第5話 『廃屋』
移動の時間を使いながら、のんびりと語っていきたいと思います。
バレンタイン?
気にしない。
「どこか、いい廃屋知りませんか?」
私がそう言ったのには訳があります。
物書きになって数年。
かねてから書きたいと願っていた現代ファンタジーの舞台資料にするために、ちょっと大きめの廃屋で写真を撮りたかったのです。
私は、あまり資料集めをするタイプではありません。
それでも、舞台となる場所は完全に妄想するより、モデルとなる場所があったほうがリアリティーが増す気がしていました。
だからこそ、冒頭の一言を振りまく毎日を送っていた訳です。
そんな日々を過ごしていると、意外と願いは叶うもので。
ある日、知り合いからちょうどいいのがあるとの連絡を受けました。
私はオカルト好きでも、マニアでもないですし(ホントだよ……)、危ない事はしないほうなので、ある晴れた日の真昼間にハンドルを握り某県の海岸線をひた走りました。
「近くまで行けば、看板が出ています」
そのセリフに不思議なものを感じてはいたのですが、ナビに入れた住所が近づいた時には、ようやく合点がいきました。
某県ニューグランド B区画
その看板は年月を経て草木に埋もれ、独特の土臭さをまとって、ひっそりと存在しておりました。
「我ながら、よく見つけたもんだ」
私は区画へ入る前にコンビニにより、おにぎりやゆで卵、水などを買い込んで、緊張とともに区画へ足を踏み入れたのです。
ハブル期の別荘村と言うのでしょうか。
山の一部を開いて30から50棟ほどの別荘を建て、村全体の管理人置かれるタイプの、そんな集落。
凝った作りの外国風の建物群は、無人になった事で生気が失せたのでしょうか、なんだかくすんでおりました。
村の入り口には、おそらくバス停かロータリーかにするつもりだったのだろう、回転広場があり、その中央には村の名前と区画を表示する地図のようなものがありました。
「区画名しか書いてないや。……とりあえず片っ端から鍵を突っ込んでみよう」
私のつぶやきにドン引きしてはいけません。
私の手元には区画とナンバーが書かれたメモ、それに洒落た鍵かひとつあるだけなのです。
区画地図には番地とも言えるナンバーは表記されておらず、どの家が目当ての家なのか、判然としなかったのですから。
季節は確か秋に近い夏。
明るい日差しの中、無人の集落で独り……ガチャガチャとドアノブを回す大人。
完全なる不審者です。
カメラを持ってるのもよろしくない。
職質レベルの不審者です。
ですがそんな不審者もとある家の前に立った時に、ゴクリと喉を鳴らしました。
keepout
この文字が恐ろしく感じる時には、きっと足を踏み入れてはいけなかったのです。
私はこのとき
すべての鍵穴を試さなければ
という、訳のわからない使命感に燃えておりました。少し考えてみれば、多少なりとも危険のありそうな場所の鍵を他人に渡す事はないでしょうし、少なくとも私の知人はそういうタイプの人でした。
私は地に落ちた色褪せたロープを足で退けてから、玄関扉の前に立ちました。
殴り書きのような文字ですが、なかなかに迫力があります。
「床に穴でも開いてんのかな」
というのが、私の率直な感想です。ですが、同時に人を拒絶する文字に、僅かにためらいも覚えたのは確かです。
鍵は案の定というか、意外というか、開いてしまいました。
「……えー。本当にココなのか……」
危ない場所だったら嫌だな、とそう思いながら、慎重に扉を開けて中へ入ります。
床板が痛んでいないか、天井が落ちないか。そんな事だけを気にして入り込んだその家は、私の想像とは違って、大変しっかりとした家でした。
玄関ポーチは自転車をそのまま3台は停められそうに広く、たたきを上がった先の板の間には小さなベンチもあります。
住人は備え付けの家具以外のものは奇麗に持ち去ったようで、ホコリ以外のものは見当たりませんでした。
正面には階段があり、玄関右手にはサンルーム。左手には応接間というかリビングのようなものがあり、リビングらしき空間の奥にはキッチンがあります。
階段の左脇を通り抜けた先には右側に和室が、その奥には水回りがありました。
お気づきでしょうか。佐伯が最初に目をさました家のモデルとなった家に、夏目は10年近く前に前に足を踏み入れておりました。
あ、間違えた……まあいいか。
雨戸が閉まっているため、家の中は薄暗いのですが、サンルームから入る秋の日差しに助けられ、視界は良好。
私はとりあえずいくつか雨戸を開けてから写真を撮る事にしました。
一階部分でフィルム(当時はフィルムカメラを使ってた)
を一本使い切り、二階に上がる前にフィルムを交換しようと思ったのです。
フィルムカメラを使う方がどれだけいらっしゃるかわかりませんが、フィルム交換のときには、直射日光を避け無くてはなりません。感光してしまうので。
私は一階の中でも薄暗い、キッチンの隅でフィルムの交換作業をしていました。
のどかな空気が満ちていたと思います。どこかで移動販売車の音楽が聞こえるくらい。
牛乳やとかパン屋とかの移動販売車の音楽だと思います。
「クリームパンが食べたいな」
とかなんとか言いながら、私はフィルム交換を終え二階へ上がりました。
二階には三部屋。階段を上がって左右に一つずつと正面の奥に一部屋です。
背後になる玄関側からの日差しは強く、窓の無い二階廊下であっても動くのに困る事はありませんでした。
私はとりあえず右側の部屋に入り、雨戸を開けました。
眼下には海岸線に沿って伸びる道路があります。私が走ってきた道。
その道に出るまでに15分くらいはかかるのですが、こうして見ると以外と近い。
その先には乳白色の砂浜が広がり、海が空に溶けているのが見えました。
「こんな良い場所なのに、売れないのかな」
海が好きな私は、このままこの辺に住んでもいいな等とのんきな事を考えていたのですが、ふと不思議な事に気がつきました。
地面の色です。
上から見ると明らかなのですが、この集落では地区ごとに道路の色が変わっているようでした。
どうやらB地区は黄色というかオレンジ色っぽいのが地区カラーの様です。
「おしゃれ……? ん?」
海に向けてシャッター切りながら、この辺りが栄えていたときの事を想像したりもしましたが、ふと違和感が私の指を止めました。
ゆっくりと記憶を辿ります。
鍵を開ける前、ロープを蹴ったとき。私の足は、緑色っぽい地面にすりつけられはしなかっただろうか。
廃墟ではやってはいけない行動ですが、私は窓枠から身体を乗り出して外を見ました。(許可を得て廃屋に入っても、このような行動は本当に危険です! やらないでね)
僅かに見える玄関側の道路は、やはり緑
「やば……」
そう、私は地区を跨いでしまっていたようなのです。
慌てて雨戸を閉めて、一階に戻りました。
置いていた荷物を持ち、開けたところは閉め、心の中で「すみません」と頭を下げて慌ただしく玄関から外へ出たのです。
そこでさらに気がつきました。
「移動販売車が……来る訳無いじゃん」
外は静かです。
のどかな陽光と、僅かに潮の香りのする風があるだけ。
「……つか、何で鍵が開いたんだ?」
地区の伝え間違いなのでしょうか。
それとも天文学的数値で鍵の形状等が重なったのでしょうか。
私は振り返って、そっと鍵を閉めました。
「……keepout」
家の作りはしっかりしています。それなのになぜ立ち入り禁止と玄関に書いてあるのか。
想像すると物騒なものが浮かび上がります。
流石の私も気味が悪くなりました。
「なんか……ごめんなさい」
何かお守り的なものでもないかと自分の荷物に思いを巡らせると、一つだけそんな雰囲気のものがあることに気がつきました。
覚えておいででしょうか。私がゆで卵を買っていた事を。
昔はゆで卵に塩が別添されていたのですよ。
私は気休めとばかりに塩を撒き、その場をあとにしました。
黄色の地区に戻り、道ばたで味の無い卵を食べて(今はちゃんと味しますもんね……進化だ)、改めて家を探そうとしたのです。
ですが、どうにもあの家が気にかかる。
見られているような、私があの家を見続けていたいような。
不法侵入の罪悪感がそうさせるのでしょう。
私は鍵を貸してくださった方に連絡を入れる事にしました。
「間違えて違う家に入ってしまったのです」
そう伝えると、相手は一瞬黙り込み、すぐにこう言いました。
「緑の地区は、今も人が住んでいます」
「え、じゃあ」
私はさらに青ざめました。
不法侵入!!!
「いや、でも……黄色の地区と隣り合わせではないんですが」
「……はい?」
「それに、お渡しした鍵は確かにB地区にある家のものです。そこ以外には開きません」
この方、実はおうちの持ち主でもあるのですが、なんかノリで「おうち」って書いてしまった。ちょっと「誰にも……」にひきずられてんな(笑)
この村というか、地区の、最後の管理人だった方です。
「きっと道路の色は見間違いでしょう。その鍵で開いたところでしたら、好きにしてくださって結構ですよ」
そう言ってくださいました。
私は礼を言って電話を切りました。
それ以上は言えなかったからです。
黄色の地区に居るとわかります。
この地区が廃れてしまった訳が、緑の地区とやらにはまだ人が居る訳が。
海好きの私はきっと緑の地区に住むでしょうから。
山の一部を切り開いたこの別荘地。地区の造成都合上、このB地区だけ山側の国道に面しているのです。見える景色は山と道路。
「……海が見えるはず、ないんだよな……」
ふと、写真の事が気になりました。
私は海の写真を撮っていたはずです。
「撮れてるのかな……いや何か撮れちゃってんのかな」
不思議でなりません。
もう一度あの場所に戻ってみようと思いました。
地面の色を確認し、もう一度入ってみればわかる。
振り返ればまだあの家の二階部分は視界に入るのですから。
「……」
そう思ったのですが、あの家の窓を見てためらいました。
雨戸をしめたからですが、真っ黒な穴のような窓。
少しだけ、道を戻ってみました。
最初は気がつきませんでしたが、急に雑草が増え、こちらの方は廃墟度が増している気がします。
地面の色は黄色のまま。
玄関先には相変わらずの文字。
確かに雑草の色と地面の色が混ざって、どことなく緑に見えたのかもしれません。
もう一度鍵を開け、玄関を開けて、流石に声を上げそうになりました。
ぼろぼろ、だったのです。
管理人さんは「何年も人が住んでいない」と
おっしゃっていたのですが、最初はそれでも「こんなものか」と思っていました。
そんな事は無い。
壁紙は歪み、何年も開けられていないがために湿気の籠った空間。
首だけを巡らせるようにして玄関から中を眺めると、サンルームの窓が割れているのが見えました。
私はそっと家から出ました。
後日聞いてみると、あの文字は他の地区の管理人さんが、サンルームの部分が危険だからとスプレーで書いたそうです。
そして、あの家からはかけらのような海は見えるが、それだけであるとも聞きました。
あの光景は、あの海は、あの音楽はいったい何だったのか。未だにわかりません。
写真なのですが、現像したところ、私が見たままの奇麗な家が映っていました。二本目に関しましては上手く現像できず……それでも海が映っていた事は確かです。
それを見せて訴えたのですが、あの辺りの別荘は建て売りで同じ形をしているので、きっと見間違いだろうと取り合ってもらえませんでした。
私もそのうちに見間違いだと思うようになり、この家の写真はいつの間にか放置されてしまいました。
ふと「誰にも……」を書くときに思い出し、懐かしくも登場させたという訳です。
不思議ではありましたし、少々気味も悪かったのですが……
見た光景は奇麗だったので。
きっと家の記憶でも見たのだろうと、ファンタジーな理由を付けて処理をする事にいたします。
すっきりしない話ばかりでごめんなさい。
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