同じ月~若き日の芥川龍之介~

猿川西瓜

第1話 芥君

 大正四年、八月二十日。井川家末っ子のワタシは、兄の恭と龍之介君の三人でちゃぶ台を囲み、母が夕食を作り終えるのを待っていました。

 ワタシ達が今過ごしている家は、松江城のそばを流れる西堀川の亀田橋近くにありました。東京からの客人龍之介君を迎えるにあたって、恭がこの空き家を選んだのです。


 恭には家を借りられる程の金銭がありました。龍之介君に秘密で「鈴かけ次郎」の筆名を持ち少年雑誌に小説を書いて原稿料を稼ぐ作家でした。恭は小説家を志す龍之介君の先輩にあたるわけですが、ワタシにきつく口止めしました。

 理由はわかりません。龍之介君より作家として先輩であるという大きな秘密を抱えながら、親友としてよく付き合えるなとワタシは思いました。


 恭は龍之介君より三年と三ヶ月、年が上です。中学卒業後、神戸で三年間入院していたのですが、療養中に書いた小説で都新聞の一等になりデビューしたのです。けれども彼のその活躍を友人の中で知る人はおりません。その口の固さと器用さは、恭自身の理想主義と反するように思えました。


 家では、恭と龍之介君が二人きりで過ごすことがほとんどなのですが、時々亮兄や姉も遊びに来て、龍之介君に可愛がって貰っていました。

 ワタシは一番下の年齢でしたが、性格はとてもませていたせいで、龍之介君の可愛がりを拒んでいました。ワタシはもう十五歳です。中学校ではいつも成績は一番でしたし、恭や龍之介君に下に見られたくない気持ちがありました。だからワタシは心の中で対等のつもりで、芥川龍之介さんを龍之介君と呼び、恭兄さんを恭と呼び捨てていました。


 龍之介君がこの松江にやってきたのは、女性にふられた心の傷を癒やすためでした。やけになって吉原で女遊びをして体を壊し、「わが心 いたく賤しく 且けがれたれど われはわが友の そをゆるすべく あはれむべきを信ぜんとす」と詞書を恭に送ってきたりしました。性欲から逃れられず、心身ともにぼろぼろになり、ついには死ぬことすら考えるようになったという手紙を恭によこしたのです。心配した恭は、桔梗や撫子といった薬草の花畑があって、濠沿いの緑が美しいこの平屋をわざわざ借りて、龍之介君を回復させようと計画をしました。


 そんな龍之介君の傷心旅行もあと残り一日となりました。

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