ショートストーリーズ
森山たすく
12月の街は流れが速くて
そこから逃れるように、俺は細い路地へと足を踏み入れた。表通りとは違って極端に暗く、時折遭遇する小さな飲み屋から笑い声が聞こえてきては、後ろに遠ざかっていく。
普段通る場所からさほど離れてはいないはずなのに、自分がどこにいるのか見失いそうになる。それだけ同じことばかり繰り返しているということなのだろう。
ここのところずっと、もやもやとした気持ちを持て余している。仕事で大きなミスをしたとか、酷い言葉を投げかけられたとか、クリスマス前に彼女にフラれたとか、そういうことも特になく、ただ忙しい毎日に少し疲れが出ているだけだとは思うのだが。
満たされていない訳ではない。でも、何かを置き去りにしている感じはする。
次に出会った大きな光は、おもちゃ屋だった。いかにも古い店で、ウィンドウには色あせた箱がごちゃごちゃと積まれている。
「いらっしゃい」
中へと入ると嗄れた声に迎えられた。背の高い棚に遮られ、店主の姿は見えない。近くにあったプラモデルの箱を手に取れば、埃が舞い上がって思わず顔をしかめた。
俺は少し息を止めたまま、ぞんざいな字の値札が貼られた箱を、静かに棚へと戻す。こういうのはネットのオークションで高値がついたりするのかもしれない。
それから何気なく向けた視線の先に、心臓がどきりと跳ねた。見覚えのある――いや、懐かしい姿がそこにあったからだ。小さなロボットのおもちゃ。記憶にある姿と同じく、不恰好で安っぽく、ちぐはぐな色だった。
手に取ってみる。記憶にあるよりもずっと軽い。「展示品だけだよ」と唐突に声をかけられて、ロボットが滑り落ちた。
「あっ」
思わず声が出たのは、自分の不注意のせいだけではなかった。ロボットが床に激突して壊れるでもなく、見事な着地を見せたかと思うと、てくてくと歩き出したからだ。
俺は慌ててその後を追う。でも一歩踏み出せば届くはずの足が、何故か届かない。そびえ立つ棚はいつしかビルになり、蛍光灯は街灯へと変わる。
俺はロボットについて歩きながら、思い出していた。
手を引かれて歩く夜の街は普段と違う顔でワクワクとしたけれど、どこか恐ろしい香りもしていたこと。朝がやけに眠くて、もう立ち上がれないんじゃないかとまで感じたこと。伝えたいことが次々胸まで上がってきて、息が苦しくなったこと。
多分、何か決定的なことがあったわけじゃない。些細な日々の行き違いが積み重なっただけなのだと思う。でもそれは、髪を切っただけで翌日学校に行くのが憂鬱になるような子供の俺にとっては大きなことだったのだろう。
だからこそ、俺は親父からもらったロボットを壊し、ゴミ箱へと捨てた。そんな小さな溝はそのうち消えるさと笑いながら、いつしか、せっせと広げて固めることばかりしてきたのかもしれなかった。
「もう閉店だよ」
嗄れ声に、はっと顔を上げる。店主が皺の深い顔をさらに不審げに歪め、こちらを見ていた。そこは相変わらず埃っぽい店の中で、俺の手の中にはロボットがある。
「これください」
「展示品だけだよ」
先ほども聞いた言葉に何度も頷き、俺は財布を引っ張り出した。
外の空気が、やけに冷たくなった気がした。汗を沢山かいたからかもしれない。手の中の紙袋を眺めながら、さっきのことを思い出す。きっと酔いが見せた幻なんだろう。
帰ったらロボットをどう飾ろう。考えると、妙にワクワクした。子供の頃のような遊び方はしないかもしれないが、違った形で大切にすることは出来る。
実家にも、久しぶりに電話でもしてみようか。感謝とか向き合うとか、そういった大層なことじゃなく、今なら挨拶のように気軽に話すことができるんじゃないかと、そんな気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます