荷物とトランクが検査されるのだけれど、幸いなことに領事閣下の手紙を持っていたため荷物を解く必要もなく通過することが出来た。何故だか鼻高々の父。大いなる希望を抱いてこの国にやってきた筈の私はその瞬間、何故だか……いや、違う「経験則上」猛烈に厭な予感に囚われた。ああ神様、この直感がどうか外れてくれますように。

 税関の外では、数名の人が「人力車」と呼ばれる乗り物のそばで待っていた。これは二つの車輪で上手にバランスを取って人を運ぶ小さな乗り物であり、この国で生まれた最も新しい移動手段の一つだそうだ。面白いことに、私たち以前にこの国を訪れた外国人たちの記録によると、日本人はこの人力車を外国人がこの国に持ち込んだと堅く信じているそうだ。

 わたしたちはその一台に乗り込んで、ホテルに駆け足で連れて行って貰うことにした。

 そのときわたしが感じた感情をどう表現すればいいだろう? それはたとえようもなく滑稽で、笑いをこらえるために息を詰めていなくてはならなかった。

「人を乗せた乗り物を人が引く」

 そんな常識では図りがたい発想を現実化し、かつそれを平然と受け入れているらしいこの国の人たちは一体どんな人たちなのだろう? しかも最初はおっかな吃驚だったけれど、乗っているとこれがまた心地良いのだ。

 母とアディは真面目な顔で乗り込んでいたけれど、よく観察していると、母がわたしと同じ経験をしているのが分かった。土地の人々が物珍しそうに見守る中で、母はさも慣れているように見せようと、時々こみあげる笑いをこらえて懸命な努力をしていたのである。

 ひゅうひゅうと風を切って母の車と激しい競争をしている最中に、オーシャニック号の船客の一人に会った。その人は帽子をあげて挨拶したが、私は「さよなら」と叫ぶことしかできなかった。

 丁度その時振り返ると、父が傘を片手で振り回して、母の人力車の後から、母の車を引いている日本人に「止まれ」と叫びながら駆けてくるのが見えた。……そう云えば、父は私たち以上に人力車に乗ることを躊躇っていたので、結果的に置き去りにするような形になってしまっていたのだ。どうせ泊まるホテルは決まっているのだから、と母も、兄も、私も。

 だけど父のその叫びは、早さに命を賭けているらしい人力車の車夫にとっては「どんどん行け」と云っているようなものだった。というのは、車夫は「何人たりとも俺の前は走らせねぇ」とばかりに、全力で駆けだしたからだ。私はもうおかしくてたまらず、笑いをこらえようとして人力車をかなり揺すってしまったから、車夫は随分活発な荷物を運んでいると思ったことだろう。

 ああ、主イエスよ、どうかこんなにも未熟な我を完きものたらしめ給え。そしてこの地の一人一人の兄弟の手を取って、ぼろを脱がせ、無知から救い出すべくその教えを説こうと私たちに道を指し示し給え。


【クララの明治日記 超訳版第1回解説】

「ということで『クララの明治日記 超訳版』第1回をお送りしました」

「『ということで』ってなんなんですの、突然!?」

「なんなんですの、って私に云われてもねー。とりあえず私たちの出番は当分来ないので解説役が回ってきたみたい。ま、このシリーズ、基本クララの一人称だから、最低限の解説入れないと理解不能ってことで。そういう風にしか構成出来ない超訳主の書きようが悪いんだけど」

「ですが、何故わたくしたちがこんな“痛い”企画に……」

「“痛い”のは十分承知だって。だからここの部分だけわざわざ夜中に、しかもお酒入った状態で書いてるんですって。素面じゃ、流石に書けないみたい」

「そんなことなら、最初からやめておけばいいものを……」

「はい、そこ。愚痴っても仕方ないことで愚痴らない愚痴らない。

 で、さっきの話に戻るけど、カミングス嬢だと好き放題やって解説にならないし、ミス・ワシントンだと話が進まないでしょう? だからクララの親友たる私たちにお鉢が回ってきたわけ。

 あっと、自己紹介遅れました。私の名前は勝逸子。父は元幕臣の勝海舟で、この日記の日付だとクララと同じ十五歳です。クララからは“お逸”と呼ばれることになります」

「……キン・ユウメイ。国籍は牧師である養父母のアメリカですけれど、出身は中国の北京です。年はこの日記の日付だと十二歳です。クララからは“メイ”って呼ばれてます」

「ちなみに。ユウメイはクララとの初対面の時には膝上までしかない短いチャイナドレスでアピールした萌えっ子です」

「ちょっとお逸! 誤解を生むような云い方、やめて下さいます!? 普段はちゃんと膝下までの長いのを穿いてます!」

「え? 『パンツは穿いてるから恥ずかしくないもん』ってアピールじゃなかったの!?」

「……本当に“痛い人”にしか見えないから、そこらで止めておきなさい」

「……ええ、流石に今のは私もそう思った。

 コホン。では気を取り直して解説を始めましょうか。そもそもクララ一家が日本にやってきた理由なんだけど、直接的なきっかけは日本に欧米流の商法や簿記を教える学校が是非とも必要だと考えた薩摩藩出身の森有礼が、その校長として白羽の矢が立てたのがクララの父親のウイリアム・コグスウェル・ホイットニーだった、というところかな?」

「商法講習所、後の一橋大学ですわね。エール大学卒業後に、ニュージャージーで実業学校の校長の任にあったというのだから適任だったのでしょう。それにしてはクララが日記の冒頭から父親に対して心配というか、頼りなさげに書いているのは何故かしら?」

「その辺は日記を読み進めていくと徐々に分かってくるんだけど、クララの父様は商法を専攻していたのにどうにも『実業』の方には向かなかったみたいでね、日本に来る前にはアメリカの学校の方は倒産状態だったみたいなの。というか……半ば夜逃げ?」

「噂には聞いていましたけれど、本当に維新初期のお雇い外国人は玉石混交でしたのね」

「クララの父様は講師としてのレベルだけは高かったみたいだからまだマシな方なんだけれどね。それでもこの頼りない父様の為に後にクララたちは大変な目に遭うことになります……ってところで第1回の解説はこの辺で。次回も読んで頂けると嬉しいです」


<オマケ>

「クララの明治日記 超訳版」連載開始と云うことで、特別に時系列を無視して、クララの日記に登場するで随一の面白人物、ゴードン・カミングス嬢と、主人公クララの「デートな一日」の模様を。


明治11年10月29日 火曜日

「おーい、クララ。今日は天気がいいからデートに行こうぜ」

 朝っぱらから家の銅鑼が鳴ったと思ったら、アーガイル侯爵家に連なるゴードン・カミングス嬢――ゴードンというより、ギリシャ神話に登場する怪物ゴルゴンと云った方が良いのだけれど――からのデートのお誘いだった。今日は特別に予定があったわけじゃないから、わたしに異論はない。いや、逆に歓迎したいくらいだ。デートといっても勿論色っぽい話じゃない。以前から骨董品の買い出しにお付き合いする約束をしていたのだ。

 どうせわたしを荷物持ちにさせる心づもりなんだろうけれど、カミングス嬢と楽しく過ごせる時間と天秤にかければ、その程度は苦じゃない。

「部屋で準備してきますから、少しだけ応接室でお待ち下さい」

 そう告げて二階に戻ろうとすると「お構いなくお構いなく」と二度も仰るので、何かと思ったら自室まで付いてこられてしまった。幸い部屋の整理をしたばかりだったし、見られて困るものもそれほどない。そもそもわたしが拒んだからといって聞いて下さる方でもないんだし。

 最善の対処は外出の準備を早々に整えてしまうことだ。そう割り切って、部屋に入るとなるべく手早く最低限必要な荷物を鞄に詰め込む。となにを思われたのか、わたしの傍らで、カミングス嬢は持ってきた手提げの鞄の中身をぶちまけ、詰め直し始めた。買い出しの途中で写生でもされるつもりなのか、スケッチブックと鉛筆入れが真っ先に目に映る。英字紙に包んだ角張った箱状のものあった。あれは……お弁当箱?

 そんなわたしの視線に気付いたのか、彼女はそのお弁当を掲げると「お手製なんだぜ。クララの分も作ってあるからお昼は一緒に食べよう」と、誇らしげな笑顔で仰る。叶わないなあと心の中で嘆息していると、カミングス嬢が小振りなワイン瓶まで鞄に詰めようとしているのに気付く。

「なんでワインまで持って行かれるんですか? どこのお店でもお茶くらい出してくれますよ」

 これは別段お店に限った話じゃない。郊外にピクニックに出かけたときなど、わたしたちが外国人だと分かると「是非お茶でも飲んでいって下さい」と誘われることがたびたびあった経験からだ。最初は何か下心があるんじゃないかと疑ってしまったのだけれど、それが恥ずかしい勘ぐりだって事は、すぐに理解できるようになった。一見警戒しているように映るけれど、この国の人たちは“客人”に興味津々なのだ。もっともそれが度を超しすぎて、鬱陶しいと感じる外国人が多いこともまた事実なのだけれど。

 だいたいこれから骨董品の買い出しに行くのだから手荷物は軽い方がいい。物によっては屋敷に届けるようお願いできるだろうけれど、ちょっとした小物なんかは無理だろう。

「あら、私はちょっとお酒が入っていないと、身体がしゃんとしないんだよ」

「……そうですか」。そっか、やっぱりこの方は普段からナチュラルに酔っぱらっていらしたんだ。そう半ば諦めの気持ちの中、受け入れる。

「でもそれでしたら、コップを用意しないと」

「コップ?」世にも不思議そうに問い返してから「あんた、私は瓶から呑むんだけど?」

 こういう会話をしている時の彼女の独特の抑揚は文字では再現できないので、彼女の云った通りに伝えられないのがもどかしい。ともあれ、あまりにも当然のように告げてくるので、わたしは抗弁することを早々に諦めることとなった。


 普段は外出には必ず愛車の自転車を利用されるカミングス嬢だけど、流石に骨董品の買い出しではそうはいかない。

 母とわたしに丁度よい大きさである我が家の人力車が、急に縮小したような気がした。しかし「二つの物体が同時に一つの空間を占領することはできない」という不可入性の法則により、わたしは押し潰された状態ながら「ご窮屈ではありませんか」と辛うじて云った。我ながら涙ぐましい気の遣いよう。この国に三年もいたせいで日本人の性質が染ってしまったのかもしれない。

 道で見かけた最初の骨董屋さん。わたしが車夫に止まるように云うよりも先に、彼女が叫んだ。

「ああ、ストップ! マッタマッタ!」

 英語日本語混じりのそれがあまりにも大きい声だったので、車夫と店の人のみならず、そのあたりの人みんなの注目が集まる。颯爽と人力車から飛び降りた彼女は、軒先に並べられている陶磁器や銅製らしい小物に目を走らせ、ついで薄暗い店の奥を、といっても奥行きは二フィートほどしかないのだけれど、探るように眺めると「よし、次!」と再び席に戻ってくる。

 この間、僅か一分足らず。唖然とするばかりのわたしたちを尻目に「ほらほら、時は金なり。次行こうぜ、次」とカミングス嬢は促した。

 結局通りすがりの道具屋では彼女を満足させる品は見つけられず、芝のいわゆる“泥棒横町”へと出向くこととなった。

カミングス嬢は、帽子を目深に被り、背が高いので前のめりに身体を曲げ、骨董品を探すのに目を細くしてのっしのっしと歩いていく。何か目に留まると、周りの人を驚かすような大きい声を出す。

 気に入った物を見つけると「オカミサン、コレイクラ?」と、愉快な行動を続ける彼女の姿を見るべく集まってきた群衆に対しては、時代がかった言葉遣いで「ミナノシュウ、ミチヲアケテクダサレヌカ」と。

 ちなみに、上流階級出身にもかかわらず、彼女の英語にはかなりスラングが混じっている。勿論、時と場合によっては、わたしのようなアメリカの田舎娘では到底真似出来ない綺麗な、まさに文字通りのクインーズ・イングリッシュで話されるのだけれど、ご本人はどうにも堅苦しい言葉がお好きじゃないらしい。

 彼女が前進する時には、わたしは小さい仔牛のように、ちょこちょことついて行くしかない。時折わたしの方を振り返っては「♪」と奇妙に哀愁の籠もった曲を口笛で吹く。とてもお上手なのだけど、何故だか聞いているこちらがとてつもなく不安に襲われる。一度も聴いたことがない曲なのに、本当に何故なんだろう? 首を捻っていると、突然声を掛けられる。

「お、珍品発見。おーい、クララ! これ、何だか分かる?」

 カミングス嬢が手にしている“それ”をわたしは凝視する。

 最初それがなんだか皆目見当がつかなかった。

 黒光りしていて、彼女が手にしている先端部分が節くれ立っている。どうやら黒檀のようだけど、だとしたら随分手が込んでいる。黒檀は非常に重く硬いので、加工は難しいからだ。そう、堅くて、太くて、逞しくて、でも先端部が歪な格好をしていて……って!?

「ななななななな何を持っていらっしゃるんです!?」

 わたしはその“正体”に気づき、はしたなく大声を上げてしまう。

「え、だから珍…」

「わー、わー、わー、ストップ」

 大声でその“正体”を暴露しようとするカミングス嬢の口を必死に塞ぐ。

「面白いよねー、露天でこんな物を売ってるなんて。ロンドンでもウエストエンドの場末の店にでも行きゃ売ってんだろうけど、まさか白昼堂々とは。ま、こっちの方が健全っていや健全なのかも知れないけどさ」

「お願いですから、そんな汚らわしいもの早く元に戻してください!」

 わたしは懇願する。なんだったら土下座してもいい。

「……買って帰っちゃ駄目?」

 カミングス嬢は何故だか子供のように上目遣いでわたしのことを見てくる。とはいっても当然わたしの方がずっと背が低いので全然似合ってない。というか、そもそも上目遣いに見えない。

「駄目です! 絶対に駄目!」

 わたしは一歩も退かなかった。きっぱりと言い切らないと、押し切られてしまう。

「ちぇー、つまんないのー」 

 子供みたいに唇を尖らせたカミングス嬢が本当に残念そうに云う。あまりの落胆ぶりに、なんだかこちらが何か悪いことをした気分になってしまうけれど、ここで“仏心”を出したら負けだ。その程度にはこの方のことを理解出来るようになっている。


 やがて太陽は中天にかかり、昼食を取るということになった。

 混雑を避けて、なるべく周りに普通の店のない茶屋を選んだのだけれど、ここでも彼女が日本の習慣を心得ていないために次々と滑稽なことをしでかしたお陰で、わたしはその尻拭いをする羽目になった。もっともその苦労は、彼女のお手製の弁当の美味しさで相殺されたのだけれど。

 だけど、ここからが本当の決戦だった。というのは、わたしたちは骨董屋のびっしり並んでいる中通りに入っていって、片っ端から細かく当たっていく羽目になったからだ。

 彼女は莫大なお金を使って、沢山の陶磁器、銅製の細工物、浮世絵、そして珍しいところでは日本の様々な風景を写した写真を買い揃えていった。そして再び男っぽい仕草で人々を驚かせ続けた。ある店では十銭を崩して貰って大きくて重い銅貨ばかり渡されると「軽いのがいい」と云って銭函をひっつかんで自分で好きな貨幣を選んでとったり、またある店の軒先では酔っぱらった老人が、悪意はないのだろうけれどわたしに向かって古い豆を差し出して「食べてごらん。身体にいいよ。歯が悪くても大丈夫」と絡んできた時は「この大馬鹿者!」と一喝して追い払ってくれたりもした。

 本当に面白かったのは七宝焼の店で、わたしたちは奥の部屋まで入っていって美しい伊万里焼のコレクションを見た。

 カミングス嬢は十四ドル分買ったのだけれど、店の陽気なお上さん相手に、休みなく大きな低音で喋っていた。言葉を切るたびに声の音階が一つずつ上がっていくのだ。前にも書いたけれど、こういう会話をしている時の彼女独特の抑制が文字では表現できないのがもどかしくて仕方ない。

 とにかく、この長い長い苦悩の旅もやがて終わった。太陽が傾きかけたので、彼女は更に向こう見ずの買い物をしてから、車夫の顔を家路に向けるように、と指令したのでほっとした。しかしあまり方々に止まったので、時間は相当遅かった。わたしたちの人力車は文字通り一杯で、足もいつもと違った高い位置にあった。カミングス嬢は両腕一杯に抱え込んでいて、粗末な包紙でくるんだ大きな包みがみんな見えていた。彼女は頑として膝掛けを拒み「みっともない包みは覆ったら如何ですか?」と云ったら「なんで隠す必要があるの? 見えて何か困るってもんじゃないでしょ」と本当に不思議そうに問い返されてしまったた。

 彼女が逗留しているダイアー先生宅に到着し、その玄関口で大切な乗客の「貨物」を車夫と一緒になんとか下ろし終えた時には、心底ほっとした。そんなわたしの背中をポンと叩いた彼女は「上出来だったわ、アンタ」と満面の笑顔で仰る。

 女性としての立ち居振る舞いをわたしが常に見習いたいと願っているアニー・ワシントンにも、こんな誰からも好かれるような笑顔は浮かべることが出来ないだろう。この笑顔だけで一日の苦労が吹き飛んでしまう。吹き飛んでしまったのだけれど。

「よし! それじゃあ、明日は写生に付き合いなさいな。ここへの迎えは朝の九時にね」

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