壮大な出オチという名のプロローグ

 ある日、ある平穏な世界に、激震が走った。




「おはようございます。朝ですよ、起きてください」



 青く晴れ渡る空に、薄く綿菓子を流したような白い雲。木々は若葉をみずみずしく揺らし、小さな鳥の声が時を告げていく。


 テンプレ通りの爽やかな朝、平均的、という言葉から一歩もはみ出さない家の中から、ちょっとないくらいに耳触りの良い声が聞こえてきた。

 どうやら誰かを起こそうとしているらしい声が外まで漏れているのは、直前に声の主が二階の角部屋のカーテンと窓を開けていたからだ。ひらひらとレースのカーテンが風に揺れ、まことに清々しい、朝にふさわしい風情を演出している。



「起きてください。今日も学校ですよね? 朝ごはんの時間ですよ」



 部屋の主人は夜更かしでもしていたのか、起きる気配は微塵もないらしい。声が少し困ったように繰り返し、続いて、カチリと時計の歯車が噛み合う音がした。


 ジリリリリリ、とけたたましい音が鳴り響く。おそらく目覚ましの音だろう騒音に重なり、



「ああ、今朝も鳴ってしまった……」



 嘆くような台詞が、妙に嬉しそうな声で発せられた。


 目覚まし時計が絶叫すること、きっかり十秒。



「毎朝毎朝毎朝毎朝、うるっさいのよこの豚野郎ーっ!!」



 家の周りから小鳥を一掃するかのような大音声と、何かを蹴り上げる重い音。


 そして、



「おはようございます、もっと罵ってくださいっ!!!」



 恍惚として濡れた声。

 お子様に聞かせたくないし朝にふさわしくもない大騒ぎは、実のところ、このご近所では恒例行事いつものことであった。




 勇者現出リアルポップ、という事件がある。



 理由も原因も解決方法も一切が不明のこの現象は、約一年前、全世界を混乱の渦に陥らせた。


 まず最初に騒ぎが起こったのはインターネットの世界、有名な日本の巨大掲示板で、スレッドが立ったはなしがでた当初こそ悪戯ネタ扱いされただけだったが、ほんの一時間もしないうちに五つものスレッドを消費する大騒動に至ったのは、それが日本中でほぼ同時に起こり、しかもその当事者の数が半端ではなく多かった為だ。


 簡潔に言うなら、「とあるオンラインゲームのキャラクターが現実世界に現れた」、ということになる。


 そのあまりに非現実的な出来事は、しかし否定することもできない規模だった為に、掲示板上でもゲーム関連からネット関連、オカルト、果てはニュース系まで巻き込む祭り状態になり、翌日にはTVニュースや新聞等、各マスメディアのトップを飾ることになった。


 事態は当事国である日本を始めとした各国首脳部をすら悩ませ、三日後には、大体の事件概要が報道された。



 曰く、

「日本のとあるオンラインゲームのキャラクターに酷似する人間または生物らしきものが日本中に現れた」

「現れた存在は、そのゲームのユーザーの元におり、その総数はゲームの公称国内ユーザー数三〇万とほぼ同数と思われる」

「現在のところ、ただちに危険と思われる存在はいないという報告を受けている」

ということだった。



 もちろん、世界中の常識的な人々はこの声明を一笑に伏したが、直接この事態を目にしている日本人はもちろんのこと、すぐに投稿サイトにあふれかえることになったハリウッドも首を吊るようなリアリティの動画群により、徐々に「これは現実らしい」ということが、「また日本か」「エキセントリックジャパン」「いつかやると思っていた」「HENTAI」「ついにパソコン画面ディスプレイを叩き割った」「日本人は未来に生きてんな」という言葉と共に世界に広まっていった。


 そのあまりの非現実性に、かえって冷静になることができたのか、この事件──発端となった掲示板のスレッド名「勇者がポップしたんだが」より、勇者現出リアルポップと呼ばれるようになった現象は、粛々として当事者たちに受け入れられたのだ。




 ……というグローバルな話は、正直、どうでもよく。


 日本の某地方都市に住む少女にとって、この事件は、非常に卑近かつ重大すぎる出来事だった。

 彼女は、そのゲーム、「Main Role Makers」の一プレイヤーだった。プレイ時間とそのプレイスタイル等は廃プレイヤーと言っていいくらいで、一年前までは存分に、その自由な世界観を楽しんでいたものだ。


 そう、彼女は、「自由」な世界を楽しんでいたのだ。現実ではないからこそ、現実ではありえないようなロールキャラづくりを思いっきり満喫していた、と、いうのに。



「自分の遊び心が、憎い」



 MRMは、キャラクター育成+世界創造シミュレーションゲーム、と銘打たれている。

 ゲーム上では「ロールメイカー」と呼ばれるプレイヤー達は、自由に「メインロール」と呼ばれるキャラクターを作り、そのメインロールの生きる世界を作り、冒険させ、またプレイヤー同士で自分たちの世界を接続させてメインロール達を行き来させることができる。


 圧倒的自由度が売りのこのゲームは、それ故にリリース当初は素人お断りの厨もしくは廃仕様と呼ばれていたが、プレイヤー作成の世界が増えていくにつれ、その世界にお邪魔するぼうけんしにいくことを目的にメインロールを作るというスタイルのプレイヤーも出始め、ついには国内有数のオンラインゲームにまで成長した。


 まあ、そんなわけで、大多数のプレイヤーは個性的な世界をいくつも冒険できるRPG、のような感覚でプレイしているわけだ。


 だが、ある一定層の廃プレイヤー達にとって、このMRMの面白さは、ただひと言、「至高のネタゲー」の称号に集約される。


 圧倒的自由度、それによって作成できる世界は、典型的な剣と魔法のRPG世界からアクション、ホラー、学園恋愛シミュレーションまで、まさに全方位。

 となれば、魔改造やらネタプレイに走りたくなるのがゲーマーというものだ。


 少女のプレイは、作成した世界こそそこまで特異なものではなかったが、そのメインロールとそれ関連のスキル設定で、「誰かやると思いたくなかった」「その発想はいらなかった」「直球全力デッドボール」というありがたい評価をいただいている。



 だが、重ねて主張することに、それはあくまでゲーム上のことであり、「ネタプレイ」としてのロールおあそびだったのだ。


 リアルポップ、という事件さえ起こらなければ。



「朝ごはん」

「ミルクたっぷりのオムレツとかりかりベーコンとサラダですよ。トーストのジャムはマーマレードとブルーベリーのどちらにしますか?」

「ストロベリー」

「申し訳ありません、今朝は切らしてしまって……」

「本当に使えないグズね。その鼻血でジャムでも作って耳から流し込んでやりたい」

「ありがとうございます、もっと罵ってください」

「黙りなさいこの豚野郎」



 さわやか、かつありふれた一般家庭の朝食風景。両親と子ども三人というにぎやかな食卓に、一年前ならありえなかった存在が紛れ込んでいる。

 金髪碧眼、ハリウッド俳優も土下座するような美貌の青年が、テーブル脇に控えて甲斐甲斐しくこの家の娘の世話を焼いていた。ちょっと前屈みなのは、たった今、レバーあたりにイイ一撃をもらったせいだ。


 その顔は彼女と交わした会話のためにきらきらと輝き、頬は薄く上気して、瞳は何かを期待するように潤んでいる。

 五人家族全員が、徐々に荒くなる息を聞いていたが、そろって黙殺した。

 彼らにとってはいつものことである。


 一年前のリアルポップにより現れたこの美青年は、少女の作成したメインロールだ。

 家族はもちろん彼女がこのゲームにのめり込んでいたことは知っていたが、突然娘の前にこんな男が現れたことには驚愕させられた。


 翌日からの報道により、事態については理解せざるを得なくなっていた家族だが、たった一点、この非現実的な出来事より、人間かどうかも疑わしいような美青年が娘と同居することになった事実よりも認めがたいことがある。



 それが、このメインロールと少女の設定かんけいだ。


 オムレツにかけるケチャップを取ろうと父親が手を伸ばすと、良く気のつく娘は目の前にあったそれをすぐに渡してくれる。



「ああ、ありがとう」

「ううん。あ、お兄ちゃんもドレッシングかける?」

「おー」



 ごく平凡なワンシーン。特別なことは何もないが、そんなささやかな幸せがずっと続いていくと、家族全員が思っていた。


 なのに。



「あれ、もうなくなっちゃった?」



 ドレッシングボトルを振る兄を見た少女が、すぐ隣に跪いていた青年に、虫でも見るような目を向けた。



「ちょっと、豚。どうして足しておかなかったの? ゴミみたいに床に張り付くしか能がないなら燃やすわよ」

「すみません、すぐに作ります、もっと罵ってください」

「無駄口なんか聞きたくない。おしおきごほうび欲しさにヘマをするなら捨てる」



 命令をいただいた青年がありえないダッシュでキッチンに向かうのを生ぬるく見届け、父親は娘からそっと目をそらした。

 非常に居心地悪くトーストを囓りながら、彼女も内心ため息をつく。



 リアルポップから約一年、すでに少女も家族も青年の存在には慣れているが、どうやら父親だけは未だ、諦めきれないものがあるらしい。

 それを言いたいのはこちらのほうだ、と彼女は思う。


 あの事件では日本、いや世界中が大混乱で、今も、ポップしたメインロールたちの法的扱いやら何やらで偉い人たちは苦悩しているらしいが、そんなことはどうでもいい。



 彼女にとって重大なのは、このメインロールが現実にやってきたことによって、家族及びご近所の皆さまに自分のネタプレイが公開されてしまった、というこの壮大な羞恥プレイだ。


 コテコテの王子様系美青年の外見をしたメインロールは、設定名を「この豚野郎」という。これが冗談ではなくロールキャラクター名で、ゲーム上では世界の全員から「この豚野郎」と呼ばれる壮大なドMキャラ、というネタ設定だった。


 ついでに、ロールメイカーである自分の設定名神へのよびかけを「もっと罵ってください」としていた為に、メインロールに何か呼びかけるたびに頬を赤らめてもっと、とおねだりおへんじされる、という羽目になっていた。



 ちなみに、彼らのリアルでの初会話も、いきなり目の前に現れた自分のメインロール(に酷似した美青年)に、呆然としつつうっかり



「……この豚野郎?」



とつぶやいてしまい、



ありがとうございますはいもっと罵ってくださいマスター



と返される、という他人には聞かせたくないものだった。


 ちなみに、珍しく家族全員がそろっていた休日の団欒時のことである。



 最初こそ、家族に必死に言い訳を重ねていた少女ではあるが、彼女の設定メイク通り、ひたすら彼女に奉仕する奴隷ゆうしゃとして振舞うメインロールについつい、いつも通りに接してしまい……今に至る。


 父親はともかく、母親と兄と弟はとっくに彼女の隠されていた性癖(ということになった)を諦め、TPOをわきまえ機能のないメインロールのせいで、それはご近所にまでフルオープンとなった。


 たった一年で、「どこにでもいる、ごく普通のおとなしい娘さん」から「美青年の奴隷メインロールを侍らせて足蹴にするドSじょおうさま」クラスチェンジさせられた彼女を慰めてくれるのは、元々彼女のネタプレイを知っていた友人たちくらいのものである。



 今朝も下僕メインロールの作った朝食を食べながら、いつも通りに頭の中でスケジュールを組み立てる。

 女王様だろうが廃ゲーマーだろうが、基本的に彼女はごく普通の少女であり、学生である。学校の授業と放課後の予定を考えて、あ、と言った。



「お母さん、あたし今日、友だちと遊んでくるから、ごはんいらない」

「あら、遅くなるの?」

「たぶんー」

「暗くなったら危ないわよ」

「平気。豚連れてくし」

「ならいいけど。役に立つの?」

「立たないけど、壁くらいにはなるよ」



 トーストを口に押し込み、指先を拭わせながら、彼女は隣を見下ろして今日の予定めいれいを告げる。



「だから、豚は今日はあたしの部屋を片付けて、いつも通りお母さんの手伝いして、時間になったら迎えに来なさい」

ありがとうございますはいもっと罵ってくださいマスター

「ちなみに、授業中までストーキングしてたら装備プレイどうぐ全部剥いてベランダに吊るすから」

「ああっそんな」



 いつもながら、このメインロールは困っているのか悦んでいるのかわからない。いやわかりたくない。


 とりあえず彼を蹴り飛ばして、少女は立ち上がった。おいしい朝食のご褒美だ。



 下僕の差し出す鞄を受け取り、身だしなみを整えられながら、玄関に向かう。

 今日もいつも通り、メインロールに運転させる車で学校に送ってもらうのだ。(家族とご近所さまは、それも生あたたかく見守っている)




 一年ほど前のある日、世界には大事件が起きた。


 だが差し当たり、ある少女とその家族、ご近所さまにとっての懸念事項と言えば、彼女の性癖が大暴露されたことと、勇者げぼく登場ポップによって、彼女が順調に女王様なまけものになっていっている、ということでしかなかった。











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