第17話 紫花 陽介は考える

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 俺は家に帰るとすぐにソファーに寝転がる。目を閉じると彼女のうれいを帯びた瞳が浮かんだ。

 人の印象は見た目が九割だと言われている。それは第一印象に限らず、その後にも影響する。つまり、人は人を見た目でしか判断できないのだ。

 でも千代さんがお嬢様じゃないってのはビックリだ。屋敷の他にもどこか品のある感じだったからな。育ちはいいのだろう。

 ……千代さんは罪滅ぼしと言った。何に対しての罪滅ぼしなのだろうか。

 彼女達の過去に何があったのだろうか……。竜胆りんどう先生は解離性の記憶障害で、過去の記憶が一部無いと千代さんは言った。この手の障害は若い女性に多いらしい。

 『一部』ということは、心に傷を負った時の出来事を忘れているのだろう。

 あのゆるふわ教師にそんな過去があったとは……。まぁ忘れているから、あんななのかもな。

 俺は思考をリセットしようとして、窓を開けて外を見る。生ぬるい風が顔を撫でた。

 彼女は俺に何を忠告しようとしたのか。先生と関係があることなのだろうか。考えれば考えるほど泥沼にはまっていく錯覚を覚える。

 ……考えるだけ無駄か。この事を当人に聞く気はない。ボッチは基本的に他人に不干渉だからだ。

 俺は窓を閉め、時計に目をやる。

 時刻は四時。帰り道で俺を焼いた光は少し弱くなっていた。



 月曜日、それは一週間の始まりでもある。始まりは、いつだって何だって憂鬱ゆううつだ。

 始まりがあれば終わりがある。終わるまでには辛いこと苦しいことがたくさんある。終わっても、それは終わらないかもしれない。

 そんなことを考えるくらい学校に行きたくなかった。

 だがうらめしいかな、体は意志に反して動く。

 いつもと同じ道を自転車で辿るが、違うことと言えば


「いやー、快適快適」


 後ろにあかねを乗せていることか。

 家を出る時に茜につかまり、後ろに乗せてとせがまれたのだ。


「いい加減降りろ。お前は走った方が速いんじゃない?」

「そんなことないもん。陽介のバーカ」


 茜はお返しとばかりに俺に抱きついてくる。ギャァアア!ま、マシュマロがぁ……制服の上からでも柔らかいよぅ……。

 すると、前から自転車に乗った中年男性の警察官がやって来た。


「あ、茜! 降りろ。捕まるって!」


 そう言っても茜は知らんぷり。ここでへそ曲げんなよ。

 俺と警察官の距離が縮み、交差する。バレなかったか?


「ちょっと君ー。止まりなさーい」


 ……ですよね。警察官は自転車を止めて俺らに近づく。さすがにここからじゃ振り切れないだろう。制服も見られてるし。


「二人乗りはいくらカップルでも駄目だよー。今回は見逃してあげるけど、次からは気をつけてねー」


 そう言って、警察官は去っていく。

 よ、よかったー。助かった。茜はさっきから黙ったままだ。どうしたのかなーと思って後ろを見る。


「か、カップル……警察に認められた……」


 夏なのに湯気が出そうなくらい赤くなっていた。俺の背中に額を当てて、ぶつぶつ言っている。

 上気したうなじにドキッとしたのは、たぶん気のせいだろう。

 俺は気をまぎらわせる為に、足に力を入れてペダルを漕いだ。



 人はなぜ群れるのか。いろいろ考えられる。

 自分の身を守るため。いざという時に仲間を売るため。一人だと攻撃されるから。自分のカースト順位を上げるため。

 とまぁ、こんな感じだろう。

 皆、自己保身じこほしんのために群れ、仲間を作っているのだ。

 そして自分が排他はいたされるのを嫌がる。忌避きひしていると言ってもいい。

 だから休みの日でもかいがいしく友達と遊びに行ったり、一緒にトイレに行ったりするのだろう。

 自分のいないところで、自分が攻撃されるかもしれないから。

 ……結局、人は自分のことしか考えず、自分が最優先なのだ。それは俺も例外ではない。

 体育の時間、俺はそんなことを考えながらボーッとしていた。

 今は五時限目、授業内容はサッカーだ。

 この学校は体育が男女別で、展開場所も違う。

 一つのボールを三、四人が追いかける姿は遠くから見ていると滑稽こっけいだ。

 そして積極的にボールを追いかけるのは、もっぱら上位カーストの奴ら。

 俺は何をしてるかって? 俺は後衛ディフェンスと言う名の傍観者ぼうかんしゃだ。

 ここでゴールキーパーをやるのは間違いだ。ゴールキーパーは点が入った時に面倒だしな。

 だから正解はゴール付近に立っていて、ボールが来たときだけそこから離れる。これに限る。

 この学校のジャージは野暮ったい紺のジャージだが、今日は持ち帰って洗わないで良さそうだ。



 放課後、俺は廊下を歩きながらこの後どうするか考える。本屋で新しい本を見つけてこようかな。


「陽介く~ん」


 廊下の奥、渡り廊下の入り口付近で俺を呼ぶ声がする。

 読んでいる本の続きは出たかなー。出てるといいなー。


「陽介くんってば~」


 手を振られているが人違いだろう。


「二年二組、紫花しばな陽介く~ん」


 フルネームどころか、クラスまで呼ばれた……。他の生徒も俺のことを怪訝けげんそうに見ている。

 俺はため息を一つついて、俺を呼んだ人に近づく。


 「何の用ですか?」


 声の主、竜胆りんどう先生に話しかける。


「ちょっとお話しましょ~」


 断ろうとも思ったが、千代さんに泣きつかれても困るので仕方なく了承する。


「良かった~。もし断られたら……」


 先生はそこで言葉を切って、人差し指を瑞々みずみずしい唇に当てる。

 ねぇ、断ったら何するつもりだったの? 怖いんだけど……。

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