野球見聞録

ぬかてぃ、

第1回 プロ野球があまり好きではない

 どうも、プロ野球ってのに熱を上げられない。いや、勿論日本での最高峰ってのはわかっているんだが、これが中々どうにも好めない。一応広島カープのファンで、既に引退した前田智徳のファンだったから、嫌いではない。それどころか今年の絶好調っぷりからしたら喜ぶことはあれど悲観することはない。だが、どうしてもなんというか、ぐいぐいと入れ込むことができない。これはどうしてだろうか。

 プロ野球の試合を見に行く事は、静岡に来る数年前、福岡に住んでいた時は一年に数度は福岡ドームに足を運んでいたものだった。前述したように私は広島カープのファンだったからパ・リーグの試合はあまり興味がないと言われてしまえばそれまでなのだが、それでも友人のツテやら、はてまた個人的な興味から、道祖神かそぞろ神の招きか何だか知らないけれども、行くには行っていた。しかも大抵は練習の風景から。

 実はこの風景というのが好きである。外野では外野手同士がゆっくりと遠投を行い、バッターボックスでは我々が投げられないような、それでもプロでは失格の烙印を押されたバッティングピッチャーのボールを振りぬく打者がいる。遠く外野席からは音だけ出ればよい、と言ってしまっているような少し品のないトランペットの音が聴こえ、それが球場全体の静けさに色を添える。

 散り散りに聞こえる楽器と、ボールがグローブを叩く音、そこの間を割って入るかのようなバットがボールを叩いた音。それを私は買ってきたコーラを席に備えてあるスタンドに差し込み、じっと選手を、球場のあちこちを見つめる。空を見上げると得点を刻む電光掲示板が今か今かと待ちわびている。

 この、華やかさとは全く違った光景というものが、とても好きなのだ。この何気ない素朴な光景に、私は野球の原風景を見るのだ。

 そして試合になると、それを選手も応援団も練習したそれらを発揮する。しかし、それらには大分興味がなくなっている。厳密にいえば、ゲームそのものは楽しんでいるのだが、それを取り巻く環境ってのが、こう、好きになれないのだ。

 頼む。頼むから、静かにゲームを見させてくれ。

 結局、あの華やかさ、いや、あの『プロ野球とはかく華やかでなければならない』という雰囲気が嫌いなのだ。

 勿論私自身は吹奏楽で、しかもトランペットとして在籍していたから、応援などを一々あしざまに言う気はない。自分の高校が勝利する姿を願ってやまない高校生のために楽器を吹き鳴らしたこともある。だからそれをどうこういうつもりもない。

 しかし、どうも一線を引いてしまう最大の理由が、応援含むそこにあったりする。

 なんというか、ド派手なライブを球場一体となって作り出しています、というような雰囲気。あれがすこぶる嫌なのである。

 君達が何をどうしたっていい。どうしたっていいから私を引き込まないでくれ。私は静かに野球が見たいんだ。バットから出る快音を、グローブから出る音を聞きたいのだ。その純朴なそれらを一々飾り立て、どれもかしこにもカクテル光線を当てようとしないでくれ。

 結局、作られた派手さが嫌いなのである。

 そう思うと、私が野球に対して何を求めているのか、という事が見えてくる。それは割と単純なもので、試合が見たいだけという事に落ち着く。応援もなにもしたくない。ただ、ぼうっと席に座って試合を見ていたいだけなのだ。そこに派手なカクテル光線など必要ないわけで、純粋に選手のプレーを見たいだけなのだ。そこにどちらかのファンというのもなく、ただただ一挙動一挙動を見て楽しみたい。応援しているチームが出ていたら選手の活躍をほめ、敵チームの選手がファインプレーをしたら唸る。そういう観戦がしたいのだ。

 さらに言えば、私の場合、そこに耳が絡んでくる。ボールが奏でる音楽を楽しみたいという感覚がどこかにある。これは多分中高大と音楽一筋だった故の病気みたいなものなのだろうが、それを感じる事が非常にできないのが、どうも好きになれない所なのだろう。皮肉なもので、高校、大学とやっていた事を、一個人になって否定する形となっているのだ。いいから爆音で球場をかき鳴らさないでくれ。過去の自分にそう言っているのだ。

 残念ながら日本の野球にはそれはほとんどない。高校、大学、社会人、プロまで楽器の音が鳴り、応援歌が歌われ、まだ戦ってもいない投手と打者が、ヒーローとヒーローの戦いになってしまっている。違うんだ。ボールが投げられ、バットが振られたその瞬間にヒーローが生まれるのである。構えている段階では誰もが何者でもないのだ。

 そういった風景からなにが見えるのか、というと、それはもう単純で偶像と偶像の戦いでしかないのである。そしてその偶像と偶像を応援することでファンが一種の教徒になっている。まるで信仰と信仰の戦いみたいになっている。それが肥大化したものが、先ほどのなにもかもにカクテル光線を当てたような感覚になるのだろう。

 私は、試合が見たいのだ。応援するだけして、結果自体はニュースでいい、みたいな観戦の仕方はごめん被るのだ。自分の応援するチームに一喜一憂するのではなく、敵味方関係なく選手のプレーに興奮したいのだ。

 そういうわけで、私はプロ野球の試合というものがあまり好きではない。好きだった前田智徳がいなくなってなお見なくなった。無理やりにヒーローにするような雰囲気が、とにかく好きになれないのだ。

 フィールドに立った選手は派手なカクテル光線を当てずとも、ヒーローなのだから。

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