一‐二 「いつまで続けるつもりです」
「派手にやりましたね」
声のするほうを見ると、
睨むような無言を向けていると、微笑がふと、苦笑の色を帯びた。
「あんなものをいきなり見せられたらショックを受けて当たり前です」
噛んで含めるような口調は嫌味だろうか。舌打ちをし、椎名は暗いデスクに視線を落とした。デスクの上に、月明かりが昼間と同じ縞模様を描いている。ただ昼間のそれよりもずっと幽かだった。
ブラインドの隙間から満月を眺め、考える。夜勤でもないのに、好きでもない班室の窓際席に居座っているのは――灯りを点ける気にもなれないほど、疲れているのは――なぜだろう。
隣で椅子が軋んだ。勝手に座ったらしい。胡蝶の席、だ。
「胡蝶が泣いていましたよ」
「あんた、なんで来たんだ」
何時間か前に口にした記憶のある台詞を、今度は常磐に吐いた。彼の顔を見もしないで。
「上司になんて言い草ですか」
「なんで来たんだって訊いてる」
外を眺めながら畳みかけると、困ったような溜息が聞こえた。芝居がかった仕草で肩を竦めている様子までもが手に取るように判る。いつもそうだ。寸分の隙もなく着こなしたスーツも、後ろで束ねた肩までの黒髪も。彼は全てが作り物めいている。
「胡蝶を預かっています」
振り返ると、常磐がにっこりと微笑んでいた。白い顔が暗い室内に浮かんでいる。ご丁寧に、回転椅子はきちんと椎名のほうを向いていた。
「僕の部屋に居ますよ。
言われなくても解ってる、と、椎名は胸中で毒づいた。ほろほろと涙を流す胡蝶を連れ帰るだけで限界だったのだ。涙の原因たる椎名は、彼女の動揺を鎮めることに関して恐ろしく無力だ。
「仕事は二人一組だから、と思って後を追ったそうですよ」
常磐が訊きもしないのに説明する。椎名は応えず、隣室に通じる扉を見た。扉の向こう、この第三班室の隣には、常磐とその相棒――狭霧という名の美人だった――の使う部屋があった。正確には執務室といったはずだが、普段は「常磐の部屋」と簡単に呼ばれているだけだった。
情報局から流れてきた魂の情報は、まず彼ら班長に流される。第三班長たる常磐の仕事は、魂の捌き手を誰にするかを決定することだった。そしてその執務室には、今までに輪廻の輪に戻されていった魂たちの膨大な記録が、きちんとファイリングされて残っている。部屋の主の性格のおかげで、情報局にも匹敵しかねない情報量を誇る部屋だった。
その扉の下から、細長く光が漏れている。
胡蝶の眼を思い出し、椎名はまた舌打ちをした。
――いつもこうだ。
何度も繰り返してきたこと。椎名にあてがわれた相棒は、彼の仕事ぶりを見て恐怖し、そして逃げていく。そうやって何人の「相棒」が逃げていっただろうか。誰も彼もが同じような眼で椎名を見る。――解っている。そういう眼で見るほうが正常なのだ。椎名とて、自分が一般人であるとは思っていない。殺人衝動に駆られるような者が、一般人であるわけがない。抑えようとしたこともあったが、無駄だった。抑えられないからこその「衝動」か。それとも、「殺人」が合法的に許されてしまう環境なのも良くなかったのだろうか。
現世に留まりつづける魂は、説得し、丸めこんで居るべき場所に還してやるのが常套手段。しかし、感情の塊、即ち影になってしまった魂は、もはや説得してどうにかできる相手ではない。だから、「始末」される。それが許可される――ここは、そういう職場なのだ。カウンセラーと暗殺者を、同時にやってのけるような盛大な矛盾。
だからもう、とうの昔に諦めたはず。
自分の「衝動」も、周りの視線も。
――なのに、相変わらずか。
相変わらず、胡蝶の怯えた眼に疲れを覚えている。無視しきれていないのだ。案外、胡蝶が椎名を恐れているのと同様に、椎名も彼女に怯えているのかもしれない。今まで自分の元から去っていった「相棒」たちにも。
不機嫌なのも自業自得だ、と思った。これではまるで子供である。
「相変わらずですね、椎名」
常磐の声がするりと入りこんできた。穏やかな、しかし、不気味な声。彼は身体ごと椎名のほうを見ながら、右手はデスクに頬杖をついている。組んだ脚の膝の上に、月光が一片落ちていた。仕草がいちいち芝居がかっていて、それも気に入らない。
「放っとけ」
「こんなこと、いつまで続けるつもりです」
「あんたに言われる筋合いはないぜ、
昔の渾名で呼ぶと、かつての相棒は、また困ったように笑ってみせた。椎名も唇の端をつりあげて応える。
「好き好んで『始末』を引き受けてたって、今でも評判らしいじゃねえか」
「失礼なことを仰いますね。僕の場合は――無関心がすぎるだけです」
穏やかな表情とは裏腹に、つめたい声音だった。
どうだか、と呟いて、椎名は笑った。
常磐も笑う。ひどく人工的な笑みだった。
ただ一人だけ自発的に去らなかった最初の相棒とは、上から無理やりに組を解消させられた。そんな昔の話を思い出す。
「好き好んで『始末』を引き受けて下さる貴方のような存在は、中間管理職にとっては非常に有難いのですけれど」
そこまで言うと、常磐はつと真顔になった。紅い眼がじっと見つめてくる。椎名は反射的に、手を握った。
「怒らせましたね」
椎名は目を閉じた。宵闇より深い暗闇。
「なんのことだ」
「中川亜由美は、『始末』せずとも処理できたはずですよ」
責めるでも咎めるでもない、まるで抑揚のない口調だった。
椎名は身じろぎもせずに常磐の言葉を聞いている。――そんなことは、言われなくても解っている。そして弁解の余地がないことも、解っている。さりとて、なぜそんなことをしたのかという確固たる理由があるわけでもない。
自分がどうしようもなく身勝手で不安定であることは、理解していた。
「いつまで続けるつもりです」
「……こっちの台詞だ」
小さく、吐き出した。
「止められるものならとっくに止めてる」
刀を持たなければ仕事にならない。しかし、持ってしまった時点で既に「衝動」に負けている。情報局に転属願を出そうか、と本気で考えたこともあったが、そんなことをしても無駄だと第六感に嗤われた。
理由も解らない破壊衝動だけが、暗く淀んでいる。それをどうすることもできないのなら、せめて相棒という存在を遠ざけておくのが礼儀ではないのか。狂ったように「始末」を行う人間と組めるような「葬儀屋」は、そう居るまい。
そうですか、と常磐が応えるのが聞こえた。彼も、端から期待していたわけではないだろう。
目を閉じたまま、椎名は腕と脚とを組んだ。
「俺よりあのガキをなんとかしてやるほうが生産的だ。さっさと別の相棒つけてやれよ」
「そうですね」
珍しくまともな答えが返ってきた。目を開けてみると、常磐は先程と寸分違わぬ姿勢で頬杖をついていた。違うのは、紅い眼が椎名ではなくデスクの上を見ているということくらいか。
「
元相棒の名を聞いて、椎名は露骨に嫌な顔をしてみせた。聞きたくもない。それに気づいているのかいないのか、常磐はぼんやりと胡蝶のデスクの上を眺めている。綺麗に整頓されたデスクの上に、底の読めない視線が固定されていた。
「彼女は……」
独り言のような常磐の呟きと、扉が開く音が重なった。
顔を上げると、細く開いた扉の向こうから、蛍光灯の光が差しこんでくるのが見えた。目を細めると同時に扉が閉まった。再び班室を満たした暗闇の中に、ハイヒールの硬質な音が響く。
「陰気なところで喋ってるわね」
大袈裟に顔をしかめながら、狭霧が机の間をすり抜けて近づいてきた。ショートヘアの隙間でロングピアスが光っている。椎名は束の間、中川亜由美のペアリングを思い出した。
「狭霧」
相棒の姿を認めると、常磐はようやく頬杖をやめて彼女を見上げた。世間話でもするような口調で問う。
「胡蝶はどうしていますか」
「眠ってる。よっぽど疲れてたのね。……そうそう、あの子、あれでなかなか頑固みたいね」
狭霧はちらりと椎名を見て微笑した。
「戻ってくるって言ってたわよ」
「戻って?」
怪訝な顔で問い返すと、澄ました答えが返ってきた。
「あなたのところに」
「は?」
思わず間の抜けた声を上げた。狭霧だけが笑みを浮かべている。困っているような、それでいて面白がっているような。
「馬鹿言うな」
「本当よ。私だってびっくりしたんだから」
そう言って、視線を背後に送る。再び閉ざされた扉の向こうでは、胡蝶が眠っているのだろう。安らかな眠りかどうか、それは判らないけれど。
「なんであいつが俺と組みたがるんだ」
無意識に、噛みつくような調子になった。――不可解だ。そんなことがあるはずはない。
「どうだか」
狭霧の双眸が椎名に戻ってくる。柔らかな笑みを浮かべてはいたが、どこか哀しそうな調子でもあった。
「あの子もあの子で……なにか抱えてるのかもしれない」
ぞくり、と。
背筋に悪寒が走る。
なぜなのかは解らなかった。
「『葬儀屋』ですからね」
常磐が後を継いだ。
「なにを抱えているのかは、本人にも解らない――貴方と同じですよ、椎名」
「……あんただって」
「そう、僕も狭霧も同じです」
言って、彼は肩を竦めた。
「解らなくさせるために、全部忘れさせられるんですよ。記憶は碌なことをしでかしませんからね」
――「葬儀屋」は、死者の組織だ。
なんらかの原因で寿命を全うできなかった者が、残されていた生命の分だけ、二度目の生命を得る職場。そして――二度目の生命を授かる際、生きていた頃の記憶は消される。魂という不安定な存在を、揺らがせないために。ゆえに彼らは、ひとつの記憶も持たずに生死の番人となる。椎名も、常磐も、狭霧も胡蝶も。
今の自分を動かしているのは、生きていた頃の自分なのだろうか?
「けれど、わけのわからない感情に突き動かされるのは……生者も死者も『葬儀屋』も、大して変わりませんよ」
悟ったような常磐の呟きを、椎名は呆然と聞いていた。
そして隣室の扉を眺め、胡蝶のことを思う。
――ころさないで。
彼女の声が聞こえたような気がして、椎名はきつく目を閉じた。
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