不可思議短編
安東りょう
白い部屋
真っ白い部屋だ。
私は椅子に座っているらしく、視線はやや低い。目の前には、白いテーブルクロスがかかったダイニングテーブル。その向こうに見える壁もまた白い。
ぐるりとあたりを見渡した。
部屋には扉はない。窓もない。私はどうやってこの部屋に入ったのだろうか。
目に入るのは、白い壁、白い床、白い天井。電灯など、光を放つ物も見当たらない。けれど、辺りの様子は見えている。光源がどこにあるのかわからないが、ぼんやりと、室全体が白い光に照らされている。
私は正面に視線を戻した。
そこに、黒があった。
先ほどまではなかったそれに、私は驚き、びくりと体を震わせた。
皺一つない白いワイシャツに、黒のネクタイ、黒のジャケット。テーブルの死角になっていて見えないが、おそらく黒のスラックスを穿いているであろう、それは、突如そこに現れ、身じろぎ一つせずに立っている。それは、いったい何者なのだろうか。胸の膨らみがあるようで、しかし、女にしてはその骨格は雄々しいように思う。男なのだろうか。女なのだろうか。そもそも人なのだろうか。わからない。
それの頭部は山羊だった。
黒い山羊の頭。二本の角は大きい。
山羊頭のそれは、じっと私を見つめている。
その視線に耐えられなくなり、私は視線を手前に移動させた。
真っ白いテーブルクロス。その上に、真っ白な皿がのっている。その皿には、銀のドーム型の蓋が被せてある。この蓋の名前を私は知らない。綺麗に磨かれたその曲面に、間の抜けた私の顔が写っている。皿の左右には、こちらもよく磨かれた銀のナイフとフォーク、そしてスプーンがきちんと並んでいる。視界の端に、膝の上に置かれた白いナプキンが映っている。
私は視線を自身の膝にまで引き寄せた。
座っている椅子も白い。着ている服も白い。寝巻きのようだ。
私は首を傾げる。なぜ、白い寝巻きでこんなところに座っているのだろうか。答えを与えてくれる人はいないだろうか。
私は視線を前方へと戻した。
そこに、山羊頭の姿はなかった。
山羊頭は移動していた。
いつ移動したのだろうか。一切の音は聞こえなかった。足音も、衣擦れの音も。山羊頭は、私の右手の壁際に立っている。まっすぐに、正面——私の左手の壁を見ている。
私は視線の先を追った。
白い壁があるだけだった。
視線を山羊頭に戻す。その姿はなくなっていた。
私は、視線を右から左へとゆっくりと動かした。山羊頭の姿は見えない。けれど、
ああ、後ろにいるのか。
私はそう確信した。後ろを振り向いて確認したわけではない。けれども、自分の背後に、それはいるのだと、理解していた。
私は皿に被せられた蓋へとしばらくぶりに視線を向けた。
そこに映る私。その背後に山羊頭——は映っていなかった。私の背後には白い壁があるばかりだ。けれど、間違いなく、山羊頭の男は後ろにいる。
彼は映らない。それが当たり前なのだ。
私は、理解していた。
ちりちりと、首のあたりに視線を感じる。
皿の上の蓋。これをとらなくてはいけない。はやく、皿の上のものを確認しなくてはいけない。そう思うのと同時に、蓋をとってはいけない。見てはいけないのだ、という思いが湧く。
山羊頭が、私を見ている。後ろから見つめている。
はやく蓋をとれ。そう、告げている。迫っている。
私は、蓋の上部の突起に手をかけた。
駄目だ。とってはいけない。中を見てはいけない。
はやく、蓋をとらなくては。皿の上に何があるのか、はやく確認しなくては。
矛盾した思いが私の中でぐるぐると廻る。
首の後ろが熱い。
ちりちり。山羊頭が見ている。
私は、蓋を持ち上げようと、手、腕、その他、物を持ち上げるために必要な筋肉に無意識に命令を下していた。
蓋が持ち上がる。皿の上にあるもの。
それが見える前に、私は理解していた。
皿の上にのっているものは、私の——。
真っ白い部屋は、真っ黒になった。
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