promissory

moes

promissory

 ※女子高生と教師※


「ねぇ、かっこよくない?」

 壇上で新任の挨拶をしている若い教員を指していることはすぐに察しがついた。

 あちこちで、同様の会話がなされているのだろう。さっきまでより、ほんのわずかに体育館内がざわついている。

 とりあえず。クラスメイトにかるく肯きを返す。

「そうだね」

 まぁ、一般論として顔は良いと思う。背も高いし、痩せすぎてもいなく、ほどよく均整の取れた体型にブルーグレイのスーツが良く似合っている。

 が、どことなく。

「軽薄そうじゃない?」

 考えていたことと同じことを、反対隣に座るクラスメイトが口にして、思わず吹きだしそうになる。

「そこが良いんじゃないー」

 身も蓋もない。

 ひそひそと楽しげに会話する二人の間に挟まりながら、適当に頷いてやり過ごした。



「文月(ふづき)」

 階段を上ってくる相手にかるく手をあげて応える。

 久しぶりに聞く自分を呼ぶ声は、やっぱりすこし似ていて、なんだか泣きたくなる。

「瑛士(えいし)、おそい」

「おにーさんはお仕事なのだから、無茶を言うんじゃないよ」

 苦笑いしながら、瑛士は隣に座る。

 人のあまり来ない特別棟の、使用されない、さび付きかけた外階段のてっぺん。

 約束の場所。

「そうじゃないよ。根本的に遅いって話」

 本来なら、一年前に会えていたはずだ。

 文月は去年入学したし、瑛士だって卒業して教員免許を取得していた。

「それこそ無茶言うなよ、文月。このご時勢、教師になるだけでも大変なんだぞ? それにもかかわらず希望通り、うちの高校に立派に採用されたオレは偉い」

 褒めろ、と言わんばかりに胸をはる。

「非常勤でも?」

 本当はわかっていた。

 文月が受験で合格するとはわけが違う。

 教免をとったとしても、教師になるのは狭き門なのだ。その上、就職先をこの学校に限定するとなると、より厳しいということは想像に難くない。

 そんななか、きっちり期限内に瑛士は約束を守ってくれた。

 文月が本気で言っているわけでないこともわかっていたのだろう。

 瑛士は静かに微笑う。

「それでも。ちゃんと来ただろ、この場所に」

「うん。瑛士はすごい。……ありがと」

 隣にある肩にそっと体重を預けた。



 ※大学生と中学生※


「卯月(うづき)?」

 そんなはずはないのに、思わず声に出していた。

 悪友で、親友だった。そんなこと、恥ずかしくて口には出来なかったけれど。

 駅前の広場にあるベンチ。

 背もたれからのぞく後姿がほんの少し似ていた。

 よく見れば、卯月よりぜんぜん細っこいし、背も低い。

 でも、声に反応して振り返った表情が、やっぱり卯月に似ていた。

 女の子にしては短めの髪は、不揃いで、自分で切ったような感じだ。

 どこか卯月のしていた髪型に似ていた。

 それの意味はわからないけれど、理由はわかる気がした。

「文月ちゃん?」

 卯月に歳の離れた妹がいることは聞いていた。

 「かわいいだろう!」と自慢げに写真を見せられたことも何度かあった。その時は、こんなに髪は短くなかったけれど、やっぱり兄妹なだけあって似てると思った。

「ごめんなさい」

 瑛士をまっすぐに見上げていた目が伏せられる。

「なんで、あやまるの?」

 だいたい、自分が誰かわかっているのかもナゾだ。写真で一方的に知ってはいるが、今まで一度も会ったことがない。

 以前、「また会わせるよ」と言ったその口で、「瑛士は女グセ悪いから、やめた方が良いか」とまじめな顔で卯月は言い放った。当時、文月は小学生だ。「断じてそういう趣味はない!」、言い返したら本気にするなよと笑った。

 もう、遠い。

 目の前には、あの時の写真よりすこし成長した、まだ充分に幼い少女。

「……だって、お兄ちゃんじゃないから」

 深い嘆き。

「そんなこと、……文月ちゃんは文月ちゃんでいいだろ」

 かける言葉が見つからず、声がしぼむ。

 安易に、自分勝手な願望で間違えたせいで、ひどく傷つけてしまった。

「だって、お兄ちゃん、いないんだもん」

「卯月はいないけど、文月ちゃんがいなくなるのもみんな困るだろ」

 なんとか慰めたくて口にした言葉は、上滑りして、ものすごく陳腐で無意味だった。

 卯月が突然いなくなって、三ヵ月が経つ。

 友人の自分さえ、未だ受け入れられずにいるのだから、自分を可愛がってくれていた兄を亡くした文月のショックは察するに余りあるのに。

「でも、お兄ちゃんのが大事。私より、私なんか、」

 目を真っ赤にして、それでも涙をこぼさずに必死に訴える。

「どっちも大事だよ。卯月は本当に文月ちゃんのことが大好きだったから、そんなこと言うな」

 ちいさな頭をそっと撫でる。

「お兄ちゃん」

 か細い声が、泣き出しそうに呼ぶ。

 あまりにも弱く、さみしい。

「……文月」

 友人が呼んでいたように少女の名を口にする。

「……?」

 不思議そうに顔をあげて、その目からぱたぱたと涙が落ちた。

「ごめんっ」

 思わず身を引いて謝ると、文月は首を横に振る。

「……ちがうの。おにいちゃん、みたいで。えーしくんが、似てる」

 涙まじりのたどたどしい声に名を呼ばれたことにすこし驚いた。

「オレのこと、知ってたんだ?」

「おにいちゃん、写真見せてくれたから。……えーしくんのこと、教えてくれた」

 反射的に空を仰ぐ。

「そっ、か」

 夕暮れ間際の淡い色の空。ゆっくりと息を吐き、まぶたの奥にくすぶるものを落ち着かせる。

「えーしくん?」

 心配そうな、やさしい声。自分だって、泣いていたのに。

「大丈夫。……ねぇ、文月。卯月が学校の先生になろうとしてたの知ってる?」

 唐突な言葉に怪訝そうにしながらも、文月は頷く。

「うん……私の学校に来てねって言ったら、良いよって」

 どんだけ、妹に甘かったんだよ、あのシスコンは。

 呆れて、卯月らしくて、苦笑いめいたものがこぼれる。

「じゃあさ、文月。オレが学校の先生になって、文月の学校に行って良い?」

 瑛士の提案に文月は目をしばたたかせる。

「なんで?」

 理由など、瑛士自身にもわからなかった。

 たた、なんとなく。

 よりどころのような物が欲しかったのかもしれない。

「卯月が、もういないから」

 たぶん、その喪失感を埋める為に。

 どう解釈したのか、文月はうなずく。

「おにいちゃんと同じ高校行くの。おにいちゃんと、約束したから」

 そこは瑛士の母校でもある。

「そっか。……じゃあ、せっかくだから校内で卯月が好きだった場所で会おう。文月、これ、オレの携帯。ちなみに場所はここ」

 メモに携帯電話の番号とアドレス、そして該当場所を書いて渡す。

「良かったら、メールして。困ったことがあれば。なくても。卯月にメールする代わりにでも」

 卯月は受け取り、ほのかに微笑う。

「ありがと、瑛士」

 その呼び方が、卯月そっくりで、もう一度空を仰いだ。



 ※教師と女子高生※


 あの頃とあまり変わっていないさび付いた螺旋階段。

 隣にいるのは、卯月ではないけれど。

「クラスの子が瑛士のこと、軽薄そうだって」

「やだねー、女子ってば容赦なく的確で」

 あたたかな陽ざしの下、くだらない軽口をかわす。あの頃みたいに。

「お兄ちゃんだったら、そんなこと言われなかったよね、ぜったい」

 文月はちいさく笑う。

「卯月が軽薄とか言われたら、オレはどうなるよ」

 どちらかと言えば卯月は真面目だったし、そう装うことに慣れていた。

 一見で軽薄といわれてしまう自分と仲良くしているのを、周囲からよく不思議がられた。

「でも、かっこいいって言われてたよ」

 それフォローなのか? 

 卯月と違い、あまり感情を表に出さない文月の本意は言葉だけでは読みづらい。

「文月、髪伸ばさないの?」

 はじめてあったときからあまり変わらない、卯月とよく似た、女の子にしては短い髪。

 さすがにあの時のように、不揃いではないけれど。

「うーん。別に、これで困らないし」

「伸ばしなよ。長いのも似合うよ」

 以前、卯月に見せてもらった写真は肩辺りくらいまでの長さの髪をおさげにしていた。

「短いの、楽なんだよね」

 それは、きっと理由の半分。

 もう半分は、卯月でいてくれているのだ。自分のために。そして自身のために。

「えぇー。長くしようよ。そのままだと、卯月みたいだし。恋愛に一歩前進しにくいじゃないか」

 わしゃわしゃと髪をかき回す。

「何それ。別に言われたからって、あえて軽薄装わなくてもいいんだけど」

 いや、だってねぇ。

 可愛く思っているのだ。それは、恋じゃないけれど、ずっと深く。

「瑛士は見た目ほど軽薄じゃないよね。お兄ちゃんも見た目ほど真面目じゃなかったけど」

 あの頃のように辛そうではなく、懐かしそうに卯月を語る。

 それはお互いに。

「教師と生徒がこっそり恋愛って、禁断で良いかと思ったんだけど?」

 かき回したせいで、乱れた髪を文月はなでるようにして整える。

「バカでしょ」

 応えた声と顔が笑っていて、つられて笑った。



 ※女子高生と教師※


 笑ってくれることにほっとする。

 いつまでも、そのやさしさに甘えていて良いはずがない。

 わかっていても、まだ手放せない。

「さて、と。文月サン、おにーさんはお仕事にもどるよ」

 立ち上がった瑛士は、せっかく整えた文月の髪をまたくしゃくしゃにかき回す。

 その仕草も兄を思い出させる。

 やさしくて、大きな手。

 いつまで、有効なのか。

「ん。またね。瑛士」

 ここで。

 今まではずっと一人で待っていたけれど。

 そのまま寝転がると、空が見える。

「おい。寝るな。サボらず授業出ろよ」

「せんせーみたいだよ、瑛士」

 目を閉じる。

 声だけがひびく。

「みたいじゃなくて、れっきとした先生だよ……文月?」

 気遣うように、うかがう気配。

 目の奥に深く潜むものをやり過ごし、応える。

「うん。大丈夫」

 今はまだ、ここにあるから。

 どこか心配げな表情をしながら、差し出された瑛士の手を取って、微笑って見せ

た。



                                  【終】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

promissory moes @moes

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ